昨晩遅く、
檀家さんのバアチャンが亡くなったとの知らせ。
家族の人からのケイタイでの一報だった為、詳細が分からないまま、僕は「坊さんスタイル」に着替えて待機。 「また連絡します」って事だったのになかなか連絡が来ないので、「もしかして皆さん待っているのかも??」と勝手に判断し、深夜ご自宅へ向かう。
そしたら、ちょうど葬儀屋さんが「ご遺体」を病院から自宅へ運んでいた場面だった。みんなで担架に乗せられたバアチャンを玄関から運び入れていた。そして、傍らには、呆然とそのバアチャンが運ばれるのを突っ立ったまま見つめているジイチャンがいた。
枕経のセッティングが完了するまで、僕は、部屋のスミッコで待たせてもらう。
バアチャンは夕方まで特に変わったこともなく元気にしていたのに、夜になって風呂場で急変して亡くなったとのこと。最初の電話は運ばれた病院からだったらしい。
外は吹雪いていたけど、その家の中には、あまりにも突然にバアチャンが亡くなったという受け入れがたい現実があった。
毎月お邪魔していた「二人暮らし」の茶の間が慌ただしく片付けられて、仏壇のある和室に、葬儀屋さんが手際よく、準備をしていく。僕は、セッティングができるまで、家族や親戚、集まってくるご近所さんの色んな表情・言葉・動き、などが目の前で繰り広げられるのを見ていた。色んな親族や近所の人が集まっていたため、長年の色んな場数・経験を踏んだ人たちが、「神棚は紙で隠さなきゃ」とか、「ふとんの上にかける着物はサカサマよ」とか、色んな「アドバイス」をしていた。死という受け入れがたい現実は、人情として、心情として、色んな習慣を生み出してきたのだなぁ・・・と実感として思った。
ようやく枕経の為のセッティングが整い、僕は、バアチャンの前に促された。枕経をあげながら、僕は昔、どこかで聞いた話を思いだしていた。それは、
【人の死に際して、家族は「いのち」を見守る。医者は「病」を見守る。で、坊さんは、最後の最後になってやっと登場する。】
・・・・つまり、「仏教は生きているうちの教えなんていいながら、実は、死んでからやっと登場してるなんて、坊さんの怠慢ではないか!」っていう「批判」である。
ほんと、そうだなぁ、、と思った。
「坊さん」としての僕がいつも枕経にご自宅に行く時点で、すべての段取りが整ってから「登場」していた、という事に改めて気づかされた。
突然に訪れる深い悲しみ、大切な人と別れていかなければならない現実を踏まえて、そしてそこから、遺された人が、何を感じ、何を見つけるのか、何に気づいていくのか?
そして、
そこから始まっていく「場面」で、「登場の遅い坊さんの私」は、どう振る舞い、どんな「言葉」を発するのか?
昨日、枕経を部屋のスミッコで待ちながら、実は、スポットライトは「自分」に当たっていた。
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