2006年07月 (第44回)

発展途上国の苦悩 V
韓国の経済発展の軌跡

岩田 勝雄



1960年代の韓国は1人当たりGDP150ドルほどの発展途上国であった。韓国は1970年代「漢江の軌跡」を遂げ、いまや「先進国」として国際分業の一翼を担っている。韓国は発展途上国の経済発展の「韓国型モデル」として、すなわち外資・外国技術依存、外国市場・輸出主導型経済として中国をはじめとしてアジアの諸地域で参考にされている。韓国は多くのアフリカや南アジア諸国と異なって急速な経済発展が可能であったのだろうか。韓国はアフリカやアジアの一部と異なって経済発展のための特有な基礎があったのであろうか。

 韓国は1950年代後半の一時期を除けば軍事独裁政権が支配する国家であった。1950年代は李承晩大統領の独裁下で政治が運営されていた。この李政権は「民主化」運動によって打倒され、一時期「民主」政権が誕生する。しかし当時の世界情勢はいわゆる「冷戦」期であり、韓国はアメリカによって北朝鮮、中国の「社会主義」進出を阻止する重要な位置づけが与えられた。1960年代になると再び軍事政権である朴政権が誕生する。朴政権は韓国を「反共」の砦としての位置づけを強化するために経済発展を計画する。韓国5カ年計画の設定である。韓国は経済発展のための「計画」に着手する。独裁政権であるがために「計画」は遂行されていく。この間韓国は日本との国交回復の条約を締結し、日本からの賠償金をはじめとして援助資金を得ることになる。

 アジアの韓国はベトナムと異なって1960年代から軍事政権が「独裁的」政策を継続する。韓国は1945年日本から独立し、「民族国家」の形成を目指したのであったが、同時に北朝鮮と韓国の分裂国家を余儀なくされた。北朝鮮も金日成の独裁国家体制が形成された。朝鮮半島は北と南で独裁国家体制となったのである。北朝鮮は今日でも金正日の独裁体制が継続しているが、韓国は1980年代後半になって金泳三がはじめて「民間人」として大統領に選出され軍事政権に終止符を打った。政権は民生化への道を歩み始めたのである。韓国は独裁政権であった朴大統領時代に経済計画が、「漢江の奇跡」をもたらす基礎を形成した。韓国は日本からの賠償資金、援助などを利用するとともに、いわゆる「冷戦」の恩恵も得ることになる。韓国軍はアメリカの要請に基づきアメリカのベトナム戦争に参戦し、巨額のドル資金を得ることになった。参戦した兵士のドル取得は韓国の国際収支改善に寄与するだけでなく、住宅投資などの資金としても利用される。援助によって鉄鋼、石油化学などの基礎産業が整備され、さらにドル資金は個人需要の増大に結びついたのである。当時の韓国は「セマウル運動」と称する経済計画・成長路線を追い求めていたのである。まさにベトナム戦争参戦は韓国にとって貴重な外貨獲得の機会となったのである。  韓国は1970年代になって「漢江の奇跡」といわれるような高度成長を記録する。1950年代の西ドイツ、1960年代の日本に匹敵する高度経済成長である。韓国は鉄鋼、石油化学などの基礎産業の拡大はもちろんのこと、家庭電器、繊維製品から運動靴・履き物、玩具などかつて日本の中小企業が担っていた産業が急速に発展するとともに輸出産業としても成長していく。さらに韓国は、造船、自動車などの産業でも日本企業との技術提携などを通じて輸出産業として発展する。1980年代の韓国は、世界市場における日本企業のライバルのような存在になったかのようであった。しかし造船、自動車などの産業では、基幹部品・中間財は日本からの輸入に依存する状況であった。カラーテレビ、VTRなどの家庭電器製品でも日本の技術に依存していた。したがって韓国の輸出が増大することは、日本からの中間財などの輸入が増大することでもあった。今日でも韓国の日本との貿易収支は赤字が継続している。韓国の経済発展はいわば「自前」で資金・技術を調達したのではなく、アメリカ、あるいは日本に依存してのものであった。韓国は1980年代後半になると軍事政権による圧政は、大衆の反感をかうようになる。とくに光州事件は大衆の民主化への要求を踏みにじるものであり、後には政権交代の要因ともなったのである。  資本主義の歴史は、資本家、労働者とも人格的には対等・平等であることを確認してきた。資本家、労働者とも人格的に対等であり、自由な競争関係があってはじめて資本主義システムが維持できるからである。1970年代までの韓国は、人権が守られ、民主主義が浸透している社会では決してなかった。1980年代になって経済発展が軌道に乗り、大衆の所得水準が向上することによって資本主義的民主化の必要性が増してきたのである。資本主義にとって民主主義、基本的人権の確立は、何よりも生産量発展の基礎的必要条件だからである。韓国はソウルでオリンピックを開催し、経済発展の状況をアピールしたのでもあった。しかし韓国は経済発展には様々な困難を抱えていた。資本と技術依存から脱却するための政策は、1980年代から進展する。日本をはじめとした欧米からの完成品輸入を制限するとともに、資金調達も国内でまかなえるような金融システムの構築を図っていく。それまで韓国の金融システムは、個人を主体としたもので近代的な銀行は育ってこなかった。政府は外国からの借款による資金を「財閥」などを中心とした大企業に優先的に貸し付ける政策を実施する。外国からの借款は高金利を支払い、「財閥」には低金利で貸し付けるといういわば逆ざやの政策を行っていた。金利差は国民が負担するということで、あきらかに「財閥」の資金調達のための金融システムであった。1980年代の韓国は巨額の対外債務を負っていたのである。こうした対外債務は1980年代後半になって返済されていく。当時の発展途上諸国の中で対外債務を返済したのは、韓国と東欧のルーマニアだけであった。ルーマニアは1989年に政権が崩壊するが、韓国はより「自前」の経済発展の道を辿ることになる。韓国は対外債務を返済できるだけの貿易収支の黒字を継続できたのである。しかし韓国は依然として技術のアメリカ及び日本依存状況を脱することはできなかった。

