2008.02.19
大友康平裁判(11)口頭弁論でのイエホック楠山寸賀子社長の証人尋問発言について
HOUND DOGの大友康平の”ウラ営業”と、独立によるコンサート・ツアー中止による損害賠償請求の口頭弁論での証人尋問。大友康平の所属事務所「イエホック」楠山寸賀子社長の尋問レポートを書いたが、各方面から「よく分からない」という苦言をもらった。正直言って、これは無責任なことかもしれないが、楠山社長に関しては自分自身、理解しきれずに書いた。おそらく、その時、法廷で傍聴していた誰しも理解不能だったに違いないと、僕は想像している。
だいたい、言っていることが、全て断片的なのだ。証人尋問をメモ書きしたノートを見たが、まとまらない。後で、他の傍聴者とすり合わせたが、それでも理解できない。時系列にもまとめることが出来なかった。証人尋問は約30〜45分あったが、楠山社長自身もどれだけ、自らの発言を理解していたか?これも疑問である。
おそらく、証人尋問の前に、大友桂子夫人とも打ち合わせしたはず。しかし、法廷で裁判長の前で宣誓し、いざ証人尋問を受けたら頭の中が真っ白になってしまったって感じかもしれない。
だいたい、桂子夫人から個人事務所「イエホック」で大友康平のマネジメントを頼まれたと言う時、楠山社長は、桂子夫人を
「(桂子夫人は)スタイリストだったので、その関係でプライベートでも付き合いがあった」
としたが
「音楽には詳しくなく、マネジメントは難しいと思った」
と証言している。だから楠山社長が引き受けたとしたら、それはそれで矛盾はないだろうが、でも、楠山社長は
「ソロとバンドは別。大友個人ならと言う条件で引き受けた」
「HOUND DOGはマザー・エンタープライズがやると思っていた」
と証言していた。それが、いつの間にか大友康平とHOUND DOGのマネジメントになっていたのは何故なのか?
05年8月6日、広島で南こうせつと”平和コンサート”を行ったとき、実は名刺交換した。名刺には「イエホック 坂田寸賀子」と書いてあり、そのウラには「大友康平」「HOUND DOG」と書かれていた。要するに、理屈とはいえイエホックは、大友康平とHOUND DOGは別物で扱っていたことになる。それが1年後には「大友康平」が「1人HOUND DOG」になってしまうとは? 大友康平のソロ活動を目的に設立した個人事務所が、あれほどまでにHOUND DOGに拘るとは、不思議でならなかった。
とにかく、大友の味方とか、マザーの味方というのではなく、矛盾や理解できないことがあった。だいたい、この証人尋問は裁判所で閲覧できる。もし、イエホックが閲覧制限をかけない限りの話だが…。
いずれにしても、今回の「大友康平裁判(9)(10)」に関しては、自分自身でも納得できるようなものになってなかったことは確かだ。だったら、書かなければいいことだが、それも問題だろう。やはり、どんな形でも書くことも重要だと判断した。
(つづく)