ここではブルガリアの誕生 → 東ルーメリア州の統一について、簡単に補足します。
本編のセルビア編に書くと、無意味に長くなりますので。
ブルガリアって、ヨーグルトのイメージしかないお。
場所はバルカン半島の中南部…地味ながら第一次世界大戦の遠因にもなっている小国ですよ。
人種は南スラヴ人で、宗教も正教…セルビア人と同じですね。
人種と場所は分かったけど、このヘンにはどんな人が住んでいるのか、イメージが沸かないお。
では、ブルガリア人の写真でも貼りましょうか。
このへんの民族衣装は、西ヨーロッパに比べるとエキゾチックですね。
かわいいお!
ではちょいと私からも、ネットで見つけたブルガリア人を紹介します。
ブルガリアのイメージを広げる足しにしてください。
外国の出会い系サイトで、ブルガリア人で条件検索をかけて見つけますた。
左が19歳(!)のブルガリアンギャル、右が29歳のブルガリアンレディーでつ。
…(また始まった)
ほ、他にはないお!?
OKアミーゴ、では危険を冒して現地ブルガリアに侵入し、そこのエロサイトでゲットした写真をお見せします。
ブルガリアは無修正がデフォらしく、ヤバい部分は良心のクマーが隠していまつ。
見エテナーイ、見エテナーイ。
セーフ、セーフ。
ズバキューン!
耳に槍が! 耳にロンギヌスの槍がぁー!
では今から、ブルガリアの建国〜東ルーメリア州の統一までを話します。
その国は、血塗られた闘争から生まれた。
「私が成功するならば、民族全体のために成功しよう。」
「失敗するならば、その時は私一人が死ねばよい。」
ヴァシル・レフスキ…ブルガリアの革命家。
自治権の獲得を見ることなく、1872年に処刑。
ねぇねぇ、イチャモンつけて侵略して、返り討ちにあっちゃったけど 今どんな気持ち? ∩___∩ ∩___∩ ♪ | ノ ⌒ ⌒ヽハッ __ _,, -ー ,, ハッ / ⌒ ⌒ 丶| 今、どんな気持ち? / (●) (●) ハッ (/ "つ`..,: ハッ (●) (●) 丶 | ( _●_) ミ :/ セルビア :::::i:. ミ (_●_ ) | ねぇ、どんな気持ち? ___ 彡 |∪| ミ :i ─::!,, ミ、 |∪| 、彡____ ヽ___ ヽノ、`\ ヽ.....::::::::: ::::ij(_::● / ヽノ ___/ / /ヽ < r " .r ミノ~. 〉 /\ 丶 / /  ̄ :|::| ::::| :::i ゚。  ̄♪ \ 丶 / / ♪ :|::| ::::| :::|: \ 丶 (_ ⌒丶... :` | ::::| :::|_: /⌒_) | /ヽ }. :.,' ::( :::} } ヘ / し )). ::i `.-‐" J´(( ソ トントン ソ トントン |
ブルガリアはオスマン・トルコ帝国によって併合され、何百年もイスラムに支配されていました。
このへんの事情は、セルビア公国と同じですね。
やっぱりセルビアみたいに、腐敗したイスラム軍人にひどい目に合わされたんでつかね?
いえ…ブルガリアは首都イスタンブールに近い場所です。
ですのでセルビアのように隣国オーストリアとの戦場になって荒廃する事はありませんでした。
またボスニア・ヘルツェゴヴィナのように、トルコ朝廷からの目が届かずに荒れ放題、という事もありませんでした。
オスマン帝国の支配によって消滅した文化もありますが、それなりに繁栄と平和を享受できたと言えます。
しかしイスラムの平和に慣れ、自分達の文化の価値を忘れつつあったブルガリア人ですが…
18世紀に『修道士パイシー』が、ブルガリア民族の歴史と伝統を調べ、ブルガリア人に啓蒙活動を始めました。
パイシーは「スラヴで最も栄誉ある民族はブルガリア人だった。」「ブルガリアの言語と歴史を学ぼう。」と説き、劣等感を持つことは無い、と励ましたのです。
いい人だお、そのパイシーって人は。
ラミエルさん…パイシーはブルガリア史に残る立派な聖職者、呼び捨てはいけません。
名前の前に「お」をつけなさい。
おパイシー。
おパイシー。
…そんなくだらない事ばかり、よく思いつきますね。
…コホン。
しかしブルガリア人の価値観に影響を与えたのは、ブルガリアの外で動く歴史の波でした。
当時はフランス革命があり、ギリシャ独立戦争があり、そういった「ナショナリズムのうねり」に刺激され、ブルガリア人にも"民族意識"が芽生え始めます。
「オスマン帝国の支配下にあっても、ブルガリアの民族文化を忘れるべきではない。」
「子供達に、偉大なブルガリアの文化を伝えよう!」
しかし時がたつにつれ、彼ら民族主義者の中には、政治的な独立を唱える者が現れはじめます。
「もうオスマン・トルコ帝国は落ちぶれる一方である。」
「この機を逃さず、ブルガリアは独立しよう!」
そしてオスマン帝国にとっては厄介なことに…彼らが独立運動を始めた場合、それを外から支援しようという勢力には不自由しませんでした。
たとえばどんな勢力が?
ざっとこんな連中です。
↓ロシア
スラヴの同胞、正教の同胞であるブルガリアを、イスラムの圧制から助けるクマ。
ロシア皇帝は、地上のすべての正教徒の保護者クマ。
そしてバルカン半島を我がロシア帝国の支配下に置いて、地中海に進出クマー!
ロシア帝国の永年の願い、不凍港をゲットするクマー!
それが本音か。
↓セルビア
バルカンの南スラヴ人にとって、オスマン帝国は共通の宿敵や!
おいブルガリア人、お前らもイスラムに支配されるのは屈辱やろ?
