2008-02-06
■[diary][essay]「働かざる者食うべからず」
ぼくは基本的に仕事について書いたりしない。結局ブログというのはプライベートだからそこに仕事のことは持ち込みたくない。そういうところは今風なんだろうけど、ブログが全然仕事の役に立っていないともいいかねるし、仕事のことを書かないとは言っても仕事をしていることで書けることというのは確実に広がっている。そんな感じ。
仕事で毎日残業続きで帰って寝るだけの日々です。休日は日曜しかありません。手は荒れ放題で写真では見え難いかもしれませんがあちこちに傷が入ってしまいました。働く事とはこうゆうことです。
アルバイトで皿洗いをしてたころのぼくの手もまさにこんな感じになっていて、その代わりに熱いものを結構素手で扱っていたから、その頃は例えば薬罐とか素手で持ってもそれほど熱いとは感じなかった。今紅茶を入れるために沸騰したお湯の入った薬罐を持ったら熱かったので取っ手に布巾を被せた。そんなふとしたことで当時のことを思い出す。
ぼく自身仕事もせずに遊んでばかりいたり、周りがみんな社会人なのに一人学生をしていたりの時期があったりで、そんな時期にこういうことを聞くと萎縮していた。そんな時期に意味があったかなかったかというのはよく分からないけれども、あまり後悔はしていない。基本的にちゃらんぽらんだから今やりたいようにやればいいやぐらいに考えている。悔やんだところでなにも解決しないもの。
そんなぼくがフリーターをしていたころ、週に3回ぐらいしか仕事をしていなくて、結構自分を責めた。正直辛かった。仕事に行くために電車に乗るんだけどそのたびに「ああ、今日は仕事がある。自分に仕事があって良かった」と思った。仕事は基本的に嫌いなんだけど、仕事があって良かったと思う瞬間というのが今でも時々ある。
仕事は嫌なことの方がずっと多くて毎日「休みたい」と呟いている割には、突然良かったと思うときがあったりで不思議なものだ。反面人に使われているだけじゃダメだろうとも思っていて、だから経営をしているひとの発言とかはブログなどでも興味深く眺めている。なんて言えばいいんだろう、お金儲けを楽しめる人生はいいなと思うし、そういうものに主体的に参加できるようにもなりたい。でも、人を使いたいとかではなくて、人に使われていてもそういうことは意識しておいた方がいいのかぐらいに思っている。
手足がついてりゃ働けるんだ。働かない人間は、人間の屑だよ。
まともに仕事をしていないときはいつもそんなことを考えていた。働いているときでさえ自分のことを屑だと思うこともあるけど(笑)、そんな風に考えているのは今仕事がない人の方が多いんじゃないかな。最近思ったんだけど仕事に関して偉い、偉くないはないよ。金稼いでいるから偉いとか、それは金を稼ぐためにやっていることで人間的な評価とは関係ない。金を得ることでその人の目的は達成されているんだから。金が欲しいから働いているわけで、それ以上それ以下でもない。もちろんそこで得られる金以外のものというのもたくさんあるんだけどやっぱり究極は金。金が欲しいから働いているんであって、それは自分の勝手なんだ。今はちゃんと働いているけど、だからといって働いていなかったときの自分より偉くなったとかそういうことはない。金を稼げる人に憧れる。金を稼げるようになりたい。反面金とは関係のないところで色々魅力を与えてくれる人も好き。偉い偉くないはなくて、結局いかに生きるかってことなんじゃないか、それで自分が納得できれば、まあできっこないんだけど、なるようにしかならないのかな、それほどつまらなくはない。
それはお疲れ様です、としか。親が裕福だったり宝くじで3億円当たったりしてもはしごたんは働くのかしら。「働かざるもの食うべからずは最低の格言」と西之園萌絵と犀川教授は言ってるわ。人間の屑でも構わない。
本当にお疲れ様としかいいようがない。「働かざるもの食うべからず」ってなんか押しつけられているような感じで嫌いだ。働きたくても働けない人もいるし、働いていない人を格下に見るという感覚は好きではない。仕事仕事と倫理のように言う人がいるけれども、なんか違うなあとはいつも感じてきた。