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 1908年…ロシア外相イズヴォルスキーは、日露戦争での敗北を埋め合わせるべく、オーストリア外相エーレンタールに、ある取引をもちかけました。


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 オーストリア帝国が、ボスニアを完全に併合することを支持します。


 そのかわりに…黒海の海峡問題では、我がロシアを支持し、これを妨害する行動はとらないで下さい。


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 あらためて、地図で状況を確認しておきましょう。

ボスニアという場所が、どういった場所にあるのか?



スラヴ語圏  非スラヴ語圏  イスラム圏


 見てのとおり、ボスニアはダルマチアの後背地ですね。
ダルマチアには、アドリア海に出るための良港があります。
しかも住民は同じ南スラヴ人なので、ボスニアで過激なスラヴ民族主義が巻きおこることは、ダルマチアが危険に晒されることを意味します。


 ゆえにボスニアの政情を安定させることは、オーストリア帝国にとって死活問題と言ってもいいことでした。
だからこそロシア帝国も、ボスニアの併合を認めることは、外交の取引材料になると考えたのです。



 しかしオーストリア外相エーレンタールは、最初は「今はその時期ではない」と、ロシア側の提案を拒絶しました。


 ボスニア地方はもう実質はオーストリア領も同じであり、形式を実態にあわせることに、どれだけのメリットがあるのでしょうか。
冷静に考えるなら、デメリットばかりです。


 まずボスニア地方を併合するなら、少なくともこの地を『民族の悲願』『海への出口』と渇望するセルビア王国との関係が、致命的に悪化します。
セルビア人をはじめとする南スラヴ人はオーストリア帝国内にも多く住んでおり、彼らの反感を買えば、これは単なる外交問題だけではカタがつきません。


 もちろん法的にはオスマン帝国の領土ですので、当然ながらオスマン帝国も激しく反発するでしょう。
また国内のスラヴ人の人口を増やすことは、オーストリア帝国内のハンガリー政府も反対でした。


 しかしオーストリア外相エーレンタールは、断った直後に考えを変えて、取引を受諾しました。





1908年9月15,16日  ブフラウ会談




 このブフラウ会談では、「ボスニア併合はいつ実施されるのか」についての話はなかったようです。
そしてこれが、後の紛糾の種になりました。


 ロシア外相イズヴォルスキーは、ブフラウ会談の後すぐに、利害の調整をするために各国の外相を訪問します。
イズヴォルスキーは、まだまだ時間的な余裕があり、国際会議にかけて…と考えていました。


 しかしパリに到着したイズヴォルスキーは驚愕しました。
オーストリア外相エーレンタールから「3日後に併合を宣言する」という書簡を受け取ったからです。
そしてこの通知は他国にも届いており…事態はもう、ロシア艦隊の黒海の海峡問題について話し合う空気ではなくなっていました。
フランスとイギリスへの根回しがすんでいないのにコレでは、もう海峡問題について交渉するのは絶望的です。

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↓イギリス
 ボスニアは、法的にはオスマン帝国の領土ですわよ?
しかもあそこはセルビア王国にとっても「悲願の地」であり、そこをオーストリア帝国が一方的に併合?
下手したらバルカン半島で戦争が勃発しますわ!


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 イギリス政府は、突如おこったボスニア併合で頭が一杯でした。
イギリスはオスマン帝国と友好国であり、オスマン帝国がボスニア併合に抵抗した場合、オスマン帝国とオーストリア帝国との間に戦争が勃発しかねないからです。


 慌しくイギリスを訪問したイズヴォルスキーは、イギリス政府の空気を読んで、海峡問題で国際会議を開くよう要望することは諦めました。
かわりに「オスマン帝国の国益は損ねないようにするから」と海峡問題での個別の支持を要請しますが…やはりというか、イギリス外相グレイはロシア側に何らの言質も与えません。


 オーストリア外相エーレンタールが、ロシア外相イズヴォルスキーの意向を無視して電撃的にボスニア併合を宣言した時点で、もう全ての勝負はついていたのです。


 そして当然ながら…ロシア側の都合というものを完全にシカトしたこの抜け駆け行為により、ロシア外相イズヴォルスキーの、オーストリア外相エーレンタールに対する不信感は、一気にMAXぶっちぎりに上昇したのです。


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 オーストリアァァッ !!!!!!!

お前の抜け駆け…いや、騙まし討ちのせいで、全てが台無しよぉっ!!!!!!!

よくも外相どうしの信義を踏みにじったわね!
もうボスニアの併合には賛成してあげないわ!







第一次世界大戦への道

―― ハプスブルグ帝国の滅亡 ――


第5話 "ボスニア危機(後編)"

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       ↑オーストリア

「 ロシア帝国と完全に仲違いしちゃった…」

        「 あとセルビア王国ともね 」





 ちょっと質問していいですか。

 はい。

 なんでオーストリア帝国は、ボスニア併合を決めたんですか?
それも大急ぎの超特急で。
併合してもデメリットばかりですよね。

 いい質問ですね…それはオスマン帝国の政治状況が大きく変わったからです。



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↓オスマン帝国
 吾輩はオスマン・トルコ帝国であーる。


 最近、「異教徒への待遇を改善しろ」 と内政干渉してくる欧米がウザイのであーる。


 しかもロシアのバカ熊は、「バルカンの正教徒をイスラムの支配から開放しろ」
などと、できるわけもない難題をふっかけてくるのであーる。


 しかし無視するわけにもいかないのであーる。
政治は難しいのであーる。


 …というわけで、憲法を作ったのであーる。
憲法には、

「すべての臣民は宗教にかかわらず平等」
「すべての臣民は、代表たる議員を民主的に選ぶことができる」


…とされており、これにて民族問題は解決したのであーる。
明治憲法よりも早いアジアで最初の憲法、それも極めて民主的な憲法なのであーる。

※ トルコをアジアとするか否かは意見が分かれている。ちなみに当事者はヨーロッパ圏だと主張している。

 憲法なんか作っても、納得できないクマ!
さっさとバルカン半島の正教徒を、イスラムの支配から開放しろクマ!

 うるせーバカ熊、この問題は憲法をつくることで解決したのであーる。

 ムッカー!