独立闘争をする時は、いつでも声をかけてくれ!
そして立ち上がったブルガリア人は、南スラヴ人の希望の星である我がセルビアに指導されるんや。
バルカン半島に、偉大なる大セルビア帝国を建国やで!
それが本音か。
↓ギリシャ
私は非スラヴだけどぉ、ブルガリア人は同じバルカン半島の正教徒よぉ〜ん♪
あなた方がオスマン帝国に反乱したいなら、手を貸すわぁ〜♪
いや、いっそ反乱すべきよぉ〜ん♪
そしてバルカンで反乱が続いてオスマン帝国が弱れば、我がギリシャもオスマン帝国をボコって領土拡張…
古き良き時代、栄光あるビザンツ帝国を復活ですわぁ♪
それが本音か。
↓イギリス
困ったことですわね、どいつもこいつもブルガリア人を扇動し、利用する気が満々ですわ。
オスマン帝国が弱体化したら、そこを狙って列強同士が激突する危険に気がつかないのかしら。
現につい最近もクリミア戦争が起こって、列強同士で不毛な戦争をするハメになったというに。
オスマン・トルコ帝国は私の大事な経済植民地であり、またロシアの地中海進出を防ぐ防壁。
みんな私のために配慮してくれないと。
だけど外交は親オスマンでも、国民感情では同じキリスト教徒のブルガリア人を助けてあげたいですわ。
オスマン帝国はもう少し、領内の異民族統治に対して寛大な処置をとってほしいものです。
前のクリミア戦争でも、「イギリスはイスラムの味方をするのか!?」と陰口を叩かれたのですから。
まぁ自国の国益のために援助するのが悪いとは言いません。
国家の外交に、ボランティア精神が無いことを理由に批判するのは愚かなことだと私は思っています。
ただあまりに露骨だと嫌われて逆効果ですので、何事も程度によるでしょうね。
さて、番外編の第一話でも述べましたが…
1875年、オスマン帝国の辺境地であるボスニア・ヘルツェゴヴィナで大規模な農民反乱が起こります。
この大規模な反乱を、セルビア公国はオスマン帝国の打倒のチャンスだと受け取ったのです。
↓セルビア
バルカン半島の南スラヴ人たちよ、武器を取るんや!
今こそイスラムの圧制に立ち向かうんや!
そしてブルガリアの革命家たちも、「今こそ独立闘争の旗揚げのチャンス」とばかりに、ズサンな計画のまま反乱を起こしたのです。
まぁこれには、革命運動の主要メンバーがトルコ朝廷に処刑されて、「このままでは独立できない」と焦っていたのもありますが。
1876年4月、"4月革命" 勃発
しかし元々ブルガリアは、セルビアやボスニア・ヘルツェゴヴィナのように荒廃していたわけではありません。
ブルガリアの民族主義と言っても、
「失われたブルガリアの文化を復活させよう」
「学校ではブルガリアの文化を教えよう」
「ブルガリアの教会は、ギリシャ人に任せずにブルガリア人の手で運営しよう」
…という程度であり、政治的な独立まで主張する人は限られていました。
また政治的な独立を叫ぶ人でも、ロシアといった他国の援助をアテにしたもので、自力で闘争することを叫ぶ人はやはり限られています。
そこそこ平和にご飯が食べられるのなら、命の危険を冒してまで反乱をしようと思わないのでは?
それにイスラムはキリスト教徒にも信仰の自由を認めていたんだし。
ええ…革命家の蜂起に対し、市民はあまり反応しませんでした。
しかしこの時のオスマン帝国の対応が、その後のブルガリアの運命を決定づけたのです。
↓オスマン・トルコ
殺せ、徹底的に殺せ!
反乱者はもちろん、奴らの村の女子供も徹底的に殺せ!
アラーフ・アクバル!(アラーは偉大なり)
「ブルガリアの歴史」 R・J・クランプトン p114
バシボズクは、(中略)反逆者に加担した村に残虐な報復を行った。特にバタク村では、5000人のブルガリア人キリスト教徒が虐殺されたといわれている。殺されたブルガリア人の大半は女性や子供であり、バシボズクは、キリスト教徒を村の教会に集め、中に閉じ込め火を放って焼き殺したのだという。
この4月革命の残虐な鎮圧で、オスマン帝国は高い代償を払うことになりました。
1つめは、ブルガリア人が完璧に反オスマン帝国に染まり、民族意識が覚醒したこと。
「ブルガリアの歴史」 R・J・クランプトン p114
かくして四月蜂起は鎮圧された。それはオスマンの支配を直接に打倒するものではなかったが、その後にブルガリアにおけるオスマン政府の政治的支配力を根本から覆すきっかけとなった。政治的な面では低いレベルにあったブルガリア人の民族意識が、四月革命蜂起を境に急激な高まりを見せる一方で、トルコ政府の道義的な威信は、バシボズクの残虐行為により、以前にも増して地に落ちた格好になったのである。
2つめは列強諸国の非難です。
もうオスマン帝国の内政問題では済まなくなってしまいました。
「ブルガリアの歴史」 R・J・クランプトン p114
さらにブルガリアの混乱は、問題の性質を変え、いまや地域紛争の枠を超えた国際的な問題になっていた。ヨーロッパの新聞は、詳細な挿絵をつけて大虐殺の模様を伝え、欧州各国の世論は沸騰し、オスマンに対する非難が集中した。ロシアや英国をはじめとしたヨーロッパ各国で、これ以上の残虐行為を阻止するために行動を起こすべきであるという声が高まった。ここに至って、ブルガリアの問題は、ヨーロッパ全体の問題となった。
テメェらの血は何色だぁー!
↓ロシア
やいこらオスマン・トルコ!
オレの同胞であるスラヴ人、オレの同門である正教徒のブルガリア人を虐殺したクマね!
