[PR]テレビ番組表
今夜の番組チェック





 オーストリア帝国には、イギリスやフランスのような海外植民地はありません。
そんなオーストリア帝国が経済を発展させるには、2つの航路の確保が必要でした。

 1つめは、ドナウ川の水運です。
ドナウ川はドイツ→オーストリア→バルカン諸国を経て、黒海に達します。
そもそもオーストリアの首都ウィーンが発展できたのも、ドナウ川のおかげですから。




――― ドナウ川





 川って、交易路としてそんなに重要なんですか?

 ええ、とっても。
とくにドナウ川はライン川に匹敵する国際河川で、東欧の動脈と言ってもいいです。
狭い国土を速く流れる日本の河川とは違います。




 ドナウ川 (MSNエンカルタ 百科事典

ドナウ川は、西ヨーロッパと黒海をむすぶ重要な航路として、古くから利用されていた。ローマ時代には帝国領域の北限となった。中世初期になると、ゴート族、フン族、アバール人、スラブ人、マジャール人などがドナウ川をこえて、ローマ帝国へ、そして後にはビザンティン帝国へと侵入した。十字軍遠征の際には、ビザンティン帝国へいたる幹線路であり、さらに、そこから聖地までをむすぶ主要な交通路であった。

14世紀末にはじまるオスマン帝国の中央ヨーロッパと西部ヨーロッパへの進出にも利用された。19世紀には、ドイツの工業中心地とバルカン半島の農業地域をつなぐ交易ルートとなった。この時期には、中流と上流の大半がオーストリア帝国に、下流は衰退していくオスマン帝国に属していた。



 我が日本政府も開発援助のため、ドナウ川に連結する港の開発に円借款をしています。
つまりドナウ川の水運の発展は、その流域の国にとってそれだけ経済効果がある、ということですよ。



 ルーマニア基礎データ (外務省ホームページ

日本は体制転換後のルーマニアの民主化・市場経済化を支援するため(※1)、1991年より技術協力、文化無償資金協力による経済協力を開始し、その後1996年のコンスタンティネスク大統領の訪日を契機に円借款及び一般無償資金協力を実施した。
これまでのルーマニアへの円借款供与案件として、「コンスタンツァ南港整備計画(約128億円)(※2)」、「道路整備計画(約92億円)」、「ブカレスト=コンスタンツァ間鉄道近代化計画(約256億円)」、「トゥルチェニ火力発電所環境対策計画(約287億円)」があり、ルーマニア側から高い評価を得ている。

※1 ルーマニアは旧共産圏であり、悪名高きチャウシェスク大統領による独裁体制だった。
※2 コンスタンツァは黒海沿岸の都市で、ドナウ川とは運河で連結されている。





 へぇ〜。

 鉄道や道路が発達した現在でさえ重要な河川です。
昔がどれだけ重要だったか、想像がつくかと。


 さて2つめはアドリア海の航路です。
なにせ地中海に出られるんですから、これが経済にどれだけ重要かは分かりますよね。




 海外に植民地を持たないオーストリア帝国にとって、ドナウ川とアドリア海の経済圏の発達こそが、帝国の生命線でした。
しかしそのためには、どちらもセルビアが障害になるのは分かりますか?

 ドナウ川は分かりますよ、接しているんだし。
でもなんでセルビアが、アドリア海の航路の障害になるんですか?

 仮にセルビアが西に領土を広げたとします。
まぁモンテネグロとの統合でもいいですし、アルバニアの征服でもいいですが。


↓適当な未来の予想図


 軍港を築いて海軍を持てば、セルビアはアドリア海を封鎖できますね。
なにせイタリア半島とバルカン半島では、いちばん狭いこの海峡の幅は73kmしかないですから。




 「ハプスブルグ・オスマン両帝国の外交交渉」 藤由順子 p193

イタリア半島とバルカン半島の間に存在するアドリア海においては、容易に閉鎖海になりうるという地理的特徴が、この海の政治的および経済的な意義に少なからず寄与した。
(中略)
この海峡を押さえた者が、閂を下ろすようにこの海域を閉ざすことができ、アドリア海全体の支配者になりえたのである。



 このためオーストリア帝国にとっては、セルビア王国を支配するか、せめて取り込んでおく必要があったのです。
そうすればドナウ川においても、アドリア海においても、オーストリア帝国の経済圏は安泰ですからね。





 1881年、カールノキ(オーストリア外相)

いかなる手段をとるにせよ、もしセルビアがわが国の勢力下にあるならば、あるいはもっと望ましくは、もしセルビアをわれわれが支配しているならば、ボスニアと住民をわが国が所有することについても、下ドナウとルーマニアにおけるわが国の立場についても、心配は無用となる。
その場合にはじめて、わが国がバルカン諸国におよぼす権力基盤が固められ、重要な利害が一致するだろう。








第一次世界大戦への道

―― ハプスブルグ帝国の滅亡 ――


第3話 "大セルビア帝国の夢(2)"