  → 1878年、露土戦争




 コレは国家の非常事態なのであーる。
今のオスマン帝国に必要なのは、危機を乗り越えるための強いリーダーシップなのであーる。
君主の権力を制限する民主的な憲法などは必要ないのであーる。


 よって憲法は凍結するのであーる。
作ったばかりで凍結するのはアレだけど、国家のピンチを乗り切るには仕方ないのであーる。


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そして月日は流れた…

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 民族自決! 民族自決!





 トルコ朝廷は必死で内政改革をすすめ、それには目覚しい効果がありました。
しかしそれでも、民族自決を求める帝国内の声は、大きくなる一方でした。


 なぜなら…バルカン半島にはブルガリア人やセルビア人といった非イスラムの民族が多数おり、彼らは自分たちの領土を広げるため、オスマン帝国内の " 同胞 " に対して、積極的なプロパガンダを行っていたからです。


 そして蜂起した人々に対し、オスマン政府は相変わらずの過酷な報復…
この悪循環によって、バルカン半島の南西部は無秩序と化しつつありました。

※ 具体的にいうと、マケドニアである。


 この騒乱を、「秩序の崩壊」と見なした列強が干渉してきました。


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 オスマン帝国はナニをしているんですか!
こんなことではもう、いっそその地域を独立させることにしますわよ!
そこまでしなくとも、少なくとも行政の大幅な改革を要求いたします!

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 オスマン帝国の若きエリートたちは悩みました。

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 このままでは、わがオスマン帝国は内乱と欧米の干渉によって衰退し、列強に分割されて滅亡するだろう。


 この多民族国家を1つにまとめ、危機を乗り切るにはどうしたらいいんだ?


 そうだ、凍結していた憲法を復活させよう!
憲法を復活させて、イスラム教徒だろうとキリスト教徒だろうと、おなじトルコ国民としての意識を受け付けるんだ!


 この国を民主化して、自分たちは国を支える国民なんだと意識させるんだ!
この国を民主化して、武力蜂起などしなくても、自分たちの要求を通せる国にするんだ!


 もしもトルコ朝廷が僕たちの考えを理解してくれないなら…武力を用いてでもっ!




1908年7月、青年トルコ革命が勃発

1908年7月23日 憲法の凍結を解除





 あれ? 1908年の7月23日 ??

 はい、これはロシア外相が取引を持ちかけて一度は断られた、その直後ですね。



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↓イギリス
 素晴らしい、素晴らしいですわトルコさん♪
立憲政治の母である我がイギリスは、ずっと専制政治だったオスマン帝国が立憲政治の国に生まれ変わったこと、心から祝福しますわ♪

↓オーストリア
 ………。

 オーストリアさんも、そうは思いませんか?

 ん? ああ、そうだな……


 ………。

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 しかしオーストリア帝国…とくに外相エーレンタールにとって、これは一大事でした。

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 法的には、ボスニアはオスマン・トルコ帝国の領土だ。
つまり憲法が復活すれば、それはボスニアの住民にも適用されることになる。


 トルコ憲法では、「すべての諸民族は平等」とされている。
しかしわが国は、ドイツ人とハンガリー人が他の諸民族を支配する「二重帝国」だ。


 我が二重帝国の支配する地域の中に、「すべての民族が平等」な地域など存在してはならない!
これは二重帝国の支配体制を根本から揺るがすことになる!



 しかもトルコ憲法では、地域の住民から議員が選挙で選出されることになっている。
ボスニアからは、急進的なセルビア人の議員が選ばれる可能性がある。


 またトルコ憲法で定められている県議会でも、やはりセルビア人が中心になるだろう。
この地域でセルビア人の発言権が増すことは、そのまま「大セルビア帝国」への布石になりかねない。


 こうなったらもう、ボスニアは併合するしかない!


 オスマン帝国は青年トルコ革命が終わったばかりで、まだ混乱の中にある。
この期を逃せば、オスマン帝国も簡単にはボスニア併合に応じなくなるだろう。


 ボスニアを併合するなら、今すぐに!



 オーストリア帝国、共通蔵相ブリアーン

「正当な要求で合意するにもかかわらず、我々は毎日外国勢力の反感を味あわねばならない。我々はボスニア・ヘルツェゴヴィナを以下の方法で管理しなければならない。すなわち、かの地において我々の勢力以外の別の勢力が影響を行使してはならないのである。



 おい、そういえば少し前に…ロシアの外相から打診が来てたよな?
たしか「ボスニアの併合を支持するかわりに、海峡問題ではロシアを支持してほしい」という内容だったような…

 … はい、でも断りましたよね …

 承諾するから、もう一度話し合いたいと伝えろ。


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 …という次第です。

 でも、ボスニアを併合ってことは…領土を完全に奪われるオスマン帝国の立場は??
オーストリア帝国は、どう解決したんだお?

 蜂蜜漬けの砂糖菓子のように、甘すぎな認識でした。


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 そもそもこういう場合は、事前に何かしらの交渉があるのが外交の常識なのであーる。
いきなり『併合が決定しますた☆』と口上書を突きつけられても、そんな無礼な要求は受け入れられないのであーる。

 貴国の外相は、「うちの宰相がキレてるけど、あくまでも国民向けの建前だからw」と言っていたが。

 いや、そういう問題じゃないのであーる。

 勿論きちんと代償は考えてある。

ノヴィ・パザールからの撤兵で、オスマン帝国も納得するだろう。

 他には?

 

 だから、他にはどんな譲歩をする気なのか、質問しているのであーる。
補償金とか私に有利な関税協定とかエトセトラ…

 ぷっw…いや、失礼。


 私が渡した併合の宣言書は読んでないのかね?
「金銭補償」とか「交渉」とかいった単語は、一語たりとも入っていないはずだが?


 というわけで、話し合い(?)は終了だ。
これで納得してくれるね?

