事件特報(1)
H19.2.17
監禁虐待事件


     元警官、現職中に妻の両親を
         遺産目当ての監禁虐待!!

平成18年3月まで山形警察署の警備係長として勤務し現在は退職金を手にして退職した警察官の事件である。
その監禁事件の出来事は現役時代の平成10年ころから平成14年の天童警察署勤務時代のお話です。

 この警察官は、山形県の南陽のサクランポ農家で昭和20年に生まれた。
昭和40年山形県の警察学校を卒業し警察官を拝命した者で、各交番回りから昭和48年に見合い 結婚で、○○稲荷神社の娘と結婚した。

 その結婚した娘の母親は、元々帯広近郊で酪農家を営み暮して居たところへ○○稲荷神社の次男が居座り結婚に至った。
その後、酪農家の土地が値上がりしてきたのを機会に二人の子供を連れて山形へ移住し、長男後継ぎしているのに入り込んで共に○○稲荷神社

の神主を始めた。
その二人の子供の長男は、山形の県立工業高校を卒業しから北海道警察本部の機動隊に勤め札幌で暮していた。

○○稲荷神社の母親は、売却した帯広の農地の金を当てにしている夫と山形移住の際に離婚を考えて財産分与をしていた。
思った通り夫が生活費を全く入れない事から、将来を考えて山形から札幌へ移住し一足早く長男と一緒に同居していた。

 その長男が私である。
母親は、私が昭和50年機動隊で放射線被爆した事から「札幌にアパートを建てるから退職して身体の治療をするように。」と勧めて山形の代替えし

ていた土地を売却に札幌から山形へ戻った。
その母親の預金や土地の財産を狙ったのが娘と夫の警察官である。

この娘夫婦は、札幌への移住を阻止する為に毎晩○○稲荷神社へ戻った母親に押掛けた。
 ○○稲荷神社の父親も、土地を売却させないようにする為にと母親の土地へ勝手に建築業者へアパートの図面依頼を既にしていた。

 その為に母親は、土地の売却できなくなり建物を建てた後で直ぐ纏めて高く売却しようと考え昭和55年までの間に山形市松山の土地へ自宅用の建物と隣にアパートを並べて建てた。

その後直ぐ建築業者を通して母親が売却しようと動き出したところ、今度は○○稲荷神社で生活していた父親や娘の妹夫婦が自宅用の松山の建物に居座り始めた。
 
そして、毎晩母親に対して札幌への移住を断念するようにと娘夫婦と父親3人で責め立てた。
昭和62年、妹夫婦は居座っていた実家の二階から出て山形市内の中桜田に広い土地を買い家を建て実家から出た。

それからも娘夫婦は、毎晩松山へ通って北海道への売却移住に反対して母親を責め立てた。
その原因で母親は糖尿病を悪化させ平成2年2月17日失明し倒れて遂に寝込んだ。

それをチャンスと倒れた当日の深夜、娘が松山の実家へ押掛けて寝ていた母親の枕元の全財産の入った「手提げ」を盗もうとした。
気が付いた母親が、何すると言って手提げのベルトを引っ張って阻止したところ、その手を叩いて強奪して逃げた。

その時、別の部屋で寝ていた父親は、その騒ぎに対して一切知らぬ振りしていた。
母親は、サイフの現金から預金通帳、アパートの家賃振込み預金通帳、土地の権利書、実印など全て奪われ一円も所持金が無くなり札幌への

逃避も出来なくなった。
それから以降は、娘夫婦によって拘束され札幌の私との電話連絡されないように電話を隠したり監視されていた。

平成2年の秋には、母親から奪い盗った預金通帳からお金を引き出して、自分たちの中桜田の家の横に六畳二間の監禁用の家を建て母親を
松山から、その「離れ。」と称する監禁用建物へ拉致した。

それに対して父親も娘夫婦に協力する立場を取っていたと母親が告白している。
そして母親に対し娘の妹夫婦が「私達の言う事を聞かないと承知しないぞ!!」と「札幌の息子が来ても余計な事を言うな、札幌へは帰らないと言え。

」と言って脅迫していた。
私や親戚の者が実家へ立寄りそうになった時には、中桜田から母親を松山の実家へ戻して付き添い介護を妹夫婦が装っていた。

私が平成5年に札幌で自営していた「北海道警護サービス」や「日本特捜探偵社」の会社の本社事務所を山形の松山実家へ移転しようと電話を移設して来た時には一切母親は中桜田の「離れ。」に隠したり、父親に「亨を札幌へ帰らせれ言え。」と強与し反対させていた。

私も父親が昼間真っ暗にして茶の間の食卓のテーブル下で寝ていたり異常な行動していたり、毎晩の妹夫婦の抗議から札幌へ引き揚げた事件が
あった。

既に平成5年から父親は、○○稲荷神社の神主を他人へ引き渡していたし、又母親も眼の治療し徐々に歩き回れるようになったが全ての行動は、妹夫婦の監視されて一切の自由を拘束されていた。

平成10年ころには、父親の方の認知症が始まりボケて来たので、松山の実家から「離れ。」へ連れて来られて母親と一緒に監視される状態になっていった。

その間に松山の実家からは、父親の預金通帳から株券、恩給年金などを妹夫婦が、盗んで取りあけて始めていた。
当然、平成2年から母親のアパート収入や預金通帳から勝手にお金を卸して使い込んでいた。

平成12年の西暦2000年、コンピューター誤動作問題に措いて、後で詳しく取上げますが母親がそれぞれの子供名義で預金していた富士銀行山形支店事件がある。

更に平成13年夏には母親を妹夫婦が山形の公証人役場へ連れ回して「全財産を娘に渡すと言え。」と脅したが、母親が「札幌の息子に渡すからお前等になど遣らない。」と公証人に言った事から、叩いたりその罰として「離れ。」での食事を与えず一週間の断食させる虐待事件を妹夫婦が起して

いる。
この事件も詳しく、後で取上げましょう。

平成20年現在までに措いて、妹の警察官夫婦が父親から騙したり盗んだ金額は、預金していた定期の2750万円以外に母親からも相当の預金などを盗んだり使い込んでいることが判った。

その他に、私を困窮さらる為の様々な工作をヤクザを使ってしていたことが明らかになって来たので、各事案ごとお読み下さい。


公証人役場へ連れ回し全財産渡さない
と怒り罰に一週間 断食の虐待介護!!

