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2008年02月22日(金曜日)付

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イージス艦―責任逃れをするな

 何が起こったのかを正確につかみ、ただちに報告させて公表する。これは間違いを犯した組織が信頼を取り戻すための基本である。漁船との衝突事故をめぐる自衛隊の対応をみると、その最も大切なことがまったく守られていない。

 それどころか、時間がたつにつれて自衛隊の説明が変わり、都合の悪いことが出てくる。これでは自分たちに不利な情報を隠し、責任を逃れようとしていると思われても仕方があるまい。

 小さな漁船「清徳丸」とぶつかり、その船体を切り裂いた海上自衛隊のイージス護衛艦「あたご」の見張り員が、衝突の12分も前に漁船の灯火を確認していたことがわかった。

 「2分前に発見し、回避行動をとったのは1分前」としていた事故当日の説明を一転させたことになる。

 漁船をいつ見つけたかは、衝突の原因を追及するうえで、きわめて重要な情報だ。それがなぜ、すぐに出てこなかったのか。なんとも理解しがたい。

 さらに信じられないのは、漁船に気づいてからのイージス艦の動きだ。

 灯火に気づいたという衝突の12分前であれば、二つの船は数キロ離れていた。衝突を避けることは十分できたはずだ。だが、イージス艦はその後も11分間にわたって、かじを切ることも、速度を落とすこともしなかった。衝突直前まで自動操舵(そうだ)だったというのだから、常識では考えられない進み方だ。

 しかも、前方にいたのは、沈没した清徳丸だけではない。仲間の漁船が船団を組んで進んでいた。イージス艦はその船団に突っ込んでいったかたちだ。

 最新鋭の自衛艦の上で、乗組員はいったい何をしていたのか。漁船を見つけた見張り員は、当直士官やレーダー員にすぐ伝えたのか。漁船がどう動くか、きちんと目配りを続けていたのか。

 そのころ当直の乗組員が交代の時刻だったようだ。引き継ぎで海上への注意がおろそかになっていなかったのか。

 そうした初歩的な疑問に自衛隊はいまだにきちんと答えていない。衝突の前後に艦内がどんな状況だったかも明らかにしていない。

 艦内で何が起きたのかをつかめないというのなら、まったく統制がとれていないことになる。こうした組織に日本の安全保障を委ねることができるのか。

 そもそも海上自衛隊が目の前の漁船すらよけられないのなら、どうやって日本を守るのか。自衛隊の士気や規律が崩れているのではないかと心配だ。

 自衛隊は事故にかかわる情報を包み隠さず、洗いざらい公表すべきだ。国防の重要性を盾に組織防衛をすることは許されない。

 石破防衛相の責任は重大である。部隊の実情をつかめなければ、シビリアンコントロール(文民統制)は絵に描いた餅だ。今回の事件では日本の民主主義も試されている。

盧大統領―庶民派の寂しい幕引き

 「改革と和合を土台に、民主主義、均衡のとれた発展社会、平和と繁栄の東北アジア時代を」。そういう目標を掲げて5年前に就任した韓国の盧武鉉大統領が24日に退任する。

 「均衡」どころか社会の格差は開き、国民「和合」が進んだとは言えない。北朝鮮問題もまだ先が見えない。こころざし半ばで任期を終える無念さを、盧氏はかみしめているに違いない。

 独裁から民主へと、韓国の現代史には一貫した太い流れがある。軍事政権に抗した民衆の犠牲のうえに民主主義を手に入れ、それを深めてきた。

 韓国にはまた儒教的な伝統も色濃く残っていたが、市民社会が成熟するとともに、古い秩序から脱皮したいという意識も強くなっている。

 そんな中で生まれた盧政権である。独裁体制と闘った前任の金大中氏さえも、旧来の「ボス政治」の枠の内にあったが、盧氏はそうしたしがらみとは無縁だった。変革への国民の期待を集め、インターネットの波に乗って登場した。

 大統領自身もその点を強く意識していたのだろう。裏取引のない、分かりやすい政治を心がけた。金権も影を薄くした。帝王のように権力が集まる大統領制だが、日常の行政は閣僚らに任せ、検察の独立性も保証した。

 これらは評価すべき成果である。

 過去の権力犯罪を解明し、日本による植民地支配の下での徴用被害に、歴代政権で初めて本格的な救済対策を講じた。盧氏ならではの新路線といえた。

 就任の1年後、弾劾をふりかざして挑戦してきた野党と、辞任覚悟で真っ向から対決し、直後の総選挙で与党の大勝をもたらした。

 庶民派リーダーとしての絶頂だった。敵を見つけ出し、簡潔な物言いで挑発しながら抵抗勢力に仕立て、世論の追い風をおこす。ぶれることや妥協を嫌う。どこか、小泉元首相が得意とした劇場型の政治手法を思わせた。

 だが、そのあたりから盧氏の政治スタイルは空回りを始める。

 経済格差が広がり、生活の安定という足元の課題に国民の目が向き出したのに、「歴史の見直し」といった理念先行の政策や野党との対決政治を続けたからだ。国民の期待とのずれは次第に大きくなっていった。

 ナショナリズムに傾き、米国との関係が一時おかしくなった。日本とも、任期後半は「歴史」一色になってしまった。

 小泉元首相の靖国参拝が大きかったのは確かだが、竹島問題では盧氏も「外交戦争」と激しかった。日韓ともに指導者がナショナリズムをあおることの愚かしさを思い知らせてもくれた。

 次期大統領には実業界出身の李明博氏がつく。地に足のついた現実感覚と安定を国民が求めた結果だ。民主化への太い流れはそんな形で引き継がれ、進化していくのだろうか。

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