 するわけねーだろ。


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 第2話でも書きましたが … ボスニアはオーストリア帝国による行政支配、その南にあるノヴィ・パザールには、オーストリア軍が駐屯していました。



 オーストリア外相エーレンタールは、ノヴィ・パザールから撤兵することで、ボスニアの併合をオスマン帝国から承認してもらえると考えていましたが…
やはりというか、オスマン帝国は反発します。

 お金で解決する、というのはどうでしょうか?
要するにボスニアを買うわけですよ。

 「オスマン帝国にはビタ一文払わねえんだよバーカ!交渉もしねーんだよ、バーカ!」とのことです。

 ……えーと、あくまでも交渉を有利にするためのハッタリですよね??
最初からお金を出すとか言ったら、足元みられて吹っかけられるでしょうし。

 いえ、本気で補償も交渉も必要ないと考えていたようですね。
まぁトルコ側は革命後で混乱しており、対応が玉虫色にならざるをえないのもありました。
猛然と抗議してこない政府高官もいたので、空気を読み損ねたようです。




 1908年10月9日、パヴァラチーニ(イスタンブール駐在オーストリア・ハンガリー大使)の本国宛ての電文

「ボスニア併合問題は、……この際トルコを考慮にいれるかぎり、解決済みと見なすべきだ。」

※日付に注意されたし、つまりこれは併合直後のものである



 なんか混沌としてきたお。

 こんな程度で混沌とか言っていたら、この先ついてこれませんよ?


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 国際社会が、ボスニアの併合を易々とは支持してくれないかもしれない。
だが賢い私は、きちんと事前に手を打ってあるのだよ。


 ブルガリア公国君!

↓ブルガリア
 なぁに?



 今の君は、あくまでも自治領ブルガリア公国…つまりはオスマン帝国の自治区にすぎない。
しかし今のオスマン帝国は革命の混乱が収拾していない。

 私はこの10月の初旬に、ボスニア併合を実施するつもりだ。
いい機会だから、ブルガリア君もこの機会を逃さず、独立を宣言してはどうかね?


 「公国は列強の支持が得られないような冒険的政策を追求すべきではない。しかし、ブルガリアは自らの正当な望みをかなえるのに好都合な機会を無視するべきではないし、バルカンにおけるその軍事的優越を利用すべきである。

―― オーストリア外相エーレンタール(1908年9月23,24日に行われた、ブルガリア公フェルディナントとの会談での発言)


 するする!独立するするっ!
そうだよね、せっかく一目おかれる軍事力もあるんだもんっ!

※ブルガリア公国の軍事力は、東ルメリア統一時からおよそ5倍に増強されていた。


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 エーレンタールは、事態をややこしくする天才でつか?!

 バルカン情勢がトラブルだらけなのは、しばしば『他民族の混ざり合う地だから』『他民族が争ってきた歴史の怨念があるから』だのと、さもそれが不可避の宿命であるかのように言われますが…
トラブルの責任の半分以上は、政治家ども(周辺国も含む)の軽率さ・無責任さにあると私は思っています。

 ひとつ聞いてもいいですか?

 なんでしょうか。

 ベルリン体制の存在価値って、いったい?
ベルリン体制は、そもそもオーストリア帝国といった欧米列強が、バルカンをめぐる争いを避けるために作った"枠組み"ですよね?
それを完全にシカトしちゃうんですか?

 オーストリア帝国の都合により、この時点で崩壊したと考えるべきでしょう。
外相エーレンタールが、参謀であるコンラートに対して話した内容を紹介しますね。
ベルリン体制やオスマン帝国に対する価値観がよく現れています。




 オーストリア外相エーレンタール

「なぜなら我々の権限(筆者注:国際社会の承認を通さない、ボスニアの併合のこと)はベルリン条約にのみならず、歴史的連続性や軍の征服にももとづいているからだ。」



 この発言は、台湾侵攻を正当化する中国共産党の幹部のものではありませんよ、念のため。

 国家が自国の国益を追求するのは当然だお!

 その結果、仁義無きバトルロワイヤルにエスカレートしたら、結局は自分にとっても大きなマイナスだとは考えないんでしょうか。
国益の追求は結構ですが、自分が今立っている地面を崩すような真似は、少なくとも現状で勝ち組にいる国がやることではないですね。


 そもそもオーストリア帝国がボスニアにこだわるのは、「ダルマチアの後背地を安定させたい」「過激な大セルビア主義を封じ込めたい」という、言うならばバルカンの安定を目的としてのことです。


 「バルカンを安定させるために、バルカンに紛争の火種を撒き散らす」


 こうですか? 分かりません!(><。


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 ………


 ふっふっふっふ……
ブルガリアが同時期に独立すれば、仮に国際社会がボスニア併合を批判するにしても、批判の対象が分散される
欧米列強が、バルカン情勢をややこしくするようなブルガリアの独立を、おとなしく承認するわけがないからな。


 またボスニアを併合したら、おそらくはセルビアを初めとするバルカン諸国が抗議するかもしれない。
しかしバルカンで無視できない軍事力を持つブルガリアを味方につけておけば、バルカン半島での我が国の発言権も増すというものだ。


 隣接する敵国(セルビア)と対立し、遠くの国(ブルガリア)と協力する…これは外交の基本なのだよ。


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 参考までに…外相エーレンタールのこの手法は、ボスアニ併合を支持した同盟国であった、ドイツ帝国の外交官からも批判されています。



 マルシャル (元ドイツ帝国外相、当時はイスタンブール大使)

「ボスニア・ヘルツェゴヴィナ併合が大セルビア主義の活動に対抗する手段であるとエーレンタールが思ったならば、彼は間違っている。そのような措置は、あらゆる州においてセルビア人やムスリム人の激しい活動を誘発するであろう。ブルガリアとセルビアを対抗させるという考えもまた私には極めて危険であると思われる。というのは、後者を屈服させるために前者にへつらうということになるからである。こうした政策によってオーストリア・ハンガリーはロシアと激しい対立関係に陥った。 ……最近のウィーンの政策は、既に非常に悪い結果をもたらした。オーストリア・ハンガリーに対する不信感は今日、当地 (イスタンブール―筆者注) では以前よりも強い。」



 このブルガリアの独立には、ブルガリアの友好国であったロシア帝国でさえ、難色を示しています。
そもそもベルリン体制はロシアの南下政策への封じ込めも意図したものでしたが…
逆にロシアの方が、この地域の安定を重要視していました。



 さて…ここまでの経過です。



1904年〜1905年  日露戦争 → ポーツマス条約

1907年  英露協商…ロシアとイギリスは友好国となる

1908年6月10日  レヴァル会談…英露協商がより強固となり、黒海の海峡問題で好意的な取り扱いを示唆

     7月2日  イズヴォルスキー、エーレンタールに「ボスニアの併合を容認するかわりに…」と、取引を打診

※ この時点では、「時期尚早である」と返答している

     7月28日  青年トルコ革命により、凍結されていた憲法が復活

     8月27日  エーレンタール、ロシア側の提案に応じる旨を伝える

     9月23、24日  エーレンタール、ブルガリア公と会談…ブルガリアに独立を勧める

     9月15、16日  ブフラウ会談

     10月5日  ブルガリア公国、オスマン帝国からの独立を宣言

     10月7日  ボスニア併合を宣言 ( オスマン帝国には、この時初めて併合が通知された)



