デュラン=ソードマスター、リース=スターランサー、ケヴィン=ウォーリアーモンク でどうぞ〜。



- Seed Of Lovers -
(前編)



────少しでも長く、見つめていたい。
       少しでも────近くにいたい。

       風にも、言えない気持ち。


                    ◆◆◆

 洞窟の中はかなり薄暗く、むっと鼻をつく生臭い臭いが充満していた。
 旅をするようになってから幾度となく嗅いだ、血と死の匂い。

 「ふう・・・」
 どうやらもうこの辺りには動くものはいないらしい。
 ほんの少し表情を緩めると、ゆっくりと敵の体から槍を引きぬく。
 すっかり自分の手足同様となってしまったはずの流星の槍。
 しかし今は、鮮血をまとわりつかせたそれが少し重かった。

 ────やっぱり、少し無茶だったかな…。

 今更ながらの後悔が臭気と一緒に胸を充たしていく。僅か数匹のモンスターを屠っただけなのに、もう槍を持つ手は震え始めていた。
 けれど、疲労によるものでないことくらい、自分でもよく分かっていた。

 ────…忘れてた、だけよ。

 そっと槍を胸元に引き寄せると、小さく息をつく。ため息と一緒に、涙まで零してしまいそうな心細さ。
 旅に出たときは、いつも感じていた気持ち。
 いつから、忘れてしまったんだろう・・・。

────自分で望んだことでしょう…しっかりしなさい、ローラントのリース。

 ともすれば弱音を吐きそうになる心を叱り付け、ぐっと力を込めて槍を握り直す。
 そして、前方の闇を睨むようにしてふたたび歩き始めた。

                    ◆◆◆


 「モンスター退治?」
 「そう。お願いできないかねえ」
 旅先で立ち寄った小さな村の宿。そこの女将さんから洞窟の話を聞いたのは、昨日の夕方のことだった。
 村はずれにある洞窟に、大量のモンスターが棲みついた。数日おきに出てきては、作物や家畜を襲う。
 追い払おうとして、死傷者も出ていた。
 それは別にこの村に限ったことではなく、初めて受ける依頼でもなかった。
 棲みついたモンスターの種別は、話を聞く限りではポロン族やゴブリン族のようだ。
 私たちの実力からいって、大した相手ではないと思われた。
 「分かりました」
 「受けてくれるかい?! ・・・ああ、良かった」
 そう言って笑った女将さんの顔は、答えた私ではなく、隣の剣士を見つめていた。

────・・・前々から分かっていたことだった。

依頼をしてくる者たちはいつだって、彼を見ている。
 一行の行動は、いつも私が決めていた。けれど。
 その隣に剣士がいるときは彼を、彼がいないときはもう一人の少年を人々は頼っていく。

 ────私も、一人前の戦士なのに。

実力的に、自分が劣っているとは思わない。
確かに彼には及ばない。でもウォーリアモンクの少年にひけはとらない。
仲間たちは知っている。私が女戦士の国の軍団長であったことも、その槍の攻撃力も。
それは旅の中、共に身に付けた力だから。

でも、人はそうは見てくれない。私の外見がひどく頼りなげに見えるから。
中には、「貴方のようにかよわい女性が、可哀想に」と同情する人までいたくらいに。
それは私にとって、侮辱以外のなにものでもないというのに。

「明日の朝、出発します。準備もありますから」

自分がそうは見てもらえないことが悔しかった。
そう思っているくせに、いつの間にか仲間を頼っている自分も厭だった。
だから───気が付いたときにはこう言っていた。

 「でも、行くのは私一人で十分です」

                    ◆◆◆


 ────別に、止めて欲しかったわけじゃない。
 強がりでもなんでもなく、そう思う。
 彼らと出会うまで、自分は一人だったから。
 故国を失い、たった独りで戦ってきたから。
 だからできると思ったのだ。いや、一人で戦えねばならないと。
 誇り高き女戦士の国。
 自分はその国の王女なのだから。誰の力も借りず、誰の背も負わずに戦えるのだと・・・

 誰よりも自分自身に、証明してみせるために。

 ────だけど、本当は、止めて欲しかったのかもしれない。
       ・・・彼だけには。

 ────なのに。

 心配しつつも女将さんが去り、仲間だけになった後の騒動を思い出して、思わず唇を噛み締める。

 「あんたの好きにすればいい」
 一人で戦う。そう宣言した自分に、彼はただ一言そう言った。
 その藍色の瞳はただ静かで、どんな感情も読み取ることはできなかった。
 「・・・っ!」
 彼の答えを聞いた瞬間、足元が崩れていくような恐怖を感じた。
 見捨てられた、そう思った。
 それが、彼の答えなのだと。 