:::::::::::::::::::::::::::::    ,.-ヽ
::::::::::::::::::::::   ____,;' ,;- i                         へ、     /;へ\
::::::::::::::::::   ,;;'"  i i ・i;                       // _l::|___l::|_ヽ:ヽ
:::::::::::::::  ,;'":;;,,,,,, ;!, `'''i;          / ̄ ̄ ̄ ̄\,,     |l/−、 −、:::::::::::::::`::|
:::::::::::  ,/'"   '''',,,,''''--i        /       __ヽ    /::::::|  ・|・  | 、::::::::::::::\
:::::::::  ;/  .,,,,,,,,,,,,,,,,,   ;i'⌒i;       |       |   |、   /::/ `-●−′ \:::::::::::ヽ
:::::::  i;"     ___,,,,,,,  `i".       |       ∩─| |  ,|/ ── |  ──   ヽ:::::::::|
::::::: i;    ,,;'""" `';,,,  "`i;      |      ∪  `l   |. ── |  ──   .|::::::::|
::::::: |  ''''''i ,,,,,,,,,,  `'--''''"       ヽ __/  _.ノ    | ── |  ──    |:::::_l_
::::::: |.    i'"   ";               |――― 、".      ヽ (__|____  /::::|
::::::: |;    `-、.,;''"             /  ̄ ̄ ̄ ̄^ヽ∞=、  \           /:::,/|
::::::::  i;     `'-----j          | |      |  |っ:::::)  l━━(t)━━━━┥.

    オーストリア              セルビア         ロシア&フランス




 そして…前回の後半で話したように、1881年の秘密協定によってセルビア王国(1882年より王国となる)はオーストリア帝国の属国となりました。

 珍墺ポチになったわけだお。

 オーストリアさまの許可を得たんですか? 得てないでしょ?

 セルビアのミラン国王にしたら、ロシアの後ろ盾がない以上、他に選択肢がありません。

 独立国としての誇りがあるなら、自主国防だお!
これに反対する奴は、セルビア人とは言えないお!

 そんな知能指数の低い愛国者サマみたいなこと言わないで下さい。
セルビア王国の首都ベオグラードはオーストリア帝国との国境にあり、戦争になれば簡単に砲撃されます。
"列強"オーストリア軍の侵入を食い止める天然の要害は、国境がわりのドナウ川だけなんですよ。
そんな地政学的に脆弱なセルビア王国が、他の列強の後ろ盾も無くオーストリアと敵対するのは自殺行為です。


 さて…


 オーストリアにとって、セルビア王国を手なずけたことで南スラヴ人の問題は解決したかに見えました。
オーストリアにとって一番厄介な南スラヴ人は、セルビア人でしたからね。


 しかし…『属国』と呼ばれる国が、必ずしも言うとおりに動くわけではありません。
"属国"は何らかの利害が一致するから"属国"の地位に甘んじているのであり、それを忘れて手綱さばきを間違えたり、あるいは"属国"の国内事情によって、離反して敵陣営に走ってしまうケースがあります。

 つまりセルビア王国がそうだと?

 はい。
そもそもセルビア人は「同じスラヴ、同じ正教徒」で親ロシアであり、そのためセルビア王国の政治も「親オーストリア」と「親ロシア」の2つの路線の対立でした。
セルビア国王のミランは国益の為に親オーストリア路線だったのですが…


 しかし政府の親オーストリア路線は、不運と失政によって頓挫してしまいます。


 オーストリアとの協定で鉄道建設にとりくんだ政府ですが、鉄道事業に出資する予定だった外国資本が破産し、セルビア公国は国家予算をも上回る損失を被ってしまったのです。





↓セルビア
 ゼ、ゼニがぁ〜…ワイの大事なゼニがぁ〜…





 この財政スキャンダルのせいで、セルビア国王ミランは、いきなり支持率が大幅ダウンしてしまいます。

 初詣で  をひいた作者なみに運が無いお。

 こうしてミラン国王と政府の支持率が下がると、野党である親ロシア派との政治闘争が泥沼化…まぁミラン国王の暗殺未遂騒ぎとかも起こってしまうわけですがー。

 ドツボでつね。

 しかしミラン王の威信を決定的に傷つけたのは、ブルガリアとの戦争でしょうね。

 ブルガリア?

 ああ、露土戦争のあと、ベルリン条約で自治区になれたところでつね。

 最初にサン=ステファノ条約で広大な領土を約束されていたこと、でもベルリン会議で領土を大幅に削られたことは、本編の第6話で話しましたよね?


 しかしブルガリア人は諦めず、削り取られた領土を取り戻して統合しました。
しかしこれは、領土の拡張を狙うセルビア王国にとっては都合が悪いことだったのです。

   ・
   ・
   ・
   ・

 ブルガリアがパワーアップしたら、それだけワイがバルカンで領土を広げにくくなるやんけ!
今のうちにボコっておかんと、後でマケドニアを征服する際の障害になるかもしれん。


 ちょうどブルガリアは、"保護者"だったはずのロシアと、外交上のいさかいで仲が冷えている。
ロシア帝国の後ろ盾を失ったブルガリアなんて、さして怖くもないわ。


 …問題は、ワイがブルガリアに戦争をしかけても、列強が黙認してくれるかどうかやな。

↓オーストリア
 私なら構わんよ、セルビア君を支持しよう。

 ヒャッハー!