返答次第では、徹底的にボコってやるから覚悟するクマ!
↓イギリス
トルコさん…私はあなたの友好国ですが、これはちょっとフォローできませんわ。
異教徒の統治について、我々が納得できる改革案を提示してもらえないかしら。
………
しかしトルコ朝廷は一方的に対話を打ち切りました。
この態度にロシアの国内世論は完全にヒートアップし、ロシア政府もついにオスマン帝国への宣戦布告を決意します。
_ /- イ、_ __ /: : : : : : : : : : : ( 〈〈〈〈 ヽ /: : : : ::;:;: ;: ;:;: ; : : : ::ゝ 〈⊃ } {:: : : :ノ --‐' 、_\: : ::} ∩___∩ | | {:: : :ノ ,_;:;:;ノ、 ェェ ヾ: :::} | ノ ヽ ! ! 、 l: :ノ /二―-、 |: ::ノ / ● ● | / ,,・_ | //  ̄7/ /::ノ | ( _●_) ミ/ , ’,∴ ・ ¨ 〉(_二─-┘{/ 彡、 |∪| / 、・∵ ’ /、//|  ̄ ̄ヽ / __ ヽノ / / // |//\ 〉 (___) / / // /\ / ロシア帝国 オスマン・トルコ帝国 |
そしてサン・ステファノ条約が結ばれました。
このへんはロシア史本編でも、またハプスブルグ史の第二話のセルビア編でも説明しましたよね。
条約ではブルガリア人に自治が認められ、ここにブルガリア公国の誕生です。
1878年 自治領ブルガリア公国 誕生
※スコピエ…現在はマケドニア旧ユーゴスラビア共和国の首都 ※テッサロニキ…現在はギリシャ領 ※ブカレスト…ルーマニアの首都 |
↓ブルガリア
ああ、夢みたいだよっ!
自治領とはいえ自分達の国が持てるだなんて…
しかもボクが欲しかった地域は、テッサロニキ以外はぜ〜〜〜〜〜〜んぶ含まれているし!
俺に感謝するクマ。
ありがとぅ…ありがとぅ…ロシアのお兄ちゃん、この恩は絶対に忘れないよっ☆
ブルガリアのアイコン画像、なんかエロくないお?
セルビアのアイコンがアライグマであるように、スラヴの国はクマ系で統一しているのですよ。
※アライグマは正確にはクマ科ではありません
それでクマの写真を探していて…見つけた瞬間、
「ブルガリアはコレしかない!」とインスピレーションが走ったそうです。
↑本場Russia のエロサイトで発掘してきた画像
ああ、クマのぬいぐるみになりたいっ!
このサイトがキッズ・gooに有害指定されるのも分かる気がします。
…コホン。
このサン・ステファノ条約は、ブルガリアにとって幸せ回路が絶頂なモノでした。
まぁ領土を見れば、当然といえば当然ですけどね。
民族分布から見て、妥当なんだお?
妥当ですよ。
マケドニアにしても、マケドニア語はブルガリア語に似ていますからね。
ただし「言語や民族の分布が国境となる」というのが大前提ではありますが。
民族分布が国境になるのは、別に不自然じゃないと思うお。
そこが経済活動や軍事拠点として重要ならば、当然ですが他国も欲しがります。
まずマケドニアを領有したことは、セルビアとギリシャにとって認められないことでした。
理由は地形図を見たら分かります。
※ 国境線はサン・ステファノ条約のものです。
バルカン半島って、山ばっかりですね。
とくにセルビアなんて内陸国なうえに、首都ベオグラード周辺以外は山しかないお。
マケドニアの南にあるテッサロニキは平野があるでしょう?
そこは良港でもあるので、貧しい山国のセルビアにとっては、喉から手が出るほど欲しい場所です。
またギリシャにとっても同様です。
ギリシャはトラキアも"旧ビザンツ領"として領有を主張していましたから、マケドニアをブルガリアに取られたら都合が悪いのです。
↓セルビア
こんなの納得いかへん!
このままでは、ワイは山間の小さな貧乏国で終わってしまうやんけ!
↓ギリシャ
こんなの納得いかないわぁ〜。
そもそも私が露土戦争に参加しなかったのは、その準備期間がなかった事と、オスマン帝国の友好国であるイギリスに配慮してのことよぉ〜。
本心ではヤル気満々だったんだから、戦勝国の一員として領土配分があるべきよぉ〜。
「バルカン―歴史と現在」 ジョルジュ・カステラン p163
戦闘に参加しなかったギリシャはその立場を理解してもらおうとし、デリギアンニス大臣は1875年以来反乱を起こしているテッサリア、トラキア、クレタを要求した。だが彼は唯一フランスに支持されたのみで、クレタ島の改革の約束で満足しなければならなかった。
※ベルリン会議での出来事である
アホな外野は無視していいクマ。
ギリシャなんて、俺がオスマン帝国と講和した瞬間、1対1の戦いは怖いからイヤだとか言って引き下がったくせに。
セルビアもさして役に立ってないくせに、ちょっと参戦して功績あったぐらいで図にのりすぎクマ。
↓ブルガリア
うん、ロシアお兄ちゃん☆
さて…お前はまだ完全な独立国ではないクマよ。
宗主国はあくまでもオスマン帝国であり、その証として、オスマン帝国には貢納を続けるクマ。
でも逆に言えば、もうブルガリアとオスマン帝国との関係は、毎年の貢納だけクマ。
でもロシアお兄ちゃん、ボクちょっと不安だよ…
オスマン帝国が講和条約を破って攻めてきて、再び4月革命のような悲劇が起こったら…
大丈夫クマ、オスマン帝国が妙な気を起こさないように、
5万のロシア兵を2年間、ブルガリアに駐留させるクマ。
↓イギリス
アフターケアも万全ですわね、オホホホホホ(^−^*)