 我に返った時はもう遅かった。
 彼の横っ面を力一杯ひっぱたいて、力の限り叫んでいた。
 「貴方なんて…貴方なんて大嫌い!!」

                    ◆◆◆


 その感情が、いつから私の心に忍び込んだのかは分からない。
 つい最近のことのような気もするし、最初からであったような気もする。
 ただ、ふと気づいた時には、もうのっぴきならないほどに深く囚われていたのだった。

 それが、私には許せない。

 少しずつ、弟や祖国のことを考える時間が減っていく。
 自分の心を、弟以外の存在が占めていく。
 それは、────裏切りだったから。

 今の私の全ては、エリオットの為にある…いいえ、そうでなくてはいけない。

 ────あの日。燃え盛る王城で、私はあの子の手を離してしまった。
      私を呼んだはずなのに。その声を、捉えることができなかった。
      私は、あの子の姉なのに。
      母上の代わりに、私が守ると誓ったのに。

 あの日、私は弟と一緒に、自分自身も失ってしまった…そのはずだった。

 ────それなのに。

 気がつけば、いつもその影を探している。
 その背中に、たとえようもない安堵を覚えている。

 ……そして、同時に憎しみにも似た怒りをも。


 ────だって、貴方は私を見てはいないから。
       私が貴方を追うように、私を追ってはくれないから。


 その感情に気がついたとき、私は愕然とした。
 これまでの自分が、すべて嘘だと思えてしまうほど鮮烈な感情だった。
 私はローラントの王女で、エリオットの母代わりであり姉であり、そしてアマゾネス軍の軍団長だった。
 いつだって「リース」ではなく、「誰かのための私」だった。
 …私は「与える者」であって、「受け取る者」ではなかった。

 それなのにこの感情は。

 王女や姉としての自分とは全く異なる、激しい想い。
 誰かに引き寄せられ、誰かを求める利己的な熱情。

 そう…生まれて初めて、私は私に『女』を見てしまったのだ…。

 それが身勝手な感情であることは、百も承知だった。
 確かめるのも怖くて、告げたことも問い掛けたこともなかった。

 ────振り返ることなくまっすぐ前を見詰める、そのまなざしに惹かれただけ。
       なにより「そんなこと」に構っている場合ではないでしょう?

 ────エリオットを助け出し、故国を復興させなくてはならないのよ。
       それが、王女としての、姉としての私の務め。
       …私の、すべてなのだから…。

 幾度となく、自身を戒めた。繰り返し繰り返し。
 …それでも、焦げ付くような苛立ちと罪悪感に苛まれ。
 気がつけば、普通に笑うことさえ出来なくなっていた。

 …そして今。私は一人、薄闇の中を歩いている。

                    ◆◆◆

 村人たちの話では、ここには溢れかえらんばかりのモンスターがひしめいている、とのことだった。
 しかし、結構奥まで来たというのに、数匹しか見かけていない。それどころか、生き物の気配すら希薄だった。
 出払っている? でもここに来るまでに群れと遭遇していないのもおかしい。
 なによりも…洞窟全体にたちこめるこの死の臭いはなんなのだろう。 

 ────なにかあった?

 不気味な静寂に、思わずぶるっと身を震わせた。
 注意深く周囲の気配を窺っても、やはり奥から僅かに生き物の蠢く気配がするだけ。
 近くには何の気配もない。

 ────気味が悪いけど、助かったといえば助かったってところね。

 そうでなくては、不安定な感情を抱えた今の私など、到底ここまで辿り着くことなどできなかっただろう。
 得体の知れない幸運にとりあえずは感謝しておくべきかもしれない。

 ────・・・ケヴィンに、ひどいことをしてしまったわ。

 険悪な雰囲気の二人に挟まれて、途方に暮れていた獣人の少年の顔を思い出す。
 今朝など、心配して宿の玄関まで付いてきたというのに、随分邪険に追い返してしまった。

 ────彼は心配してくれただけなのに。

 「私のことが、そんなに信用できませんか?」
 睨まれて、彼が一瞬身を竦ませたのが分かった。
 お世辞にも口が上手いとはいえない少年は、とても困ったような表情で自分を見つめていた。
 「そうじゃ、ない。でも・・・心配」
 それからちょっと剣士のいるはずの部屋の窓を見上げると、弱々しい笑みを浮かべた。
 「おいら、リースも、デュランも、信じてる。だから・・・気をつけて」 
 私は、その言葉を背中で聞いていた。
 一瞬、胸の痛みに振り返りかけたけど。
 どうしても振り返ることができなかった。