 ブルガリアの領土拡大は、ベルリン条約への違反行為だ。
南方に少し領土を拡大するぐらいならいいから、ちょっとお仕置きしてやりたまえ。

 感謝するで、オーストリアはん♪
これで財政スキャンダルで失ったワイの人気も回復やで!

   ・
   ・
   ・
   ・

 こうしてオーストリアの容認を得て、セルビア王国は自治領ブルガリア王国に対し、

「ブルガリアに領土の拡張が認められるのなら、我が国にも認められるべきである」

…と言い出して、実力でブルガリアの領土を奪取にかかります。




 「ブルガリアの歴史」 R・J・クランプトン p138

ブルガリアに国土の拡大が許されるのならば、自分達にも領土の補償が行われて然るべきであると要求したのである。






1885年 11月13日

 セルビア、ブルガリアへ宣戦布告







 助けて、無防備マン!

 …まぁDQNの巣窟なのはバルカンの伝統ですが…
ちょっと不思議に思うことが。

 なんでしょうか。

 ブルガリアって、ロシアの属国でしょう?
そのブルガリアがベルリン条約で削られた領土を復活させて、他の列強は何も文句を言わなかったんですか?
「ブルガリアの拡大=ロシアの拡大」だったから、ベルリン条約で領土を削られたはず。

 ロシアがブルガリアに対して保護者づらして横暴に振舞うので、ブルガリア側から反発を受け、両国の仲は冷えきっていました。
そのため他の列強も、

「ロシアの保護国とは呼べなくなったなら、ちょっとぐらい領土を増やしてもいいんじゃない?」

…という態度を取りました。


 だからこそ、セルビアもブルガリアに戦争を仕掛けることができたのです。
ブルガリアにロシアの後ろ盾がある状態なら、間違ってもブルガリアに戦争を仕掛けることはできません。
実際、ロシアは駐屯させていたロシア軍をブルガリアから撤退させていましたので。

 例えはアレですが、日米同盟が消えて在日米軍がいなくなった瞬間に、中国やらロシアやらが攻めてくるようなものですね。

 このへんの詳細ついては、長くなるので別のページにまとめています。
よろしければ、こちらもどうぞ。



→ ブルガリア小史 『東ルーメリア州の統合』



 …で、この紛争はどっちが勝つんだお?

 セルビア側の敗北です。
この時のブルガリア軍は、宗派を問わず住民の献身的な協力を得て奮戦しました。
敗走したセルビア軍をオーストリアが守らなければ、ブルガリア軍はセルビア王国の首都ベオグラードまで追撃していただろう、と言われています。

 セルビア王国…もしかして、すっげーカッコ悪くないですか?
イチャモンつけて侵略して返り討ちだなんて。

 ええ、すっげーカッコ悪いですね。
おかげでセルビア国王のミランは、国民から壮絶なブーイングに晒されます。

   ・
   ・
   ・
   ・

 ……まさか負けるだなんて…おかげで国民からもソッポ向かれてしもうた…

 うむ、私が国民ならば「国王はロープをつけずにバンジージャンプしろ」と要求するだろうな。

 …あのな、オーストリアはん…ワイもう、自分の国を運営していく自信が無いわ…

 まぁ、元気を出したまえ。

 …セルビア王国を、オーストリア帝国が併合してくれへんか?

 …はい?? (´Д`;)

「オーストリア史」 エーリヒ・ツェルナー著 参照


 このまま貧乏な山間国で落ちぶれていくなら、いっそ列強に併合されたほうが、豊かにもなれるやろ。

 部下と相談させてくれ。





 オーストリア政府、それからハンガリー政府。

↓ハンガリー政府
 お呼びですか、我らがハンガリー国王陛下にしてオーストリア皇帝陛下。

↓オーストリア政府
 …お呼びですか…皇帝陛下…(ぼそ

 セルビア王国に「いっそ併合してくれ」と打診されたんだが、どう思うかね?
オーストリア政府と、ハンガリー政府の双方の意見を聞いておきたい。

↓ハンガリー政府
 ……。

↓オーストリア政府
 ……。

   ・
   ・
   ・
   ・

 そもそもオーストリア帝国に " オーストリア人 " など存在しません。

オーストリア帝国とは、カトリック系ドイツ人に支配される多民族国家です。

(ちなみにドイツ帝国のドイツ人はプロテスタントが中心)

 しかしドイツ人の支配体制は、「クリミア戦争での外交の失敗」「対イタリア戦争と対ドイツ戦争での敗北」によってほころびが出ていました。

※1859年のイタリア統一戦争と、1868年の普墺戦争

 このためオーストリア皇帝は、ドイツ人による単独支配をあきらめます。

 …で、他民族からなる連邦制にでもしたんですか?

 「連邦制」にする案は、既得権を失いたくないドイツ人の反対でボツです。

 でもそのドイツ人による支配が無理なんでしょう?

 そこでドイツ人は、国内で二番目の勢力を持つハンガリー人(マジャール人)に対等の地位を認め、代償に帝国への協力と献身を要求したのです。
この決定を「妥協(アウスグライヒ)」と呼び、オーストリア帝国は「オーストリア・ハンガリー二重帝国」となりました。
そしてオーストリア皇帝は「オーストリア皇帝 and ハンガリー国王」となり、2つの地域を支配する皇帝となったのです。

 
まぁ簡単に言えば、当時のオーストリア帝国は、ハンガリーの意見を尊重せねばならない立場だったのですよ。

   ・
   ・
   ・
   ・

 これは願ってもないチャンス… (ぼそ
ドナウ川を中心に経済圏を確立するにも、セルビアの完全支配は必要… (ぼそ

 ……陛下……

 ……ご決断を…

 ハンガリー政府の意見は?

