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「大型船」避け右へ左へ 衝突の経緯次第に判明

2008年02月22日01時55分

 海上自衛隊のイージス艦「あたご」との衝突事故の直前まで、清徳丸と一緒にいた漁船の乗組員らが21日に開いた記者会見で、清徳丸が「あたご」の直撃を受けるまでの経緯が次第に明らかになってきた。

図

各船の位置関係

 《図(1)》19日午前4時ごろ。

 清徳丸は、他の2隻と三角形をつくるような形で、ほぼ南進していた。金平(きんぺい)丸と康栄(やすえい)丸が「底辺」となり、清徳丸がその「頂点」にあたる位置を進んでいた。金平丸の市原義次船長は「清徳丸の白い船尾灯が左前の方角に見えた」。

 同じころ、その約3.6キロ先では、同じ漁場に向かっていた幸運丸が、東京湾方面に直進するあたごとの衝突を回避するために右にかじを切った。午前3時半ごろに幸運丸はレーダーであたごをとらえていた。レーダーの範囲は半径約10キロ。乗っていた堀川宣明さんは「ちゃんと見てたならもっと前から分かるはずだ」と訴える。

 《図(2)》三角形を形作っていた清徳丸など3隻は、緑色の灯火の見える前方の大型船がイージス艦とは気づかないまま進んだ。大型船の約3キロ以内にまで接近した金平丸も危険を感じ、いったん右にかじを切った。しかし大型船に、右へかじを切って対向する船との衝突を避けようとする気配がないと感じ、金平丸は今度は左に大きく転回して針路から逃れたという。

 金平丸が直進を続けていた康栄丸と再び並んだころ、あたごが停船。船体に明かりがついた。

 「船、止まったよ」

 「お前が前走って止めちゃったんじゃないの」

 金平丸と康栄丸は、無線で、そんな会話を交わした。このときには、清徳丸とあたごが衝突していたとみられるが、2隻は事故にはまったく気づかなかったという。

 《図(3)》あたごの後方に出たところで、不審に思った康栄丸の中ノ谷義敬船長はライトで照らして、初めて海自艦であることを確認した。

 「こりゃ軍艦だよ」

 2隻はそのまま南へ進んだ。中ノ谷船長は「まさか、清徳丸が事故に遭ったとは思いもしなかった」という。

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