しがつじゅうろくにちどようび。くもり。
ゆうがた、にっぽりにいくようじがあったので、そのまえにやなかをぶらぶらすることにしました。
えにっき風って。書くの疲れるな。
曇りの土曜の夕方、日暮里に行く予定があり、せっかくこのエリアに来たんだから。と我的美術&建築の情報源・
KIN兄様と谷中散歩することに。
東京メトロ千代田線根津駅を降り、渋い果物屋の脇を入るカフェで待ち合わせ。なんてことないカフェだけど、置いてる本のセレクトがツボ。ロシアアヴァンギャルドの画集など。そこで絵本読んで人待ち。というのがいかにもKIN兄らしい。
谷中の路地は道端で立ち話をするおじさんおばさんの数が半端じゃない。みんな家の中にいないで外に出る習慣なのか。ぶらぶら歩いてると脇を、子供を乗せたお母さんのチャリが通り過ぎ、おもむろに止まるとそこにいたおばさんたちが「おかえりー」の合唱。下町。
谷中散歩が御趣味であらせられるKIN兄の誘導により、まずは曙ハウス。
築何十年か想像もつかない曙ハウスは住居で、なんと現在も誰かが住んでいるらしい。
明らかに傾いた建物の入り口の自転車がそれを物語っている。
中はやはり歩くとミシミシ鳴るのだろか。
次に、谷中名所ともいえる「はん亭」をしげしげと外から眺めに。
ここは、有形文化財なのだけど中は料理屋。串かつの店。
いつの時代の建物なんだろう。千本格子に近づいてみると、そう遠くない昔に塗りなおしたのか、意外と古くない。内装も気になるので、今度着物でも着て串かつ食べに来たいなぁ。
はん亭の向かいにあるアンティーク着物屋を覗き、ポップな銘仙やチューリップ柄の春らしい帯に心奪われつつ、今度ゆっくり。と、店を出る。
心臓やぶりな坂を上り墓地の脇を歩くとさすがに寺町、寺の横に寺、その向かいも寺。
江戸時代の寺内町を抜けて小学校に通った古都出身の私には懐かしい、古い木の建物の匂いに溢れていて、おもわず深呼吸。
途中、丁子屋という染物屋で波千鳥の模様の手ぬぐいを買う。
白地に藍染。浴衣の季節にふわさしい柄。
次は古い銭湯を改装したギャラリー「
SCAI THE BATHHOUSE」へ。
番台を利用した受付、銭湯特有の高い天井と高い位置にある窓、白塗りの空間で観たのは
加藤泉という作家の「裸の人」という展覧。
ギャラリーのホームページにあった、この写真を観て、どうしても生で観たくなったのだ。
白い空間に寄りかかるように立つ「裸の人」。この作品はSCAI THE BATHHOUSEとは違う場所で撮られたらしいが、写真に写っていないこの「裸の人」が、どのような表情で壁に寄りかかっているのか、回り込んで確かめたいような、それはやっぱり残酷なような、力強いような、頼りないような。
SCAI THE BATHHOUSEに居た「裸の人」は大きい人、小さい人、正面を向く人、這い蹲る人。など、数人。とりわけ、3人の裸の人を集めた展示に見入る。四つん這いになる人の上に、さらに四つん這いになる人。その上に立ち、壁に寄りかかり、そこにはない窓から外を見るような姿の人。近づいてみると木彫りの人々の顔には蝋が塗ってあり、目は色とりどりの蝋の塊。この目に火をつけたら、涙を流すように蝋が滴るだろうか。私は一番上に立つ裸の人が、何を観ているのか。よりも、一番下で四つん這いになる裸の人が、どのような表情をしているのか。が断然気になり、四つん這いの臥せた顔を、ギャラリーの床にべたりと座り覗き込む。無表情。想像どおりの無表情を確かめると、蝋の目に火をつけて涙を流させたい衝動に駆られた。
いずれの裸の人。も、頼りない胴体に不釣合いなほど大きな頭。
なんとなく、頭をよぎったのは、最近読んだ中島らもの「怒る子は育つ」という一篇のエッセイの冒頭。
「子供というものが目に見えるようにニョキニョキと大きくなっていくのは、彼らが内に抱えている「怒り」のせいではないか、と僕は考える。大人のむら気や虫の居所のせいで理不尽な叱られ方をするたびに、子供は自分が子供であることに耐えられなくなる。水中でもがいて地を蹴るように彼らは大人へ向かって突進する。「今に見ていろ」という怒りや悲しみが彼らの背を日ごとに伸ばしていくのではないだろうか。そうでなければ子供は子供の王国の中に永久にとどまるであろう。」
この一文をはじめて読んだとき、たしかに、怒る子。であった自分の賛同者が現れたようで心の靄が僅かに晴れた。数人の裸の人。の居るSCAI THE BATHHOUSEは子供の王国のようでもあり子供の王国を後にした人たちの場所。のようでもあった。
ギャラリーを出てぶらぶら歩き、江戸千代紙の「いせ辰」へ。
店内には千代紙で作られた鯉のぼりのモビールや張子の虎が飾られ、そういえばもうすぐ端午の節句。同じ千代紙でも、京都の紙問屋にあるものとは違い、色数が少なく粋な印象。
KIN兄が折り紙を購入。私は夏の前に誂える予定の浴衣にあわせて、またここに扇子を買いに来よう、と思料。
魚屋も肉屋も活気に溢れる世にもかっこいい谷中銀座の商店街を抜け、細い路地に迷い込むと、猫。
街を歩く人々の歩調もどことなくゆるりとしている。
やたら歩くのが速い私は、この街を歩くにはまだ、粋さが足りない。
今度は必然的に歩調が緩む着物に下駄で来よう、と妄想。
夕焼けだんだんを登ると、目的地に到着。
曇りの日の谷中散歩は、これにて終了。