 韓国の資本主義発展は、第2次世界大戦後それも朝鮮戦争を経てからである。朝鮮戦争によって朝鮮半島の南北分断は固定化する。さらに戦争はあらゆるものを破壊してきた。数少ない生産設備はもちろんのこと、道路、橋梁、港湾、教育施設、医療施設なども破壊していく。家族もまた南北に分断される。韓国は日本と同様にアメリカ軍の事実上の占領下に置かれる。韓国はアメリカ軍向けの日用品、食糧などの生産を通じて戦後復興を果たしていくのである。3白工業といわれる小麦粉、サトウ、タオルなどの織物生産は、アメリカ軍向けであると同時に工業化への道を歩むきっかけを創ったのである。やがて復興のための建設事業も拡大していく。当初は政府主導での復興・生産力拡大であったが、民間への払い下げにより、「官から民へ」の生産システムに移行することになった。「官から民へ」の過程で誕生したのが今日の「財閥」の基礎となったのである。韓国の3大「財閥」となった三星、現代、大宇は綿紡績などの繊維産業及び建設業が出発点であった。韓国は1960年台になって日本との政治的・経済的関係を復活させることになる。1960年代後半には馬山にフリーゾーンを設置し、輸出加工区としてテレビ生産などを行っていく。テレビは韓国の主要輸出品にまで至るのである。また綿紡績などは日本のセコハン設備を導入し、世界最大の生産量にまで達していく。こうして韓国は基礎産業から消費財まで生産力が拡大し、世界市場に進出するのである。

 韓国は急速な経済発展を経過しながらも資本・技術の海外依存から抜け出ることができなかった。そこで韓国は自前の技術開発を推進すべく太田に学術都市を建設する。日本の筑波学園都市と同様に大学、研究所を集積し、技術を開発することが目的であった。韓国は官民あげて自立的国民経済形成を目指したのであった。こうした政策は今日の韓国の経済発展につながった一因である。

 1997年東南アジアに端を発した通貨危機は韓国にまで波及する。韓国通貨危機はIMFの管理下に入り、産業の再編を要請される。資本・技術の確立などによる自立的国民経済形成から、IMF主導による再び先進国依存型の産業構造への転換である。韓国は産業再編により失業者が増大するとともに、ドル建て外国為替相場の下落は輸出企業の採算を悪化することになった。ドル相場の下落は反面韓国企業の輸出競争力の増大に結びつき、貿易収支は改善の方向へ向かった。またIMF管理下で韓国は国内市場の開放も行わなければならなかった。韓国企業は保護主義的政策によって競争力を増大してきたのであるが、開放システムは国際競争に直接さらされることになる。韓国企業は再び輸出拡大を目指してアメリカ企業との合弁、資本・技術提携などを推進していく。韓国は国内市場優先政策から世界市場依存型への復帰である。韓国はアジア通貨危機を短期間で切り抜けたことになる。