 父親が平成10年頃に入ってから少しずつ認知症の度合いが酷くなり掛かっていた。
逃走の心配は無かったが、確りしていた母親を札幌へ逃避させない為に、平成13年には両親二人を「離れ。」に完全に監禁した上、二人に対して

一日の食事を母親の糖尿病を理由にして業者へ委託し、一日二食のスプーン3杯程度約50グラムのお粥に味噌汁を湯のみ茶碗に一杯に限定して頼み込んでいた。

なお、食事の時間やオムツの交換の時間を午前10時と午後5時にして全て業者を使って配達させたり最低の介護をさせていたことが母親の告白証言から明らかになった。

介護や配食の業者の方も「糖尿なので最低カロリーでないとダメなの。」と言い訳をしていた妹夫婦が警察官でもあった事から、「助けて欲しい。」と言っても信用されなかったと母親は言う。

 最低の食事の待遇監禁から一週間もしない間に空腹から直ぐ眼が回って立てなくなりベットで二人共夫婦は、歩く事も出来なくなってベットへ横たわる日々を過ごすようになり、その後には排便排尿にも立てなくなって業者の介護を受けさせられた。

風呂に関しても妹が必ず監視し妹の自家用車やデーサービスの車両を呼んで一ヶ月に一回程度同じところへ連れて行かれて介護業者に洗ってもらったので、妹の娘からは一度も風呂も食事も介護して受けたことが無いと母親は告白している。

 ただ、指爪や足の爪切りに対しては、「私の言うことを聞かないと承知しないぞ!!」と脅され業と深爪されて痛くて何度も泣いたと告白している。
そして耳糞に関しては、何年も一度も掃除していないので詰まって人の話が聞こえなくなって来てボケたようにさせられていた事が判った。

 

母親セツが帯広の娘へ逃避

平成13年の10月ころ「離れ。」で監禁されていた母親は、「このままなら娘夫婦に殺される。」と思い何とか嘘を言って逃避を謀った。
それで母親が最初に結婚し死に別れた先夫の長女が北海道帯広市の酪農して居た側に嫁ぎ住んでいるので妹の娘夫婦に「婆ちゃんが死ぬ前に

一度、逢って措きたいので帯広の娘 ○○梅子に逢わせて欲しい。」と頼み込んだ。
それに対して妹夫婦は、渋々と応じて帯広へ飛行機で同行し連れて行った。
 
この帯広の父親違いの私の姉は、私とは仲が良くお盆や正月には毎年山形の実家へ帰らずに何時も警察官時代から、お土産を手にして親代わりにして泊まりに行っていた。

しかし、母親が嘘を妹夫婦に言って逃避した、この平成13年秋ころまでには私が「父親や母親から多額のお金を無心しているから気を付けるように。」と嘘を言って根回ししていたことが判った。

それに依って、母親が逃避して帯広へ来て居ても平成13年の12月に入るまで一切私への電話連絡もしなかった。

母親が何度か札幌の私へ連絡して欲しいと頼んでも「留守で居ない。」とか嘘を言って応じなかったと母親が告白している。

しかし、私がたまたま母親との連絡が取れないことを気にして帯広の姉へ電話したところ、隠し切れなくなって母親が帯広へ来て居ることを話した。

それを聴いて直ぐ、私は帯広の姉の家へ札幌から向かった。
そして久しぶりの母親との対話をすることが出来た。

帯広の姉の家は、帯広市内の競馬場近くに位地し、同じ酪農家の隣へ嫁いだが早くから住宅や商店街の開発が進み土地が高騰して帯広市内でもニトリ家具など大手が店舗を出して、姉の家は土地成金になっていた。

母親は何とか帯広の娘の家へ逃避したものの山形の娘夫婦との会話から、帯広の娘も山形の娘夫婦と共謀していることを察して一切助けて欲しいことを頼めなかったと私が母親と逢ってから話した。

私が母親に逢いに帯広の姉の家に泊まった際にも、姉が必ず監視している状態の中なので、母親も山形の娘夫婦から財産を奪われた事情をなかなか話さなかった。

しかし、様子がおかしいので私が母親を問い詰めたところ母親が「土地の権利書や預金通帳、実印など盗られた。」と話した。
それを聴いてから直ぐ、姉と私は山形の土地が売却されていないかなどの調査に向かった。

それまでの間、母親や姉と帯広の温泉や母親が最初に結婚して苦労した帯広市音更などへ泊り掛けで楽しんだ。
その時の母親の画像で、この時はすっかり糖尿病も良くなって監禁断食からも回復し太って杖を突いて一人で食事も排便も自分でしていた。

 山形の妹夫婦と帯広の姉が事前に共謀して
姉が私と山形調査へ同行!!

 私が母親から土地の権利書や預金通帳、実印など盗られていることを聴いて、母親の頼みから財産の入った手提げを取り戻す為や土地が売却されていないか等を調査に向おうとしたら、帯広の姉が「私も一緒に行く。」と言い出して同行した。

山形へ着いても直ぐ、私達は妹夫婦の自宅へは行かないで山形駅前近くのホテルに宿泊して山形市役所で土地の売却されていないかの調査から始めた。

ホテルでの姉からの話で初めて母親が妹夫婦の隣に「離れ。」を建て母親が生活していたことや、既に我が家の家のお墓を山形の市内に建てていたことが判った。

お墓を姉から案内されたり又、母親の土地が売却されていないことや松山の実家の建物が父親との共同名義で登記されていない事、母親の山林が父親の名義で登記されている事の事実を調査から私は知った。

調査も終わり最後の山形を離れる日に、妹夫婦の山形市中桜田の自宅へ姉から案内されて妹と逢って母親から盗んだ手提げのガバンの要求をしたが、姉が割り込んで来て「私が話しするから二人にさせて欲しい。」と言い出し私は、姉を信じて任せておいた。

ところが、姉は妹と約30分程度話していたが結論がでないと「後で母親へ届ける約束をしたから帰ろう。」と私に言い出し私も、それに応じて帰った。

この時、姉の案内で廊下続きになっている「離れ。」の建物に初めて母親が暮して居たと言う部屋を見たが、バリヤフリーも施してなく台所も風呂も無い監禁用に窓も茶の間に一箇所しか無い部屋であった。


ボケた父親を同行して妹警察官夫婦が帯広へ
母親へ土地の権利書と実印を返還へ

  山形から帯広へ姉と戻っても妹夫婦から返還に来る連絡が無い事から、母親と相談して妹警察官夫婦に対して内容証明の手紙を郵送し返還を
求めた。

一週間が経っても返事が無いので、妹の夫の警察官が勤務している天童警察署長へ山形県警本部の友人を通して相談して返還を求めて再び要求したところ、平成13年12月30日の午後6時30分ころ突然、父親と妹警察官夫婦の三人が帯広の姉の家に来て、母親の土地の権利書と実印だけ

を投げ捨てるように置いて30分もしないで立ち去った。
この時、私が父親に対して母親の松山の実家の建物の共同名義のことや山林が父親の名義になっていることに対して事情を聴こうとしていたが、

父親が「25万円貸したの返せ。」とか「25万円を貸せ。」とか訳の判らないことを何度も叫んでいるだけで話にならなかった。
妹の夫警察官は、母親に「婆ちゃんが預かって欲しいと頼んだから預かっていたの忘れた。」と言い寄って責めていたが、母親は盗んだと主張して

いた。



母親の札幌へ行きに脅し
母親へ山形へ帰ると 強与!!