 セルビアの位置だと…併合されたら我がハンガリー政府の管轄よ。
これ以上スラヴ人の人口を増やすのは、ハンガリー政府にとって不利益だわ。


※ハンガリー政府は、しばしば領内のスラヴ人を異分子として扱い、差別的・抑圧的であった。


 ベルリン会議のとき、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの『併合』に反対したのと事情は同じよ。
あれから状況は何も変わっていないわ。

 …分かった、ではハンガリー政府の言い分に従って併合は拒否しよう。
まぁセルビアはすでに支配したも同じ状況だからな。


   ・
   ・
   ・
   ・

 ハンガリーのアイコン、なんで裸にエプロンなんだお?
いやまぁハァハァできていいですが。

 ハンガリーの首都ブダペストといえば温泉。
あそこの温泉では、女性はエプロンをして入湯するらしいんです。

 金髪のお姉さまが、裸エプロンで温泉にっ!?
ちょっとハンガリーまで行ってきます!


 はいはい、金髪、金髪。

 えーと、話は戻りますが…

 はい。

 後の歴史を考えると、併合しちゃった方が良かったんでは?

 セルビア国民が受け入れるとも思えませんけどね。
それに出来もしないことを「もしもそうしていたら」と言っても、埒があきません。


 さて、話を進めましょうか…


 こうして国王ミランは名声を失い…
国王はこの政治の危機を乗り切るため、親ロシア派の政党にすり寄ります。
まぁ敵側への妥協ですね、意地を張っても政局は好転しませんから。


 しかしそんな綱渡りな政治をしている中…トドメのスキャンダルが起こります。
セルビア国王ミランが親オーストリアであることは、何度も言いましたよね。

 ええ。

 でも国王のお嫁さんである王妃ナターリヤはロシア将校の娘でした。
そのため王妃ナターリヤは親ロシアだったのです。

 …夫婦で列強の代理戦争だお?

 ただでさえ仲が冷えつつあった夫婦関係に加え、王妃ナターリヤは夫のミラン国王の親オーストリア路線に反発します。


 ミラン国王は恐れました。



「いつかロシアの後ろ盾を得て、自分を退位に追い込もうとするのではないか?」



 疑心暗鬼にかられたミラン国王は、王妃ナターリヤを離縁
すると元々親ロシアの傾向があるセルビア国民は、ミラン国王に対する反発もあって一斉に抗議しました。




 王妃さまを離縁などと、国王はけしからん!



 この国王への反感を追い風として、野党である親ロシア派は新しい憲法の制定を要求します。



 憲法で、愚かな国王の権力を制限するのだ!



 新憲法を制定すべく、制憲議会の選挙が行われたのですが…

結果はミラン国王に対する国民の不信を見せつけるものでした。

議会の8割は、野党である親ロシア派の議員で占められたのです。


 政権交代ってレベルじゃねーぞ。

 こうして新しくできた憲法では、議会の力が強まりました。

要するに「ミラン国王は引っ込んでろ」というメッセージですね。

 ついにミラン国王はセルビア国王にとどまることを断念し、退位します。
そしてセルビア国王と王妃は国外に退去し、まだ若い息子アレクサンダルが新たなセルビア国王となります。

 若いって、何歳でつか?

 この時、まだ13歳です。

 ………

 んじゃ政治は誰がやるお?

 それが…離縁されて里帰りした王妃ナターリアと、王位を退いて国外退去したはずの前国王ミランが、
セルビアにCome Backしてきたのです。

 ソロモンよ、私は帰ってきた!

 …あれ?

 どうしたお?

 でもパパである前国王のミランと、ママである前王妃のナターリアって仲が悪いんじゃ?
それで2人がカムバックしたところで、誰が権力を握るんです?

 親オーストリアの前国王ミラン派と、離縁された親ロシアの王妃ナターリア派に別れて政争が繰り広げられました。

 ……

 「これではイカーン」と、議会はミランに莫大な手切れ金を払って、セルビアから追放します。
ちなみにこの手切れ金、その大半はロシア皇帝のポケットマネーですけどね。
議会には親ロシアの議員が多かったですから。

 さてこのややこしいドタバタ劇、他の欧米諸国は様々な思惑で注目していました。




↓注目する欧米諸国

 +  ∧_∧
    (0゚・∀・) + ワクワク
  oノ∧つ⊂)   テカテカ
  ( (0゚・∀・) +
  ∪(0゚∪ ∪
 +  と__)__)
 +  ∧_∧
    (0゚・∀・) + ワクワク
  oノ∧つ⊂)   テカテカ
  ( (0゚・∀・) +
  ∪(0゚∪ ∪
 +  と__)__)



 さて若い息子である国王アレクサンダルは、やがて成長すると、両親の評判が悪いことに乗じて決起します。
17歳になったアレクサンダルは成年に達したことを宣言して、名実ともにセルビア国王の座につきました。
そして自分の後見人だった摂政たちを逮捕しちゃったのです。

 …へ? 自分の後見人なんでしょ?

