2006年09月17日

私の日本国憲法に対する姿勢

 最初に予告しておきながら、他のニュースを先にしたために、私自身が、今の憲法に対してどう考えているかをお知らせするのが遅くなりました。
 
 まず、背景を述べると、私は、かなり自由な気風の大学で法律を学びました。憲法学は必修だったので当然学習しました。教科書は、当時東大教授だった、小林秀樹氏のものと、清宮四郎氏のものでした。
 また、憲法ではありませんが、国際法、国際政治、比較法などの講義も受け、日本と欧米における法律の位置づけの微妙な違いなども学びました。比較的マジメな学生だったと思います。
 
 では、私の憲法観です。
 私の父は、昔、公務員で、自治労を通して、旧社会党の党員になったこともある人物でした。積極的な活動家ではありませんでしたが、私も子供の頃から、父の影響を受け、若い頃は、自衛隊違憲、非武装中立と言う、旧社会党の主張を支持していました。
 
 しかし、学生時代の勉強と、今の国民世論、そして現実世界を見た場合、「非武装中立」は、理想であって、いきなりそうなるものではないと考えるようになりました。社会党も、村山政権下で、自衛隊を「違憲・合法」と言う、あいまいな表現で、事実上存在を認め、また日米安保条約も存続しました。
 
 私自身は、理想は掲げながらも、まずは足元を見ることを、社会人になってから学びました。
 その結果、今の時点で、私が取る立場は、以下の数点に集約できます。
 
 ○ 専守防衛に徹すると言う前提で、防衛用の抑制的な軍備を認める。
 ○ 集団的自衛権は、これを認めない。
 ○ 日米安保条約は、改正、または撤廃すべきである。
 ○ 自民党の改憲案、ならびに安部復古主義者のより右よりの改憲には断固反対する。
 ○ 九条に限らずに言えば、基本的人権に、環境権と、平和的生存権を加える。
 ○ 労働者の権利の拡充のために、あらたな条文を設ける。
 ○ 硬性憲法(改憲しづらい憲法)条項はこれを維持する。
 
 以上のように、改正はやぶさかではないが、どちらかと言えば、よりリベラルに改正したいと言う意見です。
 ですから、現在の政党で、このような主張をしているものは、無いので、現在の憲法に悪い点はほとんど無いと考えているので、私は「護憲」派です。機会があれば、進化した憲法を作りたいと思っている次第です。
 
 軍備については、あくまでも専守防衛に徹するよう、憲法及び関連法規で厳しくコントロールすべきだと思います。
 本来、軍備は無いほうがいいのですが、国民の多くが自衛隊を認め、また「丸腰」でいることに不安を感じる意識がある以上は、個別自衛権の範囲で、存続を認めます。周辺諸国との(たとえばEUのような)融和、協調が進めば、徐々に減らしていくことができるでしょう。
 
 天皇制については、個人的には廃止しても構わないと思っていますが、歴史的な事情を考慮して、今の皇室とその財産ごと、特殊法人化して存続していけば良いと思います。憲法からは除外され、いわば、無形文化財のような形で残っていくと言う考え方です。
 
 以上が、私の今の憲法に対する姿勢です。
 その他、言論の自由に関する条項や、政教分離、公務員の不偏不党について、もう少し考慮するべきところがあると思っています。
 基本的に、憲法と言うものは、国が守るべきものであり、国と言う権力機関から、国民を保護することにその使命の一部があると思っています。その意味で、今、実際に存在する、言論統制や、警察の偏向などの問題も解決しなければならないと思っています。
 
 私の主張が一番近いのは、共産党か公明党かもしれません。
 しかし、私は支持政党はありません。共産党とは、意見、政策で一致できる点はあるものの、共産主義思想には、一定の評価を与えながらも、自由主義の方がより良いと思っていますので。
 