 その後、私は母親の居る帯広へ札幌から平成14年1月の末までに三往復して母親と札幌で一緒に暮らす準備などの話などした。

私は、母親を札幌へ迎えるために正月休みのあけるのを待って札幌へ戻り、不動産屋を走り回りバリヤフリーのマンションを探して帯広へ戻った。

しかし、この時には既に私が母親から離れている機会を利用して、妹夫婦と姉とが共謀して母親を脅し「亨が札幌から来ても札幌へは行かないと言え、札幌へ行ったら必ず亨の居ない留守に行って酷い目にあわせるから覚悟していな。」と妹から何度も姉の携帯電話に掛かって来て脅されたこと

を、後で母親から告白された。
私は、マンションを契約して帯広へ母親を迎いに行ったら帯広の姉が「婆ちゃんは、お前と一緒に札幌へは行かないと言っているし、逢わないと言っ

ている。」と嘘を言い私に逢わせようとしなかった。
母親は、姉の家の以前地下室だったところを桁上げして一階へして改装した部屋に姉と一緒に寝ていたが、母親を二階へ連れ去り鍵を掛けて逢わ

せようとしないので諦めて札幌へ帰る為に時間待ちをしていたところ、二階に居た母親が姉へ頼んで「もう死ぬまで逢えないので最後に亨を見送りさせて欲しい。」と言って見送りの姉の運転する自家用車に無理やり同乗して来て帯広駅へ三人で向かった。


帯広駅まで姉と一緒に見送りの帰りに
母親が娘から拳骨や抓られる暴行をされた!!

 帯広駅構内を母親が歩くのが遅いので、姉の娘が母親の車椅子を借りて息子私の乗る列車を待った・・・しかし、その際に、母親が札幌へ戻る息子私に「山形へ帰ったら山形の娘に殺されるな。」と不意に話し出した。

 息子は不信に思ったが・・・・「婆ちゃん冗談でも良いけれど、もう生きて逢えないかもしれないね。」と涙くんで言い返した。
「母さんが札幌へ来て暮したくないと言うなら俺も仕方が無い帰るさ・・・・、元気に何時までも長生きしてね。」と手を振って時間前に車椅子に乗って

いる母親と車椅子を押す姉とホームに入らない前の通路で息子の私は、別れた。
母親は、最後に助けに来て貰えると信じて私に言ったと後で告白している。

 母親と息子が別れて手を振り見えなくなったところ、直ぐ人目に付かない場所に車椅子のまま母親が姉娘に連れられて娘から母親が「余計なことを喋って。」といきなり拳骨で3回頭を叩かれた上に口元をおもい切り裂けるほど抓られたので「痛い。」と言って「親に向かって何する、この馬鹿者。

」と叫んだと母親が娘の梅子を怒ったと言う。
その後、直ぐ山形へ連れ戻されたが、一週間も口が腫れて痛かったと告白している。


帯広への逃避と息子へ話したことに対しての
母親へ厳しい妹警察官夫婦の制裁

 帯広へ逃避した母親を又脅して札幌の私と暮そうするのを娘の警察官夫婦が妨害した。
山形へ帯広の姉の家から食事もさせないで姉は飛行機に無一文で母親を乗せ送った。

それを山形空港まで山形の娘の妹警察官夫婦が待ち受けた。
そして、母親が山形へ着くなり直ぐ妹夫婦は、自宅の「離れ。」へ入れ、母親が背負って持ち帰った土地の権利書と実印の入ったナップサックを取り

上げ再び又、妹警察官夫婦が手に入れた。
その後、母親に対して「私達に嘘を言って帯広へ逃げて、この恩知らずが許さない。」と言い、更に「亨へ余計なことをベラベラ喋って罰として一週間

何も一切食べさせないからね。」と言い再度監禁した。
当時、同じように父親も「離れ。」に入れられていたと母親が告白する。


息子が必ず助けに来ると信じて
待ちに待った・・・と涙流す母

 母親は、帯広から何も食べていなかった事もあって平成13年の夏に公証人役場で娘警察官夫婦から公証人へ言うとおりのことを言わなかった罰として一週間の断食をさせられた時より、最初からお腹が空いていたので三日目には全く立つ事も喋ることも出来なくなったと告白した。

「きっと帯広駅で亨に山形へ帰ったら殺されると言って別れたので、必ず迎えに来て助けてくれる。」と信じて頑張っていたと私に涙を流しながら告白した。



公証人役場へ連れられた時の証人夫婦の妻が
断食6日目にお茶の差し入れ!!

 平成14年9月6日、父親が口答遺言の公正証書を妹との間で作成した時の証人 大嶋夫婦の妻でもあり、又母親が平成13年夏に山形公証人役場へ妹夫婦に連れ回されて「全財産を娘に渡すと言え。」と強与された時にも証人の大嶋夫婦の妻が、監禁されている「離れ。」へ6日目の午後3時

過ぎに突然現れて、湯のみ茶碗に一杯のお茶を持って来て一緒に断食させられて寝かせられていた父親と母親に飲ませて帰ったと母親が告白した。

この時に一杯のお茶を飲んでからは記憶が無くなり気が付いたら「ピーポーピーポーと一日何回も救急車の来る病院のベットに寝かせられていた。」と告白し、そして母親は、数日経過して脳梗塞で倒れて大学の付属病院へ運ばれて入院している事が判ったと話した。

母親は、平成16年に山形大学付属病院へ再入院したらしく平成14年度の入院資料は、5年以上経過している事から事実関係の資料が私が調査しても判らなかったが、平成16年に入院した診断書は、入手できた。

この大嶋夫婦は、私が山形へ平成17年10月移住し、この事実を母親から聴いて母親の実印を改印したり、又母親の財産を私に全部名義を書き換えると母親が言い出し公証人へ行った時に、公証人が証人二人として紹介した夫婦でもあった。


山形大学付属病院から山形徳洲会病院へ
母親は担当看護師ごと転院させられ、
更に、その看護師等や担当医へ賄賂を!!

 山形徳洲会病院が開業したのが平成17年10月である。
それに合わせて母親は、山形大学付属病院から母親の担当看護師や介護士と共に転院させられている。

従って、妹警察官夫婦は山形大学付属病院の時から母親の担当看護師や介護士達へ多額のお金を渡して賄賂を使っていたものと思慮される。
その賄賂を使っていた事は、妹自ら渡しに母親へ逢いに平成17年10月9日山形徳洲会病院へ向かう時に「この病院は、母親の病状から直ぐ退院さ

せられるところ、特別に看護師や担当医に多額のお金を包んで渡しているから退院させられない。」、そして「だから亨君が勝手に退院させようとしたり、外出させる事は、私達の許可がなければ出来ないことを頭に入れて措いてね。」と妹から忠告されている。


父親が他界前に 「騙され全部盗られた。」と
私へ告白!!

