朝鮮海女
つげ義春を旅する (ちくま文庫) 価格:¥ 903(税込) 発売日:2001-04 |
まず、話をつげ義春から説きおこす。彼の出自というのも興味深いモノがあるんだが、話が長くなるので
李さん一家という作品に絞る。
ある日突然、郊外の一軒家の主人公の家の二階に在日朝鮮人と思われる李さん一家が住み着いてしまったことに派生する日常的な事件の描写である。『ねじ式』、『ゲンセンカン主人』のようなシュールなストーリー展開や、『無能の人』シリーズに見られる主観性や暗さもなく、どこか覚めた目で自分自身に起こる事件の描写が淡々と綴られてゆく。そのユーモラスな展開と、ラストシーンの唐突な終わり方によって、読者が受ける虚空に投げ出されたような空虚感が特に印象的である。漫画マニアのあいだでは、この作品のラストシーン「実はまだ二階にいるのです」というのが繰り返しパロディとして使われている、歴史的に有名な作品なんだが、ここに出てくる無口でグラマーな奥さんというのが「海女」なのだ。もちろん李さん一家というくらいだから在日だと思われるのだが、亭主の言うには「ウチの女房は海女だった」というので、カジメという海草を採っていた、とある。
李さんのグラマーな奥さんが海女をやっていたときに採っていたカジメという海草から作られたという謎の薬品「エキホーソ」の正体判明。外房ではむかしから、このカジメ採りが盛んだった。用途は以下の通り。
「エキホス(EXIHOS)」という商品名の湿布薬で、お湯で溶かしてガーゼなどに塗って貼り付ける。
家庭の常備薬の一つだったとのこと。
・ヨード抽出のための海藻灰として(用途に関してはヨードの項参照)ヨードは医薬品に使われるのだが、外国からの安いヨードが輸入されると生産が減り、戦争中は逆に増えたらしい。で、カジメは最初、海岸で打ち寄せられたのを拾っていたのだが、やがて海女が潜って採取するようになる。そこで活躍したのが、いわゆる朝鮮海女だ。
・アルギン酸抽出のため(1970年代まではさかんだったらしい)
・肥料、土壌改良剤として(後述)
・醤油の代用品
安房地区では、戦後まもなくの食糧難の時代、かじめのゆで汁を醤油代わりにしたことがあるらしい。
・弾薬の材料
戦時中、済州島の海女が海藻・貝類は缶詰工場で食料品に加工されただけではなく、「貝類は貝ボタンの生産や、搗布は燃やして灰(沃度)にしたのち弾薬に使用されていた。」という記述がありました。
最初、火薬に欠かせない硝酸カリウムのためかと思ったのですが、硝酸アンモニウムを利用した「硝安爆薬(基本的には工業用)」の製造に海藻灰を使用できることがわかりました。硝安爆薬は、陸軍爆薬1・2・5・6・7号に用いられました。弾丸に使用された可能性があるのは1号ですが、いずれも砲弾などに使用されています。ここでいう「弾薬」がどこまでの範囲を指すのかはわかりませんので特定はできません。
詳細はわからないのですが、1943年に作られた「戦争と海藻」という国策映画(軍部の命令で作られた戦意高揚映画。全国での上映が義務付けられていた)が存在したことが確認できました。非常に興味深い映像であり、もし内容が明らかになればまた意外な軍事利用の実態が明らかになると思われます。
硝安爆薬は比較的入手が困難でない材料で作れますので、あえてここでは紹介いたしません。
海を渡った朝鮮人海女―房総のチャムスを訪ねて 価格:¥ 1,890(税込) 発売日:1988-05 |
こうしてみると、李さん一家の「グラマーな奥さん」の出自というのが理解できるというもので、彼女は戦争中に勝浦あたりに出稼ぎに来て、そのまま定着してしまった朝鮮海女なのだ。つげ義春の作品は、時代背景としては昭和30年代くらいで「雰囲気」が停まってしまっているので、年代が合わないとか、そういう事は言わないようにw つうか、つげ自身が千葉の漁師町にルーツを持つらしい。朝鮮では済州島だけに海女がいたが、戦争中済州島海女の多くが日本へ出稼ぎに来ていた。徴兵された海士に代わって潜ることが求められたのである。ヨネ子さんはそんな済州島海女の一人だったのだろうが、白間津のみならず千倉、和田浦、勝浦をはじめとする房総各地で朝鮮人海女が潜っていた。(中略)