 このブログでは、憲法に関する個々の問題を議論するつもりはありません。
 「平和を守る」と言う1点で、協調し、復古的改憲勢力に対して、緩やかな協調で対抗していくことを目的としています。
 私の意見に賛同してくださいとは言いません。また、自衛軍を認めると言う点で非難しないでください。
 「平和」の1点で、当面の脅威に対して連携させていただければと思っています。
posted by 眠り猫 at 14:13| 東京 ?J| Comment(14) | TrackBack(2) | 憲法
この記事へのコメント
こんにちは。
憲法の記事読ませていただきました。
自衛軍の存在を認めるとは意外に現実的なんですね。
次のエントリーのリクエストなんですが、「平和を守る」という一点で、というスローガン、大変素敵だと思います。僕も大賛成です。
そこでひとつ、眠り猫さんの「平和」の定義を知りたいんです。日本が守るべき、そして目指すべき平和とは実際どういうものなのか?実は非常に曖昧な気がします。
もしよろしければ記事にしてほしいです!
Posted by マース at 2006年09月17日 15:13
マースさま
 重ねてのご来場ありがとうございます。
 さて、お尋ねの件ですが、私はさほど難しく定義する気はありません。基本的には、今の日本国憲法で言う、「国の交戦権はこれを認めない」に基づき、いかなる形でも、他国に軍を送らないと言うのが基本にあります。
 個人になぞらえてみれば、決して喧嘩をしないように、あらゆる努力を払う、っと言うことです。
 私が自衛軍備を必要最小限で認めようと言うのは、世論を考えてのことです。
 「殴られたら殴り返せ」ではなく、「殴られないようにする」、「パンチが来たら、横に払い、身をかわす」っと言う考え方です。
 まず肝心なのは、殴らないこと、次に殴られないように(外交などで)努力すること、そして、万一殴られそうになっても、払うのみ、っと言うのが、私の考えです。
 特に重要なのは、「殴られない」と言うことで、それには外交が重要です。
 プロシアの軍人だった、クラウゼヴィッツの「戦争論」(岩波文庫)でも、「戦争はあまたある外交手段の中の一つに過ぎない」と言っています。
 全力を注入するべきことは、平和のために、国、国民も努力することです。
 日本が無関係な、アメリカの侵略戦争の片棒を、「集団的自衛権」と言う言葉で担ごうとする動きには、全面的に反対する。
 以上でよろしいでしょうか?
 また、私は、私の考えを唯一とは考えません。「日本を戦争に巻き込まない」=「平和を守る」ために、さまざまな考え方があっていいでしょう。そのための中で、共通できることは共に歩こう、と言うのが、本ブログの趣旨です。
 「一国平和主義」と言われれば、まさにその通りです。各国の平和は、各国の責任で自衛してくださいと言う考えです。
 では、またのご来場を。
Posted by 眠り猫 at 2006年09月17日 17:50
はじめまして。TBさせていただきましたが、うまく行かなかったかもしれません。実は私も、最近ブログを始めました。よろしくお願いいたします。
Posted by メロディ at 2006年09月17日 19:24
メロディさま
 トラックバックありがとうございます。記事拝見いたしましたが、私と似たお考えですね。私は安保条約については、できれば撤廃したいですが・・。
 新しい記事をトラックバックさせていただきました。
 では、またのご来場を。
Posted by 眠り猫 at 2006年09月18日 07:13
マースさんへ、
立派な思考力に私も賛成。当然、大半の国民は同じだと思います。もし日本が武力で侵略された場合は自衛権の行使は現憲法を超越し(国連憲章に基づき)許される、と私は思う。私が支持している日本共産党も自衛権を承認しています。それだけ侵略戦争だけには国際的に厳しく罰する、国連安保理審議・承認により侵略国への軍事的・経済制裁がくわえることで、世界平和が維持されようとしているのでしょう。

