2008-02-19
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実際、佐々木俊尚が正義だとかまっとうな批判だとか持ち上げているものってのが、果たしてwebだから匿名だから可能になったのか?といえば…そーゆーわけでもねーでしょ。
そんなもん「既存メディア」しかなかった頃から茶の間でひとりテレビ見てツッコんだりボヤいたりしてるオヤジはいたわけですから。
ただその「ボヤき」が他の人にも聞こえるようになったっつーだけのことであって、ボヤきが正義であるとかまっとうであるかとかそういう問題か?
何より、既存メディアがついてきてないだのと喚くが、現状では「街頭テレビ」と変わりゃしねぇ。特に佐々木が言っていた
「面談する必要は、まったくないと思っています。そもそも池田さんと天羽さんが議論を決着させる必要があるのでしょうか?大切なのは、2人が論争していることが多くの人の目に触れて、そこから議論が多くの人の間で展開していくことだと思っています」
なんてのは街頭テレビでプロレス見て盛り上がれ言うてるのと同等ですからね。旧態依然なのに全く気が付いちゃいねぇという。テクノロジーとかアーキテクチャの進化だけ、それを利用する人間の進化はなんら見られないつーことになるよ。この程度で佐々木とかは「最先端」だと思い込んでて始末が悪すぎますです。ま、ケータイ小説と電車男の相似性にも触れなかったくらい(たぶん気づいてない)のゆるいおつむの持ち主ですからしょーがねいんでしょーけど。
あ、そうだ。
ところでケータイ小説がウケた理由から次世代モバイルマーケティングをどうのこうのみたいに言ってる人がいんじゃん?本まで出して。
今世代で通用するもんが次世代で全く通用しねぇつーのは考慮に入れてんだろうか?
たとえばヤマンバギャルのみなさんが絶滅しちゃってあのヘンな黒いドウランや白い隈取りが全く売れなくなったわけですよね。そらおめぇ当然今「ケータイ小説にハマっちゃってー」とか言ってる子たちも「え〜?ケータイショーセツとかまだ読んでんのー?だっさーい」みたいにいつでもなれるわけですよ。そりゃそーだブームにのっかることには何の責任も負う必要なんかねぇんですから。
ほら、もう今と当時じゃ系統違ってるでしょ。
実際マーケティングなんてのは「流行に乗せられるか否か・乗るように誘導、扇動できるか否か」だけしかない。つまりR30とか湯川鶴章とかがグダグダぬかしてんのは「全くの無駄なゴミクズの戯言」でしかないし、たとえばそういうストリートファッションであったりケータイ小説だったりてのの発祥があくまで「コンシューマ発」ならば、マーケティングとか言って調子コイてる馬鹿(たとえば湯川鶴章やR30みたいな生ゴミ)が逆に『流行にノせられているだけ』でしかない。
時代を「斬ってるつもりの最先端気取り」なのか「斬らせていただいてる乞食」なのか、そこいらよーく考えてみたほうがいいんじゃねぇ?マーケティングなんちゃらーとか言って調子クレてる生ゴミオヤジどもは。