『逆転無罪』

 

東京高裁――「一美さん銃撃事件」(ロス疑惑)で、逆転無罪判決(98年7月1日)。

 

東京地裁、大久保さんに対して国に248万円賠償命令05年5月16日)

 

ロス疑惑のうち、8111月に妻、一美さん(当時28歳)を銃撃して殺害したなどとして殺人などの罪に問われた三浦和義被告(50歳)と、実行犯とされた大久保美邦被告(46歳)の控訴審判決が98年7月1日、東京高裁であった。

秋山則雄裁判長は、三浦被告を無期懲役とした一審判決を破棄し、改めて殺人罪について無罪を言い渡した。「自白」や犯行に直結する決定的な物証がなく、状況証拠だけで犯罪を認定できるかどうかが争われた刑事裁判は、検察側の構図が根底から覆される展開となった。なお大久保被告は、地裁で無罪判決が出ていた。

 

☆事件の概要

 

※ロス殴打・銃撃事件

 

1.1981年8月、米国ロサンゼルス市を旅行中の三浦和義被告(50)の妻一美さん=当時(28)=がホテルの自室でハンマーのようなもので殴られ頭にけがをした「殴打事件」と、同年11月、同じロス市内で一美さんが頭に銃撃を受け約1年後に死亡、一緒にいた三浦被告も左足に重傷を負った「銃撃事件」。

 

2.84年、週刊文春が「疑惑の銃弾」とのタイトルで連載したのをきっかけにマスコミが保険金殺人疑惑として報道。85年9月、警視庁が殴打事件の殺人未遂容疑で三浦被告と知人の元女優を逮捕し、88年10月には銃撃事件の殺人容疑で三浦、大久保美邦両被告を逮捕した。

 

3.殴打事件は三浦被告が1、2審で実刑判決を受け上告中。元女優は実刑が確定、既に刑期が満了した。

 

※三浦被告の起訴事実

 

〈銃撃事件=無罪〉

 

1.三浦和義被告は、大久保美邦被告(または氏名不詳者1人)と共謀して、一美さんにかけた生命保険金を得ようと計画。1981年11月18日午前11時5分ごろ、ロサンゼルス市の路上で、この共犯者に23口径のライフル銃で一美さんの左顔面を撃たせた。一美さんは、1年後の82年11月30日、神奈川県伊勢原市内の病院で死亡した。

 

2.そのうえで三浦被告は、一美さんが何者かに銃撃されたようにうそをついて、82年2月から8月にかけて、生命保険会社3社から計約1億6千370万円をだまし取った。

 

〈動産詐欺=有罪〉

 

三浦被告は82年1月、わざと壊したランプなど店の商品が偶然に壊れたように装い、保険会社から小切手1通(約37万円柑当)をだまし取った。

 

※判決骨子

 

1.起訴事実と異なる「三浦被告と氏名不詳者との共謀」を認定した一審判決には明らかな法令違反があり、破棄を免れない。

 

2.証拠上、三浦被告の共犯者は全く解明されていない上、共犯者の存在を否定する状況証拠も認められる。

 

3.三浦被告が共犯者と共謀し、銃撃させたと推断するに足りるだけの確かな証拠は見当たらず、合理的な疑いが残る。

 

4.動産詐欺については有罪(懲役1年、施行猶予3年)。

 

電光掲示板で「三浦和義被告に無罪判決」のニュースが流れた(98年7月1日午後、東京・銀座)

 

東京拘置所を出る三浦元社長

 

 ★ロス疑惑年表

 

79年 7月 ――― 三浦和義社長が一美さんと結婚

81年 8月 ――― 一美さんがロスのホテルで頭にけが (殴打事件)

81年11月 ――― 一美さんがロスで頭を銃撃され重体に。三浦被告も左足に銃弾を受け重傷 (銃撃事件)

82年11月 ――― 一美さんが神奈川県の病院で死亡

84年 1月 ――― 週刊文春が「疑惑の銃弾」連載開始→「三浦フィーバー」→「社会現象」(警察もマスコミが騒ぐので捜査に乗り出した)

85年 9月 ――― 殴打事件で警視庁が三浦被告と元女優を殺人未遂容疑で逮捕

86年 1月 ――― 東京地裁が元女優に懲役2年6月の判決

86年 7月 ――― 東京高裁が元女優の控訴を棄却、実刑確定

87年 8月 ――― 殴打事件で東京地裁が三浦被告に懲役6年の判決。三浦被告は控訴

88年11月 ――― 銃撃事件で東京地検が三浦、大久保美邦両被告を殺人罪で起訴

89年 3月 ――― 銃撃事件1審初公判で両被告が無罪を主張

94年 3月 ――― 東京地裁が三浦被告に無期懲役、大久保被告に殺人罪は無罪の判決。三浦被告側と検察側が控訴

94年 6月 ――― 東京高裁が殴手事件で三浦被告の控訴棄却。三浦被告側は上告

96年 9月――― 銃撃事件控訴審初公判で両被告があらためて無罪主張

97年11月――― 検察側が「銃撃の実行犯は大久保被告でなければ氏名不詳の第三者」とする訴因変更を請求(12日許可)

98年 4月――― 銃撃事件控訴審が結審

98年 7月――― 三浦被告に逆転無罪判決。大久保被告も殺人について地裁同様無罪

05年 5月――― 東京地裁、大久保さんに対して国に248万円賠償命令

 