要するに問題点は米国の圧力もあり、憲法改定派の方向軸は専守防衛にあるのでなくて、日米軍事同盟による地球規模の海外で、憲法第9条に縛られることなく交戦権行使、戦争ができる国にするための憲法改定でしょう。日本はイラクに自衛隊を派遣したものの、憲法第9条の交戦権の縛りで、他国軍に護衛されるような肩身の狭い思いをさせられたこと、国家主義者の安部氏にとっては我慢できないことで「集団自衛権行使」を解釈変更で検討を発言しています。たとえば「公海上で米・日艦船が並行し米艦が攻撃されているのを日本艦船は見ぬふりするのか」などです。
 この点では、そもそもイラク自衛隊派遣は憲法第9条の交戦権違反からも無理・難題のことでした。ですから小泉政権の「自衛隊派遣への大義名分は、憲法条文の隙間さがし、戦闘地域・・・は」迷走発言の連続でした。集団自衛権の問題は、なにも憲法を犯してまで戦争・戦闘地域に日本艦船を並行させなければ済むことです。

確かに軍事力による防衛も重要ですが、いま世界の動きは、EU(欧州連合)、ラテンアメリカ諸国連合、ASEAN(東南アジア諸国連合)北東アジアでも平和の共同体が広がる方向の時代です。軍事同盟の時代は終わりを告げる可能性があります。まだまだ課題はあるものの国連・地域連合体による平和の共同体の方向にあるでしょう。世界から軍事同盟をなくし軍事拡大路線を脱して、戦争のない平和な世界、貧困・飢餓からの解放、環境・社会福祉の向上、軍事費の削減につながるような努力が緊急課題でしょう。世界の英知ある未来は勝利すると思います。北東アジアでの最大問題は北朝鮮でしょう。6者協議の枠組に包囲できるかどうかです。(つづき 2へ )
Posted by 彼岸花 at 2006年09月23日 01:48
マースさんへ (つづき 2)
長い文面になりますが。マースさんの熱意と眠り猫さんの誠意・謙虚に感じいり、それに応えようと、自分も憲法を学び知りたい、考えてみたかったからです。最後に「世界から見たわたしたちの憲法」映画 日本国憲法(ジャン・ユンカーマン監督)いい映画です。ここの出演者のラミスさん(米国人・作家 政治学者) ダワーさん(米国 歴史家) 日高六郎さん(フランス在住 社会学者)の明快な発言があり、「なるほど」の感じですから、一考してください。

