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イージス艦 当直責任者も船団把握、回避指示せず

2008年02月25日03時00分

 海上自衛隊のイージス護衛艦「あたご」と漁船清徳丸の衝突事故で、あたごの艦橋にいた当直士官らは当直態勢が切り替わる以前から付近を航行する漁船団の存在を把握していたことが、第3管区海上保安本部の調べでわかった。当直士官らは見張り員やレーダー員の報告で漁船団に気づいたという。

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 当直時に艦長に代わって責任を負う当直士官が、衝突の危険性に気づく機会がありながら、衝突1分前まで回避措置を指示しなかったことになり、指揮官の過失責任が問えるかが今後の捜査の焦点になる。

 3管の調べでは、あたご艦内では衝突12分前の19日午前3時55分ごろ、艦橋や戦闘指揮所(CIC)などの当直が交代した。当直態勢時の艦橋には、当直士官、操舵(そうだ)員、レーダー員を含む8人が、艦橋左右には見張り員各1人がいた。

 当直にあたった乗組員を3管が順次聴取したところ、交代前後の当直士官が見張り員やレーダー員からの情報や引き継ぎで、付近にいる船団の存在を認識していたことが分かった。

 しかし、交代後の見張り員は「あたごの後ろを通り過ぎると思った」「緊急性を感じなかった」という趣旨の説明をしており、当直士官も操舵員に回避を指示することなく、衝突1分前まで自動操舵により10ノット(時速約18キロ)で航行を続けていた。

 自衛艦乗員服務規則(通達)は、当直士官は艦長の命を受けて当直員を指揮。緊急の事態に即応できるよう備えなければならない、と定めている。

 3管は、あたごには衝突を回避する機会が何度かあったにもかかわらず、多くの船が行き交う海域で自動操舵で航行するなど衝突の危険性を考慮しなかった判断にミスがあったとの見方を強めている。

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 清徳丸に乗り組んでいて行方不明になっている千葉県勝浦市の吉清(きちせい)治夫さん(58)、長男哲大(てつひろ)さん(23)の、3管や海自などによる捜索活動は24日も行われた。また、強風で一時中断していた海洋調査船「かいよう」による海底の捜索も再開した。

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