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外環道、強制収容/反対地主の思いは

2008年02月17日

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外環道の建設現場=松戸市上矢切で

 東京外かく環状道路(外環道)の千葉県未開通部分(松戸市―市川市間約11キロ)の用地買収問題をめぐり、国土交通省首都国道事務所は先月25日、未買収の用地について、土地収用法に基づく事業認定を申請する準備に入ることを明らかにした。住民の土地や家を公共のために強制的に買収するという、いわゆる強制収用に向けて動き出した。いまだ買収に応じていない265件(昨年12月末現在)の人たちは、この国の動きをどう見つめているのか。どんな思いなのだろう。その1人を訪ねた。

「なぜ、ここで積み重ねた歴史をすべて奪われなければならないのでしょうか。強制収用となったら、みんな普通の人たちだし、高齢者が多いから、なすすべもなく家を取り上げられてしまうのでしょうね」

 松戸市上矢切の浅井ゆきさん(56)の声は怒りを通り越して悲しい。

 浅井さんがこの地に引っ越してきたのは1969年。18歳だった。その翌年、説明会が開かれ、国側は「外環道が通るので測量に入る」と告げた。突然の通告に住民たちは反発した。

 2千戸の立ち退きが必要な計画に反対運動は盛り上がり、松戸市、市川市、県の議会が凍結・再検討の請願を採択。住民と議会、行政が一体となった抵抗に計画は事実上凍結された。

 結婚し、矢切を離れていた浅井さんが、矢切に戻ってきたのは89年。3千万円かけて家を建て替えた。当初の計画では道路用地は敷地をかすめる程度だった。仮にその土地をとられても、奥に家を建てれば立ち退かずに住むことは可能だった。

 しかし、国の要請に応じるように89年に松戸市、93年に市川市が建設推進に変わった。振り返れば、85年に県議会が建設促進決議を可決したころから風向きは変わってきたようだった。

 そして、96年には都市計画変更決定で道路幅が拡幅され、浅井さんの家はほとんどが買収対象の用地になった。

 「またも私たちの知らない所で計画変更が行われた。知っていれば家の建て替えなんてしなかったのに……」

 用地買収が進み、建設工事も始まった。

 松戸市と市川市を南北に走る外環道は、地域を分断していった。千葉県ルートの大半を占める市川市の場合、当時の試算で60本の道路、14の小中学校の学区、14自治会、4商店街をまたぐという。生活環境が激変する――。工事が進むにつれて、その心配は現実になった。

 「人の流れが変わり、近くにあったスーパーもお医者さんもなくなって不便になった。用地にかからず、残る人も不幸になるんです」

 その一方で、用地買収はここ数年進まなくなってきた。前代未聞という2千戸の立ち退きにすべてが応じるのは無理があった。そんな中で昨年夏以降、国や推進派の動きが活発になった。

 8月には推進派が松戸、市川両市内の12カ所に外環道建設促進の応援幕を張った。9月には「いちかわ産フェスタ」でアンケート(回答716人)を行い、4分の3が「全線の早期開通が必要」と答えた結果を発表した。同28日には外環シンポジウムを開催した。

 浅井さんの家に首都国道事務所の用地課の職員が初めて訪ねてきたのも昨年の秋のことだ。

 「買収に応じないのはわかっているからなのか、今まで来なかったのですが……。2度来ましたが門前払いにしたら、あっさり帰っていきました。今、考えると強制収用に向けての既成事実づくりだったんですね」

 いつ強制収用の手続きに入るのか。不安な日々をおくる浅井さんが一番心配しているのは、一緒に住む高齢の母のことだ。近所付き合いもあり友人もいるから、老後も楽しく暮らしている。

 「ここを追い出されて新しい土地に行ったら、周りは知らない人ばかり。母にとってこれはつらい。土地を売って出ていった人に聞くと、お年寄りは、みんな家にふさぎ込むようになったそうです」

 浅井さんの家の前では、今年度中に一部開通を目指す、松戸市の国道6号との交差点から県道市川松戸線までの約1キロの工事が急ピッチで進められいる。

 「これが開通すると、全線開通を求める声がさらに大きくなって、反対する私たちに対する視線も厳しくなるでしょう。外環道は街だけでなく市民も分断してしまった」

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