 要するに新国王アレクサンダルは、独裁志向の強い困ったチャンだったのですよ。
国王アレクサンダルは憲法の廃棄を宣言し、おかげでやはり国民の支持が得られません。

 ダメじゃん。

 しかも国王アレクサンダルは、何を血迷ったか前国王ミランを助言者として呼び戻しました。
ミランは国民の人気が無くて退位した上に、セルビアの政治を夫婦喧嘩で混乱させていた事を思い出してください。
しかも追い払うために、多額のお金を手切れ金として支払っています。

 そんなのを呼び戻すって、ちょっと空気を読まなさすぎですね。

 加えてアレクサンダル国王は、母である王妃ナターリヤの女官だったドラガという女性との結婚を言い出しました。
このドラガさん、何かといかがわしい噂のある12歳年上の未亡人でして。

 なに、年上の未亡人だとっ!?

 未亡人のどこがいいんだお?

 人のものなのに人のものではない、このシチュエーションが男心をくすぐるのです。

 ( 無視 ) 国王アレクサンダルは部下と両親の反対を押し切って結婚します。
そしてミラン前国王と王妃ナターリア、それに2人を支持する人はまとめてセルビアから追放されちゃいました。

 そこまでして結婚した王妃ドラガですが、やはり国民の評判は良くありませんでした。
この間、セルビアの議会は欧米諸国のメディアに対して

「国王のきまぐれによる独裁」

…を訴え続けたのです。


 欧米諸国は事の成り行きを注目しました。


↓注目する欧米諸国

 +  ∧_∧
    (0゚・∀・) + ドキドキ
  oノ∧つ⊂)   ワクワク
  ( (0゚・∀・) +
  ∪(0゚∪ ∪
 +  と__)__)
 +  ∧_∧
    (0゚・∀・) + ドキドキ
  oノ∧つ⊂)   ワクワク
  ( (0゚・∀・) +
  ∪(0゚∪ ∪
 +  と__)__)



 そしてこのドタバタの後には、コメディーが続きました。

この姉さん女房である王妃さまが妊娠したのです。

 つまり未亡人とナマでやったんですねっ!

 そんな中学生みたいなこと言わないでほしいお。

 あれ、でもそれって…めでたい事じゃないんですか?

 王妃ドラガは、妊娠できない体だったのですよ。

 ………はい???

 要するに、子供が産めないのに「王妃さまが御懐妊!」と発表したのです。

 ……えーと……

 どこかの赤ちゃんでも連れてきて、自分たちの子供だと言い張る気だったんですかね?

 まるでアルスラーン戦記だお。

 このへんの真相はよく分かりません…が、厄介なことがおこりました。
王妃ドラガは、前国王に離縁された王妃ナターリヤの女官だったのは話しましたね?

 それがどうかしたのですか?

 ナターリヤは知っていたのですよ、自分のかっての女官は妊娠できない体であると。
ナターリヤは出産予定のちょうど1ヶ月前に、ロシアの宮廷医をセルビアの首都に派遣しました。
そしてその派遣された宮廷医は、この懐妊がペテンであることを明らかにしたのです。


 そして欧米諸国は、斜め上なスキャンダルに驚愕しました。



↓ 驚愕する欧米諸国


ギャハハ                             イキデキネーヨ
   ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄   ハライテー       ゲラゲラ
   ( ´∀`) < これ何て週刊誌?    ∧_∧       〃´⌒ヽ       モウカンベン
.  ( つ ⊂ )  \_______   (´∀` ,,)、      ( _ ;)        シテクダサイ
   .)  ) )   ○   ∧_∧      ,, へ,, へ⊂),     _(∨ ∨ )_     ∧_∧ ○,
  (__)_)  ⊂ ´⌒つ´∀`)つ    (_(__)_丿      し ̄ ̄し     ⊂(´∀`⊂ ⌒ヽつ
          タッテラレネーヨ
           ワハハハ




 このギャグとしか思えない展開に、ついにセルビア軍部の怒りが爆発したのです。







「もうウンザリだ!もうたくさんだ!」



「おかげでセルビアは、いい笑いものだ!」







 ブチ切れた軍部は国王と王妃を射殺し、死体は宮殿の窓から転がされました。
西欧諸国はこのクーデターに慄然としましたが、当のセルビア国民からはまるで反発がありません。
よーするに国王夫妻は嫌われていたわけですね。

 …まぁ…それで落ち着くのならそれで。




 「ユーゴスラヴィア史」 スティーブン・クリソルド p138

1893年、若い王は自分が丁年に達したことを宣すると、摂政達を逮捕し、1889年憲法を廃棄した。国内は騒然となり、激しい派閥争いにエネルギーが浪費された。
(中略)
1900年の夏、部下の大臣や軍隊、人民の反対を押しきってアレクサンダルは、きわめて過去のいかがわしい、一般には石女と信じられていた女官と結婚した。つぎつぎに危機が訪れた。憲政は茶番と化しつつあった。混乱と陰謀が横行し、財政は破壊され、国中あらゆることが失敗したと感じられた。
ついに1903年6月10日、王と王妃は残酷に殺害された。この格別いまわしい状況は、セルビアに対する信用を失墜させた。
しかしセルビア人は皆、オブレノヴィッチ家がこれで根絶したと聞かされても、安堵の胸をなでおろしただけだった。
楽隊が演奏し、ベオグラードは旗で飾られた。




 …でもセルビア王家が断絶したら、国王はどうなるんだお?