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↓イギリス
 やれやれ…困った事態になってきましたわね。
ベルリン体制の変更だけでなく、ブルガリアの独立ですか。

 まったくオーストリア帝国って、とんでもないクソ国家ですわ。
このままでは、ボスニア併合に反対するオスマン帝国か、あるいは強国ブルガリアの台頭に危機を抱く他のバルカン諸国が騒ぎ出すでしょう。


 ボスニアを奪われる以上、オスマン帝国には何らかの"補償"を与える必要があります。
そして他のバルカン諸国に対しても、何らかの領土の補償を与えないと収拾がつかないでしょう。
セルビア王国なんかは特に、カンカンじゃないでしょうか。


 やっぱり国際会議を開いて話し合うべきだと思いませんかぁ〜〜〜?

 そうですわね。

 …これ、私が作った国際会議のプログラム案です。

 さすがは大国ロシアの外相、仕事が早いですわね。



※このロシア外相が提出した国際会議のプログラム案には、黒海の海峡問題についてはもちろん含まれていない


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 …というわけで、これはロシアが提案してきた国際会議のプログラム案です。

↓オスマン
 ……

 私は前に、ベルリン体制の変更をするならどういう内容が望ましいのか、将来に慌てなくてもいいようにシミュレーションを練っておいて欲しいと言いましたわよね?
今がまさにその時ですわ。

 この問題は国際会議で話し合おうと思っています。
ボスニアの併合問題とブルガリアの独立問題について、まずはあなたの見解を聞かせて下さい。

 ボスニアは法的にはわが国の領土であると、ベルリン会議で決められたのであーる。
オーストリア帝国の宣言などは単なる寝言であり、なんらの法的根拠も無いのであーる。


 つまり、ボスニアをめぐる領土問題などは存在しないのであーる。
存在しない問題について国際会議で話し合う必要など無いのであーる。

 ……

 つぎにブルガリア問題。


 ブルガリアの君主が「ツァー(皇帝)」を名乗ることは断じて認められないのであーる。
我が領土であるマケドニアには多くのブルガリア系の臣民がおり、必ずそこの臣民に対しても「ブルガリア人のツァー」として支配権を主張してくるからであーる。


 「オスマン帝国はブルガリア人のツァー(皇帝)の照合に反対する。このツァーの称号はブルガリアの支配者に対して、マケドニア人に対する権威を最終的に主張するような肩書きを、必然的に与えることになる。」


 「……会議がブルガリア独立を承認するつもりである間は、東ルメリアに対する主権をフェルディナント公(ブルガリア君主)に与えるいかなる議定書にも調印できない。」


 「……もし必要とあらば軍事行動に訴えざるを得ない。もし東ルメリアがブルガリアとオスマン帝国との間のある種の緩衝地帯でなくなれば、大災禍を招くであろうマケドニアへの野望をブルガリアは必ず抱くであろう。」


※ 当時の東ルーメリア州は、ブルアリアの完全な自治領ではなく、ブルガリア君主が総督を兼ねている「オスマン帝国領」である。

※ そしてこのオスマン政府が抱いていた危機感は、後に現実のものとなる。



 …要約すると、

「ブルガリアを独立してパワーアップさせたら、次はマケドニアを狙ってくるのが明らかだから反対」

…なのであーる。

 ……分かりました。



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 …という返答でしたわ。

 ふむ…

 ボスニア問題に対する返答と、ブルガリア問題に対する返答では大きく違いますわね。
ボスニア問題に対しては、オスマン帝国の言い分は単なる原則論のみであり、本気で取り返す気があるのか怪しいです。
つまりボスニアを失うことは覚悟しており、金銭補償を引き出すことを考えている、ということですわね…

 まぁ既に失っているも同じですからね。

 領土の奪還に固執せず、金銭補償でケリをつけるのは、私も賛成ですわ。
戦争という手段に訴えたら、より多くのものをオスマン帝国は失うでしょうから。


 しかしブルガリア問題については、認められない理由が極めて具体的であり、こちらは戦争する覚悟もあり、マジ本気でしょう。
しかもオスマン帝国は東ルーメリア州についても言及してきており、これは慎重に取り扱うべきです。
迂闊な対応をすれば、何十年も前に決着している問題を、再び巻き起こすことになるでしょう。

 むしろブルガリア問題の方が大事になるかもしれません。
あなたが提案してくれた国際会議のプログラム案ですが…

 はぁーい、もちろん修正させて頂きますわぁ☆

 早いお仕事、感謝します。

 こんなモノでどうでしょうか?




〜 国際会議で話し合うべき議題 〜


1.ブルガリア問題について

2.ボスニア・ヘルツェゴヴィナについて

3.ノヴィ・パザールの撤兵について

4.セルビア王国に対して与えられる、領土補償について

5.その他のバルカン諸国との国境問題について




 こんな会議には絶対に反対だ!

 ………

 「セルビア王国に対する領土補償について」だと?
どこの領土を切り取ってセルビアに与えるつもりかね?

 オスマン帝国の領土を切り取ることは、友好国であるイギリス君が反対だろう?
そしてロシアは「セルビアには何らかの領土補償を与えるべきだ」と、ブフラウ会談の時から一貫して主張している。

 つまりは、我がオーストリア帝国の領土を削るしかなくなる!
国際会議の目的はソレなんだろう?


 そんなつもりはないですわ、被害妄想の言いがかりですわっ!


 私の笑顔を見てください、そんなコトを考える顔じゃないでしょう?


 にこっ♪

 ……

 こんなコトを話し合う国際会議の開催になど、私は断固反対だ!

 ……


 ふざけんなクソがぁーっ!


 ブフラウ会談の時から一貫して、バルカン諸国には領土の補償が必要って言ってただろ!
テメーには人間の言葉を理解する脳みそが無いんかよ、ああー?!



 さっさと国際会議に出てきやがれ!
そして会議では、バルカン諸国への領土補償の問題を絶対に話しあわせるから、覚悟しやがれっ!


