ここから本文です。現在の位置は トップ > 地域ニュース > 長野 > 記事です。

長野

文字サイズ変更
ブックマーク
Yahoo!ブックマークに登録
はてなブックマークに登録
Buzzurlブックマークに登録
livedoor Clipに登録
この記事を印刷
印刷

つむぎ唄-母の肖像:/1 娘の木 /長野

 ◇命つないだ春告げ花

 100年を生きたコブシの木は、すんでのところで命をつないだ。軽井沢町の旧軽銀座近くの雑木林。綿帽子をかぶったような浅間山が冬晴れの空に映える。

 幹回り130センチ、高さ20メートルの大木は、この冬の町道の拡幅工事で伐採されるはずだった。「赤い実をついばむ小鳥の姿も見られなくなる」。住民たちがあきらめかけた時、同町在住の環境アドバイザー、鈴木美津子さんが引き取りを申し出た。

 鈴木さんは4年ほど前から町内の木を保護する活動を始めた。切られる木があると聞けば、私費で別の場所に植え替えてきた。これまでに移植した木は400本を超える。

 「お化けみたいな木。でもいい形をしてる」。1月末の移植の日。クレーンでつり上げられたコブシを見つめて思った。「こんな木が切られると知ったら、あの子も同じことをしたはず」。一人娘の笑顔が浮かんだ。

   □   □

 5年前の秋。ちょうどコブシの実が色づくころだった。娘の良恵さんを医療ミスで失った。32歳だった。

 母子2人で生きてきた。鈴木さんが夫と別居したのは良恵さんが3歳の時。当時は東京で暮らしていたが、休みのたびに自分が生まれ育った軽井沢に娘を連れて来た。「お母さん、この花は何ていうの」「あそこに変わった鳥がいるよ」。軽井沢の自然が娘を心の優しい女性に育てた。

 良恵さんは大学を卒業し、大手広告代理店に勤めた後、結婚。夫婦で軽井沢に移りペットシッターを始めた。「お母さんも軽井沢においでよ」。ある年の大みそか。良恵さんから東京の自宅に電話があった。「寒いから」と断ると、電話が切れた。しばらくしてインターホンが鳴った。「一人で泣いてんじゃない?」。ドアを開けると声の主がいた。

   □   □

 03年10月4日、良恵さんは軽井沢の病院で男児を出産した。難産の末の帝王切開だったが、3250グラムの元気な赤ちゃんだった。病室を見舞うと疲れた表情でほほ笑んだ。「ほら、お母さん、やっぱり泣いた」と、泣き顔を指された。それが最後の会話になった。

 原因は手術ミスだった。切開後の縫合が不完全だったため、体内の血が徐々に失われた。病院を離れた後、容体の急変を告げる電話を受けた。舞い戻ると体はもう冷たくなっていた。病院側は全面的に非を認めたが、鈴木さんは「公の場での謝罪」を求めて裁判を起こした。だが、その願いはかなわなかった。

 生まれた赤ちゃんは父親に連れられ東京へ行った。鈴木さんは娘夫婦が住むはずだった軽井沢の家に一人で暮らし、「あるべきはずの風景」を想像した。ソファには赤ちゃんをあやす旦那(だんな)さん。台所で娘がほほ笑む。涙が止めどなくあふれた。

 娘の死から半年後、宅地開発中の丘を通りかかった時だった。「お母さんひどいの。あそこの木も切られちゃったのよ」。突然、生前の娘の言葉がよみがえった。木の移植を始めたのはそれからだ。

   □   □

 4日間の工事の末、コブシの大木はカラマツ林の一角に新たな住み家を得た。「良恵。お母さん、これからもやるからね」。苔(こけ)むす幹に寄り添って娘を思う。他の木々よりも一足早く花をつけることから「春告げ花」とも呼ばれるコブシ。無事に冬を越せば4月の半ばに白い花を咲かせ、秋には赤い実を結ぶ。

   ×   ×

 親子のありようが問われ始めたのはいつからだろう。時代の波にさらされて、その絆(きずな)はほころび、もろくなった。だが、思いは必ずどこかでつながっている。今、母と子の絆を紡ぐ。=つづく

毎日新聞 2008年2月26日

長野 アーカイブ一覧

 

おすすめ情報