 はるか昔に政争に敗れて国外に亡命していた、傍系の王族がいましたので。
名前はペータル、新たなセルビアの国王です。


1903年 6月15日

ペータル、セルビア国王に即位



 このペータル国王が、セルビアの歴史…ひいては世界の歴史に決定的な影響を及ぼします。


   ・
   ・
   ・
   ・

 ワイは今までの国王と違って、議会を大事にして国民の声に耳を貸すで!
まずは廃棄させられていた憲法を復活や。


 ペータル!ペータル!


 憲法はリベラル色の強いモノにするから、国民は自由に思うところを言ってくれや。
そして議会も改革して、もっと効率のよい制度にしようやないか!


 ペータル!ペータル!




 「バルカン史」 スティーブン・クリソルド p89

彼はアレクサンダルに比べ、はるかに有能で、国民から信頼を受けた支配者であった。
彼の時代には、めざましい内政改革が行われ、効果的な議会制度も樹立された。




 またセルビア政府は貿易の拡大にも力を入れましたが…
地図を見れば分かるとおり、セルビアは内陸国であって、海に出る航路はありません。
セルビアが海外と交易するには、他国の領内を通っていかねばならないのです。

 このため、貿易の拡大を求めれば求めるほど、「海への出口」を求めるようになったのです。
こうしてセルビア王国の中には、領土の拡大を求める声が強くなっていったのです。





 「セルビア拡大せずんば死あるのみ!」





 くわえてペータル国王は自由主義を尊重したので、国民は「大セルビア主義」を唱えはじめました。

 なんか皮肉だお、国が活性化した結果、紛争の火種になっていくって。

 だけど「海への出口」と言いますが…具体的にはドコを通るんですか?

 1つめはマケドニアをゲットして、テッサロニキからエーゲ海に出るルートです。
このルートを重視するセルビア人は、マケドニアに出向き、当地のスラヴ語系住民に大して「宣伝」を始めます。

 あいも変わらず、ハタ迷惑な連中ですね。





 マケドニアを自分の領土とすべくプロパガンダ合戦をしていたのは、ブルガリアやギリシャも同じです。
ギリシャなんて、マケドニアに住むスラヴ語系住民を

「彼らはギリシャ人だよ、ただちょっとギリシャ語を忘れただけだよ」

…と言い張るぐらいですから。


 しかし多くのセルビア人が目を向けたのは、ボスニア・ヘルツェゴヴィナです。
ここを手に入れることができれば、西を最短距離に進んでアドリア海に出られます。
ここはオーストリア帝国が支配しているとはいえ、所有はあくまでオスマン・トルコ帝国ですから。


 加えて…道路網が発達し、国民に教育が行き届くほどに、両国の往来が活発になってきました。
双方が触れ合うことで、「オーストリア帝国によって支配される南スラヴ人」と、「独立国を持ち、新国王のもと、活発なセルビア」の対比が際立ってきたのです。

 でもそれ、オーストリア帝国にしたら面倒な事態では?

 ええ。




 「ユーゴスラヴィア史」 スティーブン・クリソルド p138

教育の進歩と交通の改善にともない、クロアチア=スラヴェニアと南ハンガリーのスラヴ人たちの関係が緊密となったが、この"和解"は、もはやベオグラードの宮廷で好遇されていなかったオーストリアがおおいなる疑念をもって眺めたところだった。
オーストリア=ハンガリーから経済的隷属を強いられていたため、セルビアはいっそう海への出口を求めた。
「セルビア拡大せずんば死あるのみ」が合言葉となった。



 まずい…このままではまずい…何とかせねば…

 …何とかして、セルビアを叩かねば!

   ・
   ・
   ・
   ・


 オーストリア帝国にとっては極めて厄介な事態になってきました。

加えてペータルは、親ロシア・親フランスだったのです。

 ロシアとフランスじゃ、まるで毛並みが違うと思うお。

 ロシアとフランスは、1891年に露仏同盟を結んだ同盟国です。
露仏同盟は対ドイツ用の同盟であり、要するに当時のヨーロッパ本土は、

ロシア・フランス vs ドイツ・オーストリア

…の2つの陣営に別れて睨み合っていたのですよ。


↓イギリス
 「ドイツは新たな脅威です」

↓ロシア
 「ドイツに捨てられたクマ」

↓フランス
 「ドイツ死にやがれですの」

イギリス・ロシア……英露協商(1907)
イギリス・フランス…英仏協商(1904)
ロシア・フランス……露仏同盟(1891)
↓ドイツ
 「フランスうざいわね」

↓オーストリア
 「ロシアが脅威だ」

独墺同盟(1879)
 ↓イタリア
  「ドイツは好きだけど、オーストリアは嫌いだニャ」

 ドイツ・オーストリア・イタリア…三国同盟(1882)
 イタリア・フランス…仏伊協商(1902)