 そんな会議に誰が出るかーっ!

 オーストリアさん…セルビア王国への領土補償を国際会議の議題に入れたのは、さして深い意味があったわけではありませんわ。
あなたがそこまで過剰に反応するとは思わなかったのです。

 私がボスニア併合を決めたのは、スラヴ民族主義から領土を守るためだ。
それなのに領土を削ってスラヴ国家に与えたのでは、本末転倒だろう?

 あなたの言い分も理解しますわ。
私はまず、一同の首脳が会して話し合うことが肝心だと思っています。


 ですので…オーストリアさんがオスマン帝国に何らかの補償をしてもらえるのなら、ボスニア併合問題を国際会議で取り上げないよう、オスマン帝国には私から話をつけてもいいですわよ。
どちらかというと、本命はブルガリア問題の方ですし。


 この条件でなら、国際会議に出席してくれますか?

 絶っ!対っ!反っ!対っ!


 セルビアへの領土補償は、必ず国際会議で話し合うべきよ!
今のうちに領土縮小の覚悟を決めておくことねっ!



 そんな国際会議に誰が出るかーっ!

 もう疲れたよ、パトラッシュ…(´Д `;)

 ドイツさん、貴方からもオーストリアを説得してあげて下さいな。

↓ドイツ
 あら、私の出番?

 我がドイツはオーストリアの同盟国なんだから、原則として私はオーストリアを支持するわよ。
オーストリアが会議に参加しないのなら、私も参加しないわ。

 ……(こいつわ…)

 それに国際会議と言ってもねぇ…オーストリア外相エーレンタールに面子をつぶされたロシア外相イズヴォルスキーが、単に自分の名誉回復を果たしたいだけじゃないのかしら?

 …(事実を言うな、事実を!)

 さらにバルカン問題で国際会議を開いたら、必ずやセルビア・ギリシャ・モンテネグロといった他のバルカン諸国からの領土要求が山ほど沸いてくるわよ。
しかも最近じゃ、イタリアまでもがバルカン争奪戦に興味を持ち出しているし。
パンドラの箱を開けるだけじゃないのかしら?

 スラヴの連帯を唱え、正教徒の保護者を自称するロシアさんは、彼らバルカン諸国の領土要求を無視できないでしょう?

 そしてロシアが彼らに肩入れしたら…ロシアと露仏同盟を結んでいるフランスさんと、ロシアと英露協商を結んでいるイギリスさんは、ロシアの要求を無視できないでしょう?

 ……(このドイツ野郎、皇帝はバカのくせに外相は妙なところで頭が働きやがるっ!)

 それに私の情報筋だと…オスマン帝国はボスニア問題については会議など必要ないけど、ブルガリア問題については国際会議を要求しているそうじゃないの。

 ええ、そのようですわね。

 オスマン帝国は、国際会議にもちこめば自分に有利にブルガリア問題を解決できる、と思っているんじゃないかな。
だってブルガリアの友好国で、同じスラヴ民族、同じ正教徒であるロシア帝国でさえも、ブルガリアの独立宣言には否定的なんでしょう?

※当時のロシア帝国は、バルカン半島の安定を望んでいたことを思い出して頂きたい

 国際社会の圧力でブルガリアを従わせたい…
そんなオスマン帝国の都合のために、我々があわせる必要なんてあるのかしら?
私は国際会議にこだわる必要はないと思うんだけど。

 ではどうやって解決するんですか?
まさかオスマン帝国と、オーストリア帝国またはブルガリア公国との間で戦争させろと?

 国際会議だけが会議じゃないでしょ。

 要するに個別で交渉しろ、ということですか。

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 あくまでも結果論ですが、ロシア外相のこの対応は失敗でした。
「国際会議では、セルビアへの領土補償を話し合うべき!」というロシア外相の執拗な要求は、オーストリア帝国に会議の参加を断る口実を与えたのです。

 そして…会議の頓挫は、オーストリア帝国にオスマン帝国とで個別交渉をする時間を与えたのです。

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 オスマン・トルコ君…

 なにかね?

 ボスニア併合を宣言してからというもの、君の国ではオーストリア製品の輸送のボイコットや、不買運動が起こっているね?

 我が政府は関与しないのであーる。
オーストリア帝国の横暴に怒った臣民が、愛国心ゆえに自主的におこした行動なのであーる。

 だったら政府が命令して止めさせてくれないか。

 オーストリア製品の輸送のボイコットや不買運動を呼びかけているのは、こないだ革命をおこした連中なのであーる。
彼らは政府の言うことをおとなしく聞くような連中ではないのであーる。

 当初の私の予想をこえる経済上の損失が出ているのだよ!
私はさしたる反感もないだろうと思っていたんだが。

 むしろその思考回路の方が You は Shock! なのであーる。






 戦争して奪われるのなら納得もするが、平時にいきなり併合されたのでは、国民感情も納得できないのであーる。


 …君はブルガリア独立問題について、国際会議の開催を求めているね?

 当然であーる。

 私のボスニア併合を正式に承認して、必ずボイコット運動を止めさせてほしい。
そうすれば国際会議では、ブルガリア問題において君の主張を支持しよう。

 OKなのであーる、ただしボスニア併合を承認するにあたっては、失った領土に見合う金銭補償をしっかり頂戴するのであーる。

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 あれ? そもそもブルガリアに独立を勧めたのって、オーストリア帝国だったんじゃ…

 それがどうかしましたか?

 ……いや、何でもありません。
話を続けてください。

 このオスマン帝国との交渉は、ボスニア危機における大きなターニング・ポイントになりました。
つまり…オーストリア帝国もオスマン帝国も、バルカン半島で民族主義が台頭することを望んでいないのです。


 こうしてオーストリア帝国とオスマン帝国とは、「どちらもバルカンの安定を望んでいる」という点において、ここで意見の一致を見ました。

 んじゃ国際会議はどうなるお?

 オーストリア帝国とオスマン帝国との間で手打ちが成立したのなら、国際会議に持ち込む必要もないですよね?


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     ・

 いいから国際会議を開けーっ!


 フランスさんっ! あんた私の同盟国でしょ!
黙ってないで私に賛成しなさいよっ!

↓フランス
 私はこの件が、そこまで大事にして騒ぐべき問題だとは思えないですの。

 私は、可能なら会議は開いたほうがいいと思いますわ。
でもそれは、オーストリア帝国にとって有利な条件で開くべきでしょうね。

 というと?