ラミスさん  第9条を非現実的という人が、内外から増えています。自分たちのことを現実主義者と呼んで「われわれ現実主義者は、戦争のひどさはわかっているが、国民の命を守るためには軍事力が必要だ」と、この論理には大きな問題があります。現実的であることは重要で国家・社会の安全保障は現実的に語られなければ意味はありません。夢や理想のために何百万人もの命が失われることがあってはなりません。
 その現実的になるには、まず現実を見すえること、この場合の現実とは20世紀の歴史の記録です。あれほど多くの人が戦争と暴力で殺されたことは20世紀をおいてほかに例はありません。人々を殺したのはやくざでも、ギャングでも、麻薬戦争でもない、それは国家でした。国家が2億人もの命を奪ったのです。ですから巨大な軍事力はもっても安全ではありません。
日本社会は半世紀以上戦争をしていない。日本にいると戦争をしないことが常識です。米国は軍国主義になっている。憲法9条は傷だらけでいたんでいるけれども、まだ生きていて、まだ成功している、ひとりの人間も国家交戦権のもとで殺されていない。主権在民が原理で主語、文法的な主語は「われわれ日本国民は」だから在民に主権があり、国家に対し命令権があることは日本人の誇り、その真ん中に憲法9条があるということです。
押しつけ憲法だからいけないとは言えません。憲法はすべて政府に対する下からの突き上げのより成立している。フランス革命がフランス共和国憲法に、アメリカ革命が米国憲法を成立させています。
(つづき 3へ)
Posted by 彼岸花 at 2006年09月23日 02:01
マースさへ (つづき 3)
ダワーさん  基本的にはマッカーサー憲法であることは事実ですが、本人は複雑な人で非常に保守的である一方、急進的な軍人でした。それゆえ平和がいかに貴重で、戦争がいかに恐ろしいかを心底から知り抜いていた。当時の日本が置かれていた状況もよく理解していた。世界中が日本に対して本質的な軍国主義国に不信感を抱いていたので、マッカーサーは「そうした認識をくつがえすことは可能だ」と考え、侵略、抑圧の日本軍国主義のシンボルでなく、反軍国主義のシンボルになることの法制化にすればいい。人権の尊重や主権在民を盛り込もう。すべてを一つのパッケージにしてしまおう。そうすれば世界から尊敬を受ける国に生まれ変わることができる・・・。ドイツのナチやほかの侵略国家のような侵略者のモデルになるのでなく、将来の道標のモデルになればいい。ゼロから出直して戦争のない世界という最高の理想を体現すればいい。これがマッカーサーの思いであった。
日本政府の意見も多く取り入れ、国会でも熱い審議を重ね、国民からは大きな関心を受けて誕生した。発布以来60年たった今日まで憲法の文言はただの一言も変えられていません。これは米国とは関係のない事情です。押しも押されもせぬ日本憲法になったということです。その後、1949年中国革命誕生、同50年朝鮮戦争が勃発した。そのころから米国側は「日本の非武装化の方針は好ましくない。再度、武装して米国とともに戦ってほしい」と方向転換、朝鮮戦争に日本が参加してほしくなったこと、日本憲法を改定することを米国は望み圧力をかけるようになったのです。

日高さん  憲法9条が発表されたときから、マスコミや一般市民のなかで非常に好感というか共鳴をもって迎えられた。その時点で幣原首相でも第9条を誇らしく説明していた。いまの憲法は自主憲法でないとよく言われるが、実は自主憲法を作ったんです。幣原内閣は人選に松本蒸治委員長に憲法問題調査会を発足させた。その自主憲法をマッカーサーGHQ側に提出したが、その内容が毎日新聞にスクープされた。それはポツダム宣言の文言も一つもなし、軍国主義、民主主義の言葉もなく、言論の自由に関してもない、憲法で幣原内閣はポツダム宣言もぜんぜん読んでなかったような内容であった。
吉田外相以下日本側がつくった自主憲法に対する返事をGHQ側に聞きに行ったときはもう、GHQ側はGHQ側の案は完成していて、幣原案はあまりにも保守的であったことで全面拒否。このとき連合側も出ていた。それは吉田外相以下みんな顔面蒼白だったといわれている。そしてもう一つの民間憲法の憲法研究会は高野岩三郎たちの憲法案づくりがあった。
現実的に日本国憲法・第9条を見た瞬間、だいたいの市民は「ああ、これでもうわれわれは戦争ということは二度と体験しないですむ、そういう国になったんだ」という安心感。それは強烈にあったと思うね。しかし、日本人だけが安堵した、それで大変ありがたいだけではすまないことです。実はその第9条というのは国際的な意味をもっているわけで、侵略国・加害国としての日本が日本の今後のあり方を国際的に誓った、とくにアジアの民衆に誓ったと思うんです。一方ですごい疑念もあって憲法第9条を日本人はやめて再軍備するのではないかと。
日本人は第9条を積極的に、民衆レベルで世界の人々に対して発信すべきだと思う。まずはアジア人の人々に発信すべきで、日本人の中にもこういう考えの人間がいるんだということですよね。憲法改定の問題は国内問題にしちゃだめなんですよ。国際問題ですからね。特にアジアの問題です。それが一番重要なことだと思うんです。