 あら? ロシアはドイツと縁を切ったんですか?
しかもライバルだったイギリスまでも同じ陣営にいるし。

 ドイツはビスマルク宰相が退陣した後、親ロシア路線を止めまてしまいました。
孤独になったロシアは、ビスマルクによって孤立させられていたフランスと露仏同盟を組みます。
またロシアは日露戦争の敗北で挫折し、そのためアジアでの領土拡大が無理になりました。
ロシアが領土の拡大をあきらめさえすれば、イギリスとは対立する理由もありません。
ですので日露戦争のあと、ロシアとイギリスは因縁を捨てて英露協商を結んでいます。


 しかし国王が親ロシア・親フランスであり、国民が親ロシアとはいえ…
当時のセルビアは、経済ではオーストリアに従属する国でした。

 不平等条約でも結ばされたんだお?

 いえ、相互に最恵国待遇の協定を結んでいます。
しかしセルビアは人口の大半が農民であり、農産物の輸出の他にはさしたる産業がありません。
加えて海を持たないため、安定して供給できる巨大な市場は、隣国のオーストリアだけです。

 他のバルカン諸国は?

 ラミエルさん、ブルガリアとは過去に紛争をおこしたでしょ。

 当時のセルビア王国は、

「セルビアが農産物をオーストリアに輸出し、その代金でオーストリアから工業製品を買う」

…という、典型的な経済従属パターンです。

 そこでペータル国王は、まず経済でオーストリアの支配からの脱却を目指しました。

   ・
   ・
   ・
   ・

 まずはブルガリアと仲直りして、通商協定を結ぶんや!
それからフランスとも協定を結んで、そっちから兵器を購入すべきやな。

 待ちたまえ!

 なんや?
ワイが誰と経済協定を結ぼうが勝手やないか。

 セルビア君、君は私に逆らって生きていると思っているのかね?
君の国の農産物を買ってあげているのは私なんだよ?

 ブルガリアと経済協定を結ぶことは認められない。
それだけではない、今後は全ての軍需品を、我がオーストリア帝国に注文したまえ。

 お前はビ●・ゲイツかよ。




「我ガMS帝国ノOSヲ買イナサイ」
「日本ノ国産OSナドハ認メラレマセン」
「欠陥?不安定?ソレハ仕様デス」
            ※音声は変えてあります



 「ユーゴスラヴィア史」 スティーブン・クリソルド p139

1905年、セルビア人はブルガリアと関税交渉をはじめた。バルカン諸国の分裂状態を望むオーストリアは、ただちに反対し、あまつさえ、セルビアは軍需品の注文をすべて二重君主国におこなうべしと命じた




 調子に乗るのもほどほどにせいや!
そんな横暴な要求、ワイが飲むとでも思うてるのか?

 ならば結構、セルビアの経済が誰に支えられているのか、たっぷり味わいたまえ。


 セルビアの畜産品には、獣医学上の問題がある。

よってセルビアからの豚の輸入を全面禁止とする。


 煤i゚д゚lll)

   ・
   ・
   ・
   ・

 この経済戦争を豚戦争と呼んでいます。


 このオーストリアの禁輸措置は、セルビアにとって致命的でした。

セルビアの輸出品の9割はオーストリア向けで、

またそのうちの8割が豚だったからです。


 オーストリアに豚の輸出が出来なくなることは、単純計算でセルビアの輸出品の7割が市場を失ったことを意味します。

 経済制裁ってレベルじゃねーぞ。

   ・
   ・
   ・
   ・

 …こ…このままでは我が国は干されてまう…つД`)

 ふふふ、経済を制する者は外交を制する。
属国の分際で私に逆らうなど、無駄無駄無駄なんだよ。

↓フランス
 セルビア産の豚肉、私が買ってもいいですの。
我がフランスの市場からなら、他の欧米諸国にも売れるですの。

 ヽ(゚∀゚)メ(゚∀゚)メ(゚∀゚)ノ 

 Σ(゚Д゚;≡;゚д゚)

 その代わり、フランス製の大砲『シュネーデル・クルーゾ75ミリ砲』を購入してほしいですの。

 オッケー! ちょうどワイも大砲機材を更新したいと思ってたとこやで!

 そ、そんな…

 オーストリアさんの言う通りですの、経済を制する者は外交を制するですの♪

↓ドイツ
 あ、私もセルビアの豚肉を食べたいわ。

 Σ(゚Д゚;≡;゚д゚)

 どうしたの?

 ドイツ君、君と私は独墺同盟を結んだ同盟国じゃないかっ!
それなのにセルビアの肩を持つのかねっ!?

 それは対ロシア用の軍事同盟でしょ。

 ………。

   ・
   ・
   ・
   ・

 この豚戦争は、あらゆる意味でオーストリア外交の失敗に終わりました。
この豚戦争が、セルビア=オーストリアの歴史に与えた影響は3つあります。


 まず1つめ…
民族主義には興味の無かった普通の農民までもが、反オーストリアに染まりました
前にも言いましたが、セルビアの人口の多くは農民です。


 2つめ…セルビア人は、

「自国の畜産品を自由に輸出するには、海への出口が必要である。」

…と、あらためて領土拡張の必要性を感じました。


 3つめ…この豚戦争の勝利により、セルビア王国はオーストリアへの経済依存から脱出します。
セルビア王国への経済カードを失うことになり、残された対セルビアのカードは軍事力の行使だけになってしまいました。


 ここに、ミラン国王以来の「オーストリア帝国の属国」の地位から、セルビアは脱出します。

 強気に出たら、思いっきり逆効果になっちゃいましたね。

   ・
   ・
   ・
   ・

 こ、このままではマズイ!
このままでは…このままでは…何か手を打たねば!

