わいわい広場
「わたしも一言」
皆さんのご意見を募集しております
【おすすめ】<中スポ コンフィデンシャル> 小橋、懸命 プロレス復帰戦から3週間2007年12月25日 紙面から
昨年7月、がんに侵された右腎臓を全摘出し、今月2日、ノアの東京・日本武道館大会で546日ぶりにリングに立ったプロレスラー小橋建太(40)。その復帰戦となった小橋、高山善廣組×三沢光晴、秋山準組のタッグマッチは、プロレス大賞の年間最高試合賞に選ばれ、個人でもカムバック賞に輝いた。筆者は5カ月前、まだ小橋が復帰を目指してトレーニング中だった暑い7月にインタビューを試みた。あの復帰戦の興奮と激闘から3週間たち、今の心境や今後の方針を確かめるべく、再度60分1本勝負に挑戦した。 (門馬忠雄) 「上半身の裸は、ファン以外に見せません」 いきなり厳しい“注文”がついた。「傷口見せてよ」と頼んだ筆者への答えだ。テコでも動かぬ鉄の意志。プロレスに「命」を懸けた小橋は、また一段と強くなっていた。 「試合前夜はグッスリ寝ました。花道からリングインする時も、超満員の観客席をグルッと見渡した時も、いつもと変わらぬ自分がいた。復帰戦が決まったら、それが目標ではなく通過点になってきた。さあ、いくぞ、という気持ちでした。感傷に浸っていたら、あんな試合できませんよ」 小橋は若手時代、オレンジ色のタイツを愛用していた。そこで筆者は7月のインタビューの時、復帰戦のタイツは明るい色にしたら、と勧めたのだが、実際は以前と変わらぬ、濃紺の柄入りタイツとフード付きの黒いガウンだった。 「デザイナーさんと相談してね。いつもと変わらぬ小橋建太を、と思って。光る素材でフィルムが張ってあった。炎のところが濃い紫なんですよ。オレンジの糸が縫いつけてあった。真っ黒に見えたでしょう。そのデザイナーさん、いつもお金取らないんですよ」 27分7秒の激闘の末、小橋は三沢のコーナー最上段からの必殺技エメラルドフロウジョンで沈んだ。仕掛けた三沢でさえ「小橋の頭が脇腹にドカーンと乗っかって息が止まった」と、脇腹を押さえて医務室から出てきたほどの荒技だった。 「あの技、頭痛かったですよ。三沢さんの体重とマットのサンドイッチですからね。今でもあちこち痛い。最初に準にチョップやった時、アッ大丈夫だなって感じましたね。スタミナも問題なかった。でもね、実際の技はきつかった。三沢さんのエルボー一発一発がきつかった。準のジャンピング・ニーも効いた」 激闘から一夜明けた3日、小橋は横浜市立大付属病院で検査を受けた。主治医の中井川昇准教授から「今のペースでやれば問題はない」と言われ、現役継続に確かな手応えをつかんだ。 「試合の晩ね、家でビデオを見たんですよ。そうしたら鼻血がタラーッとね。知らなかったんですよ。自分自身がどんな試合をしたのか、逃げていなかったのかを確認したかったんです。でも、鼻血は誰も教えてくれなかった。ガウンを脱いだ時、お客さんから『ウオッッ!!』と歓声が上がったじゃないですか。それでオレがつくり上げてきた体は間違いではなかったことが証明できたと思うんです。と同時に、不安から期待に変わったと感じたんですよ。その期待を上回る試合をしないと小橋建太じゃない」 検査結果は良好。そこで1月11日の高知大会、13日の福岡大会の出場を決めた。小橋には地方の試合に特別な思い入れがある。高知には若手時代からお世話になった現役最古参プロモーター、小松敏男さん(83)がいる。小松さんは力道山の大相撲時代からの世話人。日本プロレスのリングアナウンサーも務めた。 「武道館で復帰したけれど、地方のファンは見られないじゃないですか。オレ自身、地方(京都府福知山市)の出身で、プロレス巡業をどれだけ楽しみにしていたか。それに、高知には年に何回も行かない。これから行けないかもしれない。待っているファンがいる限り、地方の試合に出たいです」 この両大会で小橋に万一体調変化があった場合に備え、横浜市立大付属病院は地方の医療機関を紹介し、連絡を取り合っているという。 「1月6日の開幕戦、ディファ有明大会はあいさつに立ちます。でも、高知、福岡以外は何も決めていません。3月に武道館大会があるのは知っていますが、検査をクリアしてからの話です」 復帰戦以後、練習を休んだのは病院で検査を受けた日だけという。 「1日3時間の練習。そこから逆算して、1日2社のインタビューを受けています。新聞、雑誌には幅広い年齢層の読者の方がいる。健康そうに見えても、みんな苦しみがあるし、悩みもある。そんな人たちに、何事もあきらめず、後悔のないように全力を尽くして頑張る毎日を過ごしてください、時には休むことも大事ですよって伝えたい」 今月10日、東京都内で行われたプロレス大賞選考会で、筆者は小橋のカムバック賞についてはもろ手を挙げて賛成したが、復帰戦のタッグマッチは最優秀試合賞でなく、別枠として特別賞を設けてほしいと主張した。 「あの試合は、みなさんが応援してくれた特別な空間です。素直に受賞を受け止め、みなさんに『ありがとうございました』と言いたいです。あの賞はファンのみなさんがつくり上げ、代表として自分がもらった賞です」 タイツにしっかりガードされた腎臓摘出手術の傷。写真撮影がダメなら説明だけでも…。 「ヘソから真下5センチほどのところに横10センチの傷跡。あとは脇腹に5センチくらい。それに腹のところに腹腔鏡(ふくくうきょう)による手術の跡3つ。これは日焼けしたらすっかり分からなくなりました。形成外科などあらゆる先生が加わって4時間以上の手術をしてくれたんです」 来年3月27日で41歳になる。体調管理も心配だが、オーバーワークが一番気がかりだ。 「塩分控えめ。水分をよく取る。味の濃いものは避ける。練習しすぎ、とみんな言います。『年齢を考えろ。20代と違うんだぞ』と注意されたこともありました。でも、人間の平均寿命は延びている。スポーツ選手の選手寿命も延びてきた。過去にもひざのけがなどで何度か引退が頭に浮かびました。でも、限界に挑戦してきたからこそ今の小橋建太があるんです」 ◆再発の不安と闘うように… 取材後記小橋と別れ際、「無理するなよ」と声をかけた。すると「無理は分かってるんですよ。無理を超越したからこそ、今の自分がいるんです。何事もあきらめないでやり抜く気持ちですよ」という声が追いかけてきた。息子のような彼から逆に説き伏せられた。その強い精神力に、また一本とられた。 7月のインタビューの時は、まだ不安感を抱く小橋がいたが、今回はリングに生還した後とあって、受け答えが堂々としていた。「頑張って、頑張って、頑張って…」というフレーズを呪文(じゅもん)のように繰り返し、命の大事さを訴える伝道師のようになってきている。“筋肉のよろい”をさらに強靱(きょうじん)な精神力でガードした彼は、再発の不安と命の危険のはざまで今でも戦っているように見えた。 小橋は1月、復帰後初めて地方巡業に挑戦する。彼に言い返されるのは分かっていても「高知と福岡、無理するなよ」と声をかけるしかない。1月シリーズを無難に乗り切ったら、その時はまた「よかったね」と笑顔で言葉を交わしたい。 (門馬忠雄)
|