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赤字膨らむ「新銀行」

2007年03月16日

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新銀行東京の本格開業を控えた本店完成式典でテープカットをする石原慎太郎知事(中央)=05年3月、東京・大手町で

 「専門家に意見を聞いたら、これじゃ(借り手にとって)一種の駆け込み寺だと。中小企業(への融資)でも、まずいカードをつかんでいるという感じが否めない」

 6日の都議会予算特別委員会。石原慎太郎知事は、自らの発案で05年春に開業した「新銀行東京」で、貸出金が回収不能になるケースが急増していることに危機感をにじませた。

 昨秋発表の中間決算では、06年度上期は154億円の赤字。開業1年半で累積赤字は456億円にもなった。当初の経営計画では来年度に黒字転換するはずだったが、赤字が膨らむ一方だ。

 預金を集めても貸し出し先が見つからない。回収不能になった損失額は58億円と想定の3倍に上っている。都は銀行設立にあたって1千億円の都税を出資したが、このままでは資本金を2、3年で食いつぶしかねない事態になっており、知事は「立て直す方策はいくらもある」と強がるのが精いっぱいだ。

 中小企業振興を目指してつくられた新銀行は、「無担保・無保証融資」を目玉にする。将来性がありながら経営規模が小さいために銀行の融資を受けられず、資金繰りに悩む企業に資金を貸す。そのためには、貸し倒れを避けるために企業の実力を見極める「目利き」ができる審査スタッフをいかに確保できるかが、銀行の成否を握る。

 だが、新銀行関係者によると、新銀行には他の銀行からの転職組はいるが、優秀な人材を引き抜く専門家であるヘッドハンターは利用されなかったという。「ヘッドハントは金融界では常識だが、資質の精査や本人への説得など時間や手間がかかる。準備を急ぐあまり、手が尽くされなかった」と、この関係者は指摘する。

 こうした実態には触れずに、知事は行き詰まりの責任を、「不慣れな仕事を不慣れな人にさせたというきらいがある」と経営陣に押しつける。確かに現在の社長はトヨタ自動車出身。当然、銀行業の経験はないが、知事が旧知の奥田碩・トヨタ相談役のつてを利用して招いたのだった。

 新銀行は石原知事の2期目の公約だった。その選挙で知事は308万票を集めた。それだけに、都庁内部や都議会からは、設立に強い反対はなかった。

 たしかに、選挙公約として新銀行が示された03年春ごろ、「貸し渋り」は社会問題
だった。だが、巨額の不良債権処理にめどがつきだした大手都市銀行などは、景気回復の兆しもあり、すでにこの頃には中小企業への融資に着目していた。

 このため、都庁幹部の間では、新銀行設立の準備段階から、都が銀行をつくることに疑問を抱く声があった。だが、複数の幹部は「知事が重用する側近が人事権を振りかざしており、その意に添わない者はつぶされるという空気があった」と口をそろえる。「『事業が進まないのは局長が反対しているから』と側近副知事が知事にでっちあげて名指しされた結果、外郭団体に出されたり、任務をはずされたりした局長も多い」

 当時を知る金融関係者は、「トップダウンで始まっただけに、設立準備にかかわった都職員には金融知識がなく、知事の判断が必要になる案件が多かった。でも、知事は週に2、3日しか登庁しないので、話をなかなか進められなかったようだ」と振り返る。

 中間決算が発表された昨秋ごろから、副知事が大手企業に電話をかけ、融資の引き受けを求めるセールスを始めた。でも、大手は都銀などから低金利で資金を調達できる。しょせんは「お付き合い程度」でしかなく、新銀行にとって、抜本的な再建策にはならない。

 新銀行の準備当時、金融庁で銀行監督業務にかかわった大串博志衆院議員は「新銀行には、他行との競争に勝てるような特徴も優位性もない。たとえ景気が悪い状況が続いていても、やはり都銀などとの競争には勝てなかっただろう」と手厳しい。

■石原知事発言録■

 「(日本経済再生の)突破口として、負の遺産のない全く新しいタイプの銀行を創設することとしました」(03年5月、会見で。新銀行創設の方針を発表して)

 「景気回復があったとしても、当面、中小企業については厳しい状況が続く可能性が高うございます。新銀行の必要性は大きいはずであります」(03年9月、都議会答弁で)

 「ほかの銀行が逆立ちしてもできないことをやろうと思っています」(04年1月、会見で)

 「新銀行の経営陣にはすぐれた人材を各界から迎え、開業3年後には、総資産1兆6千億、自己資本比率は邦銀トップクラスの13%とすることを目指してまいります」

(04年2月、都議会施政方針演説で)

 「我々はルビコンを渡ったんでありまして、渡っただけじゃなく、すでにローマの岸に上陸して、一気にローマを攻め落とすだけであります」(04年4月、新銀行東京の発足式で)

 「中央政府の金融行政は脳梗塞(こうそく)を起こしているようでならない。ごくしれた額の融資に苦労している企業が多い」(05年3月、新銀行東京の開業式典で)

 「経済全体の動向が昔と変わってきましたし、そういう目算の狂いというのはありますけれども、現況の中で私は順調にいっていると思います」(05年8月、下方修正された経営目標について)

 「本当だったらこんなもの(新銀行)はつくらずに済んだ。それでよかったんだよ。国が中小企業に非常に冷淡で、ものすごい可能性があるものを全然手当てせず、だから僕は(中小企業支援の債券市場で)中小企業を支えてきたわけですよ。その一端の仕事でやったわけですからね、間違ったことをしていると思いません」(06年6月、記者会見で。赤字200億円となった初年度決算について)

 「中小企業専門の銀行になるつもりでいたら、ほかがこっちのまねをしてやり出したんで、いろんな手違いもあったし、見込み違いもあったでしょう。東京は大株主としてものを言って、3年先の目的が達成できるように努力しますよ。ご不満ですか」(06年12月、記者会見で。3期目黒字転換が絶望的となった2期目上期の中間決算発表について)

 「自動車のセールスのように物を売ればいいというような業務じゃございませんし、そこら辺に勘違いがあったなと。開業して行った貸し付けがほとんどデフォルト(回収不能)したということは、経営者側の見識の問題だと思います」(07年2月、都議会答弁で)

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