「辛苦了(シンクーラ)(お疲れさま)」。孤児たちが笑みをこぼしたのは、支援者が中国語でねぎらったときだった。13日終結した中国残留孤児鹿児島訴訟。孤児の多くが、日本語の日常会話が難しい高齢者だ。改正帰国者支援法の施行で生活は改善しても、言葉の壁が老後に立ちはだかる。

 3歳のとき、吉林省の駅近くで養父母に預けられたいちき串木野市の豊田潔美さん(65)。1994年、中国人の夫(64)と帰国。ともに農協や酒造会社で働きながら、参考書などで日本語を懸命に学んだ。だがなかなか上達せず、職場の人間関係はうまくいかない。収入も月十数万円で生活は困窮した。

 60歳をすぎて定年となり、夫婦合わせて月約10万円の生活保護で暮らす。「言葉が分からず、バスにも乗れない。このまま寂しい老後になるのか」。豊田さんは筆談交じりの日本語で、懸命に訴えた。

 県によると、県内に住む残留孤児とその家族は603人。このうち日本語が全く話せない人は23%に上る。ほとんどが孤児本人とその配偶者だ。

 孤児を支援する「鹿児島ソラソの会」の山下千尋さん(57)=姶良町=によると、孤児と配偶者の平均年齢は70歳前後。言葉が分からず、自宅に引きこもりがちな人も多い。山下さんは、月に1、2回、孤児のレクリエーション大会を開き、好評だという。「歴史に翻弄(ほんろう)された孤児には、穏やかな老後を過ごしてほしい」と経済面以外の支援の必要性を強調している。

=2008/02/14付 西日本新聞朝刊=