 アジア通貨危機は東南アジア諸国・地域に多大な影響を及ぼしたが、またアメリカ、ヨーロッパ経済依存から脱出する契機ともなった。マハテール・マレーシア前首相に代表されるように欧米諸国による経済干渉を排除するためには、アジア各国の経済・政治協力が必要であることを強調する。マハテールの提唱はやがて東アジア経済協力・共同体構築へと進もうとしている。したがってアジア通貨危機はASEAN、韓国経済の弱点をさらしだしたが、同時に改めて「自立化」の必要性を認識させたことになる。韓国は再び成長の軌道に乗ろうとしている。ただし1970年代、80年代の成長とは異なった軌跡を辿らざるをえない状況にある。輸出主導型経済は、アメリカ、日本への市場依存を強めるが、さらにアジア諸国・地域との連携の必要性を増すことになるからである。

 今日の韓国はGDP約7000億ドル、1人当たりGDPは1万4000ドル、貿易は輸出2500億ドル、輸入2300億ドルの規模となっている。輸出依存率は36%であり、輸出主導型経済構造が形成されつつある。輸出は化学工業品10%、鉄鋼製品5%、自動車10%、船舶6%、電気・電子製品40%との構成である。輸入は、原油などの鉱物性燃料25%、化学工業品11%、鉄鋼製品11%、機械類13%、電気・電子部品26%などとなっている。韓国の貿易は、製品輸出、中間財・資本財輸入の構造である。韓国は高度技術集約型の製品から標準品・大量生産品までを含む多様な貿易構造となっているが、最新の技術あるいは最も付加価値の大きい製品技術などは依然として日本、アメリカなどからの輸入に支えられている。韓国はいわば巨大な加工基地化していることになる。韓国への直接投資は、アメリカ中心であり、半導体、自動車などの部門での投資とともに、証券、保険などの金融部門での投資も増大傾向にある。また韓国は直接投資を受け入れながら、同時に海外進出も拡大傾向にある。韓国の直接投資先はアジア、ヨーロッパ、アメリカなどであり、自動車、液晶パネル、半導体などの高度技術集約型産業を中心に製造業が57%を占めている。投資先はアジアが56%、アメリカ24%、ヨーロッパ12%などとなっている。とくに液晶パネル、半導体部門ではサムソンが直接投資を拡大しており、2010年には売上高1000億ドルの巨大企業化を目指すほどである。また現代自動車は、中国での生産量の拡大を目指すだけでなく、欧米市場でも販売量を増大しており、すでにフランス、イタリアの自動車企業を凌ぐほどにまでなっている。

 韓国は日本との貿易は慢性的に赤字状況にある。2004年の日本貿易は輸出217億ドル、輸入461億ドルで244億ドルの赤字を記録している。韓国から日本への輸出品は、電気・電子製品36%、石油製品15%、鉄鋼製品12%などとなっている。輸入は化学製品16%、鉄鋼製品16%、機械類24%、電気・電子製品33%である。韓国の対日貿易は鉄鋼、電気・電子製品のように同一産業部門で輸出入が行われているようにみえるが、例えば鉄鋼では自動車用の亜鉛メッキ板などは日本企業が最も競争力も高く技術も抜きんでていることから、輸入に頼らざるをえない。韓国から日本への鉄鋼輸出は汎用品の鉄鋼製品であり、ここでも技術水準の相違が貿易に現れていることになる。半導体、液晶パネルなどの生産ではサムソンと日本企業間で激烈な競争関係が生じているが、一般に韓国製品は安価で大量生産を志向している。日本製品は相対的には高価で競争力の高い製品の生産に特化する傾向にある。したがって特定の部門では日本企業と韓国企業の国際競争関係は激化しているが、総体としては国際分業関係が固定化され、韓国は加工組み立てを中心とした部門に特化する傾向がある。

