道徳教育から浸食する疑似科学



asahi.com 2008年2月22日
道徳テキストに「特定宗教広める内容」 茨城県高教組

 茨城県の県立高校の道徳で使われているテキストに、特定の宗教を広めようとする内容が含まれているとして、県高校教職員組合は21日、県教育委員会に削除するよう是正措置を求めた。「宗教教育を禁じた憲法に違反する」と主張している。これに対し県教委は「テキストには特定宗教の記述はない」などとし、「問題ない」としている。
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 県高教組が問題視しているのは、村上和雄・筑波大名誉教授(遺伝子工学)の著書「生命のバカ力」(講談社)から引用した部分。文中の「サムシング・グレート」(何か偉大なもの)という言葉が、村上氏の別の著書では、天理教の「親神様」などをさし「教祖の教えを知らない人にも(親神様の働きを)伝えたいと思っている。だから私は、最近の本では『サムシング・グレート』という言葉を使っています」とある。
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とりあえず教科としての「道徳」の是非についてはここでは問題にしない。そのうえで、仮に特定の宗教の信徒が書いた文章であっても、その特定教団の名前が伏せられており、かつ内容的にも相当程度一般的な宗教的発想を表現したものであって特定教団の特異な教義に関わるものではなく、かつ教材全体として(あるいは授業実践の指針として)そうした宗教的発想への批判的な視点ももちうるよう留意されているのであれば、高校生向けの教科書にそうした文章が掲載されてもかまわないのではないだろうか…とは思う。むしろメディアの中には各種の宗教的な言説が流通しているのだから(最近だと「スピリチュアル」とかなんとかいった装いで)、免疫をつける意味でも公教育の場でそうした文章に触れる機会があった方がよいということだってできる(ただし、日本の高校で教材への批判的な視点をもあわせて教えるようなとりくみがシステマティックに――つまりは教員個人の努力によらずに――なされ得るかどうかという点で疑問を抱かざるを得ないのだが)。どちらかと言えば、この記事が「特定の宗教を広めようとする内容が含まれている」という観点からのみ問題の教材をとりあげていることの方に疑問をもつ。というのも、その文章の著者が村上和雄センセだからである。
産經新聞がまたしてもやってくれました!
上のエントリでもとりあげたように、村上氏の進化についての主張は素人にもわかる誤謬を含んでおり、「サムシング・グレート」も標準的な自然科学の世界観には反するものであって、個人としての研究者が主張する分にはともかく、たとえ道徳のテキストではあっても高校生向けの教材に用いるには適切ではない(「水伝」をたとえ「おはなし」としてであれ道徳教材としてとりあげるのが不適切なのと同じように)。こうした観点がこの記事にはまったく欠落しているのが気になって茨城県高教組のウェッブサイトをみてみると、機関誌『茨木の教育』のPDF版が閲覧できるようになっており、その970号(現時点での最新号)がまさにこの教材をとりあげている(リンク先はPDF)。

 「遺伝子には、たった4 つの分子の文字〔ATGC〕の組み合わせであらわされる30 億もの膨大な情報が書かれています。……この情報によって私たちは生かされている」のであり、「地球上に存在するあらゆる生き物……すべてが同じ遺伝子暗号によって生かされている」という。遺伝情報伝達物質のDNA(デオキシリボ核酸)があらゆる生物に共通するのは、生物が共通の祖先から発してさまざまの生物へと進化してきたことを示す自然科学上の事実である。
 ところが村上和雄は、突然、それは「奇跡的」だと言い出す。村上は「奇跡」の語を比喩的に用いているのではない。「こうした奇跡的な現実を前にしたら、どうしてもサムシング・グレートのような存在を想定しないわけにはいかなくなります」。文字通り自然とその法則を超えた、超-自然的な働きによってDNA がつくられたのだと言うのである。
     「サムシング・グレートとは、具体的なかたちを提示して、断言できるような存在ではありません。
     大自然の偉大な力とも言えますが、ある人は神と言い、ある人は仏と言うかもしれません。どのよ
     うに思われても、それは自由です」(『生命のバカ力』、p.227)
生物の進化という自然科学的事実が、村上にあっては超自然的存在としての神による生命の創造という宗教的主張の根拠になる。
 ところが、「生徒用テキスト」では上の引用のうち傍線部分は明示なしに省略されている。宗教的概念である「神」「仏」が隠され、「サムシング・グレート」があたかも自然科学的な事実であるかのようにして提示されている。あきらかに読むものをあざむく意図をもってなされた改竄である。
(原文のルビを省略)

このように「サムシング・グレート」が標準的な自然科学を逸脱する主張であること、にもかかわらず教材ではその点が隠蔽されていることがきちんと批判されている。茨城県高教組がマスコミへのアピールに際して単純化したのか記者のまとめ方に問題があったのかはわからないが、問題点を十分に伝えた記事とは言いがたい。

Posted: 土 - 2 月 23, 2008 at 01:31 午後          

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