 平成17年12月1日、他界する二日前である。
何時もの時間午後3時20分ころ私は、父親が入居している「さくらパレス」の二階個室へ入った。

一週間前に転んで腰を骨折しベットに寝ていたが、風邪も良くなり父親が「婆ちゃんへ風邪も良くなったから元気だと伝えて欲しい。」と頼まれた。
そして、洗濯物を取りに行って又父親の部屋へ戻って私が「何か食べるか。」と聴いたら「いらない。」と言い、暫くして父親が「亨は、札幌へ帰らな

いのか。」と聴くので「何言っているの、もう山形の実家へ戻って住んでいるから帰らない。」と答えたら、父親が「○○に騙されて全部盗られたわ。」
と私に言った、私は「何盗られた。」と聴いたが父親は、何も言わなかった。

父親もボケているから何か盗られたのを気にして言ったのだろうと私は、思って直ぐ母親へ伝えるからと父親の個室から立ち去った。


父親の不自然な呼吸不全死

平成17年12月3日、山形の桜田「某パレス」の老人施設の個室へ入れられていた認知症でボケた父親が息子が午後3時15分ころ行って「婆ちゃんに腰も風邪も治ったので何でも無いと言って欲しい。」と言う内容の話をして洗濯物を引取り母親の入院している某病院へ向かった後、妹が父親の

個室へ一人で来て約2時間も居て帰って約30分後に係員が介護へ回った時には既に心肺停止していたとのことであった。
 その日は、息子の当番の日で洗濯物などの届け回収や様子を交替で見るのが娘と息子の約束であったのに、午前中と息子が立ち寄った後で娘

が二回も出入りしていた。
 娘は、自宅でも手作りの食事が少なく買い物の惣菜が多く洗濯物も病院から引き揚げたものは感染症に掛かると危ないと言って全て洗濯業者を

利用している人間で、漬物なども漬けない家庭的な主婦でなく母親も息子も娘夫婦の家庭料理での食事を一度も食べた事も無いし、風呂も入った事も無い家庭で、一日に二度の出入りも絶対に過去にも無いことである。


妹警察官夫婦が一変して態度を変え、父親の
玉串料から埋葬許可証まで盗み取る!!

 父親が他界し、神主なので神式で行われた。
当日は、「さくらパレス」から午後11時過ぎに松山の自宅へ運ばれ、妹夫婦は直ぐ帰ったので私一人で父親の遺体と一晩蝋燭の見張り番で過ごし

た。
 翌日、早朝妹警察官夫婦が来て義理の弟の警察官が「山形の葬儀業者も判らないだろうし、任せて欲しい。」と言って出掛けた。

妹が頼んだ掃除業者の女性が来て実家の掃除を始め、妹の夫の警察官が戻って来て「爺ちゃんから預かっていた200万円から取りあえず100万円卸して来たので、50万円渡して措くから。」と私と妹に50万円づつ渡された。

一応、紳式に基づいて一連の葬儀祭りが進み親類関係者が次々に着たが、全部妹警察官夫婦が山形市西蔵王の離れたホテルに全員を宿泊させ葬儀祭の12月6日まで一切親戚関係者を松山の実家に近寄せることが無かった。

従って、私は12月3日から葬儀祭まで一睡もしないで一人松山の実家で父親の遺体と蝋燭の見張り番で暮した。
妹夫婦の手によって葬儀祭が終わっても親戚関係者を一切松山の実家へ立寄らせないで、次々に山形空港や山形駅へ送り届けて帰したしまった


私は、12月5日から札幌居住していた平成14年12月9日に、妹が保証人になって借りていた借家を大家が「妹さんが150万円で壊しても良い。」と言ったと主張して、借家を建物ごと私が出張中の留守中に全損壊され家財道具から商売道具の探偵機器などの損害賠償請求訴訟の為に、その訴

訟の時効期限があることから、札幌へ訴状を持って行く予定だった。
しかし、この父親の葬儀祭などで訴状書類も仕上げることが出来ずに郵送しても時効期間に間に合わなかった。

この時効期間の事は、妹夫婦も当然承知している事から父親の死因が「呼吸不全」である事からも不自然な他界であった。
それを親戚関係者へ話されることを避けるために実家の松山へ近付けなかったと私は、推測している。

葬儀祭は、山形の湯殿山神社で祭儀が行われたが、私が葬儀喪主代理で立ち会えないのを利用して玉串料を全部妹夫婦が持ち去り盗って行った。

数日後、その玉串料の空袋と清算書を妹夫婦が持って来て金額が合わないと言い、又埋葬許可証と一緒に計算をやり直すと言って持ち帰ったが、
その後、そのままであった。

その際に、私は50万円に関しての清算し妹夫婦に返したが、後で私の清算書が合わないとして借金として請求をして来ている。


札幌の兄を事業失敗で借金し失踪行方不明にと
近隣住民や親戚に妹夫婦が嘘の事前工作が判明!!

 平成5年に山形へ本社を移転した時には、既に山形市の知人や親戚などに、この娘の警察官夫婦が「兄は事業に失敗して行方不明になって連絡が付かない。」などと嘘を言って親戚近隣へ言い回ったり、「兄が父親や母親を脅して毎月札幌へ送金させ、そのお金で遊んで生活している。」

など言い触らしていた事が判っていたが、口だけの嫌がらせのそれだけではなかった。
父親の葬儀に措いて、親戚関係者から親戚全員に「亨君は、父母から脅して無心したり、商売で失敗して多額の借金をして失踪し、何処へ行った

か連絡も付かないし、来ても絶対に信用しないで追い返して欲しい。」と頼んでいたことが判った。それに依って、親戚関係者からの年賀状や冠婚葬祭が一切平成に入ってから私へ来なかった理由であった。



アパート家賃預金通帳の引渡しや契約書の返還を
妹警察官夫婦が拒否!!

 私が平成17年10月山形の実家へ移住し、間もなく妹夫婦が父母の収支関係の説明をした時に「12月から父母の関係の金銭収支を全て引き渡すから。」と言う約束をしたが、その12月末になっても一切連絡も無いので平成18年の年明けてから内容証明の書面で妹夫婦に全ての返還を請求し

た。
しかし、応じるどころか父親の遺骨を渡せと言って来たり、母親に対する脅しや嫌がらせが酷くなって来た。

それに対して、母親が怒って「全ての財産の名義を亨に渡すので録音テープで録音して公証人の先生に頼み、ここへ呼んで欲しい。」と母親が私に頼み、その母親の話の録音テープを持って山形公証人役場へ頼みに行った。


 全財産の名義を息子亨へ変更し渡すので公証人を呼べと言い出した母親に、妹が成年後見人手続きで妨害!!

