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【イージス艦衝突】

当直引き継ぎずさん 衝突の危険「あたご」認識せず

2008年2月26日

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 海上自衛隊のイージス艦「あたご」が千葉県の房総半島沖でマグロはえ縄漁船「清徳丸」に衝突した事故は26日で発生から1週間。第三管区海上保安本部(横浜市)の捜査などから、あたごは事故の30分前から漁船団を確認していたとみられ、交代前の当直士官らによる引き継ぎが不十分だった可能性が高まった。

 漁船団は幸運丸、清徳丸、金平丸、康栄丸の順に運航中の午前3時半ごろ、レーダーであたごをとらえた。3管は、あたごのレーダーが正常に作動していたことを確認しており、同時刻ごろにはあたご側のレーダーも漁船団を捕捉し、当直員も気付いたとみられる。

 艦橋の当直員は、午前3時45分ごろから10分間で10人全員が交代。引き継ぎは口頭で行われたが、漁船団は“衝突の恐れのある存在”として認識されていない。

 これは、交代後の右舷見張り員が清徳丸を見つけたとする午前3時55分から、「緑色の灯火」を発見したとする午前4時5分までの10分間に回避措置を取っていないことから明らかだ。

 直進してきたあたごに対し、漁船団はそれぞれ回避行動を取った。清徳丸の約2キロ後方にいた金平丸は右にかじを切ったが、衝突コースから抜け出せず、続いて左に大きくかじを切って回避した。あたごが清徳丸に衝突したのはこの直後だ。

 清徳丸が所属する千葉県の新勝浦市漁協は「あたごから赤色の灯火が複数見えたはずだ。『緑色の灯火』は金平丸のものだ」と主張する。金平丸の前を航行していた清徳丸は、見落とされていたことになる。

 海自幹部は「適切な引き継ぎがあれば、余裕を持って対処できたはず。交代後の当直員は漁船団を危険とは思わず、その後、急接近した漁船の位置確認に追われるうち、手遅れになったのでは」と推測する。

 あたごは10・5ノット(時速約19キロ)、漁船団は約15ノット(同約28キロ)で進んでおり、1分で800メートル接近する。「あっという間に目の前に迫る」(同幹部)距離だ。

 船団を前に艦橋が混乱に陥ったとすれば、衝突1分前に取った「後進いっぱい」の緊急避難措置をもっと早く講じる必要があった。交代前後の当直員、特に艦長から航行を任された2人の当直士官の責任は免れない。

 米国を出発してから13日目。太平洋を横断し漁船の行き交う海域に入った後も漫然と自動操舵(そうだ)を続けた。3時間後には東京湾に入る浦賀水道を通過するため「総員配置」に付く。最後の踏ん張りが必要な場面で、緊張感を欠いた。

 

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