 つまり、併合を承認するための会議ですわ。
会議で是非を話し合うのではなく、事前に交渉して決めた事柄を、形式として重みを持たせるためのものです。

 私もイギリスさんに同意ね。
会議を開いてもいいけど、それは併合を承認するためだけのものよ。
そしてセルビアに領土補償をする必要も感じないわ。
私はオーストリアさんと同盟国だから、いかなる状況でもオーストリアさんに味方するわよ。

 そんなのは会議とは言わねーっ!
白紙でゼロから話し合うべきよっ!




 今重要なのはブルガリア問題であって、ボスニア併合は、オーストリア帝国とオスマン帝国との間で交渉が成立した以上、もう問題ないではありませんか。
この地域の秩序を担っているのは、実質はこの2つの地域大国なのですから。

 じつはその交渉の件なんだが…

 ?

 オスマン帝国に支払う補償金…本当は嫌々なのだよ。
当初はビタ一文払う気もなかったからね。

 ………

 あなたがオスマン帝国にお金を払ってボスニアを買い取れば、それで全てが丸く収まるってことが理解できませんか?

 これについては、私も同意するわ。
ゼニを払ってこの問題を終わらせてよね。

 さっさとカネカネキンコですの。

 (無視) そこでだ、私がオスマン帝国のボイコット運動で被った損失とで、差し引きゼロ、ということにしたい。
我ながら実に正当な要求だと思うんだが、どうだろう。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・




「目を閉じろ、歯をくいしばれ!」

「 ぐ ほ あ ー !! 」


 …(ぴく、ぴく)

 空気を読まない馬鹿は嫌いですわぁ〜、おほほほほ。

 まったくその通りね!

 ・・・・・・・

 なによ?

 べつに。( もっとも空気を読めないのは、おたくの皇帝でしょうに )

 やぁ皆さん、ここでちょっと良いニュースなのであーる。

 なんでしょうか?

 ブルガリアとの交渉も成立したのであーる。


 ブルガリアの独立を認めるのであーる。
そのかわり、今まで我が国に貢納していた金額にみあう金銭補償、独立によって我が国が失うインフラ投資の代金を、ブルガリアから頂戴するのであーる。

 ううぅぅ…財布が…財布がぁ…ひっく、ひっく。

※ 一般には、このように独立する側が賠償をするケースが普通。
独立する側が旧宗主国から賠償を取る例は、韓国のみである。



 あら、いつのまに。

 だってロシアお兄ちゃんがボクを助けてくれないんだもん…(><。
ひどいよ、オスマン帝国と経済協定を結んで友好国となるだなんて…

 ロシアの希望はバルカンの安定なのであーる。
つまり我がオスマン帝国の国益と一致しているのであーる。


 そして…革命後で混乱しているのに、対外戦争なんてしたくないのであーる。
ましてや、実質はとうの昔に失ったに等しい領土なのであーる。
それに勿体をつけてお金を引き出せただけでも、良しとすべきなのであーる。

 ではこれにて、一件落着ですわね。
当事者が納得したのであれば、我々も異論を唱える気はありま ―――

 絶っ!対っ!反っ!対っ!


 オーストリアのボスニア併合は絶対に認めないわよ!
どうしても併合したければ、セルビア王国にも領土を補償しなさい!


セルビア
 ワイも併合には反対やで!
ボスニアはワイの領土になるべき場所や!
ワイは戦争も辞さない覚悟やで!



 どーしても併合したければ、ワイが納得できる"代償"を払えや!


 ………

 いい加減にしたまえ。

 ロシア外相イズヴォルスキー君…強がるのは結構だが、君はブフラウ会談の内容を、政府の同僚やロシア皇帝にきちんと報告しているのかね?

 な、なにを言い出すんですか?

 君の独断専行で、君の祖国であるロシア帝国も迷惑をこうむっているんじゃないのかね?


 君が国際会議の開催にこだわって、ボスニアの併合に反対するのなら仕方ない。
私は君とのブフラウ会談の内容を、公表しようと思うのだが。

 自国の国益のために、セルビア王国の悲願の地を売り渡したとあっては、都合が悪くないのかね?
少なくともバルカン半島でのロシアの権威に傷がつくと思うのだが?

 ふ、ふ、ふざけるなーっ!
テメーは外相同士の秘密会談を、自分の都合でバラすってのかー!?


 しかも密談は議事録を取っていない…ひょっとすると記憶違いで、あることないこと話してしまうかもしれないね。
もちろん議事録がない以上、君も有効な反論はできないわけだ。

 うッがー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 そこまでにしとけクマ、セルビアへの領土補償を話し合う国際会議の開催は、もう無しでいいクマよ。

 ………へ…陛下…

 友好国であるイギリスと、同盟国であるフランスが国際会議の開催に同意しない以上、あきらめるしかないクマよ。
しかもドイツまでオーストリア帝国の味方をしたのでは、分が悪いクマ。

 ………

 ロ、ロシアの兄貴……何の代償も得られないままで、ボスニアを諦めろと言うんか…

 人間、あきらめが肝心クマよ。
別になにかを失うわけでもないし、欲をかくのは感心しないクマ。

 私も同意ですわ。
オスマン帝国がそうであったように、代償については二国間で話し合って下さいな。

 あ、相手は列強やで!?

 ………

 セルビア君…きみの気持ちも私は理解しているつもりだよ。

 よう言うわ。

 君がボスニアを求めるのは、要はアドリア海への出口になるからだろう?

 それだけやないわ、あそこはセルビア人が多くすむ場所であり、わいの領土になるのが普通やで。

 君の民族主義には応えられないが…海への出口は私が何とかしよう。
アドリア海に出たいという気持ちは、そこを大事な経済圏としている私には、痛いほど理解できるからね。


 まず1つ、我が領内のダルマチアの港を、セルビア君が使うことを認めよう


 つぎに、セルビア君の製品がダルマチアの港に運べるように、鉄道建設の協定を結ぼう。


 そして友好のため、通商協定を結んで、経済において相互依存の関係になろうじゃないか。

 港と、港へアクセスできる鉄道を与えてくれるって言うんか!?

 セルビア君の民族主義は認められないが。。。。私の承認で君がアドリア海にでて経済発展することは、私にとってもマイナスではないからね。
豚戦争ではモメたけど、私は君と一緒に経済を発展させたいのだよ。

 どうだい、いい話だろう?
これで大人しく、私のボスニア併合を認めてくれるね?

