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2008年2月22日

◎辰巳櫓復元 「広坂新構想」総仕上げに

 金沢経済同友会が提言した金沢城辰巳櫓(たつみやぐら)の復元構想は、国の合同庁舎 、旧県庁舎跡、県中央公園周辺を総合的に再整備する「広坂新構想」と切っても切れない関係にある。都心の街並みを「座敷」とすれば、本丸高石垣と辰巳櫓は「屏風」のような存在であり、二つが一体化してはじめて金沢が誇った立体的で広大な城下町がよみがえるのである。とりわけ、明治の崩壊後に応急処理的に改造されたまま今日に至っている「変形石垣」を本来の姿に戻すのはわれわれの世代の責任ともいえるだろう。

 金沢城の本丸を守る南東に位置する辰巳櫓は高さ二十七メートルの石垣上に十四メート ルの櫓があったとされる。一七五九年の大火で焼けて以降、再建されなかったが、犀川方向から見える城のシンボル的な建造物だった。土台ともいえる高石垣は明治末期の一九〇七年に崩壊したため、旧陸軍が上部を削り取り、周辺も崩壊しないように三段組みに改造した。その際、石垣に階段を付けたり、明治ふうの玉石状石組が見られることになった。藩政期の城郭としてはあり得ない姿になっているのである。

 辰巳櫓の復元と言えば、上部構造に目が行きがちだが、下部の石垣整備も重要な課題だ 。こうした「変な遺産」をそのまま後世に残すことが問題であり、城郭石垣本来の姿に戻すことが櫓復元の前提となるからである。幸い崩壊前の石垣を写した明治期の写真や藩政期の辰巳櫓の平面と立面の設計図が残っている。他の櫓や石垣に比べて極めて復元しやすい工事になることを、県民に知ってもらう努力が城郭整備を進める行政にも求められよう。

 宮守(いもり)堀の水堀化が進めば周辺の雰囲気は激変し、水堀を前にした辰巳櫓跡石 垣の存在は今とは比較にならないほど大きく見えるだろう。「広坂新構想」に該当する場所と辰巳櫓復元場所は指呼の間にある。二つの構想は自ずと接近するに違いない。実現へ動き出せば菱櫓・五十間長屋や河北門の復元とは桁違いの一大プロジェクトになろうが、復元効果もまた大きい。

 既に北國総合研究所が辰巳櫓復元への調査を始めている。県や市に加えて民間の活力、 市民の寄付も加えた「オール石川」の力を発揮するに値する事業であろう。

◎税制法案審議入り 年度内採決の一線崩すな

 道路特定財源の暫定税率維持などを盛り込んだ税制改正法案の審議が衆院で本格化して いる。年度末で期限切れを迎える暫定税率の延長と財源の使い方に関する与野党の隔たりは大きく、野党側は「三月末が決戦」と手ぐすね引くふうであるが、年度内に法案を採決し、決着をつけるという一線を崩さないでもらいたい。

 先の「つなぎ法案」をめぐる攻防で与野党が受け入れた衆参両院議長のあっせんは、予 算関連法案について「年度内に一定の結論を得る」となっている。玉虫色の表現で、民主党は年度内の採決を約束したわけではないと主張しているが、両院議長は「議会で結論を得るとは賛否のことだ」と述べ、年度内採決の意味であることを認めている。福田康夫首相が、あっせん合意で「法案の年度内採決が確保され、日切れに伴う混乱が回避できた」との認識を示しているのはもっともである。

 議長あっせんは、年度内採決の前提として「公聴会や参考人質疑を含む徹底審議」を求 めている。あっせん合意で法案の出口が見えたとみる向きもあるが、消化試合のような法案審議では困る。議長あっせんの趣旨を尊重し、順守することをまず与野党に求めておきたい。

 議長あっせんで、もう一つ重要な点は「税法について各党間で合意が得られれば修正す る」となっていることだ。与野党の主張はいまのところ平行線をたどっている。しかし、歩み寄りの余地がまったくないわけではなかろう。たとえば、道路特定財源の全額をすぐ一般財源化する民主党案は現実的ではないが、一般財源化の枠を広げる方向性は福田首相も否定していない。政府・与党は小泉内閣時代の〇五年に、道路特定財源を一般財源化する基本方針を一度打ち出した経緯がある。

 また、今後十年間で五十九兆円を投入する道路整備中期計画は、立案に用いた交通量な ど基礎データが古いことなどから、福田首相は見直しもあり得るとしている。冬柴鉄三国交相は、改革本部を設けて道路財源の使途見直しなどに取り組む考えを示してもいる。こうした点が修正協議の糸口になるのではないか。修正協議を行うには、民主党が対案を速やかに出す必要もある。


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