★本邦初公開?大韓帝国勅令41号の石島は独島ではない証拠
テーマ:☆竹島領有権問題2月に入ってしまいました。
2月14日はバレンタインデーですが、韓国ヲッチャーとしてやはり気になるのは2月22日の竹島の日。
ということで、今回は竹島領有権問題について書きます。今回の発表も(ひょっとしたら?)本邦ネット上初公開かも知れません。
ちょっと専門的な部分もあるので、おさらいしながら書き進めますね。
韓国側で竹島(独島)の領有権を主張する時、たいがいの場合、512年に「于山国」が新羅に併合される、という古書の記録を引用して、「独島は6世紀からウリナラの領土」と説明します。
で、大概は、それに続いて「世宗実録」や「高麗地理誌」などにも記載がある、独島は歴代の王朝が支配していたことは明確だ・・・などという説明になるわけです。
ちなみに、上記の古書ではいずれも于山島という名前で登場するのですが、古書にある于山島こそ独島のことであり、韓国の領有権の証拠だ、というのが一般的です。
いわゆるこれが、韓国側の公式見解。
ところで、日本に併合される直前の大韓帝国の時代、大韓帝国政府は「大韓帝国勅令41号」というものを公示して「正式に」独島を韓国領土に編入した、と韓国側は主張しています。
その時の「大韓帝国勅令41号」がこれです。
鬱陵島を鬱島と改称し、島監を郡守に改正するの件
第一条
鬱陵島を鬱島と改称し、江原道に所属させ、島監を郡守に改正し、官制に編入し、郡等級は5等にすること
第二条
郡守は台霞洞に置き、区域は鬱陵全島と竹島、石島を管轄すること
(画像と訳は"http://toron.pepper.jp/jp/take/hennyu/ishijima41.html"から引用)
大韓帝国時代の、公式な「領有権の主張の重要な証拠」といわれるこの「勅令41号」ですが、何故か急に「石島」という、それまで登場したことのない島が出てきます。
とはいえ、日本側も石島が独島ではない明確な証拠があるわけではないので、明確な反論が出来なかったわけです。(ま、悪魔の証明みたいなもんですからね)
というわけで、杉野は本当に石島が独島なのか、大韓帝国当時の新聞を探ってみました。
で、結果ですが・・・やはり独島は石島と無関係らしい、ということを示す資料を発見しました。
併合前に発刊されていた大韓帝国時代の皇城新聞の記事です。
尚、この資料は、今まで日本語訳は見たことがありませんので、ひょっとしたら、これが本邦初公開になるのかも知れません。
何分、古い新聞ですので、ちょっと読みにくいのですが、分かる範囲で解読してみましょう。
鬱島郡の配置顛末
「統監府で内部に公○された江原道三陟○管下に所在する鬱陵島に所属島嶼と郡廳設始月は示明する○故○○図され、光武二年五月二十日に鬱陵島統監に設證され、光武四年十月二十五日に政府会議を経由して郡守を配置するので郡廳は台霞洞に置き、護郡所管島はチュク島と石島で、東西が六十里で南北が四十里なので,合せて二百余里だという」
上述の新聞記事では鬱陵島の東西南北どの方向に(石島が)あるのか不明ですが、「東西が六十里で南北が四十里」という管轄範囲が示されているので、竹島がこの範囲内か範囲外かで、「石島」が竹島なのかどうかがこれで分かります。
では、実際に地図を用いて「東西が六十里で南北が四十里」を確認して見ましょう。
当時の韓国の里法では1里=0.2km、若しくは1里=0.4kmですが、ここでは、0.4kmと仮定します。
地図は(公平を期す為)韓国で使用されている英文地図を使いました。
鬱陵島周辺の赤い枠内が、「東西が六十里で南北が四十里」になります。
上記の画像の通り、「東西が六十里で南北が四十里」では、竹島は領域外ということが明白に分かります。
要するに、石島はこの赤枠の内側に存在する島になるので、当然、石島と竹島は別物なのは明白ですよね。
繰り返しになりますが、これは別に特例を挙げたものではありません。
石島の所在位置を示す資料が(杉野が知る限り)これしかないわけで、韓国側から(反論出来るような)資料は提示されていないわけです。
この矛盾を韓国側はどう説明するのでしょうか?
さて、今月22日は「竹島の日」ですので、竹島に関するレポートを書いて見ました。
このレポートに関して、韓国側からは、反論があるのでしょうかね?
まあ、さっさと国際法廷で決着をつけてくれれば、良いだけなんですがね・・・
◆2月5日加筆
上述の皇城新聞の日本語訳ですが、一部判読不可能だった部分がありましたが、韓国近代史研究家のchaamiey氏の協力を得て、全てを判読(類推箇所もありますが)することが出来ました。
完成版は以下の通りです。
(chaamieyさん、ご協力有難うございました)
鬱島郡の配置顛末
統監府から内部に公照された江原道三陟郡管下に所在する鬱陵島の所属島嶼と郡廳設始月を示明せよとの故に答酬され、光武二年五月二十日に鬱陵島統監として設證され、光武四年十月二十五日に政府会議を経由して郡守を配置したが、郡廳は台霞洞に置き、該郡所管島はチュク島と石島で、東西が六十里で南北が四十里なので、合せて二百余里だという。
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