2008年02月05日 (火)時論公論 「医療版事故調に望むもの」

手術などの診療中に患者が死亡した場合に、第三者機関が医療事故の原因を調べる新しい制度を政府・与党が検討しています。南 直樹(みなみ なおき)解説委員です。

この新しい制度は、航空鉄道事故調査委員会をモデルとしていますが、いわば医療版事故調として、原因究明が公正に行われるか、根本にさかのぼって再発防止策を提言できるか、新しい制度が備えるべき条件を考えます。

(1)新しい制度の内容

この制度は、厚生労働省の案を基に、自民党の「医療紛争処理のあり方検討会」が検討を加えたもので、骨格の案が示されています。


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●それによりますと、国の組織として「医療安全調査委員会」を設置することになっています。この委員会は、運営方針を決める中央の委員会と、ブロック単位の地方委員会からなっています。
 委員会のメンバーは、医療の専門家だけでなく、法律家や、患者・遺族の立場を代表する人なども参加することになっています。

●医療死亡事故が起きた場合は、医療機関から委員会への届け出を制度化し、遺族からの調査依頼にも、委員会は対応します。

●地方委員会のもとにおかれる調査チームが、遺体の解剖や、関係者の意見聴取などの調査を行います。

●その結果、事故の原因、再発防止策を調査報告書としてまとめ、医療機関と遺族に通知します。報告書は個人情報以外は公表して、再発防止に役立てることになっています。

政府、与党は、いまの通常国会に、政府提案としてこの制度の法案を提出する方針です。


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(2)第三者機関検討のいきさつ

診療に関連して起きた死亡の原因を、第三者機関が調査する制度が検討されるようになったきっかけは、1999年に東京都立広尾病院で発生した、薬剤取り違えによる死亡事故でした。
当時の病院長が、医師法21条、異状死届け出義務違反で起訴され、2004年に最高裁判所で有罪が確定しました。
異状死の定義がはっきりしないまま、届け出義務違反に問われ、刑事裁判で有罪とされたことに医療機関側は、衝撃を受け、2004年に、日本内科学会をはじめとする19の学会が、医療事故を調べる中立的専門機関の創設を求める声明を発表しました。

新しい制度を創設する動きを、加速したのは、2006年に、福島県立大野病院の産婦人科の医師が、逮捕された事件でした。
この医師は、帝王切開の際の手術ミスで患者を死亡させたとして、業務上過失致死などの罪で起訴され、医師側は無罪を主張して公判中となっています。
この問題について日本医師会は「リスクの高い医療の現場では、医療の結果、予測できない事態が生じることはよくあることだ。医師の逮捕にいたったことは、医師の医療行為を萎縮させることになる」と、強く反発しました。

厚生労働省も、医療事故が刑事事件として問われることが、産婦人科医の不足につながる恐れがあると危機感を強め、去年の4月から専門家の検討会を設け、厚生労働省として、医療事故の原因を調査する第三者機関の原案をまとめていました。

これをうけて、自民党の検討会は、第三者機関の名称を「医療安全調査委員会」とし、委員会の位置づけについて、医師などの医療関係者の責任追及を目的としないことを明確にするとしました。

こうして、第三者機関の骨格案は、航空鉄道事故調査委員会にモデルをとり、医療事故の原因究明と再発防止を目的としていますが、「医師が刑事裁判で訴えられるケースが増えれば、リスクが高い診療科を引き受ける医師が減ってしまう」という、医療側の危機感を色濃く反映したものとなっています。

(3)新しい制度で、医療事故の調査が公正に行われるか

それでは、新しい制度で、医療事故の調査が公正に行われるのでしょうか。
医療事故で患者が亡くなった時に、被害者側が、まず望むことは、「事故を隠さず、真相を明らかにして、納得できる説明をして欲しい」ということです。


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●第一に、問題になるのは、医療死亡事故の届け出です。骨格案では「医療機関から委員会への届け出を制度化する。医療機関から委員会への届け出を行った場合は、医師法21条に基づく、警察への異状死の届け出との重複を避ける」とされています。
医療事故が起きたとき、医療機関が「逃げない」「隠さない」「ごまかさない」という姿勢に立って届け出をするかどうかが、新しい制度が機能するかどうかの第一の試金石です。

●次に問題となるのは、調査委員会によって、どこまで公正な原因究明ができるかです。
新しい制度のひな形となっているのは、日本内科学会が2005年からスタートさせた、診療に関連した死亡の調査モデル事業で、去年12月現在で、東京、大阪など全国8カ所で実施されています。

この事業では、患者が死亡したケースについて、医療機関が遺族の同意を得た上で、モデル事業に、第三者としての調査分析を依頼し、予め登録した解剖担当医や、臨床医によって解剖やカルテの調査が行われます。
これまでに調査を受け付けたケースは、60件。このうち35件について評価報告書が作成されています。
患者の立場を代表して、モデル事業の評価に関わった委員からは、専門家が第三者的な立場で報告書をまとめる際、専門家自身も高いリスクの上に身をおいて診療している立場のために、腰が引けないかという心配がある。いかに中立公正という立場が困難かを感じたと話しています。

今後、調査を依頼した、医療機関と、患者遺族が、報告をどのように受け止めたのか、追跡調査することも、今後、制度化される調査委員会の公正さを見極める上で、必要だと思います。

(4)根本にさかのぼって再発防止を提言できるか

さらに、医療事故の再発を防止するためには、事故の直接の当事者の行為を問題とするだけではなく、事故の根本原因をさかのぼって解明することが求められます。
 例えば、看護師による投薬ミスの場合も、根本原因をさかのぼると、薬剤の選択とチェック体制、看護師の勤務体制、病院内の医療安全情報の共有など、病院のシステムにも問題があることがあります。
 さらに、医療事故の再発防止のためには、医療スタッフの要員配置など、厚生労働行政にも関わる対策も必要です。
 新しくできる調査委員会には、広い視野に立って、こうした再発防止策を提言することも求められると思います。

(5)医療事故の被害者の願いがかなえられるか


第三者機関の制度化の作業が進むにつれて、現場で診療にあたる医師からは、調査報告が刑事処分に使われるのであれば、当事者が証言を拒んだりするため、真相究明は困難になると心配する意見がでています。
骨格案では、刑事手続きは「故意や重大な過失のある事例、その他悪質な事例に限定する」とされています。どのような場合に、委員会の調査報告書を刑事手続きに使用するのか、明確にする必要があります。
事故の究明にあたっては、調査委員会の専門性を尊重し、警察の介入は、カルテの改ざんなど特に悪質なケースに限定して、最小限に抑えるべきだと思います。

一方で、医療事故の被害者側は、「医療機関側が、事故の真相を明らかにし、責任があればきちんと認めて欲しい、事故は二度と起こさないで欲しい」という強い願いをもっています。
この願いが、実現するかどうかは、医療版事故調が、中立公正な調査を貫けるか、医療機関側が事故を隠蔽せず、再発防止の姿勢をとるかどうかにかかっています。 

投稿者:南 直樹 | 投稿時間:23:59

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