「女優殺した中医学」 医療長寿(5)2008年02月26日 ■「非科学的」批判が噴出
きっかけは一人の国民的女優の死だった。 陳暁旭さんは87年、中国の四大古典小説の一つである「紅楼夢」のヒロイン林黛玉をテレビドラマで演じて一躍トップスターとなった。その後、別のドラマに1本出演しただけで人気絶頂のまま芸能界を去った。引退後に設立した広告会社は、年商2億元(約30億円)を稼ぎ出すまでに成長。05年には「中国十大女性広告実業家」に選ばれ、ビジネスでも名をはせた。 すべてが順調にみえたそのとき、不幸が襲った。06年春、右胸が痛みだして体がだるくなった。家族は病院で検査をするよう勧めたが、「副作用がある西洋医学は受けたくない」と拒み、自宅で漢方薬を飲み続けた。痛みに耐えられなくなり検査を受けると、末期の乳がんと診断された。 医師から「手術や抗がん剤投与をしないと命はない」と言われたが、拒否し続けた。07年2月、私財を投じて貧しい人たちの教育や医療を援助する基金を設立し、仏門に入った。深センの道場で修行を続けたが、4月には起きあがれなくなり、5月13日、42年の生涯を終えた。 父の陳強さんは、「娘は西洋医学は人間の体を破壊し、中医学(中国医学)こそが自然な治療だと信じ込んでいた。早く化学療法を受けていれば助かっていたのに」と悔やむ。 数日後、ある学者が発表した声明が瞬く間にインターネット上に広まった。 「陳暁旭事件は、中医学がいかに非科学的でペテンであるかを立証した」 批判したのは、湖南省・中南大学の張功耀教授(科学技術哲学)。張教授は、全世界で科学的な実験を重ねて発展した西洋医学に対し、中医学は数千年前の陰陽五行説をそのまま使っており、「世界の医学的進歩から取り残された、神懸かり的な迷信」と断じた。さらに、テレビや新聞にあふれる「中医学が糖尿病を治す」「がんを治す漢方薬」などの広告を放置することは、「第二の陳暁旭が生まれる」と訴えた。 続いて中国科学院の何祚●(●はまだれに休)・研究員が「陳暁旭は中医学に殺された」と雑誌で論評。無批判に漢方薬を信じ、手術や化学療法を拒否したために死期を早めたと指摘した。 2人の提起がきっかけとなり、ネット上で激しい議論が巻き起こった。 「時代遅れでインチキな中医学を排斥せよ」「偉大な中華民族の文化を否定する者に天罰を加えよ」
■政府は擁護、海外で人気 政府は、中医学擁護で論陣を張った。 「国民に愛された女優の死を利用して中医学を攻撃することは不謹慎極まりない。非科学的な見方で数千年の中医学文化を否定すべきではない」。衛生省の王国強次官は6月に開かれた中医学の研究会で2人の学者を非難した。 7月には過去最大規模という「中国医薬普及のための宣伝活動」を始め、シンポジウムを開いたり、メディアは一斉に中医学特集の記事を組んだりするなどのキャンペーンを展開した。 「非科学的」との批判に対抗するため、エイズや鳥インフルエンザの治療に中医学を応用する研究も始めた。漢方薬やはり・きゅうで免疫力を高めることで病気の進行を遅らせる「効果が証明できた」(王次官)という。 政府の擁護論には理由がある。 中国にとって中医学は重要な「輸出資源」だ。海外では副作用が少なく自然治癒力を高める中医学の人気は高まっており、07年の漢方薬輸出額は過去最高の約12億ドルで前年比16%の伸びだった。中医学を学ぶ海外留学生は06年に約4000人に上り、99年から倍増した。 国内事情もある。新中国建国後、毛沢東は医師不足を補うため、中華民国時代に廃止されかかった中医学を保護して普及させた。医療費高騰が社会問題となる今も、新薬や輸入薬よりも安い漢方薬やはり・きゅうは、保険制度の整備が遅れている中小企業労働者や農民にとって欠かせない。 一方で、中医師の高齢化と後継者不足という危機に直面している。中国科学技術情報研究所によると、1900年代初頭には80万人いた中医学の医師は06年には27万人まで減少。このうち技術が高い医師は3万人足らずと言われる。
■待合室いつも200人 西洋医学と融合課題 名医のいる大病院はどこも患者であふれている。 北京市中心部にある協和医院の中医科には、全国でもトップレベルという十数人の医師が常駐しており、待合室にはいつも200人ほどの患者が名前を呼ばれるのを待っている。外国人の姿も目立つ。 がんを患った胃を全部切除したばかりの王建さん(74)は「副作用が強い抗がん剤を使いたくないので、漢方薬で体力を付けてがん細胞と闘おうと思い初めて受診した」と話す。 主任医師の銭自奮氏(71)は、脈や舌の状態をみながら「食欲はどうか」「夢をみるか」など問診をする。元々は内科が専門で米国留学経験もあるが、対症療法中心の西洋医学と異なり、体全体の免疫力を高めて病気の予防に重点を置く中医学の奥深さにひかれ、研究を進めてきた。銭氏の目には論争が不毛な議論に映る。 「慢性病や体質改善に強い中医学と、即効性のある西洋医学とを融合させて最高の治療法を確立することが人類にとって有益だ」
〈中医学〉 数千年の歴史がある中国の伝統医学で、人の持つ生命力を重視し、病気として表面に現れる前にバランスを整えて予防するのが特徴。医師は、患者の脈や舌、声の張りを観察し、症状にあった天然の生薬の配合、はり・きゅうなど効果的な治療法を見つけ出す。 PR情報月替わりルポ バックナンバー
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