◎元頭取に実刑 「自己の保身」厳しく断罪
経営破綻(はたん)した旧石川銀行の不正融資事件で、金沢地裁は商法の特別背任罪に
問われた元頭取高木茂被告に懲役三年の実刑判決を言い渡し、金融機関の最高責任者でありながら責任逃れに走ったとして「自己の保身」を厳しく断罪した。特別背任は立証のハードルが極めて高く、司法の判断も分かれる中、今回の判決は銀行の社会的影響力や頭取という職責をより重くみた結果と言えよう。
地域金融機関は地域の企業や預金者と運命をともにする存在であり、破綻を招いた高木
被告の責任はとうてい免れるものではない。それは経営上の判断の誤りという次元で済まされるものではなく、通常の銀行業務から逸脱すれば重大な刑事責任が伴うことを判決はあらためて示している。
判決によると、高木被告は元専務らと共謀し、巨額の融資先だった東京の広告会社の破
綻回避のため、傘下のゴルフ場運営会社に回収見込みのないまま五十七億円を融資して銀行に損害を与えた。高木被告は一貫して融資の妥当性を主張してきたが、裁判所は「破綻を先送りするだけのいわば一時しのぎの措置でしかなかった」とその悪質さを指摘した。銀行経営者にとって、そうした問題の先送りは責任逃れになることを強く戒めた判決とも受け取れる。
不正融資事件では旧石川銀行の元専務で破綻当時の頭取、東京支店長が執行猶予付き判
決を受け、有罪が確定している。今回の判決では高木被告が同事件の融資立案や折衝に直接関与していないものの、「本件の主犯」と明確に認定した。裁判所は長年にわたり旧石川銀行の頭取、大株主であった被告の絶対的な支配力にも言及したが、それは経営破綻やこの事件の核心に触れる部分でもあろう。
バブル崩壊後、過剰融資が引き金となり、不良債権を抱え込んで経営破綻した金融機関
が相次いだ。「負の遺産」処理のまずさが銀行の命取りになることは過去の事例をみても明らかである。
無罪を主張していた高木被告の公判は五十三回、約四年半にも及んだ。即日控訴により
、さらに裁判の長期化が予想されるが、二審の行方はともかく、裁判は不良債権処理にあえいだ時代の金融機関の教訓を今後も伝えていくことは間違いなかろう。
◎東芝のDVD撤退 顧客への配慮しっかりと
東芝が新世代DVDをめぐる規格競争に敗れ、「HDDVD」事業から撤退することに
なった。「陽はまた昇る」という映画にもなった、二十年余前の「VHS対ベータ」の激烈な“開発戦争”を思い出させるものだったが、すでに同社の新世代DVDを購入した顧客への配慮の質が今から問われる。企業の面目にかけて手を尽くしてほしい。
東芝のHD方式のプレーヤーはライバルの「ブルーレイ・ディスク(BD)」にやや遅
れて二〇〇六年の前半から販売され、世界全体で約七十万台(うち日本は同三万台)が買われたといわれる。同社は撤退後も修理に備えて八年間、部品を保存するほか、録画用のディスクも長期に購入できるようにするなど、顧客へのサポートを続けるそうだが、それだけで十分かどうか。
撤退を決意するまでの経緯をも、顧客に詳しく説明し、同時に顧客から要望を聞き、そ
れにできるだけこたえていかないと信頼を失いかねないと指摘しておきたい。
消費者保護の最前線で活躍している専門家によると、東芝の決断が顧客にとって寝耳に
水だったことからすると、場合によっては顧客がHDとの競争に勝ったBDに乗り換えるとき、なにがしかの補助をするなどのサポートも必要ではないかといわれている。
創業が一八七五(明治八)年で、今年六月に百三十三周年を迎える電子情報技術産業の
雄である東芝にとって、米国の映画産業に裏切られたかのようにも見える撤退はそれこそ苦渋の決断であったろう。が、顧客への配慮を模範的に果たすことが企業の将来を盤石にするのだ。
もちろん、企業のエゴや妥協で規格を決めるのは消費者を無視することであり、消費者
保護の観点からいえば好ましくないのだが、それにしても新世代DVDの規格や、互換性について早いうちに統一できなかったのはまことに残念だった。
VHS対ベータ戦争の後、この争いの教訓の一つとして企業と消費者との対話というこ
とがよくいわれた。生産者、市場、消費者、商品の進化のあり方についての反省だったのだが、それが生かされたといえない。この点も掘り下げて考えたい。