Posted by 彼岸花 at 2006年09月23日 02:06
マースさん、メロディさんへ
  (日米安保・軍事同盟、集団的自衛・交戦権に関する追記)
憲法第9条と集団的自衛・交戦権の問題では、なにも憲法を犯してまで戦争・戦闘地域に日本艦船を並行させなければ済むことです。と前に記しましたが、現実的にはこれで済まない問題を抱えています。いまイラク周辺の海域で日本艦船が米軍空母艦船・米空軍向けに燃料補給していること。また日本航空自衛隊がクウエートからイラクのバクダット米軍基地や南部・北部地域の戦闘地域に米軍用向けの武器弾薬、資材、備品等の空輸支援(まさに憲法違反)をいまでも継続・拡大していることです。
問題は集団的交戦権にかかわる危険が現存することです。現自衛隊は日米安保条約・日米軍事同盟に完全に組み込まれていて、日米安保条約(専守防衛)の範囲拡大が条約改定なしに、なし崩し的に、それも地球規模の日米軍事同盟が拡大してしまっていること。米国のイラク侵略戦争に伴い、日本は巻き込まれ?、いや日本自衛隊は米軍に従属化・一体化していることです。
つまり日米軍事同盟と集団的自衛・交戦権とのからみ、憲法9条違反を内包しながらイラク周辺の戦闘地域で、いまでも進行・過程にあることです。軍事同盟を認めている自民・公明党、及び民主党は集団的自衛・交戦権の呪縛に陥ること必至です。こうした政党を私は支持できません。軍事同盟から脱しないかぎり、この矛盾・呪縛から解放されないでしょう。
やはり私は支持する政党は、世界からの軍事同盟をなくしていく綱領を持つ日本共産党を軸に、憲法9条を支持する「全国5000以上規模の地域・職場憲法9条の会」社民党、無所属党、無党派層と連帯し、憲法9条の一点で結集した統一戦線。地についた組織形成の成功となれば未来は開ける、憲法改悪派に勝てる自信を感じています。

