米兵の事件事故のたびに繰り返される米軍の「綱紀粛正」と「教育の徹底」だが、婦女子への暴行事件はいっこうに根絶できず「在沖米海兵隊基地の撤去以外に防止策はない」という声が高まりつつある。
読谷村議会(前田善輝議長)は、15日の臨時議会で可決された抗議書と意見書のなかに「非道な犯罪を起こした米軍基地の撤去を行うこと」を明記している。事件が起こった沖縄市や北谷町の婦人会の代表者は「再発防止には基地撤去しかない」と、ケビン・メア総領事に強く抗議している。
沖縄で最初に起こった米軍の婦女子暴行事件は、日本の開国に貢献したペリー提督が率いる艦隊の兵士が起こしたものである。那覇の港町・泊で婦人に暴行したもので、その犯人は住民に取り押さえられて、みんなが殴り殺している。大きな外交問題に発展することを恐れた琉球王府は、早舟を宮古島に遣わせて「犯人は島流しの刑にしたので、もし、米艦隊が犯人探しにきたら、犯人は処刑したと言って、最近亡くなった人の墓をみせなさい」と伝えている。乗組員が悪かったため大きな問題に発展していない。
敗戦後、数々の婦女子への暴行事件が発生しているが、沖縄県民の記憶に焼きついているのが、1955(昭和30)年9月3日、石川市に住む6歳の少女が嘉手納基地所属の39歳になる軍曹に暴行され、殺害されて遺体が嘉手納海岸に捨てられていた事件である。米軍占領下だったが、各地で子供を守る大会が開かれ、米軍当局に激しく抗議した事件である。琉球立法院では「鬼畜にも劣る残虐な行為」として抗議し、軍事裁判の公開を要望した。軍事裁判で死刑の判決を下したが、犯人は本国に送還されてうやむやになった。
県民大会が開かれ、8万人余が抗議したのは1995年9月4日、北部で発生した米兵3人による小学生女児に対する暴行事件だった。3人は車で女児を拉致して暴行した。地位協定の壁があり、沖縄県警への犯人の引渡しは検察庁の起訴後という状態。またアメリカ太平洋軍のマッキー司令官が国防総省で「犯行に使用した車を借りる金があれば、女を買えたのに。3人はバカだ」と発言。米軍は上司から下っ端までが、こんな認識では「基地の撤去しかない」という声が広がった。
米軍占領下では想像を絶する婦女暴行事件が起こっている。沖縄女性のメイドがその家の主人から暴行され、それを知った米人妻がメイドに庭に穴を掘らせたあと、銃で撃ち殺して埋めた事件が発生したが、その夫婦は逮捕もされなかった。そのほかにも女性が被害を受ける事件は続発している。婦女暴行を働いたあと、虫けらのように殺害する事件がほとんどである。刑法が改正されるまでは、親告罪でなかなか警察に訴えるケースがすくなかった。その実数は公表された事件の数倍ともいわれている。
敗戦後63年になるが、沖縄は米軍占領下と何ら変わっていない状況が続いている。全国の米軍基地の75%が集中している。日米同盟や安保条約が大事であれば、全国で基地を負担すべきである。沖縄県民の間では「なぜ沖縄だけが理不尽な目に遭わなければならないのか」「なぜ沖縄だけに基地が集中するのか……」という認識が強い。1879(明治12)年の廃藩置県から今日まで、日本人になろうとしてもなれない心のわだかまりが沖縄の住民に共通して存在している。それを取り除くには基地の撤去しかないだろう。
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