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【独女通信】ナプキンができる前は、女性たちはどうしていたの?

2008/2/19 18:00
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【独女通信】ナプキンができる前は、女性たちはどうしていたの?
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【独女通信】ナプキンができる前は、女性たちはどうしていたの?

生理用品の歴史は、自由への歴史でもある月に一度の憂鬱な数日間。ちょっとした楽しみはドラッグストアに山積みされている「ナプキン」の山から、今月のひとパックを選ぶことだ。「吸収力アップ」「さらさらで快適」「ムレないモレない」などの宣伝文句は当たり前。製品はどんどんリニューアルされ、「今度の使い心地はどうだろうか」などと、使い比べるのも一興だ。

しかし、このナプキンが日本で登場したのは1961年。戦後もずいぶん経ってからだ。ではそれまで女性たちはどうしていたのだろうか。

調べて見ると平安時代あたりでは貴族は絹、庶民は麻などを当てていたという記録がある。特にその資料が豊富に存在するのは江戸時代以降。当時は粗末な紙や布を詰めたりあてたりして、その上から「丁字帯」(T字型をしたふんどしの様な布)で押さえていたらしい。明治時代になっても、脱脂綿等を詰めていたらしく、不自由なばかりか、衛生的にもかなり問題があったよう。実は意外にもタンポンの方が早く開発されており、日本でも流通していたが、「女性の自慰を招く」という偏見があったというから笑えない。

大正時代に入ると、脱脂綿を切ったものをあて、黒いゴム製の月経帯で押さえる女性がでてくるが、当初は高級品であり普及するのは昭和に入ってからとのことだ。しかも「ムレる」「モレる」は当たり前。これが1960年代まで一般的だった。その後「テックスタイプ」と呼ばれる紙綿性のパッドが登場する。ナプキンの原型のようなもので、月経帯と比べれば格段に快適だっという。しかし、アメリカで広く流通していたこの“画期的”な生理用品が日本ではなかなか流通せず、一部の「物知り」女性の間で使用されたに過ぎないようだ。

日本初のナプキンを世に送り出したのは、板井泰子(よしこ)氏が設立したアンネ社である。アンネ社の歴史を物語る書籍のひとつに「月経をアンネと呼んだ頃」(田中ひかる)がある。本の中で著者は、戦後にも根強く残った「血の穢れ」についても触れている。女性の経穴によって地神や水神を穢すといった思想だ。明治政府が公令によって廃止するまでは、月経中の女性は小屋や仮屋に隔離されることもあったという。時代とともに慣習はなくなっても「生理」は隠されるべき、そして「恥ずべき」もので、「経血の処理」は母親から娘へ陰でコソコソと伝えられるものだった。

アンネ社製のナプキンは女性に「衛生」と「動きやすさ」をもたらしたが、功績はそれだけではない。広告宣伝に力を注ぎ、それまで「穢れたもの」として隠され続けてきた「生理用品」を表に出し、お洒落で爽やかなイメージを植えつけることに成功。その後、流通ルートを薬系から雑貨系に変えたユニチャームがスーパーなどにもナプキンを置きはじめ「人目に触れても平気なもの」という地位を確立。おかげで女性たちは「生理の日に快適を求める自由」を手に入れることができたのだ。

独女世代ならまだ聞き覚えはあるだろう「アンネ社」は1993年にライオン株式会社に吸収合併され、その後ライオン社が生理部門から撤退したことにより、アンネブランドも市場から消えたようだ。しかし現在、雑誌やCMで新製品情報をゲットできるのも、店頭で「どれにしようかな」と選ぶ楽しみがあるのも、「穢れからの解放」という歴史があったからこそ。ナプキンを手に取るときに、そんな歴史を振り返ることができれば、少し前向きに憂鬱な日々を迎えることができるのではないだろうか。(オフィスエムツー/真鍋しまこ)

■参考文献
「月経をアンネと呼んだ頃―生理用ナプキンはこうして生まれた」
2008/2/19 18:00 更新

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