もう一つの問題は、はじめに記した、日本が武力で侵略された場合は自衛権の行使は現憲法を超越し(国連憲章に基づき)許される、その自衛組織の問題です。現自衛隊に自衛交戦権があるか、どうか、やや問題を抱える点を私は感じています。その理由に、現自衛隊は日米安保条約・日米軍事同盟に完全に組み込まれ、一体化された軍隊組織であることです。自主独立した新たな自衛隊組織であれば矛盾はないと思いますが。
日本共産党綱領では、国民総意を得た新たな自主独立した自衛権組織を提起するとしている。現自衛隊は長い期間を得て解体するとしているが、もし軍事同盟を破棄し従属しない現自衛隊となれば、解体はやや緩やかになることも考えられる。いま日本共産党は東南アジア地域や北東アジアでも最近はパキスタン、韓国、中国、ラテンアメリカ諸国などで積極的な野党外交を展開し、その評価もすごく高い。自主独立で優れた綱領を持つ共産党として世界に誇れる政党であると、私は評価しています。
Posted by 彼岸花 at 2006年09月23日 09:08
マースさん、眠り猫さんへ  (つづき)ついつい長文になり、ごめん。
日本が武力で侵略された場合は自衛権の行使は現憲法を超越し(国連憲章に基づき)許される、その自衛組織の問題です。現自衛隊に自衛交戦権があるか、どうか、やや問題を抱える点を私は感じています。と先に記しましたが、その理由、やや問題のモヤモヤな点が少し解明しました。
キーロさん(シリアの作家)は日本の自衛隊駐留は国際法違反だと思う。国連の決定ならイラク国民も歓迎するが、実際には米国の決定だった。またパレスチナの難民キャンプの人は、日本人は戦争に苦しみ、米国に原爆を落とされたのだから、日本は紛争解決に軍隊を送って、親のない子をつくるべきじゃないと思う。誰が犠牲になるか、普通の人々であり。罪のない子供たちです、と。(陸上自衛隊では罪つくりなく撤退、これは憲法9条交戦権の縛りがあり、良かった。)
現自衛隊は、米国のイラク侵略戦争に完全に加担(武器弾薬空輸・燃料補給)していること。その加担している現自衛隊が、かりに日本を侵略してきた勢力に、「侵略軍だと非難し」現自衛隊(侵略加担者)が戦う大義名分が、国際法・整合性の点から通じるかどうか。やはり憲法9条違反に定義される可能性が高いと思います。これは現実問題として困ります。それでも現自衛隊が任務を担うことになるのでしょう。
ジョンソンさん(米国人 元CIA顧問 アジア政治学者)は、小泉前政権のイラク派兵は非合法で無意味な選択であり、イスラム社会の怒りを、それも長期的に、ほかに例みないばかげた選択(日本の岐路)であった。
Posted by 彼岸花 at 2006年09月26日 17:56
>彼岸花さま
 重ねてのコメントありがとうございます。長文は構いませんが、他のコメント者への寄稿はお控えください。
 さて、私が主張する、「専守防衛に徹した自衛軍備は認める」と言う考えが、私としては、国民の多くに支持されるのではないかと思っています。それを対案として、集団的自衛権の主張と争えば、憲法論議で、勝てると思っています。
 旧社会党が、「非武装中立」と言う理想を掲げながら、現実や、国民の中にある漠たる不安感に意を用いなかったのが、あの政党の崩壊の一因だと思います。
 さて、では「自衛軍」を、憲法上明記するかどうかですが、私としては、将来的には、憲法を改正して、明記及び縛りを強くするべきだと思っています。
 ですが、次回の選挙は、改憲勢力との戦いです。むやみに9条論争で、相手の土俵に乗るのは得策ではないと考えています。そこで、便宜的に「現状で十分」と言う主張を、次回選挙に限って行いたいと思っています。
 私は、現実論として、安倍復古主義政権を敗北に追いやるためなら、何でもするつもりです。
 一つ前のコメントにも書きましたが、共産党が、反安倍での野党共闘に加わらず、都知事選でも、参議院でも独自候補擁立にこだわるならば、共産党は、現状を見ない、教条主義的脳梗塞組織であると言いたいです。結果的に安倍政権を利することになるのですから。是非、彼岸花様からも党の上層部に、その旨アピールしていただきたいと思います。
 では。
Posted by 眠り猫 at 2006年09月27日 10:13
専守防衛≠交戦ということでしょうか?
自衛軍であろうが国防軍であろうが、軍の使命は戦って勝つ(または負かす)ことです。自衛隊は他国の武力侵略に抵抗する組織という中途半端な位置づけです。

専守防衛の範囲はどのように考えていますか?
・相手国が宣戦布告した場合「相手国を負かす」ことはしないのでしょうか?領海内からは出ないし、相手国の領土・領海内への攻撃もせず、敵の兵站を削ぐこともせず、とにかく攻撃を凌ぎきるということでしょうか?
・宣戦布告・侵略・攻撃の有無に関わらず、敵基地攻撃論には反対ということで良いでしょうか?

個人的には、可能な限りの外交的努力によって武力行使する事態を回避し、武力行使にあたっても専守防衛を基本とするスタンスが最良と思います。しかし現実問題として、狭義での防衛行為のみでは防衛しきれません。かと言って「自衛」を際限なく拡大解釈していくと、米軍との共同作戦どころか、現在の北朝鮮に単独で宣戦布告し侵攻することも可能になってしまうので、何をもって是非と判断するか思い悩むところです。