 韓国は軍事独裁政権時に「民主化」運動を弾圧された人びとあるいは「自由」を求める人びとが海外に移住した。今日アメリカには300万人以上の韓国人が居住しているといわれている。同時にこうした人びとの一部は高等教育を受けた「知識人」であったり、高等技術者であったりした。いわゆる頭脳流失は韓国の経済発展にマイナスの影響を及ぼしたのでもあった。韓国の技術者不足はこうした過去の「頭脳流失」も一因であろう。さらに高度成長時における企業経営は、政府の干渉を強く受けていた。国営企業の民間への移行時にも官僚と経営者あるいは軍部との癒着構造もあった。政治システムにおいても政治と企業(財閥)との癒着があり、大統領が任期終了後逮捕されるという事態も生んでいる。こうした状況が続く限り韓国資本主義は、経済発展の限界に行き着くのであるが、金泳三大統領の誕生以降「民主化」への道を辿っているのである。

 韓国の経済発展の例は、発展過程において軍事独裁政権が支配しても、一定の生産力水準に達すれば、むしろ独裁政権の存在は足かせになる、ことを示しているのである。すなわち資本主義発展は、一定の「民主化」が進んだ中で可能になるのであって、独裁・軍事政権はむしろ阻害要因なりうるのである。資本主義経済システムは企業・個人の競争を前提とした社会である。独裁・軍事政権下では個人の人格も否定され、企業の自由な活動も制限される。したがって資本主義の発展の中で軍事・独裁政権は維持できなくなるのである。韓国の例は韓国のみに固有な特徴ではなく、アジアでもインドネシア、タイなどで独裁・軍事政権が崩壊している。したがって韓国の経済発展はアジア諸国あるいはアフリカ諸国の経済発展のモデルを提供しているようにみえるのである。

 しかし韓国の経済はアジア通貨危機以降順調に回復し、安定軌道に乗っているようにみえるが決してそうではない。前述したように外資・外国技術依存型への回帰、アメリカ市場への過度の依存、特定産業・企業の輸出集中、中間財・資本財の日本への依存、さらには輸出依存度の上昇など不安定要素が大きいのである。また韓国は失業率が低下していないこと、所得格差の増大、企業間の格差の増大、「財閥」への過度の集中、農業の衰退・食糧自給率の低下、人口のソウル周辺の集中などの現象が生じている。韓国は企業・産業によって賃金格差が大きいことから過度の教育競争が生じている。一部の有名大学をめざした受験競争などは社会的な歪みを生む出している。さらに北朝鮮との関係は金大中前大統領の「太陽政策」を追求することによって、戦争の回避と宥和政策を実施し、北朝鮮政権の突然の瓦解を防ごうとしている。韓国はFTA交渉でも日本よりも先行している。韓国は2004年にチリ、2005年シンガポールとFTAを調印している。さらに日本、中国、カナダ、アメリカ、メキシコ、インドとのFTA締結のための事前交渉あるいは共同研究がはじまっている。韓国のFTA締結は先進国だけでなく、発展途上国あるいはMERCOSURなどの統合市場との締結も計画するほど積極的な対外政策を展開しているのである。韓国の国際関係の脆弱性をFTAによって補っていく方向である。


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岩田 勝雄

立命館大学経済学部教授。専門は、国際経済理論。

国際的経済関係の本質究明
 国際経済論を専攻する岩田先生は外国貿易理論、現代日本貿易の実証分析、東アジア経済の三本の柱で研究を進めると同時に、最近は地域経済研究にも参加している。なぜ貿易が行われるかという問題は未解決である。余剰物を輸出し、不足を輸入するという単純な見方では日本が車を輸出すると同時に輸入しているような現象は説明できない。価格や外国為替など諸要因が媒介として複雑にからみ合う実態分析をすることが必要。博士論文の『国際経済の基礎理論』(法律文化社)などで明らかにした。
 理論の応用として『日本繊維産業と国際関係』(法律文化社)を執筆。「現代国際経済をいかにとらえるか」のテーマで『反成長政策への転換』『現代国際経済の構造』を出版。'68年、中央大学商学部を卒業、大学院へ進み、'73年本学へ。商学博士。希少価値となった孔版画が趣味。



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