このたび人気ブログ「みたいもん!」にたてついたことで、
クチコミの天才と評されるかのブロガーのちからを思い知ることになった。
いまだにアクセス数の減る気配がないのだから、宣伝能力は見事なものである。
結果、期間限定の人気ブログになったわけだが、
いろんな人がいると感動した。物申す人びとのことである。
わたしはほかのブログによほどのことがないかぎりコメントをしない。
怖いからである。どんなに好意に満ちたコメントでもネットというのは顔が見えない。
相手がどう解釈するかはわからないと思っていたほうがいい。
コメントをする際は、できるだけ相手のブログをよく読んでから(理想は全部)、
細心の注意をはらって書き込むようにしている。
これはわたしの流儀を紹介しただけで、
断じてみなさまにも真似をしてほしいというわけではない。
なぜなら人間はそれぞれ違うからである。
このことはみなさまにもご理解いただけると思う。
さらに、ここからは個人の考えだが、
わたしは人間はわかりあえないとなかばあきらめている。
物申す人びとの純粋をわたしは尊敬しているといってもよい。
人様のブログにいきなり「あなたは間違っています」と物申す人びとのことである。
なかにはご自分のブログで「本の山」批判をしているかたもいらっしゃる。
この人たちはなんなんだろうとわけのわからぬ敬意が生じるのである。
わたしとかれらはなんの関係もないのだ。
それなのにわざわざ記事を引用して、それは違う、俺はこう思うと書いている。
もしかして高校生かなにかで人と人はわかりあえるなどと思っているのだろうか。
大学のゼミかなにかを思い出して、
お互いの意見を闘わすのはすばらしいとでも夢想しているのか。
話し合ううちにいつしか最善の結論にいたると錯覚している可能性も考えられる。
あるいは、論争ごっこをしたいのかもしれないとも思う。
評論家のように相手を打ち負かすという経験がしたいのかもしれない。
批判記事をブログに書いてトラックバックを送ってくださるかたがいる。
やはり読まねばなるまいと先ほど拝読した。
まるで意味がわからないのである。申し訳ないが、文章がなっていない。
第三者が読んでもおもしろいようには書かれていないのも残念なところ。
くわえていくつか単純な誤解がある。どうしようかと思うわけである。
コメント欄に「それは違いますよ」と指摘するかどうかだ。
めんどうなのでやめた。議論に要する時間と精神的負担が惜しいのである。
さらに人間不信である。どうせわかってくれないだろうとあきらめている。
どれだけ丁寧に説明しても理解できない人がいる。
問題は論理ではないということだ。わたしが嫌いな人にどう弁明しても仕方がない。
時間の無駄である。
だったら、自分は正しいと思うがままにさせておいたほうがいい。
わたしは正しい・誤まりにそれほど重きをおいていない。
べつに見知らぬ他人からどう思われていようが知ったことではない。
むろん、かれらのブログを熟読して誤まりを指摘してやろうなどとも思わない。
興味がないのである。無関係の人に関心を持つことができない。
だから、どうして物申す人びとが、こうまでわたしに執着してくださるのかふしぎである。
先ごろわたしがふたつのブログに言及したのは、引用されたからである。
このようなことがなければ、わたしはどちらのブログにも興味を持たなかった。
で、引用の仕方について批判をした。
これはわかりあえるなどと思ってやったわけではない。
どのみち、両者ともに今後ともブログ運営方針は変えないだろうとあきらめている。
不愉快を伝えたかったのである。引用されてどのくらい憤ったかを知らしめたかった。
もう目的は達したので、これから先、両ブログを読むことはないと思う。
白状すると、「死んだ目でダブルピース」のほうはおまけであった。
「みたいもん!」と同時期に引用されていなければこんなことにはならなかった。
運が悪かったとあきらめてもらうほかない。謝罪が必要ならここに謝意を表したい。
物申す人びとに話を戻す。いったいこの人びとはなんなのだろうか。
顔も知らぬ他人に自分の反対意見をぶちまけたいという欲望の由来である。
よほど生活で鬱屈をかかえているのだろうか。
見知らぬ人を打ち負かすことで得られる爽快感などつまらぬものだと思うが。
いや、やはり人間はわかりあえると素朴に信じているのかもしれない。
みんなが意見をだしあえば理想的な社会が完成すると信じている心豊かなものたちよ!
わたしは心貧しきやからである。かれらのように人間を信じられない。
言うまでもなく、人様のブログを読むこともある。
FC2ブログはミクシィのように履歴システムがあるので、履歴から訪問する。
多種多様なブログが存在する。いろいろな人間がいるのだから当然である。
なかにはわたしの考えと異なるかたもいる。
かといって、とりたてて不満を感じたりはしない。反論しようとも思わない。
人それぞれだからである。
それに、たとえどう反対意見を述べようが当人の考えは変わらないとあきらめている。
実際に面識のあるそれも親友だろうが、
ある人間の意見を変えるのはそうとうに難しいことではないか。
人間がわかっていないのか。人間を信じているのか。
ともあれ、物申す人びとがいる――。
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