この妹夫婦の一連の経過に対して、母親が怒って「全ての財産の名義を亨に渡すので録音テープで録音して公証人の先生に頼み、ここへ呼んで欲しい。」と母親が私に頼み、その母親の話の録音テープを持って山形公証人役場へ頼みに行った。

 山形公証人役場の 三浦宏一先生が母親の録音テープを確認して母親の意向が確りしているので認めて最初に、母親の実印の改印や妹夫婦から勝手に母親の住所の住民票が中桜田の妹自宅へ移動されていた事から、元へ戻すように勧められ、その後口答遺言の公正証書を作成するこ

とを言われ、その証人に大嶋夫婦が紹介された。
それに依って、私は母親の改印や住民票の取り戻しを終了し、私が札幌地裁の建物損壊損害賠償請求訴訟公判から帰った後の平成18年2月5日

ころ作成することを公証人と約束していた。
しかし、その証人から妹に連絡されて妹が直ぐ平成18年2月6日ころ、山形家庭裁判所へ母親の担当医に「認知症」の診断書を書かせて母親の成

年後見人の手続きを申立てた。
従って、一切の公証人と母親との口答遺言の作成も中止になり、直ぐ成年後見人の審判裁判が開始められた。


母親の足の甲が真っ青なことから
院内虐待の実態が判った!!

 平成19年の1月になってから、母親の足や上腕部の打撲痕を息子が発見して母親が問詰められて山形の娘夫婦や帯広の娘からの一連の監禁や虐待事実を告白する事になって事件が発覚する。

 平成18年1月に母親が札幌から戻った息子へ何とか全財産を移行するために公証人を頼もうとして手続きを息子に頼んだことが、平成14年9月に認知症でボケている父親から口答遺言の公正証書を既に監禁直後作成して

いた時に、その証人夫婦が同じ公証人が紹介した○居酒屋の夫婦だったのであった。
 従って、そのことが娘夫婦に連絡が行って発覚し母親に対しての娘による後見人開始裁判手続き願いが取ら

れたのであった。
 当然、息子へ裁判所から妹が母親の後見人手続き申込みに関しての被審問人の立場での回答を求められた

事で帯広への母親の逃避の一件を報告した関係から妹の申立を却下されて弁護士○○ ○氏が選任されたものである。

 
自宅やアパートの権利を主張し
山形地裁へ、建物明渡し請求訴訟中

 既に平成13年12月30日に山形からボケた父親を連れて帯広の姉娘の自宅へ逃避してきていた母親と札幌から来て居た息子のところへ山形の実家の権利書と実印だけを返還に来た妹娘夫婦は、そのご平成14年9月6日

山形公証人役場で居酒屋 ○○夫婦の証人で口答による父親の「全財産を全て妹に与える。」と言う遺言を作成しているので、すべて父親が実家やアパートを建てたし、山林も買ったと主張して所有権を主張し山形地裁へ

訴訟を起こした。
 母親は、三度の結婚で養子に入った三度目が山形の神社の次男で元々最初の結婚の際に土地を持ち、その

後の結婚で保険金が入って帯広近郊に土地を買って農家を営んでいた。
  そこへ戦争から帰還した無一文の父親が入り込んで無理やり結婚させられたのが始まりで、山形へ移転の

際には農機具と牛6頭分の昭和38年当時で約460万円を財産分与して父親へ渡し離婚を考えていた。
 ただ税金対策に山形に畑と山林を買って措いたが、息子が北海道警察官に就職したことから昭和49年には札

幌の土地を探しに住民票を移転して息子と同居していた。
 従って、山形の土地や山林の売却の際に揉めないようにと全て母親が全部の一切の支払いをしていたもので

ある。
妹夫婦が欲張って父親が全て稼いで築いたように主張しているだけで稲荷神社の神主は、他に副業の 結婚式

場でも持って経営しない限り維持が「お寺」と違って檀家が無く生活維持するのに大変で神社の修繕や息子娘の学費なども全て母親の土地に借家を建てた家賃などで賄っていたものであった。

   監禁虐待事実の隠蔽工作!!

 この徳洲会へ転院し入院中にも何度も母親のところへ来て「息子は多額の借金を背負って逃げ回って山形へ来ているのだから、私達へ全部渡して措かないと全部盗られるから。」などと母親を心配させて血圧を高くさせた

り、「監禁されていたことなど誰も信用していないし今、元気で生きているのが何よりもの証拠で裁判でも勝てないよ。」それに「お母さんは既に認知症でボケているので何を言っても証拠能力が無いので、これからも私たちの

言う事を聞いていたらお金も充分有るし息子の無一文と違って何にも心配いらないからね。」 と将来を脅している。


母が悪魔から離れて遠くで暮したい
人殺しは葬式にも一切呼ぶな!!

 母親は、娘夫婦に対して「ケムシ」「マムシ」と呼び捨てし、最近は「悪魔」とあだ名を付けている。
病院内では、直接言い争うと四人部屋なので他の患者に迷惑を掛けるので大きい声で「帰れ。」と言えないし怒らせて夜中に来て、口を塞がれて

も誰も気が付かないので殺されても捕まらないから、あまり言われないけれども・・・・「息子が24時間警護に付いてくれたら良いけれどもね。」と言う。

 朝昼晩に食事へ食堂に向かう途中に置いてあるイノシシの玩具と黒ブタの人形に対して「悪魔が来ないように親を叩くようなヤツに神さんのバチが当たるように・・・・。」と通る度に母親は祈っております。

そして「一週間も何にも多へさせて貰えなかった妹娘の夫婦には室蘭の刑務所に一生入れて下さい。」って恨んでいる。
これに対して、後見人の弁護士は、全て私の作り話として聴きいれることも無い。


妹の夫の警察官の工作手段は、
警備警察の工作手法!!

 逮捕監禁罪の時効は残念ながら5年で、この元警察官の妹娘夫婦二人を逮捕して刑務所へ送られないことにはなったが、このサイトで訴えることでの社会的な制裁を母親は望んでいる。

 私も札幌の借家の保証人になっていた妹娘が、貸主の大家に母親から盗んだ150万もの大金を渡して地方へ出張している間の平成14年12月9日の北海道の札幌の真冬最中に一日で全て損壊させ建物もろとも全て無くさせられた。

  その裁判も器物損壊は時効が3年で訴訟前平成17年12月3日に父親の他界により葬儀と重なり遅れて却下されて損害賠償金1800万相当を無にしたが傷害では物足りないし・・・これから民事でアパート家賃横領から全部返して貰う為の裁判を考えているが弁護士などの資金が必要であ

る。
妹娘の夫は、警備工作の専門家で過激派学生や共産党を相手にしているだけあって全て計算ずくで手口が警察の工作方法が私には見え見えで

ある。
 既に裁判所へ報告しているが今年の春先のある日の夕暮れ、毎日母親介護に息子が通勤している父親名義のオートバイに、何かブレーキにで

も工作しようとたのか元警察官の妹娘の夫がこそこそと山形徳洲会病院の裏手に隠して置いたのを探し、似合わないハゲ隠しの紳士ハットにスーツ姿で変装したつもりか・・・・寸足らずに似合わない格好でしたので私には直ぐ判った。