.,..-──- 、 ニ/ニ r '´. : : : : : : : : : :ヽ {_ ー亠ー /.: : : : : : : : : : : : : :: ヽ ヽ 二 ,!::: : : : : ,-…-…-ミ:: : :', ⌒) [ ̄] {:: : : : : :i ,;ノ;´:`ゞ、i: : :.:} ∩─ー、 /  ̄ .{:: : : : : :| ェェ;;;;;;;ェェ|: : : } / ● `ヽ ―ー . つ { : : : : ::| ,.、 .| : : :;!/ ( ● ● |つ ,-亠ー __ ヾ: :: : :i r‐-ニ┐| : : :ノ| /(入__ノ ミ / 廿 / ゞイ! ヽ二゙ノ イゞ,.‐rニ(_/ ∪ノ / .又 (_, / ̄ \`ー一'/ - -l\___ノ_ __ / /⌒ヽ \//ヽ 二} \_ _/ / / / \//\ ヽ/ :、 (ノ ̄`メ、 | |/ / `´ヽ \/i \ __ | \/ /lヽ ヽ /.| i' i / | \/ /| ヽ / | | | ´⌒) | \/ | / | | | -' | `ー-ノ i | | | イギリス ロシア |
本編で述べたように、このサン・ステファノ条約はイギリスにとって、受け入れられないものでした。
ブルガリアが"保護者"であるロシアの要求を断るわけがなく、ロシアに言われるがままにエーゲ海に軍港を作って、ロシア艦隊が地中海に進出してくるのは明らかですからね。
そして同じくブルガリアをバルカン半島におけるロシアの橋頭堡とみたオーストリアも、イギリスに賛同します。
…で、ベルリン会議でつか。
ええ…そしてベルリン条約で決まった新たな領土は、ブルガリア人にとっては容認できないものでした。
なにせサン・ステファノ条約で約束された領土に比べて、37.5%にまで縮小されたのですから。
ほぼ1/3だお。
ええ、ブルガリアの領土はちょうど3分割にされたのです。
【 ブルガリア公国の分割案 】 ■…自治領ブルガリア公国の領土 ■…オスマン帝国に返還された地域 ■…ブルガリア人への待遇改善を条件に オスマン帝国に返還された地域 ■…セルビア公国に割譲された地域 ■…ルーマニア公国に割譲された地域 |
)、._人_人__,.イ.、._人_人_人 <´ 領土縮小ってレベルじゃねーぞ!> ⌒ v'⌒ヽr -、_ ,r v'⌒ヽr ' ⌒ // // ///:: < _,ノ`' 、ヽ、_ ノ ;;;ヽ // ///// /:::: (y○')`ヽ) ( ´(y○') ;;| / <ブルガリア公国 // //,|::: ( ( / ヽ) )+ ;| / / // |::: + ) )|~ ̄ ̄~.|( ( ;;;|// //// /// :|:: ( (||||! i: |||! !| |) ) ;;;|// /// ////|:::: + U | |||| !! !!||| :U ;;; ;;;| /// ////|::::: | |!!||l ll|| !! !!| | ;;;;;;| //// // / ヽ::::: | ! || | ||!!| ;;;;;;/// // // // ゝ:::::::: : | `ー----−' |__//// |
さてこのベルリン条約…これには2つの目的があります。
1つめはもう分かりますね、サン・ステファノ条約の破棄…つまりロシアのバルカン半島進出の阻止です。
本編でも番外編でも聞いているから、それは分かります。
2つめは、バルカン半島を安定させることです。
そもそも露土戦争が起こったのは何故ですか?
バルカンで、キリスト教徒がオスマン帝国の支配にNOを突きつけたからだお。
はいそうです。
そしてオスマン帝国の異民族統治が変わらなければ、同じことは今後も起こるでしょう。
バルカン半島で反乱騒ぎが起きたら、ロシアは国内のパン・スラヴ主義者から突き上げられて、軍事介入をせざるをえません。
でもそうなれば、イギリスはロシア艦隊の地中海進出を阻むため、オーストリアはバルカン半島でロシアの勢力とパン・スラヴ主義が拡大するのを防ぐため、ロシアと対立せざるをえません。
要するに、バルカン半島で争乱が起こって得する列強は無いのですよ。
んじゃ、どうするお?
そこでベルリン会議では、オスマン帝国に返却されるブルガリアの領土について、ブルガリア人に配慮した行政改革を約束させました。
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ブルガリアの領土は、マケドニアと東ルーメリア地方をオスマン・トルコに返却します。
【 ブルガリア公国の分割案 】 ■…自治領ブルガリア公国の領土 ■…オスマン帝国に返還された地域 ■…ブルガリア人への待遇改善を条件に オスマン帝国に返還された地域 ■…セルビア公国に割譲された地域 ■…ルーマニア公国に割譲された地域 |
しかしトルコ朝廷には、今回のような反乱騒ぎを二度と起こさないよう、異民族統治のやり方を改めてもらいます。
主権国家として不満もあるでしょうが、サン・ステファノ条約で失うはずだった領土を取り戻せたのですから、今度はオスマン・トルコが我々に譲歩する番ですわよ。
どうすればいいのだね?
東ルーメリア州の総督を選ぶのはトルコ朝廷ですが、キリスト教徒から選んでもらいます。
またトルコ朝廷が選んだ総督は、我ら欧米列強の承認を必要とし、任期は5年までにします。
東ルーメリア州の治安維持をする憲兵隊の民族構成は、その地域の人口比率と同じにして下さい。
そのかわり、憲兵隊の将校はトルコ朝廷が任命してかまいません。
なおブルガリア人を虐殺したバシボズクは、東ルーメリア州の中で宿泊してはいけません。
また移動中のオスマン帝国軍が、住民のもとに宿営してもいけません。
分かった、従おう。
しかし東ルーメリア州はブルガリア人の土地とはいえ、そこにはイスラム教徒も住んでいる。
彼らの権利は保障されるのかね?