論 点

 

☆検察の描いた事件の構図(三浦元社長は、大久保被告あるいは「氏名不詳者」と共謀して、保険金目当てに殺害に及んだという筋書き)崩壊

 

1.行に結び付く物証や目撃証言はない。

2.検察側はひたすら状況証拠を積み重ねて起訴。

3.1審は三浦元社長を有罪とした→「疑わしきは被告の利益に」という原則に反するという批判が出る。

4.控訴審判決は「共謀の成立にはどうみても合理的な疑いが残る」「確かな証拠は見当たらない」と検察の描いた構図にことごとく疑問を挟んで、1審判決を否定した。

 

☆逆転無罪はマスメディア関係者に対する“有罪判決”==⇒「事実認定に関連して付言しておく」(こうした付言が判決文に付くのはおそらく初めて)として、判決の報道機関に言及した部分

 

―――事件の解明は報道合戦先行で始まった→「マスコミも一緒になって起訴した事件(マスコミの過熱報道の中で、起訴された事件)――捜査当局でさえいった皮肉」)――「メディアが突然一市民の疑惑を書きたて、司法手続き以前に裁き、仕事や生活を破壊する」のは人権侵害。

 

1.「報道の根拠としている証拠が、反対尋問の批判に耐えて高い証明力を保持し続けることができるだけの確かさを持っているかどうかの検討が十分でないまま、総じて嫌疑をかける側に回る傾向‥‥」

 

2.報道によって「最初に抱いた印象を基準に判断し、逆に公判廷で明らかにされた方が問違っているのではないかとの不信感を持つ者がいないとも限らない‥‥」

 

つまり、一審判決が外的要因に揺れたのではないかと示唆しているのである==司法もマスコミ報道のために判断を誤るようなことがあってはならないという自戒の意味を込めたものと理解できる」)。

 

※物証を欠き、状況証拠ばかりの事件だけに、一審判決はその比較検討で「クロ」とする傾向が強いマスコミや社会の雰囲気に影響されはしなかっただろうかと疑問を呈する一方、控訴審判決はそうした影響を排除し、冷静に証拠を検討した結果だと語っているようにも受け取れる。

 

☆一体だれが「一美」さんを殺害したのか。深い闇(やみ)が残った。えん罪は、こうした結果だけを残す

 

∬報道と名誉毀損∬

 

※報道が、@公共の利害にかかわる A公益を目的としている B真実、または真実と信ずる相当の理由があるという、「3原則」を満たしたとき、名誉棄損を免れるというのが判例の姿勢である。だがしかし、その具体的な事例での判断となると、必ずしも明確ではない。そのことは、報道側が主張する「表現の自由」「国民の知る権利」と、報道される側の「名誉」「プライバシー」の保護との調和の問題に帰着する。結局のところ、個々のケースに即して判断していくほかないことを意味している。

 

★三浦元社長は一連の「ロス疑惑」報道に対し、拘置所の中から各報道機関を相手に名誉棄損、プライバシー侵害の民事訴訟を起こし(「すべてのメディアが訴えられた象徴的な事件」)、その総数は450件を超える(そのほとんどが、弁護士をつけない本人訴訟)。98年6月までに1審判決が出た訴訟は195件で、うち80件が東京高裁、14件が最高裁で争われている。元社長勝訴は約6割の115件、賠償総額は5,000万円余に上る(報道機関でつくる「マスコミ倫理懇談会」調べ)。

 

★疑惑報道の先鞭をつけた週刊文春(「文芸春秋」)には100万円の支払命令→「銃撃事件の記述は『真実と信じたことに相当の理由があるが、前科を公表したことは、事件との関連性が薄く、名誉毀損に当たる』

 

★推理作家に三浦元社長に犯罪への関与を推論させた「週刊現代」(講談社)には1件当たり最高額の180万円の支払命令。

♯民事訴訟の結果⇒⇒⇒⇒報道の変化(報道機関により差がある)

 

1.報道の仕方が、訴訟にたえられるに変わった。

 

2.呼び捨てだった犯人に『容疑者』の呼称をつけるようになった。

 

3.容疑者が逮捕されたときの映像で、手錠や腰ひもにモザイクをかけるといった配慮を始めた。

 

4.重大な政治・経済犯罪を除いて連行写真を使わないようにする傾向になった。

 

☆三浦元社長が弁護団を通じ出したコメント

 

 「初めに、本日の判決をしてくださった裁判所に深い敬意を表します。しかし、今日の判決でさえも私にとっては重い喜びしかありません。なぜ、無実(の罪)を晴らすのに13年近くも自由を奪われねばならなかったのでしょうか。無実であることは必ず明らかになるという一念で、この13年間を生きてきました。これからは娘と共に静かで落ち着いた生活を過ごしたいと思います。常に信じてくれ続けた父母と娘、そして支援してくださった多くの方々、ありがとうございました。」

 

☆三浦元社長の13年⇒⇒『あっという間でした。案外短い13年でしたね』

 

――弁護士顔負けの民事訴訟の書面作りに専念――一般週刊誌から女性コミック誌、法律専門誌まで目を通し、{浦島太郎}にならないようにと新聞の折り込み広告まで取り寄せた。

 

 

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