2008年2月26日 (火曜日)

ルール

         

      ルール     詩・曲KONO 

 

僕は僕以外には なれるはずないのに

僕が僕であることは どうしようもないのに

僕は僕の人生を 受け取れないままに

僕が僕であることは 逃れられないのに

      あがきもがいている うつむいて泣いてる

      比べては、また溜息 自分勝手な「闇」の中

気がつけばこの世界の 真ん中に放りだされた!

「ルール」が貫いた「道」の上で

この僕に この僕に 「光」が・・・・

  

うまくいくはずさ、と 目論見が崩れ去り

進めず戻れず立ち止まれず 時は流れていった

       アルガママの世界  「影」が浮かび上がる

       照らされたのは誰? そこにいるのは誰??

苦しい時こそチャンス 自分と向きあって

「ルール」に気づかず行き詰まった

この僕に この僕に 「光」が・・・・

  

   あがきもがいている うつむいて泣いてる

      比べては、また溜息 自分勝手な「闇」の中

気がつけばこの世界の 真ん中に放りだされた!

「ルール」が貫いた「道」の上で

この僕に この僕に 「光」が・・・・

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仏教の人間洞察

京都の本山(東本願寺)から送られてくる『宗報(お寺向けの冊子)』の中に、

僕の大学時代の先生のコラムが載っていた。(以下、一部分を抜粋)

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真宗・仏教の人間洞察とは、私たちは、縁起的存在として業縁のままに、生・老・病を生き、今日とも知れず明日とも知れず死すべき身として、ただ今の瞬間の存在としてあり得ているという事実の目覚めである。

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先生が、以上の短い文章の中に仏教のエッセンスをまとめている。

難しい・・・。

でも何回も読み返しながら、その言葉の背景にある「教え」をたどる。

  

人間存在をどう見るか?

「今日とも知れず明日とも知れず死すべき身」である私。

そして、

「ただ今の瞬間の存在としてあり得ている」という私。

  

いま生きている事(生きていく事)を当然としない。

「老・病・死」を誤魔化さない。

そして、ただ、

この私へ、「事実の目覚め」を促している。

そこに耳障りのよい"甘やかし"はない。

  

直面しているのに、直面していると気づかなかった私に、

「教え」は痛い。

いや、みんな、全員が直面しているんだ。

なぜなら、もう生まれてきているんだもの。

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2008年2月23日 (土曜日)

肩こり爆弾

いやぁ~~~~~、「肩こり」っていうか、首の周りがカチカチに凝っていて、苦しくてたまんないっス。もともと「肩こり君」とは、いつも仲良く共存してきたけど、現在の症状はここ最近で一番ツライっす。肩こり爆弾が一気にさく裂状態ですわ。。。。

今日の「お通夜」でも、お経の声を出すたびに、頭が塞がる感じが強くて、思わず倒れちゃうかも・・・と思いました。

改善する時期が来ないウチは、アンマをしようが、マッサージをしようが、シップを貼ろうが、症状は同じ。今は、黙って、受け入れています。

  

でもね、

例えば、アンマさんとかに行ってね、マッサージをしてもらってる最中にね、

「いやぁ、、ここ、首のスジ、凝ってますね~~~、うん、すごい、うわぁ、カタイです・・・」

とマッサージの先生に言われたら、

「でしょ?でしょ??先生、ホント、辛いんすよ・・・・」

って苦笑いしながら、

ちょっとだけウレシイの、なんでだろ??

症状がつらいクセに・・・ね。

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「感謝」と「生き方」

    最近、「お坊さん」として歩もうとする自分自身に、聞こえてくるキーワードがある。

それは、

「感謝」

それと

生き方」

 この2つのキーワードを印象づけた人は、近所のお寺の息子さんである。

  

 その息子さんは、大学卒業後、ミャンマーの僧院に1年間に行って「上座部仏教」を現地で体感して帰国し、去年、お寺に帰ってきた。

 住職であるお父さんが体調が思わしくないので住職を引退し、今年、彼が、新しく住職になるという。まだ20代半ばで、帰ってきたばかりなのに、いきなり「住職」になるというのは、本当に大変なことだろう。

 その彼に去年、久しぶりに会った時、僕は聞いた。

 「日本とミャンマーとでは、仏教とはいってももちろん色んな違いがあると思うけど、日本で浄土真宗のお坊さんとしてやっていく中で、あなたがミャンマーの僧院で経験した事と重なる部分っていうか、通底する部分ってある?あるとしたら、何?」

