通好みの作家として今も根強い人気がある笠岡市出身の詩人、小説家の木山捷平。今年は没後四十年に当たる。
二十九歳で親友の太宰治らと同人誌「海豹」を創刊するが、不遇の時代が長かった。大陸での体験を題材にした「耳学問」でようやく認められたのが五十二歳の時。庶民の哀歓と反骨、そこはかとないユーモアを宿した文学世界は、独特の味わいと奥深さを秘める。
岡山市の吉備路文学館で「木山捷平展」が開催中だ。肉筆原稿や初版本、愛用の机や万年筆、写真などが並び、その生涯が多面的に浮かび上がる。興味を引くのは、文壇での幅広い交流ぶりを伝える書簡類だ。太宰からは父の葬儀に弔辞も送られ、きずなの深さがうかがえる。
高村光太郎、坪田譲治、藤原審爾、檀一雄らとも交友があった。特に親交を深めたのは、文壇の先輩だった福山市出身の井伏鱒二だ。互いに訪ねては将棋や飲食を楽しみ、捷平は師とも兄とも仰いだ。
「根底は感傷家でありながら、感傷はユーモアで消してゐる。ぎらぎらする大げさな言葉は、素朴な風化した言葉にしなくては気恥かしい。そういう人がらであった」。捷平の追悼録に井伏はこう寄せた。
笠岡・古城山公園に建立された捷平詩碑の発起人代表も井伏だった。二人の親密なつながりに思いをはせながら、それぞれの作品を読み返してみるのも面白い。