日本考古学協会など考古学や歴史学の十六学会の代表が、奈良市の神功皇后陵(五社神古墳)を立ち入り調査した。
研究団体の要望に基づいて、宮内庁が管理する天皇や皇族の墓とされる「陵墓」への調査が許可されたのは初めてだ。陵墓研究の重い扉がやっと開かれたといえよう。古代史解明へ向け、新たな一歩を踏み出した意義は大きい。
神功皇后陵は、第十四代仲哀天皇の妻の墓とされる。全長約二百七十メートルの巨大前方後円墳で、四世紀末から五世紀初めごろの築造とみられる。立ち入りは研究者十六人に限られた。調査は墳丘最下段を歩くだけだったが、写真撮影や墳丘の形状などを観察したほか、新たに円筒埴輪(はにわ)を確認する成果もあった。
陵墓は、歴代天皇や皇后らを葬った「陵」、それ以外の皇族を葬った「墓」、可能性がある参考地などを含め全国に八百九十六カ所ある。古事記や日本書紀などの文献を基に、幕末から明治時代にかけて指定された。
古代国家の成立過程を解明する上で重要な鍵を握る巨大前方後円墳が数多く含まれるが、陵墓の被葬者については懐疑的な見方をする考古学研究者が多い。指定通り、天皇陵の名前と被葬者が一致するとみられるのは、天智天皇陵(京都市)と天武・持統合葬陵(奈良県明日香村)ぐらいとの見方もある。
このため、学会は学術的な解明を求めて一九七六年から公開と調査を要望していた。宮内庁は、陵墓は「天皇家の祭祀(さいし)の対象」として立ち入りは禁じ、七九年以降は修復時に限って研究者に発掘現場を公開していただけだ。
立ち入り調査を認めたのは、陵墓は文化財でもあるとの学会の主張を宮内庁が容認したからとみられよう。しかし、発掘までは許されておらず、全容解明までにはまだ厚い壁がある。学会側は、日本最大の前方後円墳・仁徳天皇陵(堺市)などさらに十カ所の陵墓の調査も要望している。実現すれば、古代史研究の大きな成果に結び付こう。
陵墓への学術調査は緒に就いたばかりだ。その研究成果は多くの国民が享受できるようにすべきだろう。今回の調査を足がかりに、実績を積み重ねることが肝要だ。
古代吉備にも、全国十傑に入る巨大前方後円墳が二つある。第四位の造山古墳(岡山市)と同九位の作山古墳(総社市)である。いずれも陵墓には指定されてないので、一般に立ち入りできる最大の古墳といえる。陵墓へ学問的な光が当たりだしただけに、こちらも全容解明に向けた本格的な学術調査が待たれる。
韓国の李明博大統領の就任式がソウルで催され、新政権が発足した。式典の後、各国首脳の中で最初に福田康夫首相と会談した。
両首脳は、四月の李大統領来日を視野に首脳同士が定期的に相互訪問する「シャトル外交」再開で合意した。二〇〇五年秋、当時の小泉純一郎首相の靖国神社参拝に前盧武鉉政権が反発し、シャトル外交は中断していた。再開は喜ばしいことだ。会談では福田首相が今年後半にも再び訪韓する意向も伝えた。
未来志向の日韓新時代へ安全保障、経済など各分野で関係を強化していくことで両首脳が一致した。具体的には、〇四年から中断している日韓経済連携協定(EPA)締結交渉の早期再開へ検討作業加速などを申し合わせた。北朝鮮対応で日米韓が緊密に連携することや地球温暖化防止での協力促進、若者や経済界の交流拡大でも合意した。
経済界出身の大統領は就任演説で、建国六十周年を迎える今年を「先進化元年」と宣言し、「理念の時代を超え、実用の時代へ進む」とも述べて経済再生に最優先で取り組む考えを表明した。
日韓間に懸案が持ち上がっても他分野に波及させない方針を先に示し、首相や外交通商相には日本通を配してもいる。経済を中心に日韓関係緊密化が期待されるが、実行力と経済手腕に定評がある大統領だけに、互恵の一方で日本にとって手強い交渉相手とも考えられる。経済問題などで日本に厳しい要求を向けてくるかもしれない。
日本も、首脳同士のシャトル外交を軸に存分に意見をぶつけ合うことだ。歴史問題などを含め頻繁かつ真剣に意見交換することで、両国のきずながより太くなろう。
(2008年2月26日掲載)