 彼は、しばらく考えて、一言、

 「感謝・・・・ですかね・・・」

 と言ったのだ。あまりにもアッサリした一言に彼の真意をはかりかねて、それ以上踏み込んでは聞かなかったけど、「感謝」・・・・。ものすごく色んな解釈ができる言葉。

 でも、この言葉の「意味」を、僕の「住職」という道の中でも確認したいと思った。

 

 それから、その彼が、お坊さんの会合に初めて出席した際に、挨拶の中で、

 「僕は、僧侶とは(職業ではなく)、【生き方】だと思っています・・・・」

 と言った。他の「先輩坊さん」は、若い彼の発するこの言葉を受け流したかもしれない。でも、僕は、彼の言葉のお陰で「お坊さん」というものを「再確認」できたのだった。

  この「坊さんとは職業ではなく、生き方だ」というフレーズは、よく昔の偉い先生の本とか、研修会の先生とかも言うけれど、若い彼から出てきたこの言葉を「誰かの受け売りじゃないか?」・・・と受け流すには、もったいないキーワード。 いや。ミャンマーに行ってきた彼だからこそ、発することのできた言葉かもしれません。

  すくなくとも、彼の発した「キーワード」から、僕自身に「課題」をいただいた事はたしかです。

 今後、

 その「感謝」と「生き方」という「テーマ」を僕の道の上で確かめながら、その途中で、学んだ事、感じた事、気づいた事、悩んでいる事、などなどを、彼と語り、学び合っていける、そんな仲間になりたいのです。  

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2008年2月21日 (木曜日)

登場の遅い坊さんの私。

 昨晩遅く、

 檀家さんのバアチャンが亡くなったとの知らせ。

 家族の人からのケイタイでの一報だった為、詳細が分からないまま、僕は「坊さんスタイル」に着替えて待機。 「また連絡します」って事だったのになかなか連絡が来ないので、「もしかして皆さん待っているのかも??」と勝手に判断し、深夜ご自宅へ向かう。

 そしたら、ちょうど葬儀屋さんが「ご遺体」を病院から自宅へ運んでいた場面だった。みんなで担架に乗せられたバアチャンを玄関から運び入れていた。そして、傍らには、呆然とそのバアチャンが運ばれるのを突っ立ったまま見つめているジイチャンがいた。

 枕経のセッティングが完了するまで、僕は、部屋のスミッコで待たせてもらう。

 バアチャンは夕方まで特に変わったこともなく元気にしていたのに、夜になって風呂場で急変して亡くなったとのこと。最初の電話は運ばれた病院からだったらしい。

 外は吹雪いていたけど、その家の中には、あまりにも突然にバアチャンが亡くなったという受け入れがたい現実があった。

 毎月お邪魔していた「二人暮らし」の茶の間が慌ただしく片付けられて、仏壇のある和室に、葬儀屋さんが手際よく、準備をしていく。僕は、セッティングができるまで、家族や親戚、集まってくるご近所さんの色んな表情・言葉・動き、などが目の前で繰り広げられるのを見ていた。色んな親族や近所の人が集まっていたため、長年の色んな場数・経験を踏んだ人たちが、「神棚は紙で隠さなきゃ」とか、「ふとんの上にかける着物はサカサマよ」とか、色んな「アドバイス」をしていた。死という受け入れがたい現実は、人情として、心情として、色んな習慣を生み出してきたのだなぁ・・・と実感として思った。

 

 ようやく枕経の為のセッティングが整い、僕は、バアチャンの前に促された。枕経をあげながら、僕は昔、どこかで聞いた話を思いだしていた。それは、

 【人の死に際して、家族は「いのち」を見守る。医者は「病」を見守る。で、坊さんは、最後の最後になってやっと登場する。】

 ・・・・つまり、「仏教は生きているうちの教えなんていいながら、実は、死んでからやっと登場してるなんて、坊さんの怠慢ではないか!」っていう「批判」である。

 ほんと、そうだなぁ、、と思った。

 「坊さん」としての僕がいつも枕経にご自宅に行く時点で、すべての段取りが整ってから「登場」していた、という事に改めて気づかされた。

 

  突然に訪れる深い悲しみ、大切な人と別れていかなければならない現実を踏まえて、そしてそこから、遺された人が、何を感じ、何を見つけるのか、何に気づいていくのか?

 そして、

 そこから始まっていく「場面」で、「登場の遅い坊さんの私」は、どう振る舞い、どんな「言葉」を発するのか?

 昨日、枕経を部屋のスミッコで待ちながら、実は、スポットライトは「自分」に当たっていた。

 

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2008年2月20日 (水曜日)

師匠が前座!?

