春一番の東宮御所 [プライベート]
今月は我が家の3人が誕生日。昨日、妻の誕生日を二人でひっそりと成城の,とあるレストランでささやかに祝ったばかり。その翌日の今日。ご招待を頂いていた,皇太子殿下48歳の御誕生祝いのパーティーに参上した。2年ぶりである。平山郁夫先生をはじめ,久方ぶりにお目にかかる方々と歓談するのもこの会の楽しみの一つである。
皇太子殿下もいつもと変わらぬお元気なご様子で二言三言、お祝いを申し上げ,パーティーの終わり頃には雅子妃殿下と愛子様もお姿を見せられた。妃殿下も表情にも余裕がみられ,一昨年よりよほどお元気になられた,とお見受けした。
初めて殿下にお目にかかったのは,ピアノを御進講申し上げた、浩宮様と呼ばれた中学2年生の頃ではなかったかと思う。それ以来だから,もうかれこれ30年以上の年月がたつ。今の天皇陛下がここの東宮御所にお住まいの頃,毎年,春秋2回の私的なコンサートが開かれていて,よくうかがった頃の,いつもの会場である東宮御所の日月の間も,庭のたたずまいも全く変わっていない。
それ以前、天皇制,というものに,なんとはなしに反感を抱いていたのは我々戦争を多少でも経験した年代に共通したものではあった。しかし,なんども東宮御所に参上している間に,私の先入観はすこしづつ変わっていった。それは,なにより今の天皇陛下ご夫妻のあり方に感化されたところが大変に大きい。印象的な一例を挙げれば,コンサートの最後には,必ず『荒城の月」を全員で歌う。これはそこに居合わせた音楽家はもとより,来客のお世話をしていた職員,厨房で働いていた人から庭師にいたるまで出てきて,全員が参加するのである。上手下手は問題ではない,プロもアマチュアも問題ではない、もとより身分も問題ではない。これは昭和天皇が現人神,雲の上の存在であったことを考えれば,敗戦を境に180度価値観が変わったことを実感したことでもあった。このようなプロデュースのありかたは美智子皇后の存在が絶大なものだと思うし,この女性はおそらく後世、日本の皇室の歴史に偉大な足跡を残した,と間違いなく書かれるであろう。
私は,当時はこういったことはまわりには語らなかった。身内も,妻以外は誰も知らなかったはずである。特別な目でみられたくなかったからである。しかしそれも紀宮様のご婚礼のとき,どこからかぎつけたか,TVの特別番組のインタビューで公に知られてしまったから,もう隠しておく意味もなくなったし、もうこの年だから差し障りもあるまい,と思っているしだいである。
コメント 0