当然の要求ですわ。
東ルーメリア州の議会には、内閣と似た機能を持つ常任委員会を設置します。
その常人委員会には、東ルーメリア州では少数派であるトルコ人やギリシャ人の代表者も含まれるようにします。
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…といった内容が、会議に出席した列強によって定められました。
たしかに、それなりに考えられているお。
さて、こうして今度こそ、自治領ブルガリア公国の誕生です。
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おいブルガリア、お前はオレの舎弟なんだから、困った時があったら俺に言うクマよ。
何といっても、お前が自治権をゲットしたのはオレ様のおかげなんだから。
うん、お兄ちゃん☆
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↓フランス
…バルカン半島の政情が、はたして安定するか不安ですの。
ロシアが属国ブルガリアを使って、また良からぬことを企むんじゃないかと思うですの。
↓イギリス
属国ブルガリアを通してロシアがバルカンに勢力拡大をしないか、見張らないといけませんわ。
↓オーストリア
…( セルビアを使って牽制すればいいのだよ、ふふふふ)
↓セルビア
とにかくブルガリアは邪魔やで。
あいつの領土が減れば、それだけワイにも領土拡張のチャンスが生まれるんやからな。
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さて、ブルガリアは"保護者"であるロシア帝国の指導をうけて、国内の整備を始めました。
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まず議会を作り、そして憲法を制定するクマ。
どこの国際社会に出ても恥ずかしくない、立憲君主の国ブルガリアを作るクマよ。
ボク意外だなぁ…ロシアお兄ちゃんの口から「議会と憲法を作れ」なんて台詞が出てくるなんて。
まるで中国が平和と友愛を唱えているみたい。
それにボクね、議会政治ってのはどうかと思うんだ。
おかげで調子づいたリベラル派は、選挙権を貧乏で無学な農民にまで与えようなんて言い出すし。
これじゃ衆愚政治の原因になっちゃうよ。
ブルガリア人は長い間オスマン帝国の支配下だったので、『国家のために』って発想が無さそうだし。
お前…ただでさえ「ブルガリアはロシアの子分」って思われているのを理解しているクマ?
そういった疑念を払拭するためにも、お前には西欧列強が認める議会政治の国、立憲君主の国になってもらうクマ。
エー、つまんないよ、つまんないよ、つまんないよー!
……頭が痛くなってきたクマ。
ねえ、新しいブルガリアの首相がリベラル主義でウザイんだけど。
ブルガリアの君主であるボクにタテつくんだよ?
専制大好きなロシアお兄ちゃんなら、ボクの気持ちを分かってくれるよね?
……。
だったら首相をクビにしたらいい話クマ。
ブルガリアの法では、首相の任命権は君主にあるクマ。
ボク、首相を変えるよりも憲法を変えたいなぁ。
だいたいボクの権力の行使に議会の合議が必要だなんて、おかしいよ。
それで混乱が起こって西欧列強が干渉してくたら?
お前さあ、自分が他国から注目されていることを、もっと自覚しろクマ。
よって憲法を変えることは認めないクマよ。
う゛〜面白くなぁーい…
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↓フランス
ねえ、ブルガリアの君主ってたしか…
↓イギリス
ブルガリアの君主であるアレクサンダル・バッテンベルグ公は、ロシア皇帝の甥ですわ。
ハンサムな上に露土戦争の将校だったので、ブルガリア人も歓迎して君主として迎えたはず。
その割には、なんかギクシャクして、うまくいっているように見えないですの。
ロシアとブルガリア公はもっと仲良しかと思ったのに。
それにブルガリア公は立憲政治に理解が無くて、ブルガリア人とも馴染めないようですの。
…まぁ様子を見ましょうか。
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何度も書きましたが、そもそもベルリン会議が開かれたのは
「ブルガリアはロシアの属国である」
「ブルガリアの拡大はロシアの拡大である」
…と列強が警戒したからです。
しかし…建国の直後は蜜月だった両国の関係も、やがて君主の価値観と国益のすれ違いにより、離反していきます。
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おい、ブルガリア。
なぁに、ロシアお兄ちゃん。
ロシア側の北部国境からブルガリアの首都ソフィアに向けて、鉄道を通したいクマ。
もちろん費用はオマエ持ちで。
いや、そんなお金ないよぉ…
この鉄道が建設されたら、我がロシア軍はいつでもバルカン半島に突撃できるクマ。
ベルリン条約で自治が認められたとはいえ、いつまたオスマン帝国が侵略してくるか分からないクマよ。
ベルリン条約では防衛に必要な要塞を建造することは認められていないクマ。
そんな状況で、我がロシア軍の救援なしに国土を防衛できるか、よく考えるクマよ。
うーん…
4月革命でブルガリア人がムスリムに虐殺されたことをもう忘れたクマ?
全てはオマエを守るためクマ、近代戦で鉄道は必須アイテムクマよ。
いや、でもお金ないし。
オリエント急行の鉄道を作るのにも、すでに財政がパンパンなんだよぅ…
オリエント急行??
あんなの作って喜ぶのは、アガサ・クリスティーのファンと西ヨーロッパの金持ちぐらいクマ。
だけどオマエを軍事力で守ってやれるのは俺だけクマよ。
お金の使い方ってものをよく考えろクマ。
いやでも、ベルリン会議で
「オリエント急行のブルガリア領の通過部分は、ブルガリア政府が責任を持って作れ」
…と決まっているし。
それで手一杯で、ロシアお兄ちゃんが求める鉄道建設にまわす予算は無いよぉ。
そもそもオリエント急行は、オスマン帝国が結んだ契約クマ。
なんでブルガリアが引き継がないといけないクマ?
