引用する権利はない

コメント欄を見ると、まだ引用する権利があると思っているかたがいるようである。
何度も繰り返すが、引用する権利はない。
権利という言葉を突きつめれば、法で保障された個人の権益のことである。。
引用する権利があると主張するものは、どこの法にそう記載されているか示してほしい。
著作権法は、著作者の権利を守るための法律で、
引用者の権利については触れられていない。
たしかに引用について書かれているが、
それはこのような引用ならば著作者の権利を侵さないで済むという規定に過ぎない。
引用してはならないと言っているのではない。
引用する権利などは存在しないと述べているのである。
引用をする自由はあると思う。
著作者の権利を侵さない限りにおいて、ひとは引用する自由を有する。
だが、これは表現の自由のように憲法で積極的に認められたものではない。
それでも表現の自由というのがいちばん比較しやすい概念だとは思う。
表現の自由が他人の権益(名誉など)を侵害してもいいのかという問題は、
引用の自由の制限にも適用されるものだと思う。
誤解なきよう念を押しておくが、引用はしてもいいのである。
わたしもするつもりだし、みなさまもどんどんおやりになるがよろしい。
だが、それは引用する権利があってやっているわけではない。
せいぜい引用する自由があるくらいのものである。この自覚を忘れてはならない。
したがって、「引用する権利が侵害された」という表現はおかしい。
なぜなら引用する権利など、どこにも記載されていないからである。
この場合、「引用の自由を守る」という表現なら可能だが、
「表現の自由を守る」に比べるとあまり格好のいいものではない。
というのも、主従関係で説明するなら表現が主で引用が従だからである。
引用ばかりして表現をしない人間が一般的に評価が低いのもこのためだと思われる。

つぎに今回の引用問題を総括したい。
先ほど久しぶりに(3日ぶりかな)いしたにまさき氏の「みたいもん!」を訪問した。
この引用問題については一切言及されていなかった。
わたしはいしたにまさき氏に問うた。「無断引用は正当な権利か」
この質問はいまだに返答をいただけていない。
再度コメント欄から問いを発しようと思ったが、そこまで執着するほどの人物ではあるまい。
笑えるのは「みたいもん!」によると、
ここ数日でいしたにまさき氏はブログセミナーの講師をしたようである。
あの程度の文章しか書けない人間が、他人にものを教えているのである。
いや、文章講座ではない。ブログ講座であった。
専門家・いしたにまさき氏からしたらブログにおいて文章は問題ではないのかもしれない。
いかに引用するか。いかに広告を掲載するか。
いしたにまさき氏にとっては、ブログなどこんなものなのであろう。
最後にもう一度だけ、いしたにまさき(石谷匡希)に問いたい。
「(無断)引用は正当な権利だといまでも思いますか?」

karatedou氏の「死んだ目でダブルピース」にも言及しなければなるまい。
いま更新を見てきたが、いいひとなんだなと思う。
このブログを批判したとき、あるひとから忠告されたものである。
「いつ刺されても知らないぞ(笑)」と。
バカにバカと指摘するのはやばい。
バカがバカゆえに気がつかなかった自分の正体(=バカ)を
第三者から知らされたときほど恐ろしいものはない。

>> 刺される覚悟があってやってるなら、及ばずながら支持します。

> いちおう、いつ刺されてもいい、
> 殺してもらえれば幸いと思いながら生きています、書いています。


いまでもこの気持にかわりはない。
だが、どうやら運のいいことにkaratedou氏から刺されることはないようである。
やはり感謝しておくほうがいいだろう。karatedouさん、ありがとう。
それにしても言葉は危険なものだという認識が、
いしたにまさき氏にもkaratedou氏にも足らないようである。
いまはやるつもりはまったくないが(犯罪予告の否定)、かのカリスマブロガーは
セミナーかなにかでわたしに殴られる危険性を考えないのだろうか。
言葉の扱いについてここまで軽率な人間が、
どうしてカリスマブロガーやらライターでいられるのかふしぎで仕様がない。

(参考1)著作権法第32条

(1)公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。

(2)国又は地方公共団体の機関が一般に周知させることを目的として作成し、その著作の名義の下に公表する広報資料、調査統計資料、報告書その他これらに類する著作物は、説明の材料として新聞紙、雑誌その他の刊行物に転載することができる。ただし、これを禁止する旨の表示がある場合は、この限りでない。