先の戦争でも、対米開戦回避のためにかなりギリギリの外交努力と譲歩が成されたと思っています。ハルノートの受諾は、戦わずして敗けるくらいのものでしたし。
Posted by 無名戦士 at 2006年09月27日 15:42
>無名戦士さま
 コメントありがとうございます。
 ご指摘の点は、軍事を深く考えると、きりが無いものです。また私も明確な回答は持ちません。
 ただ、私は、戦争と言うものは、ほとんどの場合、「殲滅戦」ではないことは歴史が示しています。
 防衛の本質は、敵国の侵攻の意図をそぐものであれば十分であると考えます。
 つまり、「負かす」必要は無いのです。現代の軍備では、日本に海上を渡って侵攻することができるの国はまずありません。実力があるのはアメリカだけです。アメリカに勝つのは難しいですが、それ以外の国の軍備でしたら、航空機、輸送船を、途中海域で撃破できれば、防衛はなったと思います。
 その損害を押してまで、日本に侵攻するメリットを持つ国は存在しません。
 ですから、限定的軍備で足りると、私は考えています。
 これは、ここで議論することではないと思います。
 私の意図は、まず、安倍政権を崩壊させ、復古的改憲を阻止することであって、愛国心問題や、軍備の多寡の問題を深く語るつもりはありません。
 以上で、私の回答とさせていただきます。
Posted by 眠り猫 at 2006年09月27日 16:04
眠り猫さんへ
今日、一日バス旅行、早朝2時間前に目覚め、時間もあり、眠り猫さんへの私の意見、と主張であり、押し付けではありませんから。楽ししい旅になるために、一言いいたかっただけです。
きっこの日記はよく読んでいて、面白さ良さ自己主張あり、明快で「社会の木鐸」の役割もあり、賛同すれば私はクリック。嫌いな人はブログを避ければいい。ここが一番人気ブログの秘訣でしょう。きっこさんが主役です。

眠り猫さんブログの主役は、コメント参加者ですね。主旨は憲法、教育、戦争と平和、社会問題、内外の政治問題を政党の支持、思想信条を問わず、ブログに参加する自由。参加者の自己主張(思想信条の自由)を集め、知識を高め合う。同意するも反対するも参加者が自由に判断するのが主旨ですね。
 だから、参加者へのコメントを眠り猫さんが論じるのは差し控える方がいいと思う。参加者のコメントを参加者同士が互いに判断するに任せる。ブログ者は論点の舞台に徹するべきだと思う。
大手新聞の読者覧への複数投稿は禁止されている。掲載投稿には図書カードなど金品の授与があり、著作権は新聞社にある。これに対しネット投稿は違う、著作権はない、これがネットの特徴。盗作投稿は戒めることは当然。ブログは広く寛容でなければ参加しづらいです。
支持と党員は違い、決めつけは違っていました。詮索、レッテル張りは危険で失礼になります。眠り猫さんへの要望は「完全に自由に、党派的偏見なしに」物事を判断するよう求めたいです。

 選挙は、各政党は政策立案、主権者は判断し投票。統一候補は要求を基礎に統一政策を各政党が作り合い連合して戦うのが本筋です。野合・寄せ集め政権の失敗は細川政権が典型で、崩壊はみじめでした。眠り猫さんの、安倍政権打倒の気持ちは理解できますが、政党の野合の奨励は押し付けの危険性があります。
Posted by 彼岸花 at 2006年09月30日 05:46
>彼岸花さま
 ご意見はわかりましたが、私が従う義務もありません。
 多くのブログで、コメント間の討論、論争はやめるように言っている理由をご存じないようですね。教えてあげる義理も無いですが。
 私は共産党不支持ではありませんが、あなたのような、勝手な理屈をブログ主宰者に押し付けようとしたり、支持政党の宣伝をするのは、本来禁止事項です。これは常識です。
 あなたのアクセスは禁止にします。迷惑なので。
 ご自分でブログを経営なさるとよろしい。人のところで傍若無人に振舞うのは許されません。長広舌の前に、何がいけないか反省しなさい。
 私と連帯している方には、共産党員の方もいます。あなたはそれらの人と違い、独善に陥っています。そういう姿勢が、一般の人に共産党のイメージを悪くしていることに気づきなさい。
 やっていることは向日葵氏と同じです。
Posted by 眠り猫 at 2006年09月30日 08:24
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