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ある新らしい政権が諸外国に認められるには、前の政権が結んでいた条約や債務を、そのまま尊守することが必要です。
日本も明治政府になった際、徳川政権が欧米諸国と結んでいた不平等条約を、きちんと踏襲しましたよね。
オリエント急行はオスマン帝国が諸外国と結んだ契約でした。
しかしベルリン会議でブルガリアが自治領になったため、オリエント急行のブルガリアの部分は、ブルガリア自治政府が責任を持って建設することが決められたのです。
しかし世の中には、そんな道理が通用しない国もありまして…
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いいこと思いついた、オリエント急行の工事にかけるお金を使えばいいクマ!
これでお金の問題は解決したクマね。
そんな無茶な!
そんなことしたら、ボクがベルリン条約を無視したことになっちゃう!
ってかベルリン条約は、ロシアお兄ちゃんたち欧米列強が決めたことじゃない!
( 無視 )おいブルガリア、こんどお前の国にできる国立銀行の経営権をオレによこせクマ。
なぜ?!
ブルガリアのお金の流れをオレ様がおさえたら、鉄道建設の資金を確保できるクマよ。
………。
お兄ちゃん…ロシアお兄ちゃん…
…。
銀行の経営権は譲らないよっ!
鉄道の建設だって、ベルリン条約で決まった通り、オリエント急行の建設を最優先にするよっ!
ちゃんと議会で決めて法律まで作ったんだから、もう何を言われても聞けないよっ!
だからロシア国境―ソフィア間の鉄道にまわせるお金なんか無いよっ!
どうしても欲しいなら、お兄ちゃんが自分のお金で作ればいいじゃない!
お兄ちゃんのバカ、死んじゃえ!
ムッカー! 子分のクセして生意気クマ!
ボクは子分じゃない、子分じゃないよっ!
ロシアお兄ちゃんには感謝しているけど、これは譲れないよっ!
うるさいクマ、ブルガリアの議会は親ロシアの議員が沢山いるクマ!
オレ様に逆らったら、国防どころかオマエの政権維持も危ういことを教えてやるクマーっ!!!!!!!!!!!
親ロシア派のブルガリア人だって、この件についてはボクの決定を支持してくれているよっ!
煤i´Д`;)
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…とまぁ、調子こいてジャイアニズムを炸裂させた結果…
ロシアとブルガリアの間に感情的な対立が生まれはじめたのです。
さてそんなロシアとのやり取りとは別に、ブルガリアの歴史を大きく変えるイベントが起こります。
ベルリン会議でオスマン帝国に返還された、東ルーメリア州のブルガリア統合です。
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ボク納得できないよ!
ボクの正当な領土はサン・ステファノ条約でもらえるはずだった領土だよっ!
欧米列強の不当な仕打ちに、このまま大人しく従う気なんか無いよ!
「バルカン―歴史と現在」 ジョルジュ・カステラン p167
愛国主義者はベルリン条約の措置に失望し、民族主義の正史はブルガリア問題の唯一正当な解決はサン・ステファノ条約の決定であるとする。ソフィア(ブルガリアの首都)でも他のいくつかの都市でも、通りの名をサン・ステファノとして、それを忘れずにいるのである。
「ブルガリアの歴史」 R・J・クランプトン p114
議会には、公国以外のブルガリア諸地域を代表する代議員も含まれていた。これは、国境問題に対して、ブルガリア人が激しい感情を抱いていたしるしである。実際、マケドニアでは民族闘争を再燃させようとする動きもあった。
ねえ、ロシアお兄ちゃん。
なにクマ?
ボク…やっぱりオスマン帝国の支配下にあった頃の方が良かったよ。
……はい?(´Д`;)
だってこれじゃあ、ブルガリア民族が国境線で分断されたも同じだよ。
オスマン帝国の支配下なら、少なくともブルガリア人は1つにいられたもん。
…で、ムスリムの虐殺に怯える毎日に戻るクマ?
その件なんだけど…オーストリア帝国がハンガリーに歩みよる形で『オーストリア・ハンガリー二重帝国』を成立させたのと同じような妥協案を、トルコ朝廷に対して求めようと思うの。
………
この案で支持が得られるよう、ボク、列強の国々に代表団を送って懇願しようかと思うんだ。
どうかな、ロシアお兄ちゃんも賛成してくれるよね?
列強の支持さえあれば、トルコ朝廷も受け入れざるを得ないだろうし。
「こうした議論は、どれもロシアを困惑させるものであった。」 ―― 『ブルガリアの歴史』より
はっきり言うクマ、ブルガルア議会には列強の政府と直接交渉する権利なんてないクマよ。
え゛〜、どうして〜〜〜?(  ̄ 3 ̄ )
オレは露土戦争が終わったばかりで、国力を消耗しているクマ。
これ以上、バルカン情勢を複雑にするような事は止めてほしいクマ。
…(うーん、他の列強もきっと『ベルリン体制を勝手に変えるな』だろうなぁ)
うん…分かったよ。
分かればよろしい。
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しかし国民は分かっていませんでした。
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東ルーメリア州とマケドニアは、ブルガリアの領土だ!
おいブルガリア。
なぁに、ロシアお兄ちゃん。
目障りだ、あいつらを黙らせろ。
どうして!?
ロシアお兄ちゃんなら、ボクの悔しい気持ちも分かってくれるでしょ?
いや、お兄ちゃんだって悔しくないの?
正当なサン・ステファノ条約が、イギリスやドイツの不当な圧力で潰されたんだよ!
そもそもお兄ちゃんが露土戦争で戦ったのは、ボクたちの――
「ぶち」
「ぶち」?
オレは本当は露土戦争なんかやりたくなかったクマー!
煤i ゜Д ゜;)
お前ら南スラヴ人が民族主義で騒ぐと、我が国のパン・スラヴ主義者も騒ぎ出すクマ!