 そ、そりゃーもちろん!

 ありがとう、これで一件落着だね。

 もちろん、もちろん―――

 うんうん(^−^*

 だって、こんなおいしい経済援助の条件を出されたら、そりゃー…









 Σ(゜Д ゜;)

 このセルビア王国が最も好きな事のひとつは、自分で強いと思ってるやつに『NO』と断ってやる事だ。


 お前の提案、ぜんぶ拒絶したるわ!
やーい、バーカ、バーカ!!

  さっさとボスニア併合の代償として、領土をワイによこせや!


 ……





 「ぶち」←何かが切れた音







 いい加減にしやがれ、この汚らわしいアライグマめがーっ!!!!!!!!!
    

 ボスニア併合を認めずに軍まで動員するなら仕方が無い。
私に対する宣戦布告とみなして、この地球上からセルビアという国を消滅させてくれる!





 「オーストリア=ハンガリーとバルカン戦争」 馬場優 p55

エーレンタールはセルビアとの問題を経済的代償によって解決しようと考えた。彼は、セルビアがアドリア海への出口をあきらめることをハプスブルグ帝国にとって利点と捉え、セルビアに対して次の3つの方法による解決策を示した。まず、アドリア海沿岸のハプスブルグ帝国領ダルマチア自由港の利用である。つぎに、セルビアのすべての製品をボスニア経由でアドリア海まで運搬する鉄道協定の締結である。最後に、1917年まで有効な通商条約を締結する。しかしセルビアは3月15日にこれらすべての提案を拒否した。セルビアの姿勢に対して、エーレンタールは同国により厳しい内容の覚書を送りつけることにした。それは、まるでセルビアへの軍事的懲罰が行われるかのようであった。




 おう、こいや!
こっちにはロシアの兄貴がいるんやで!
今のペータル国王になってから、わが国は親露外交なんやで!


 俺はお前のカプセル怪獣じゃないクマ…


 …( かといって見殺しにしたら、バルカンでのロシアの地位に悪影響クマ )
( バルカン半島の大半は正教徒のスラヴ人だし、オーストリア軍の蹂躙を眺めていたら、ロシア国内の汎スラヴ主義者が黙っていないクマ )


 おいドイツ。

 なによ?

 おまえオーストリアの同盟国だろ?
お前からオーストリアを説得して、何とか戦争を回避させてほしいクマ。

 そうね…オーストリアがセルビアに宣戦布告するような事態だけは、私も避けたいわ。
そうなったら、ロシアは嫌でもセルビアの側に立って、オーストリアと戦争せざるをえないもんね。


 その時は、私は同盟国のオーストリアを助けるために、ロシアと戦争しないといけない。
それはロシアの同盟国である、フランスとの戦争も意味するわ。




 ドイツ宰相ビューロー

「オーストリアのセルビア入城は9対1でロシアとの戦争を意味する。そしてロシアとの戦争は99対1で世界戦争を意味する。」




 話が早くて助かるクマ。

 だからロシアがボスニア併合を正式に承認しなさいよっ!
セルビアはロシアの子分なんでしょ?
親分が承認したら、バカな子分も従うじゃない。

 Σ(〜〜;

 いつまでこのゴタゴタを引っ張る気なのよ!
ロシアがボスニア併合を正式に承認しないのなら、こっちにも手段を選ばない覚悟があるわよっ!
今や我がドイツは、ヨーロッパで最強の国なのよ!

 ………(´Д`;)



 「オーストリア=ハンガリーとバルカン戦争」 馬場優 p55

最終的には、緊張状態はロシア帝国が外交的に譲歩することで解決できた。まず、ロシア外相イズヴォルスキーは、ドイツに危機を打開することを要請した。そこで、ドイツ外相A・キダーレン=ヴェヒターはこの要請に対して、ロシアが併合を受諾すべきであるとの強硬な態度に出た。これは、ほとんど最後通牒に近いものであった。





 なんだと、このド……


 ……


 軍事力で脅されたんじゃ、仕方ありませんわ。
ここは我がロシアが妥協しますわ。

 散々モメたくせに、妙にあっさりしているクマね。
まぁどのみち、この場でドイツと戦争なんて選択肢は論外だけど。
ただでさえ日露戦争での傷が癒えてないし。

 ひそひそ…( これなら私も、ドイツの横暴による被害者という立場で終われます。)
( さすがにいつまでも揉めていられませんからね。)

 というわけで…ロシアはボスニアの併合を正式に認めるクマよ。
おいセルビア、お前もさっさと俺を見習って併合を認めて、軍の動員をやめるクマ。

 そ…そんな…

 さて…あとボスニア併合を認めていないのは君だけだね、セルビア君。
どうするのかね?

 ……


 …


 1つ、わがセルビアの国益は、ボスニア併合によって何ら影響されるものではない。
2つ、この件でオーストリア帝国に対しての抗議は、これを撤回する。
3つ、セルビア軍の動員を解除して、平時の状態にまで削減する。

 君はいい子だね♪

 ああ、この文章も追加して、君の口から言ってもらおう。

 「友人的かつ隣人的関係を基礎として生活する。

 ……


 我がセルビア王国は、ハプスブルグ帝国に対して「友人的かつ隣人的関係を基礎として生活する。

 結構、これでボスニア問題は終了だね。




この1月後…列強諸国はベルリン条約のボスニアの項目(第25条)を変更する覚書を出す。

ここにオーストリア帝国によるボスニア併合が、正式に承認されたのである。


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 この一連のトラブルを、「ボスニア危機」と呼んでいます。


 ヨーロッパの火薬庫であるバルカン半島をめぐって、「大国」が最後通牒を突きつけ、あわや列強同士の戦争の危機…


 第一次世界大戦によく似ていますね。
違いは、まず最後通牒を突きつけられた相手の国が、妥協して折れたこと。
そしてもう1つは、この時点でのオーストリアは、完全にセルビアに戦争をしかける気はまだ無かったことです。




 イギリス外相グレイ

「今この1909年の諸事件をとりてこれを1914年の当時の危機と比較するに、我らは幾多不祥なる符号がその間に存在するを見て深き感動を禁ずるをえない。」



 では、このボスニア危機がもたらした「後遺症」について見てみましょう。


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 吾輩はオスマン・トルコ帝国なのであーる。


 そもそもボスニアもブルガリアも、露土戦争の後のベルリン会議で、すでに失ったも同様の土地なのであーる。


 吾輩の領土といっても書面だけのことで、実質はもう他国…
そこにイチャモンをつけて、オーストリア帝国とブルガリア王国から補償金をせしめられたのであーる。
革命後のわが国においては、とにかくお金が必要なのであーる。
名を捨てて実をとったのであーる。


 この売国奴め、領土を売っただと!?