普通、警備警察では、警察官の中でもエリート警察官が多いのに退職前でも警備係長止まりで警察署長にもなれない警察官は、北海道警察では、人間的に問題がある警察官であることは、全国的に何処も同じである。

平成12年頃から、札幌で私は本業の探偵社の業務の一環としてペツト犬猫の保護活動をボランティアで保護施設を設けて「北海道犬猫救護センター」と看板を掲げ、「ニャンコ先生の家」と言う保護施設を創設し犬猫保護愛護団体の代表者で活動していた。

この保護活動に対しても、妹の夫婦は目を付けて刺客を放した。
それが私は、単に寄付金の利権争いの他の団体の嫌がらせと考えていたが、それは妹夫婦が工作していたことが判った。

その犬猫保護施設への崩壊に至るまでの経過は、次のサイトで詳しく説明しているのでご覧下さい。

また・・・今度は、母親の左足親指の爪が
看護師や介護士の手で剥がされた!!

 今年の1月に看護師か介護士の意図的な暴行によって母親セツの足の甲が真っ青になっているのを私 が発見した事で、他に問詰めたら母親セツからの妹夫婦による暴行事実を何度も受けていたことの告白を受けた。

 それから以降は、母親の警護をするようになってから母親から平成14年1月帯広から無理やり山形へ戻されて監禁されて一週間の断食で脱水症からの原因で脳梗塞になったこと等も詳しく母から告白された。

 ここ朝昼夜の母親への介護を止めて、夜の介護や警護だけにしていたら妹が最近6日間続けて母親セツの病室へ昼過ぎに来て睨み付けて直ぐ帰って行くことを母親から聞いた。

 「母親セツと私は、きっと何かが起きるので気おつけて措いた方が良いね。」と話していたばかりであった。
その何かが又起きた・・・・・7月22日正確には21日の夜から22日の7月22日の日曜日の午後3時過ぎに母親の足の左足親指の爪が剥がれて麻

酔の注射を打たれていた。
母親の話では、「朝か・・・食事へ連れて行くのに部屋で車椅子へ乗せられる時に何者か声を出さないので判らないが、何でか頭が登るほど痛み

を感じて叫んだ時には、爪が剥がされていた。」とのことであった。
○○看護責任者が「係りの者が介護扱いが悪くて注意して措きましたが・・・申し訳ありません。」と病室へ向かって行くと直ぐ詰所から追い掛けて

来て謝りに来た。
 以前も、母親の足の甲が真っ青・・・・そして、今度は足の親指の爪が剥がされて・・・・・と不自然な事故であるように思う。

そして、必ず妹の○○○が何日か継続して母親の病室へ来ている時の後に暴行虐待が行われている。
  今回は、その間にテレビのイヤーホーンが妹○○○が帰った後に無くなっている。

以前は、壊されていたが今度は、持ち去っている・・・・・私が証拠として裁判所へ壊された状態を報告しているから証拠を残さなくなった。
 これで7回目のイヤーホーン事件である。

この事案に対しても後見人の弁護士にも報告しても何ら返答も無い。
 それどころか病院に対して、外泊禁止から入れ歯の禁止、補聴器の使用など認められてないとの連絡をしている。

母親セツは、平成14年1月以降に又監禁されて倒れ山形大学医学部付属病院へ緊急入院させられていたが・・・・その後、その○○看護責任者と一緒の時期に、この山形徳洲会病院へ転院している。

 当時から事情を知っている患者の家族の話では、山形大学付属病院の中でも問題の看護師や介護士が、皆纏めて一緒に転院していると話す。
患者を車椅子に乗せて食堂まで搬送するのに・・・・如何したら足の甲や親指の爪まで剥がれるほどの怪我を負わせれるのか私が毎日しているの

で一番判り不思議でならない。
 母親の我慢強さには驚かされている。

それは私が小学校5年ころサイロにレントコーンを切り込みする時に、カッターの先頭になって働いていた母親がベルトコンベーヤーに巻かれて親指を根元から切断しているのですが・・・・・その時より痛く感じたと言う。

母親は、23日は痛さでの疲れて食事した後は、直ぐ寝ました。
皆さん・・・・・この院内虐待を単なる事故として多くの看護師や介護士によって病院の閉鎖的な職場で全国で堂々と行われていることを知って欲し

いのです。


剥がされた足爪を痛めつける娘!!

 私の居ない隙を狙って実娘○○○が母親の入院病室に来て、母親に「痛い足擦ってあげる。」と聴いて措きながら痛みに堪えている母親の爪を剥がされた足の親指をわざと無理やり触って痛めつけて帰っている。

 母親は、「触るな、帰れ。」と怒鳴っても・・・・・辞めないで通って来るので、今日7月26日私に告白した。
早速、看護主任の○○さんへ言ったが・・・・「内の職員が消毒か包帯を取替えに行ったのを間違ったのでない。」その次には、何と「妹さん来てい

るの見た事が無い。」と言う始末である。
 昨日も「看護主任の○○さんと妹さんが何か長話をしていたですよ。」と某患者の家族が教えてくれているが、その証拠が取れない。

   足爪剥がした傷害看護士を隠蔽!!

 ○○看護主任に母親の足の爪を剥がした看護士さんから直接謝って欲しいと私が抗議して話したところ「私が責任者なので直ぐ謝っているのだから本人と逢わせる必要無いので・・・。」と反論して来ました。

 母親が「それは、可笑しい。」と聞いてたので言うと「上司と相談して来ますので。」と言って去った。
その後、30分ぐらい経過してから又、病室へ阿部さんが来て「今、面会場で待たしてますので来て下さい。」と言うので逢いに行きました。

 しかし、背の高い痩せた男性が待っていたので・・・・「お名前はと聴いてから、女の人ですから違います。」と言って帰って来た。
その後も母親セツに何度も聴いても「太った女の人で、その側に阿部さんも居たらしく廊下の方から安部さんと誰かが呼んでいた。」と言う。

 未だに、まだ本人からの謝罪も無いし・・・・この事件後から阿部さんは廊下で合っても挨拶もしなくなった。
過失傷害でも警察へ訴えてハッキリしようとも考えているが後見人も知らぬ振り、その正義の警察も証拠主義で病院内の出来事では立証が無理

ですねと終わった。
私が現在も警察官でその受けてたならば、少なくても直接被害者の母親から事情を聴いて参考報告書を提出していたでしょう。

   入院病室へ妹が夜中来て母親を脅し!!

 今度は、母親の入院先へ深夜来て「インターネットに有る事無い事書いているから止めれって言え。」と脅しに来ている始末。
この前、家庭裁判所の調査官が入院先に来て母親から直接事情を聴いて帰ったが如何受け取るか問題です。

 何年も何故・・・荻谷昭夫が 掲示板で妹との
犬猫保護に無関係な問題を叩いているか!!