師匠が前座!?

今度の4月20日に、我が師匠・みのや雅彦が僕の住む隣り街に来ます。
南こうせつさんやムッシュさんらの出演するコンサートの、なんと「オープニングアクト」sign01つまり「前座」sign02
 
 
以前に師匠からチラッと聞いた話では、
もともと「ゲストで出演」との話だったらしいけど、あえて「先輩ミュージシャンの前座で」と自ら希望した師匠。
歌手としてデビュー26年を越えた師匠が、「前座」という位置から、勝負に出るんですflair
大御所目当てで集まる聴衆や、先輩ミュージシャン達の前で、いっちょブチカマしてください、師匠!bomb

だから、

そんな「場面」が体感できるコンサートがウチの近所で開催されるなんて……、
何としても行かなきゃnote

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2008年2月19日 (火曜日)

僕の隣りは空席デス。

今夜は、去年末に解散した所属バンド「MailHeart」のメンバーで札幌までちょっと遅めの「新年会ツァー」です。
職業バラバラのメンバーなので、かなり以前からなんとか日程調整をして今日の日を決めたのに……、
私は「葬儀」が入った為、JRで遅れていくことに……。

で、午後3時に葬儀が終わったので、私服に着替えて、いつものサングラス姿で、JR特急スーパー北斗に乗り、今、札幌へ向かっております。

列車に揺られながらブログ更新するのは、「ケータイ小説」でも書いているような、結構時間が早く過ぎますよ。

乗った時は比較的空いていたので「自由席」に無事座れました。しかし、何駅か停車しているうちに、車内も混んできました。

先ほどの駅から、若い女性のグループが乗ってきました。あまり空席がなくなった車内を、空席を探してウロウロキョロキョロの女性たち。バラバラに座るしかない状況。
「俺の隣、空いてるよ!いらっしゃーいheart01

と、僕はココロの中で叫びながら、さりげなくカバンをひざの上に置いたりして、
「はい、ココ、座れまっせhappy01
と無言のアピール。

しかし。

ふと気づいたら、女性たちはワタシの隣を避けて、みんな別の場所に座ってしまったのでした。


*ひざの上に置いたカバン………。
*誰も座らなかったワタシの隣の空席………。

この2つの状況を確認しながら、また僕はココロの中でつぶやくのです。
「ふっ……俺には独りがお似合いさweepweep


(やっぱしサングラスがまずかったかな?coldsweats01coldsweats01coldsweats01)

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2008年2月18日 (月曜日)

「♪デュ~~~~ン」

久々に「新曲」ができたhappy02

ここ数日、「葬儀」が連続しており、結構忙しく動き回っている。そんなスケジュールとは無関係に、僕の頭の中にグルグルとメロディーが流れ出したのであるnotenote

実は、去年の5月から、つまり、「住職」になってから、新曲は生まれなかった。日々、感じる事も多く、喜怒哀楽もあり、決してマンネリじゃない私なりの毎日を過ごしてきたけど、歌はできなかった。ブログで日々の「想い」を吐き出しているせいかもしれないけど、新曲のインスピレーションがもう枯れてしまったのかな?俺はもう歌は作れなくなったのかな?プロじゃないしな~~・・・、と思いながらも、どこかで、自分の中にいつか沸き起こるであろう「新曲」の「うぶごえ」を待っていた。

そしたら、数日前から、頭の中で久々に「あるメロディー」が鳴りやまなくなった。この「響き」を「形」にしなければ!!とギターを抱えながら、書斎スタジオに入る。

そして、本日、仮タイトルの「新曲」として一応完成scissorsscissors

「歌詞」はもう少し、手直し、書き直しが必要ですが・・・。

・・・・・でもね、

今回の新曲の「顔つき」は、みのや師匠の「溶け出すほど」っぽいのです。もちろんメロディーは違いますけど。

イントロ部分から、ギターのリズムの取り方(曲調)は、ほぼ「溶け出すほど」と同じですし、

さらに、サビに入る直前の

「B7」のハイコードから

noteデュ~~~~ン」

ってギターのネックの上の指をスライドさせながら「Em」へと移行するフレーズまで取り入れてしまいました(苦笑)

よって、今までの「BOSANソングライター KONO」にはなかった雰囲気の曲になりました。

でもね、

noteデュ~~~~ン」

がバッチリとキマルと気持ちいいですね。

でも、

ライブでお客さんの前で

noteデュ~~~~ン」

とギターのネックをスライドさせたら、

テレるだろうなぁ・・・coldsweats01

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«いまだ思案中・・。