のよさんが本書を書きつづけた1980年代のはじめごろ、房総の朝鮮人海女は20人くらいいたが、彼女らの平均年齢は60歳ちかくになっていた。それから20年。ほとんどの人が引退、あるいは他界した。(中略)
白間津の海女はほとんどが半農半漁であった。海女の仕事は言うまでもなく重労働であるが、その合間に田植えをし、房総の海岸線を彩る花を育てた。のよさんの暮らしは漁師の妻として、4人の母としての勤めをはたしつつ、海女と米と花作りという労働にひたすら向き合ってきた日々であった。この本にはそうしたひたむきな女の生が、とつとつと涼しげに語られている。
ところで、朝鮮でも「海に潜って漁をする」という海女、海士は、済州島にしかいない。蜜柑が採れるのも済州島だけだ。中世の記録を見ると、その頃から済州島の漁民が盛んに日本に来ているのが判るんだが、逆に大陸では済州島の漁民は「倭人」であり、言葉も風俗も違うと言われている。倭人といったら、まぁ、アレだ、日本人なんだが、黒潮文化圏の住民というのが、大陸系朝鮮人とは別に存在したわけだ。で、古くから、黒潮に乗ってそうした海の民は日本に流れ着いている。
伊豆半島には縄文時代から海人が住み着いていたようなんだが、明治時代になると済州島から朝鮮海女が入ってきたという記録も残っている。伊豆に限らず、上記のような海の民が定住した土地には、ごく自然な形で入り込んでいるようだ。阿曇・住吉系はしばらく北九州海域を根拠地とし,のち,瀬戸内海中心にその沿岸と島々,さらに鳴門海峡を出て紀州沿岸を回り,深く伊勢湾に入り込み伊勢海人として一大中心点を構成し,さらに外洋に出て東海道沿岸から伊豆半島ならびに七島の島々に拠点をつくった。それより房総半島から常陸沿岸にかけて分布した。彼らは航海に長じ,漁労をも兼ねる海人集団とみられる。
これに対し,宗像系海人は,もっぱら手づかみ漁,弓射漁,刺突漁など潜水漁を得意とした。本拠を筑前宗像郡鐘ヶ崎に置き,筑後,肥前,壱岐,対馬,豊後の沿岸に進出,さらに日本海側では向津具半島の大浦,出雲半島と東進,但馬,丹波,丹後から若狭湾に入り,なお能登半島,越中,越後,佐渡に渡り,羽後の男鹿半島に及んだ。両系統とも,なかには河川を統上し内陸部へ進み陸化したものもあった。
彼らの定住地の跡には,その記念碑ともいうべき関連地名が残されている。海部そのままの名や,4~5世紀のころ,朝廷から海人族を宰領する役割を担った阿曇氏に関係あるものが目立つ。また,その奉斎する祭神から移動,分布が推定される。三島神社の祭神大山梢(おおやまつみ)神は,《古事記》によれば,醍摩半島笠佐岬付近にまつられたが,早く摂津淀川の中流の三島,伊予の大三島,さらに伊豆の白浜のち三島に移された。宗像系による宗像神社の分布も津々浦々に及び,住吉の神は長門,摂津,播磨などのほか全国的に広く勧請された。
日本の海女のように,女性が潜水漁労に従事する例は,世界でも,隣接する韓国済州島の海女以外にはみられないといわれる。朝鮮史書では《済州風土記》(1629)に〈潜女〉の記載がみられるが,古くは南朝鮮にひろく分布していたらしい。現在は済州島に限られ,約9000人の潜女が操業している。この潜女と日本の海女とは,泳ぎ方,潜水作業の方法や道具など多くの共通点が認められる。違う点は,日本の海女は潜水に際し,サイジとかイソヘコとよぶふんどし様の腰布をつけるが,済州島の潜女は藍色の木綿製水泳着をつける。また,捕採物は畑の肥料にする馬尾草が主であり,食用の海藻類,貝類は副次的で,農耕生活の一環として行われる。このような農耕文化の反映を示す点は,海藻類の採れないとき行う潜水賽神に際し,神房(巫人)が粟を海中に撒布し,それが種となって海藻の芽が出るという信仰にあらわれている。