  札幌地裁まで津軽海峡を渡りはるばる「遠くのご隠居」こと水戸市から荻谷昭夫が押掛け騒ぎ立て、私を公判へ出られないように拉致を謀ったり、又私の知人に「川窪の情報を全て話せ。」とか「俺の女になれ。」と脅し暴行傷害を負わせたヤクザ系の男が、平成16年頃からネットで私を誹

謗中傷して「殺せ。」とか「死ねは良い。」と叩いている。
その男は、妹夫婦からトヨタのランクルの新車まで買って貰っていると明かした、最初は日テレからの依頼などと言っていたが、それが嘘でした。

妹夫婦は、その「遠くのご隠居」の書き込んだ誹謗中傷の掲示板投稿記事をプリンターでコピーを確り纏めてファイルにして持ち歩き徳洲会病院の看護師や介護士、それに親戚関係者から隣近所まで見せびらかして走り回って撒き散らしている。

私が犬猫の保護団体の代表をしている事から、それを利用しようと本州の水戸市から妹の夫の警察官が警備関係の工作利用者を金で使っているのでしょう。

「妹さんが母親を世話していたのだから、全部財産を渡して川窪は全て放棄して実家を明渡せ。」とか誹謗中傷して妹夫婦の常に親戚関係者などに言い触らしている内容と同じ事を、他人が投稿しているように仲間を使って書きたてている。

サイトの http://www2.ezbbs.net/26/catsos/ の内容をご覧下されば一見して解かります。
相手の名前を公開するのは、個人のプライバシーを侵害している内容で山形警察署へ被害届けを平成17年山形へ移住して直ぐ出しているのに未

だに何の対処もしないから、相手から名誉毀損で訴えられることを望んであえて公表している。
皆さん、ご了承して下さい。 


突然、母親が入院先から深夜妹夫婦の手で
搬送され、特別老人施設へ移動させられた!!

 9月13日、私が帰った8時前以降の深夜に掛けて、妹夫婦が母親の後見人弁護士の指示で某入院中の病院から特別老人施設へ搬送された。
妹夫婦の指示で母親が負傷したり嫌がらせを受けていると言う疑いが高いのにも拘らず、平等性を欠き弁護士が突然、特別老人施設への移動を

させた事は、問題である。
従って、山形家庭裁判所から先日平成18年に成人後見人弁護士の解任を要求していたが棄却されたので、直ぐ仙台高等裁判所へ後見人弁護士

の即時抗告を私がしました。
母親の入れ歯や補聴器の購入を拒否したり、妹に洗濯物をさせるように指示されたり・・・・やっばりこの事件からも後見人弁護士が、妹夫婦から

何らかの賄賂を受け取っているとしか私は、個人的に思う。
 その後、直ぐ今までの後見人弁護士の事務所が急に、山形裁判所近くの賃料の高いビルへ移転している。

裁判官や弁護士、検事も国家試験の司法試験が受かれば同じですから、私は、この後見人弁護士の妹夫婦に母親を深夜搬送させたことを許可した裁判所の措置から、後見人弁護士の選任と裁判所との間で裏取引があると私は、個人的に思ってます。

今、母親が一番恐れ嫌っている殺されかけた娘夫婦に深夜の搬送などさせる司法措置に断固抗議したい。


相続前、父親のスーパー定期預金
       1.750万円が行方不明金発覚!!         
妹の銀行預金受取相続金額が
       たった1.8987円の嘘の申告だった!!

  実家の建物明渡し裁判に措いて、父親が幾ら出資しているか調べていたところ、父親の書庫から遺産相続に関連した銀行の計算書が発見された。

  平成14年9月6日に父親が妹に公証人役場で口答遺言した内容は、「全財産を渡す。」と言う遺言であったが、その時の金額が手持ちの現金655.604円と郵便局の貯金147.458円に某銀行預金18.987円の合わせた金額の父親申告で、遺産を受けたと申告していた。

  しかし、当時450万円は3年のスーパー定期の預金してあって満期になっていなかったし、その遺言の作成する半年前前後に1.300万円の3本のスーパー定期が次々に卸されて行方不明になっていた。

 父親は、私が平成13年12月30日に帯広で逢った時には、既に認知症で「25万円遣せ。」と同じ事を繰り返して雄叫びを揚げてマトモナ話しの出来ない状態であった。

  この事からも、妹夫婦が認知症の父親に「全財産を遣ると言え。」と母親のように脅したか暴行して強与したことの裏付証拠が確保することが出来た。

 父親の書庫は、ダイヤル番号が判らないと開かないので父親は、既に認知症の発症から教えなかったから、この証拠が妹夫婦にバレて捨てられ処理されないで暴露されたのであった。

この件は、当然既に山形家裁や山形地裁へ報告してある。

「明渡し裁判」の判決が11月19日決定!!

 妹が「父親が全額出資した実家を明渡せ!!」と山形地裁へ訴えた裁判は、やっと終結し判決が下ります。
最終公判が10月1日開廷されましたが、それに間に合うように神様は、父親の書箱から母親が全額出資していた内容の税務署への申告書が発見

されました。
 従って、母親の発言証拠が認知症として認められない可能性が高かったが別に裏付けの証拠が発見され、その当時の建築業者で集金した担当者とも逢うことが出来て証言を得られた事から、勝訴するものと確信した。

 母親の言うと通りで「正義は、何時か必ず勝つ。」と言うが、母親が父親に貸していたお金450万円の代払いで建物費用を支払っている事から、
裁判所の判断で左右される。

この件で相手方へも書類が届いたので、早速その届いた日付に妹から連絡が行ったのか・・・「遠くのご隠居」からのHPでの嫌がらせ掲示板が騒ぎ出して反応を示している事からも、妹夫婦と密接な連絡を取っているのが事実である。

 皆さん、8月から音沙汰なかったのに「遠くのご隠居」の反応をご覧下さい。
                            

http://www2.ezbbs.net/26/catsos/

判決が12月3日へ延期し、下された!!