おかげでイギリスやオーストリアと衝突する危険を冒して、戦争する羽目になってしまったクマ!
今度また同じ騒ぎを起こしやがったら、ブチ殺すぞマジで!
(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
俺は今、アフガニスタンの支配権をめぐってイギリス野郎と対立しているクマ。
だからバルカン半島で騒動は起こすな、いいな?
※いわゆる「グレート・ゲーム」である。
う、うん…ブルガリア人の民族主義者は、自治領ブルガリア公国の政府が取り締まるよ。
バルカン半島で『情勢の変化』なんて無いから、安心してよ。
分かればよろしい。
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しかし民族主義者はメゲませんでした。
ブルガリアの政府も大変ですね。
マケドニアは完全にオスマン帝国領であるうえに、自治領ブルガリア公国からの援助もなければ、諦めざるを得ません。
しかし東ルーメリア州は、オスマン帝国領といっても行政は現地ブルガリア人に大きく譲歩した、言わば『半ブルガリア自治州』です。
だから民族主義者たちは、東ルーメリア州の領土復帰にターゲットを絞ることにしたのです。
東ルーメリア州では、そこでは少数派であるイスラム教徒を保護するようベルリン条約で決められていましたが…
しかし「ここはブルガリア領」と考える民族主義者たちは、公然とこの規則を破り、州の内閣ともいえる常任委員会をすべてブルガリア人で独占してしました。
※常任委員会には、東ルーメリアでは少数派であるイスラム教徒の代表者を入れるよう義務付けられていた
東ルーメリア州では少数民族の権利が保護されていたとはいえ、こうして政治機構はブルガリア人によって握られてしまいます。
しかし東ルーメリア州を自治領ブルガリア公国に統合するには、まだ障害が2つ残っていました。
何ですか、それは。
1つめ…東ルーメリア州は経済的にも安定していたうえ、自治領ブルガリア公国の議会政治が安定していなかった為に、統合を躊躇する有力者も多かったこと。
加えてオスマン帝国が軍事力で阻止する可能性もありましたので。
2つめ…それは欧米列強の態度です。
欧米列強は自治領ブルガリア公国をロシアの属国と見ていたので、ブルガリアの領土拡大はロシアの勢力拡大と見ていました。
しかしながら…ブルガリアが鉄道問題や銀行の経営権の問題でロシアの圧力を拒絶したことで、
「ブルガリア公国はもうロシアの属国とは言えない」
…という認識が広まっていたのです。
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後はタイミングを図るだけだ!
我ら『ブルガリア秘密中央革命委員会(BSCRC)』が、東ルーメリア州でブルガリア市民軍を決起させ、クーデターを電撃で成功させるのだ!
迅速に既成事実を作り上げたら、他国も統合を容認するしかないだろう!
1885年9月…東ルーメリア州でクーデター
というわけでお兄ちゃん、東ルーメリア州はボクと統合するからね。
……。(←ブチ切れる寸前)
御免なさい、御免なさいお兄ちゃん!
仕方なかったんだよ、御免なさい!
謝罪はいいから、こうなった事情をオレに分かりやすく説明しろクマ。
俺はつい最近、お前の口から「バルカン情勢が変わることは無い」と聞いたばかりクマよ。
だって…いくらボクが民族主義者を取り締まっても、東ルーメリア州は外国も同じなんだもん!
外国で地下活動して電撃クーデターをされたんじゃ、止めることなんてできないよ!
それに未然に防ごうにもクーデターの情報なんて、単なる噂も含めて色々ありすぎるんだもん…
誰が言い訳しろと言ったーっ!
御免なさい、御免なさいお兄ちゃん!
仕方なかったんだよ、御免なさい!
それでお前はどうして、クーデター派に迎合して東ルーメリア州の統合を決めたクマ?
お前が断ったらそれで済む話クマ。
御免なさい、御免なさいお兄ちゃん!
仕方なかったんだよ、御免なさい!
だから謝罪はいいから、オレとの約束を無視して統合を決めた理由を、分かりやすく説明しろクマ。
だって、みんな「統合!統合!」「ブルガリア公よ、ご決断を!」と鼻息を荒くして迫るんだもん!
ここで断ったら、ブチ切れた国民に追放されちゃうよ!
誰が言い訳しろと言ったーっ!
オマエは作者の会社の上司かよ (ボソ
↓オスマン・トルコ
イケマセーンね、ブルガリア君…
ベルリン条約で決めた国境線を破るとはいい度胸じゃないか。
そっちが平和条約を破ってくれた以上、報復に我が軍を…
死にたくなければ、お前は黙ってろ。
(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
「バルカン―歴史と現在」 ジョルジュ・カステラン p170
イスタンブール駐在ロシア大使は、トルコ朝廷に対し、ロシアはルーメリアを以前の状況に引き戻そうとするトルコのいかなる軍事介入にも反撃すると通告したのである。それゆえトルコの抗議は、たんなる外交的なものにすぎなかった。
…おいブルガリア、お前が領土を広げるのは、個人的な感情としては悪くない。
だけど俺に「バルカン情勢に変化はない」と約束した直後にコレでは、もうお前を信用できないクマ。
…ショボーン(´・ω・`)
お前の国から、全てのロシア軍の顧問を引きあげるクマよ。
そんな!国防がガタガタになっちゃう!
「ブルガリアの歴史」 R・J・クランプトン p138
1885年のブルガリア統一は、重大な外交危機を生んだ。ロシアは、アレクサンダル(ブルガリア公)がバルカン情勢の安定を請け合ったばかりであることから考えて、彼が裏切り行為を働いたのだと断じた。ロシア皇帝は報復措置として、ロシア人将校と軍事顧問全員に、ブルガリアから引き上げるよう命じる。これにより、ブルガリア軍には、大尉より上位の将校は一人もいなくなった。ブルガリアが危険な状態に置かれていることは明白だった。
まぁまぁロシアさん、そう怒るものでもありませんわ。
そうですの、別にブルガリアがちょっとぐらい広がってもOKですの。
元はお前らが押し付けた国境線だぞ。
どうしてそんなに無頓着でいられるクマ?