(注)「公表された著作物は、引用して利用することができる」とは、
「引用の自由」を示唆するだけで決して「引用の権利」をうたうものではない。
そもそも著作権法は、著作者の権利を守るための法律である。


(参考2)著作権法第1条

この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。


(注)著作権法のなかで「引用」について明記されているのは
(参考1)に挙げた第32条のみ。
とすると、どこにも「引用する権利」など記載されていないことになるのだが。
認められているのは「公正な慣行に合致する」「正当な範囲内」の
「引用の自由」ではないかと思われる。

COMMENT

desoeuvre URL @
02/23 23:04
書き手の倫理. 権利がどうのこうのといった法律論の問題ではない。合法だから構わないとかそういう問題ではないと思う。

引用するならするで、他者のことばを自分のことばの中に取り込んで、言及する場合に要求される覚悟の問題、書き手の倫理の問題だと思う。

たとえブログという形態で発表する文章であっても、パブリックな場にさらすのであれば、それが表現である限り、当然相応の厳しさ、緊張感、そして怖さを伴うものである、ということでしょうか。

私はyonda氏の覚悟を断固支持したい(でも書くということについての次元がそもそも異なるから、「無断引用者」には結局伝わらないような気もする)。
みぃ URL @
02/23 23:34
ファンとしては・・・. 私は難しい事は書けません・・・。

コメント欄のボヤ騒ぎを見ながら・・・早くYonda?氏が気持ちよく読書に浸れる時間が来るようにと祈っていました。

読書離れをしていた私がまた本と向き合うきっかけをこのブログが与えてくれました。
ありがとうございます。

先日、NHKで宮本輝さんが出演されていて興味を持ち『宮本輝』で検索し、こちらへ辿り着きました。
それ以来、ずっと読ませて頂いています。
そしていろんな記事を読み、読んでみたい本が増えました。
また本の山ほどはありませんが、読もうと買って置いた本を積み上げ、少しずつ制覇して行きたいと思っています。

更新楽しみに致しております。

karatedou URL @
02/24 01:27
. 「いいひと」と言われたのは初めてなのでお礼を言っときます。どうもありがとう。
ついでに、「刺さなかったこと」を感謝されたのも初めてでした。思わず笑ってしまった。

それにしても、言葉のやりとりをすればするほど、住んでる世界が違うと感じるばかりで、やっぱり共感はできませんでした。

>バカにバカと指摘するのはやばい。
>バカがバカゆえに気がつかなかった自分の正体(=バカ)を
>第三者から知らされたときほど恐ろしいものはない。

↑芝居がかってるなあ。テンポの良い文章を書くために、人を踏み台にしないでほしいよ(苦笑)。
それはそれとして、べつに、それほど恐ろしいことでもないんじゃないの?
俺の場合は「なるほどね、この人から見ると、俺はバカに見えるんだ」と感じただけでした。
だからといって腹が立つわけでもなく、何が変わるというわけでもない。

Yonda?さんは言葉の力を過信しすぎなんじゃないかなあ、と俺なんかは思っちゃうけど。

というか、どっちが正しいとかじゃなくて、住んでる世界が違いすぎるんだね。
(desoeuvreさんの言葉だと「書くということについての次元」ってことですね)

それでは。
もうお邪魔はしません、たぶん。
ただ、立派なブログなんで、これを機会に読ませてもらいますけど悪しからず。
ekken URL @
02/24 14:05
. 「引用する権利などは存在しないと述べているのである」と書かれていますが、それは著作権法のいったいどこに記述されているのでしょうか?
「引用する権利がある」と書かれていないのと同様に、「「引用する権利などは存在しない」とはどこにも書かれていません。
通りすがり魔 URL @
02/24 16:12
自由と権利. 自由があるということは、その自由を主張するための権利があるということなんですよ。

分かり易い例を挙げるならば、憲法第21条第1項に、

「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」

とありますが、ここにおいては「権利」なんて言葉はどこにも書いてありません。しかし、この条項は自由に表現できる権利を規定したものであることに異論はありません。

法律に「○○権」として書かれてなくても、「○○することができる」と書いてあれば、その「○○」を主張するための権利があるということです。
もっとも「○○権」と「○○することができる」のうちの「○○」の部分は文言的に完全に一致する必要はありませんが。

今回は「思いて学ばざればすなわちあやうし」を教訓として学んで頂ければと思います。








 

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