  判決内容は、実家の建物費用1300万円の中で母親の出資領収書がある金額が850万円相当の支払で父親が450万円の支払が450万円相当であった。

 その父親の領収書等は全く一切相手方からの提出は無く、こちらから母親が税務署へ提出した書類から出資内容が明らかになった。
だがその税務署への書面に対して、母親の話から父親が母親の買った山林の一部に「釣り掘り」を始めると言って自分の所持金を無くした事から

「一銭も無しでは心細いから金を貸して欲しい。」と言い出し、母親が「絶対に釣り掘りに使わない約束なら。」と言って300万円を貸し、更に建物を建てる以前に建ててからの家具代として150万円を渡していると母親は主張していた。

 しかし、裁判官の判決内容では、その母親が父親へ貸した金が450万円あったから建物支払の時に最初に出さしたとの主張が証拠が無いと認められず結論的には、母親が26に対して父親9の割合で出資したことになって、父親から全財産の相続していると主張している妹 ○○○と母親

セツの共有財産として認められ、明渡しの判決を下された。
 早速、その連絡を妹から受けた「遠くのご隠居」こと水戸市の荻谷昭夫が毎晩留守電に「早く明渡して出て行け!!」と喚き出した。

妹も実家の周辺を友達の車で駆け回りだした。
 この判決が下っても仮執行をした妹も一切却下されて、実家への立ち入りは母親との合意が無ければ許されないことになった。

私が山形へ来た時に、妹が「山形で仕事も無いし又、さっぽへ戻ることになるから帰りな!!」と言ったが実家へ帰りタダで住んでる居場所を無くすことが目的だったのだろう。

実家は、妹夫婦が自由に出入りしていたので母親の領収書などの不都合な書類は全て捨てたのだろうが・・・・母親は、父親に貸した金以外の領収書を確り誰にも見つからない建物の場所へ日記等と隠して措いてくれたものであった。

従って、母親が隠して措いた書類から妹夫婦等が、母親を認知症にして追い込んで実家建物の全てを乗っ盗ろうとしたが失敗したのである。
私も事実が判らなかったので、この判決でも証拠が無い以上は、認めなければならないと思う。

ただ、父親も監禁され虐待を受けていた事から、それが証明されたならば遺産相続の受け取る権利を剥奪される法律もある。    


    アパートや土地は全て母親の登記所有物件!!
そのアパートへ私は引越したが・・・・、
退去通告が直ぐ後見人弁護士から!!

 私が放射線被爆して警察官を退職した時から、母親セツが「アパートを建てるのは、お前が家賃で生活できるように建てるのだから、全てお前に遣るから、何時でも名義を変えれ。」と言っていたし、当時母親との内容を交わした手紙もある。

平成13年12月母親セツが帯広へ逃避した時にも、妹夫婦が勝手に平成2年からアパートの家賃を横領している事から全額の返還を要求した内容証明の手紙もある。

 更に、平成18年1月に私が山形へ戻ってもアパートの家賃や横領した金を一切返還しないし、引き渡さない事から内容証明を出した証拠がある。
それでも返答が無く母親セツが怒って「公証人の先生を呼んでくれ・・・・全ての土地やアパート、建物の名義を亨へ変えれ。」と言い出した事から

公証人へ聞かせた録音テープもある。
それで、母親所有のアパートへ引越しをしたが、直ぐそれを感知した後見人弁護士が当日に書面で退去通告して来た。

母親が認知症の診断書を出される以前に、既に録音テープで公証人に聴かせているし、何本もの証拠録音テープがあるが、山形家庭裁判所がその退去通告を認めるか問題です。

今の私は、他に引越しする資力金も無いので頑張るより他にありません。
母親が他界したら、直ぐ又このアパートやら土地に対しての遺産相続裁判の妹姉との戦いが始まるでしょう。

川窪家の長男が、実家に戻って帰ったら実の妹に明渡し裁判を掛けられ引越しを止む無くされ、更に母親が私の為に建てたアパートへ引っ越しても、母親の意向も無視して成人後見人弁護士が即刻、退去通告・・・・と、世の中狂っている。

この事実を多くの皆さんに知って貰い、多くの皆さんからの最適な方法の英知をお借りしたいのです。


    またまた父親から騙した盗った総額金10.485.000円
定期預金の支払書の証拠を発見され、更に又 
妹夫婦は、総額2750万円を奪い盗っていた!!

 今年の正月に引越しを始めたところ、神さんがお年玉をくれました。
妹が平成14年9月6日、父親から口答遺言で定期預金60万円程度を相続し他に無いことになっているが・・・・何と平成15年2月19日 取り扱い郵便

局85310 定期郵便貯金通帳8札分 総額10.485.000円の支払内容書が8枚発見された。
 この時に記載されている内容から、平成5年に預金した定期であることから既に平成5年には既に父親から強奪したものと思慮される。

それを父親から指摘されないようにする為に、妹夫婦は父親や母親を毎年夏休み期間に旅行へ連れ回している。
親戚関係者と父や母を逢わさないように工作している。

この時に妹の夫 強がこの頃新車を購入していることからも大金を手に入れた嬉しさで買ったのでしょう。
丁度、ニャンコ先生が事務所に放火されたのもこの頃だった。

本当に父親が妹へ財産を渡すのならば、これらの預金も全て明らかにして公証人役場で預金通帳を渡したはずであることからも、絶対に全て嘘で有ることを確証した。

父親が他界する二日前に「○○○に騙されて全部盗られた。」と言った事が今だから納得できる。
全て、これから税務署から裁判で全てを決着付けなければ父親 利雄も浮かばれない。


    母に拳骨を食らわせた帯広の姉が死んだとか?

 平成13年に母親が前夫の子供長女のところへ武田夫婦から逃避した時に、逆に妹夫婦と組んで母親に「亨に余計なことを話した。」と怒って拳骨で叩いたり抓った○子が、C型肝炎で人口透析していたが、母親より先に逝ったらしい。

先日の日曜日、町内会の会議で父親の兄貴の息子さんが同じ町内の会長をしているので「亨君には一切連絡無かったの?」と驚いていた。
また妹夫婦が親戚一同に「姉妹の葬儀にも連絡したのに来ない。」と皆さんへ言って多額の花束を贈ったのでしょう。

母親は、山形の娘警察官夫婦に帯広の娘も口車に乗せられて騙されていたのだろう・・・・と一緒に農作業をして苦労して働いたので心を痛め泣いていた。


弁護士へ頼むお金が無い者は、負け犬で
正義は勝つと母が・・・・言うが
親から盗んでも金を握った者が勝ちかも?

 この仕事も無い山形で住の一つが奪い盗れば誰でも生きて行けない。それを期待して妹と元警察官夫婦のアパート追い出し作戦です。
後見人弁護士からの退去通告は、私ばかりではない。

明渡した実家二階からアパートへ引っ越した荻谷昭夫からの危害を恐れて札幌から移住した岩尾さんの友人も、直ぐ妹から追い駆けられてデジカメで撮影され弁護士に報告された。

そして母親の後見人弁護士が山形市役所の保護課へ駆け込み、身体障害者の岩尾さんの保護を打ち切れと怒鳴り即刻退去要請した。
私の係わりから荻谷昭夫に暴行傷害を負い殺されそうになった身体障害者の岩尾さんに対して、私は申し訳けなく思ってます。

これからも荻谷昭夫らから警護すべき私には、責任がある。
こんな暴力的なヤクサ系の男を山形警察署は、脅迫的なサイトを堂々と公開していても放置している。

裁判所も弁護士も警察官も・・・弱い者の見方でも無いし、正義の味方でも無い。
「金、金・・・・」と金の世の中で、全て金を握った者に撒かれる時代なのかも。



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