 仲間の少年の心底からの言葉に、何も、言えなかった。 

 八つ当たりなのは分かっている。
 獣人の少年が、とても優しいと・・・許してくれると知っていたから。
 同じくらいの強さなのに、周囲の人は彼を認めても私を認めてはくれないから。
 そして。

 ……追って来てくれたのが、「彼」では、なかったから。


 ────私って、最低ね・・・。
       自分だけで空回りして、ケヴィンまで傷つけてしまった。
       デュランだって・・・。 

 小さくため息をついて、槍を抱きしめる。
 あの時の彼の言葉が、心の中に蘇る。

 『あんたの好きにすればいい』 


 ────彼は、私が言い出したことに答えただけ。
      …なのに、思い切り叩いてしまったわ。

 ────………ますます嫌われたかも…。

 心に詰まった小石は、宿を出たときより一層の重さを増して。
 思わず頭を抱えてうずくまりたくなってしまった。
 それでも、泣き出しそうな気持ちをこらえて進むことができたのは、彼らが、私を────少なくとも戦士としての私を信じてくれているから。
 今はその信頼に応えなくては、二人に謝ることもできない。

                    ◆◆◆


 ふ、と何かの気配が動いたような気がして、足を止めた。
 「………?」
 五感を総動員して、気配を探る。確かに今、風が動いたと思ったのだけど。

 ────気のせい?

 ほんの一瞬だったから、はっきりとは分からない。でも、厭な感じはしなかった。
 それどころか、なんとなく…覚えのあるような温かさ。

 ────もしかして…?

 ゆっくりと注意深く首をめぐらせる。
 集中攻撃を受けるのを警戒して、灯りは最低限の光量に抑えている。
 気配を殺して岩陰に隠れられてしまったら、私では見つけられない。
 そして思った通り、一生懸命目を凝らしても気配の主は見つからなかった。

 ────まあ、いいわ。その内分かるでしょう。

 そう諦めて、再び歩き出した。
 さっきより、敵の気配が近づいてきている。いるかどうかも分からない気配の主を探している場合ではなかった。
 恐らくこの先にはモンスター達の頭がいるはず。気を引き締めてかからなくては。

 「…!」
 幾つめかの緩やかな曲がり角を回って、ついに私は洞窟の最奥部に辿り着いた。
 行き止まりとばかりに、巨大な岩盤が視界一杯に立ちふさがっている。
 そこに大きく開いた亀裂から、明確な敵意が吹き付けてくるのを感じて、確信した。

 ────ここが、終点ね。

 洞窟のモンスター達を統べる、「王」の部屋。
 気配は一つ。しかし、明らかに今までとは違う強烈な気配。

 ────強い…!

 亀裂の向うはどの程度の広さなのだろう。
 長槍を装備している私には、本来、室内の戦闘は向いていない。
 今までは十分な広さが確保できていた。けれど、この先は?

 「…ウィスプ」
 そっと囁くと、右手をかざす。指先から、ほんのりとした白い光が湧き上がる。
 光の精霊の作り出した、光の玉。
 それは私の手を離れると亀裂を照らし、その内部に滑り込んだ。
 途端に獣の唸り声が上がり、攻撃されたか光が激しく揺れる。
 光に照らされ、大きく歪んだ魔獣の陰が床を踊った。

 どうやら広さは十分、そして飛び込むなら今しかない。
 走り出すと同時に、目を庇いながら叫んだ。

 「ウィスプ、お願い!!」

 次の瞬間。爆発的な光が世界を白く染め上げ。
 光をまともに食らったのだろう、苦痛と怒りに満ちた獣の咆哮が洞窟を揺るがせる。
 私は腕で目を庇ったまま、亀裂の奥へと飛び込んだ。

                    ◆◆◆


 「…っ!!」
 ぶん、と降って来た斧を辛うじてかわすと、槍の柄で横へと弾く。風圧で髪が数本、ちぎられて光を散らせた。

 ────やはり…今までの連中とは違う!

 それは、初めて見る魔獣だった。
 姿かたちはゴブリン族に似ている。けれど、その巨体は優に3メートル近くあり、大きく裂けた口から覗く乱杭歯と天を突く一本角が、ゴブリンでないことを物語っている。
 …あるいは、ゴブリン族が生み出した突然変異なのかもしれないが。
 「…ふッ!!」
 気合とともに、槍を旋回させる。風を巻きあげ、生み出された不可視の刃が魔獣へと襲い掛かった。

  キシャアアアァァアッッ!!