 ………やれやれ、これだから愚民は。

 オーストリア帝国は、最初は「補償金の支払いも交渉も不要」という態度だったのであーる。
それを考えると、吾輩の外交力は ――――


 売国奴っ!売国奴っ!

 ……ちょっと困った事態になったのであーる…(汗


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 戦争を回避するには、妥協も仕方なかったクマよ。

 あの、それが… 国民がカンカンです…

 別になにも失ってないクマよ?

 ドイツに脅されて、タダでボスニア併合を認めるとは何事か、と…




 「ロシア皇帝歴代誌」 デヴィッド・ウォーンズ p271

1908年にオーシトリアがボスニアとヘルツェゴヴィナを併合したとき、ロシアは何の代償も得られなかったため、ロシアの知識層はその屈辱に憤慨した。



 …今度はそう簡単に折れないほうがいいクマね ( 汗


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 やっぱり要求を飲ませるには、戦争も辞さない態度をとるのが一番ねっ!
私が最後通牒まがいの脅しをかけたら、ロシア帝国もあっさりボスニア併合を承認したし。


 ってわけで、次もこのノリでいくわよー!



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 今回のボスニア危機…代償としてロシアとの関係が致命的に悪化


 困ったな・・・・・・おかげで領内のスラヴ人からのブーイングも大きい。
彼らは我がハプウスブルグ王朝よりも、同胞であるセルビアやロシアに好意的だし。



 オーストリア帝国大使(後に外相) ベルヒトールト 1909.3.15

「なるほど、エーレンタールの政策は一瞥すると成功したように思われる。しかし、それは単に形式主義的な成功に過ぎないものである。単なる形だけの成功の影に、エーレンタールが、隣国であり1億3500万人の人口をもつロシア国内にハプスブルグ帝国に対する敵意をつくりだしただけでなく、ハプスブルグ帝国内においては、二重帝国を崩壊させるような遠心的要因である南スラヴ人たちの敵意をつくりだした。



 そしてセルビア王国…あの国には対話は通用しないとはっきり分かった。
今後はますます民族主義を煽ってくるだろうな…


 ……


 予防戦争をしかけて、脅威は実現する前に潰しておくべきかもしれない。



 「ハプスブルグ帝国衰亡史―千年王国の光と影」 アラン・スケッド p295

しかし皇帝は不安をぬぐえなかった。彼ら(セルビア人)が不満をつのらせ、そのうち汎スラヴ主義をかかげるようになるのではないか、とおそれたのである。

 この恐れは、ボスニア・ヘルツェゴビナを占領・併合した後は、当然大きくなった。とはいえ帝国がセルビア人を支配している間は、すべてうまくいくように思えた。カールノーキーは1881年にこう述べている。
「いかなる手段をとるにせよ、もしセルビアがわが国の勢力下にあるならば、あるいはもっと望ましくは、もしセルビアをわれわれが支配しているならば、ボスニアと住民をわが国が所有することについても、下ドナウとルーマニアにおけるわが国の立場についても、心配は無用となる。その場合にはじめて、わが国がバルカン諸国におよぼす権力基盤が固められ、重要な利害が一致するだろう」

 しかし1903年、ベオグラードでオブレノヴィッチ王朝が倒され、1906年に豚戦争が勃発し、1908年ボスニア・ヘルツェゴヴィナが併合され、セルビアとロシアがその後屈服すると、帝国がこうした立場からすべり落ちたのはあきらかだった。こうなると、軍部、とくにコンラートは予防戦争を迫った。





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 おのれオーストリアーっ!!!!!


 よくもワイの夢だったボスニアを奪ったな!
もうオーストリア帝国は、完全にセルビア人の敵やとはっきりしたで!

↓ブルガリア
 はーい、セルビア君☆

↓ギリシャ
 セルビアちゃ〜〜ん、ご機嫌いかがぁ〜〜〜ん?

 なんや?

 今回の件、どう思うかしらぁ〜ん?

 そりゃムカつくわ、だってボスニアが ―――

 ちがうよぉ、ベルリン体制のことだよぉ。

 ベルリン体制??

 国際会議で決めた体制を、1つの国が自分の国益のために無視したんだよ?

 だったら私たちだって、ベルリン体制で決まった国境線を、実力で変更する権利があるってことですわぁ〜ん♪

 ………それもそうやな…

 オーストリア帝国がオスマン帝国から領土をむしり取ったのなら、ボクたちにだってできると思わない? 


 そりゃ今のセルビア君は、オーストリア帝国が憎いだろうけど…よく考えてみてよぉ。
本来、バルカン諸国にとっての敵はオスマン帝国のはずだよ?

 オスマン帝国が今なお支配するバルカンの地域…特にマケドニアは、本来ならば我ら正教徒の土地ですわぁ。
イスラムごときが支配していい道理がありませんわぁ。

 オスマン帝国が所有するバルカン半島の領土…ボクらで奪っちゃおうよ☆


 せやけど…オスマン帝国は落ちぶれたとはいえ、まだまだ強国やで?

 だったらボクたちバルカン諸国で、同盟を結べばいいじゃない。
ボクらってさ、共通点がいっぱいあるから、きっといいお友達になれるんじゃないかな。


 宗教は同じ正教徒、そしてオスマン帝国に支配された経験を持ち、血を流して独立した。


 そして国境線の向こう側には、ボクらに解放されるのを待っている同胞がいるよね。
彼らは同じ正教徒なんだから、イスラムの支配から解き放ってあげるべきだと思わない?

 …にやり。





 イタリア外相ティットーニ (1905年)

「オスマン帝国の領土に所属する地域の併合は、この帝国の終焉を急ぐ人々に前例と刺激を与えてしまう。」



※これは1905年…つまりボスニア併合よりも前の発言である。





→ 第6話「その名はコンラート」に続く。

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