だってそれは「ブルガリアはロシアの属国」だと思っていたからです。
でも鉄道建設や銀行経営でロシアの圧力をはねつけたんだし、ロシアの属国という認識は間違いですわ。
だったら少しぐらい領土が広がっても、地中海に達しないなら文句はありませんよ。
ブルガリアがロシアの味方じゃないのなら、むしろ領土が広がったらロシアへの牽制に使えるですの。
…オマエラ…。
わーい♪
「ちょっと待ったぁ!」
↓セルビア
その領土拡張、ワイは認めへんで!
↓ギリシャ
そうよぉ、認められないわぁ〜。
ナニよ、あんた達には関係ないでしょ!
マケドニアならともかく、東ルーメリア州の統合問題なんて、完全にブルガリアだけの問題だよ!
お前は自分のワガママのために、みんなで話し合って決めたベルリン体制を変えろ言うんか?
そうよぉ、各自が自分の領土要求を言い出したら、平和にならないわぁ〜。
だからワイにも領土の拡張が認められるべきやで!
激しく同意だわぁ〜!
「ブルガリアの歴史」 R・J・クランプトン p138
ギリシャとセルビアの示した反応が、大きな脅威としてブルガリアに迫ってきた。両国は、ブルガリアに国土の拡大が許されるのならば、自分達にも領土の補償が行われて然るべきであると要求したのである。
……。
……。
……。
……。
…じょ、冗談よぉ〜、冗談に決まっているじゃない。
もうみんなして本気にするんだからぁ、オホホホホホホホ ( 汗
賢明ですわギリシャさん、外交で重要なのは空気を読 ―――
ワイは納得いかへんで!
ワイにも領土拡張を補償せいや!
……。
というわけで…おいブルガリア、お前んとこの領土を頂戴するで!
ロシア軍の庇護がないお前なんて楽勝や!
そ、そんなー!
1885年、11月13日
セルビア、ブルガリアに宣戦布告
なんですか、この斜め上な展開は。
当時のセルビアは内政のゴタゴタで、ちょっと国王の人気が下降気味だったのですよ。
そこに「親分」であるオーストリアからも勧められて、領土拡張&国内の不満そらしです。
で、戦争の行方はどうなるお?
セルビア軍は、無防備な国境地帯を楽々と突破しました。
「無防備」?
ブルガリアは東ルーメリア州を統合した時点で、オスマン帝国による武力介入を警戒していました。
だからブルガリア軍は南部国境に配置してあり、セルビアとの国境である北西部は守りが薄かったのですよ。
しかしながら…
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わははははは! このまま一気に首都ソフィアを陥落させ ―――
ZDOOOOOOOM!
ぐはぁっ!
アラーフ・アクバル!(アラーは偉大なり)
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ブルガリアのムスリムたちが、セルビア軍の進撃を食い止めました。
完全な"他国"であるセルビアの領土になったら、ムスリムなんて下手すれば虐殺ですからね。
こうして日数を稼いでいる間に、ブルガリア軍の本体が戦場に到着します。
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_ /- イ、_ __ /: : : : : : : : : : : ( 〈〈〈〈 ヽ /: : : : ::;:;: ;: ;:;: ; : : : ::ゝ 〈⊃ } {:: : : :ノ --‐' 、_\: : ::} ∩___∩ | | {:: : :ノ ,_;:;:;ノ、 ェェ ヾ: :::} | ノ ヽ ! ! 、 l: :ノ /二―-、 |: ::ノ / ● ● | / ,,・_ | //  ̄7/ /::ノ | ( _●_) ミ/ , ’,∴ ・ ¨ 〉(_二─-┘{/ 彡、 |∪| / 、・∵ ’ /、//|  ̄ ̄ヽ / __ ヽノ / / // |//\ 〉 (___) / / // /\ / ブルガリア セルビア |
お、覚えてやがれーっ! つД`)
勝った…まともな将校もいない急造の混成部隊だけど…ボク勝ったんだよ!
もうブルガリアの東ルーメリア州の統合を邪魔するヤツはいないよ!
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ブルガリアはブカレスト条約を結び、セルビアと講和しました。
ここにブルガリア公は、列強からも東ルーメリア州の総督を兼ねることが認められたのです。
まだその地位は不安定なものであり、得られた賠償金もわずかなものですが…
1886年4月 ブカレスト条約
東ルーメリア州、自治領ブルガリア公国に統合される。
そしてセルビア公国にも、大きな影響を与えました…
セルビア国王ミランはこの『不要な戦争』による敗戦で、致命的なまでに国民の支持を失います。
親オーストリアだったセルビア国王の失墜は、セルビアを親ロシアに向けて押し出すことになるのです…
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年表
1875年 ボスニア・ヘルツセゴヴィナで大規模な農民反乱
1876年 4月革命 → 反乱は鎮圧され、多数のブルガリア人が虐殺される
1877年 露土戦争
1878年3月 サン・ステファノ条約の締結→7月にベルリン会議 (ベルリン体制の始まり)
自治領ブルガリア公国の誕生
1879年2月 憲法制定の会議
1879年7月 アレクサンダル・バッテンブルグ、『ブルガリア公』となる。
1883年4月 ブルガリア議会、オリエント鉄道の優先を立法化
1885年 マケドニアにてブルガリア人が蜂起 → オスマン帝国に鎮圧される
1885年9月 東ルーメリア州にてクーデター発生 → ブルガリア公、統合を決意
1885年11月 セルビア、ブルガリアに宣戦布告 → ブルガリアの勝利
1886年4月 ブカレスト条約