 魔獣が咆哮を上げ、巨大な斧を振るう。私の放った真空の刃をやすやすと打ち砕く。
 パワーの違いをあざ笑うように、魔獣が再び斧を振り上げた。
 「…っく!」
 風圧に足を取られそうになって、慌てて後ろへ飛び下がる。
 魔獣が追いすがってくるのを、なんとかかわしつつ必死に考えた。

 ────真正面から攻めてもダメだ…私の技は奴の力にねじ伏せられてしまう。
       なんとか…なんとか隙をつかないと…!

 「ウィスプ!」
 呼びかけに応じて、再び光の玉が私の手から飛び出した。さっきの目潰しを思い出したか、魔獣の動きが一瞬止まる。
 しかし、それだけだった。
 魔獣は光にまったく反応することなく、突進してきた。
 「!?」

 ────まさか!?

 「ウィスプ、もう一度よ!!」
 腕をかざして目を庇うのと、光の玉が爆発したのは同時だった。再び世界が白く染まる。
 あまりの眩しさに、思わず目を閉じかける。その耳に、ひゅっと空気を切る音が聞こえた。
 本能的に転がって逃れる。と、重い地響きと一緒にさっきまで私のいた辺りに、斧が打ち込まれた。

 ────やはり、そうなのね。

 奴は、視覚に頼っていない。
 多分、最初の目潰し。その時に視力を奪われたままなのに違いない。
 なのに、正確に私の位置を把握している。

 ────匂いか…気配で、私の位置を探っている? …ならば?

 執拗なまでの斧の追撃を逃れながら、私は懐を探って小瓶を引っ張り出した。

 ────これなら…どう!?

 ひゅっと小瓶を向こうの壁に投げつける。途端に、強烈なまでに甘い花の匂いが洞窟内に広がった。
 私のつけている、香水。匂いで感知しているのなら、これで紛れてしまうはず。
 けれど、魔獣はそれにも惑わされることなくまっすぐに向かってくる。

 ────やはり、気配か…。

 風を巻き、獣が吼える。何をやっても無駄なのだと、あざ笑われているようだった。
 それはまったくその通りで。今の私は逃げ回るのが精一杯だった。
 あの怪力と巨大な斧では、槍の柄で受け流すこともできない。現に数回弾いただけで、私の手は痺れてきている。
 後一回でも受けてしまったら、槍は折れるか、たやすく弾かれてしまうだろう。
 今更ながら、一人で戦うことの無謀さを思い知っていた。

 心細さとは違う、現実的な、一人の人間の力の限界。
 そして、闘い方の特性としての自分の限界。

 ────とはいえ、もう引っ込みはつかないでしょ?

 ────まあね…。

 自問自答。今は私一人しかいない。だから切り抜けるしかない。でも、どうやって?
 その答は、割とすぐに訪れた。

                    ◆◆◆

 ちょろちょろ逃げ回る敵に業を煮やしたか、魔獣は作戦を変えたらしい。
 斧を振り下ろすと同時に、床を削って岩塊を飛ばしてきた。大小取り混ぜた幾つものつぶてが、私の方へと殺到する。
 辛うじて大きな欠片は叩き落したものの、小さなものは数が多すぎてさばききれない。
 「…っう!」
 鋭い痛みが左の上腕をかすめていって、やがて赤いものが滲み出した。
 その私の一瞬の怯みを捉えて、魔獣が第二撃を放った。

 ────しま…っ!!

 痛みに気を取られて対応が遅れた。

 ガ…ッ!!

 鎧の肩当に、音を立てて岩塊がぶつかる。思わず槍を取り落としそうになって、はっと手元に目をやる。

 ────いけない!

 目の前に影が落ちる。勢い良く振り下ろされる音と風に、思わず身を竦ませた。
 けれど、終りは訪れなかった。

 「…?」

 寸前で止められた刃。魔獣は目の前の、止めをさすばかりの敵を忘れ、怯えたように背後の闇を振り返っていた。

 ────今!!

 考えるより早く、体が動いた。私の守護者である星の力が、幻の私を作り出す。
 「?!」
 はっと我に返った魔獣が、私を見た。怯えた、狩られる者の瞳が私を映していた。

 「流星槍!!」

 彼が動くより早く。
 三方から突き出された流星の槍が、洞窟の王を貫いた。



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