済州島の潜女が日本の海女より優れている点は,冷水温に強く,妊娠・月経中もいとわず,四季にわたって操業し,賃金の安いわりに能率がよい点である。潜女の優れた能力が島外に発揮されたのは,1900年ころからで,北は遼東半島,沿海州方面から,南は対馬をはじめ日本列島各地沿岸に進出した。もちろん、明治以降になると言葉は朝鮮語なんだが、風俗や習慣としては大陸系ではなく、「倭人」系だ。済州島というのは韓国社会においても異質な土地なのだ。言語や国籍は韓国かも知れないが、済州島人にとっては韓国社会より日本の方が馴染みやすい部分もあるらしい。で、こうした朝鮮海女なんだが、今でもどういうルートなのか不明なんだが、日本に入り込んで来るらしい。
驚いたのは韓国・済州島の海女が三重県で漁をしていると聞いた時である。三重タイムズの社長さんと話をしていた時である。熊野の沿岸でダイビングをしていた時、横で潜っていた海女たちが韓国語をしゃべっていたというのだから間違いないというのだ。
後継者不足でついに海女の世界にも外国人労働の時代がやってきたのかと思い、「それって外国人労働になるんですか」と聞いた。浅はかにも「そうか、潜水漁労は特殊技能だからビザが出るんだ」などと考えた。
社長の話は続く。
「分からないけど、そんなにきのう今日の話ではないようなのですよ」
「耽羅(たんら)って知っていますか」
「伊勢神宮に奉納するアワビのことを耽羅鮑というんです」
「その耽羅とは済州島の古い地名なのです」
「どうも済州島と志摩とはそんな時代から行き来があったのです」
海を越える済州島の海女―海の資源をめぐる女のたたかい 価格:¥ 6,300(税込) 発売日:2001-03 |
安曇・住吉系海人というのは航海術には秀でていたものの、潜水はあまりやらないわけだ。そちらは宗像系海人の仕事なんだが、宗像系海人というのが、今で言うところの済州島人なんだろうか?
ところで、007という映画のシリーズがあるんだが、日本を舞台にした作品で、ボンドガールは「海女」である。浜美枝が演じているんだが、
坊津で撮影が始まると、困ったのは肝心の海女が潜れないという、笑うに笑えない確認漏れだった。浜美枝は泳げるのがやっと、海女役の日本人エキストラたちも泳げるが潜水は自信がないと及び腰。「それならわたしがやるわ」と名乗り出たのがショーン・コネリーに同伴していた妻のダイアン・シレントだった。シレントは子供の頃から泳ぎが得意で、潜水も長時間息を継がずにできるという、願ってもない助け舟。映画の中でキッシーが潜っているシーンはすべてこのシレントが演じている女が海に潜って魚や海草を採るというのは、けっこう珍しい風習だったりするので、異国情緒の象徴として映画に取り入れられたんだろうが、実際には日本の漁村でもそう簡単には海女は見つからなかったわけだ。撮影は鹿児島県なんだが、あのあたりは海女がいないのかね?
007は二度死ぬ (デジタルリマスター・バージョン) 価格:¥ 1,490(税込) 発売日:2007-08-25 |
というわけで、日本独特の存在だと思われている「海女」というのが、実は、済州島が本場だという事、ところが、済州島人は朝鮮社会においては異端の存在で、むしろ倭人と考えられていた事が判る。まぁ、国籍とか国境というのは後から作られたモノであって、漁労に従事する民というのは、魚を追ってどこにでも行くので、勝浦に朝鮮語をしゃべる婆さんがいても何の不思議もない。漁村というのは閉鎖的だと思われるが、実はそれほどでもない。農業は土地の分配という制約があるので外部からの移住を好まないが、朝鮮海女は「自分たちの得意としない潜水で稼ぐ」わけで、むしろ歓迎されたのだ。ちなみに、現在でも済州島には9000人の海女がいるそうである。
色々面白いですね~、もともと大学では歴史専攻でしたが、こういうのも調べると色々新たな発見があって面白そうです。
投稿 たか | 2008/02/27 04:08