↓ハンガリー
 良いではありませんか陛下。
我がハンガリーの農民にとって、セルビア王国の畜産品はライバルですわよ。
セルビアの畜産品の輸入が減ることは、帝国の国益にかなうと思いませんか?

 それにセルビア王国なんて、どれほどの脅威なのでしょう。
人口は我が帝国の1割程度、首都ベオグラードは簡単に砲撃できる位置にありますわ。

 ……このままでは……国内のスラヴ人が…反オーストリアで結束…

 ……セルビア王国……彼らの結束の旗印に…なりうる…

 …彼らが結束して…蜂起すれば…アドリア海への出口を失う…
…アドリア海の出口に住んでいるのは……南スラヴ人の…クロアチア人…
……それに…ドナウ川の経済圏も…失う…

 だったら取り締まったらいいじゃないのよ。
だいたいロシア帝国といい南スラヴ人といい、スラヴ人はDQNぞろいだわ。

 …ダメだこいつ…早くなんとか…しないと… (ぼそ

 小声で話しても聞こえているわよっ!

 …ハンガリー領内の南スラヴ人が反抗的なのは…政府の異民族統治が抑圧的だから…
…ハンガリー人に…我らドイツ系と同じ指導的立場を認めたのは…間違い…

 言ったわね!
そもそも「ドイツ人の特権を失いたくない」といって、二重帝国の体制を決めたのは誰よ!
私の支持と協力がなくて、帝国を維持できると思っているの!?

 頼むから国内でモメないでくれないかっ!

 ……

 ……

 …このままでは…このままでは…

 …ですが皇帝陛下…ご心配には…及びません…我が二重帝国は…安泰…

 ほう?

 …我が国の最大の脅威は…ロシア帝国

 そんなの分かっているわよ、だからドイツと同盟しているんじゃない。

 …そのロシア帝国とは…1897年に…バルカン半島の現状維持を約束……

 …1904年にも…バルカン絡みでない限り…戦争が起こっても…お互いに中立を約束……

 …スラヴの本拠地であるロシア帝国と…友好である限り…二重帝国は…安泰…
…たとえスラヴ民族主義者が騒ごうと…おさえられる…

 ふむ、たしかに考えすぎかもしれんな。
最大の脅威であるロシア帝国との外交は、現在のところ順調なんだし。

 ロシアと上手くいっている限り、バルカン諸国は私の力でおさえられる。
今のセルビアは親ロシアだから、ロシアの助力なくしては、セルビアも簡単に領土の拡張などできまい。

 二重帝国に、栄光あれ。

 ……栄光…あれ…



→ 第4話 「ボスニア危機(前編)」へ
→ TOPページへ
→ 前回に戻る


【 関連年表 】

1878年 独墺同盟 →ドイツ・オーストリアの二国間同盟

1880年 オーストリア=セルビア協定が成立、セルビアを南北に走る鉄道建設が計画される。

1881年 セルビア公国、オーストリア帝国と通商協定を結ぶ。 また『秘密協定』として、

      1.反オーストリアを扇動する民族運動の取り締まり
      2.他の列強と無断で外交条約を締結しない

…を約束し、事実上の属国となる

1882年 セルビア、公国から王国に。(国王は親オーストリアのミラン

1882年 鉄道建設に出資する企業が倒産、国家予算を上回る3500万フランの損失を被り、政府の支持率が低下。

1883年 親ロシア派の急進党、ミラン王の暗殺を計画 → 失敗し、反乱 → 鎮圧される。

1885年 ブルガリアの領土拡張に干渉、宣戦布告 → 敗北、ミラン王の威信は地に落ちる。

1888年 ミラン王、親ロシア派の王妃ナターリアを離縁 → 国民から反発を受ける。
議会は国王に新憲法を要求、憲法制定のための議会選挙では、親ロシア派の急進党が8割の議席を占める。

1889年 ミラン王、13歳である息子のアレクサンダルに王位を譲り、退位。

1891年 露仏同盟。ヨーロッパ本土はロシア・フランスとドイツ・オーストリアの対立軸となる。

1893年 オーストリアとの秘密協定が発覚し、批判を巻き起こす。
     アレクサンダル王、自分の後見人である摂政を逮捕し、憲法を廃棄。
     ミラン前国王、セルビアに帰還。

1900年 アレクサンダル国王、母のナターリア王妃の女官であるドラガと結婚。

1903年 アレクサンダル国王ならびに王妃ドラガ、暗殺される。

      変わって、親ロシア・親フランスであるペータル一世が即位

1904年 日露戦争

1905年 日露戦争、終結→ロシア、バルカン半島での勢力拡大に乗り出す

1906年〜1911年 豚戦争