輪廻を超えて・・・・ インドの死生観について
( インド人の生の目的、芸術の理想とは)
藤原 怜子
1)はじめに
インド人は、なぜ蠅やゴキブリを殺さないのか。
すぐれた音楽家や学者は、なぜあのように苦行僧のような禁欲的な生活をしようとするのか。
ヴァラナシの河で沐浴する人々は、その近くで火葬にして撒かれた灰をどのように感じているのか。
浄・不浄の観念と非衛生という科学的知識は、現代の若者にとってジレンマを生じないのか。
以上のような疑問は、インド人の生活ぶりを少しでも観察してみると、次々に限りなくわいてくるだろう。人口の約8割がヒンドゥー教徒であり、その生活も、社会規範もすべて、宗教的規範に則って行われているという。つまり、道徳律も人生の最終的な目標もヒンドゥーの教義に従って子々孫々に伝えられ、文学や芸術もその枠組みの中で、自らの理想とするところを追求してきたのである。
インド人の生き方、社会の規範や秩序、聖と俗に関する価値観、そして我々にとっては全く不可解とも思えるような慣習の多くが、彼らにとっては永遠に不動・不屈の強い信念、信仰によって貫かれてきたのである。生の苦しみの代償として彼らが求める、平安、至福の意味とは一体何なのか。現世の行為と美的な創造行為の理想が結局同じところにあると悟ることが、インドの芸術の道に近づくことであり、それに気づくところから音楽鑑賞も始まるのである。
音楽と言っても、ヴェーダの朗唱以来、三千年の歴史を持つ伝統音楽は、常に宗教的な意味を担いつつ、人間の究極の精神的喜びを具現するものとして、深い洞察の対象になってきた。音楽は、音を通して結局は、宇宙の真理を知るという哲学的な行為となり、それは完璧ともいえる技術、響きを彩る見事なまでの技巧の裏付けがあって、はじめて可能となるのである。
音楽によって、生の苦しみを越え、人生の最終的な目標の成就を果たしたと言いうるために、何が必須の要件と考えられるのか。 音楽家が伝統の継承を通じて、音の響きの奥に求めてきたものとは何か。
伝統音楽の音の形成、音の時間的形式の意味、その内的形式原理が一体どのような思想、理念に結びつくと考えられて来たのか。
音の構築は、インド音楽にとってやはり本質的なことであり、主題とその展開の緻密さ、部分と全体の関係の緊密さ、部分ごとの動的な存在感が、音楽の内容そのものであるという考えは、西洋音楽の古典的な自律美学と通じるところがある。しかし、その精神性において、インドの伝統音楽はより高い域に達するための美学を堅固に確立した。それは、音、音楽を通じて絶対音楽の存在を証明しようとするものであった。それが、彼らの言葉で言う、「ナーダはブラフマーである」ということを、最も自然な形で実践することなのである。
2)思想と宗教
インドには、古来、実に様々な宗教、哲学大系が生まれ、あるいは互いに論駁し合い、あるいは互いに融合し合いながら展開してきた。インドの芸術や文学の形成に寄与した宗教・思想も多種多様である。バラモン教(前800年頃成立した原始ヒンドゥー教)というインド固有の体系、その体系が儀礼を偏重し差別的な身分制度をもたらしたと批判しながら前6世紀に興って、真理の観察による解脱を説いた仏教、紀元13世紀以降、唯一絶対の神アッラーを信ずる人たちが西方からもたらしたイスラーム教、そして18世紀以降に西欧の宣教師と植民地経営者がもちこみ伝えたキリスト教等々。インド人のあらゆる行動の背後にあるそれら宗教・思想の強さは、人生の目的と、芸術の理想、宇宙の真理を追求することが、ただ一つの同じ道を歩くことなのだと理解した時にはじめて納得される。ひたすらに自分に許された時間を、その道のために捧げる人々の厳しい姿は、現代文明に毒されて気を散らす我々のような社会からみると、何とシンプルなのに豊かで、奥深く、魅力に満ちて、かつ神秘的であろうか。だがしかし、その真実の姿は、種々雑多な、想像を超えた多様性の混沌とした渦の中に隠されてしまうというのも、事実であろう。
つまり、インドを代表するものとして、ヒンドゥー社会というものを考えてみる時、、宗教と社会規範、そしてまた、宗教と哲学をはっきり分けることさえ難しいということに気づく。そこで、まづ、それぞれを指す<ダルマ><ダルシャナ>の語義から考えてみる必要があろう。<ダルマ>は、「法」であり、「世界をしかるべきように保持しているもの」、さらにここから、真理(宇宙論を含むことが多い)、真理を説く教え、宗教的規範(ないし義務)、社会正義などを指し、文脈に応じて多様に解釈される。一方<ダルシャナ>は、「見ること」「見解」を原義とし、<ダルマ>の本性を「理知的に」明らかにするという役割を担うものとなる。つまりダルマとダルシャナは、相互補完的なのである。
ところで、インド人がいかなる人生の目的を持ち、生を全うしようとするのか、ヒンドゥー教の根本法典とされる『マヌ法典』(前200ー後200頃に形成)などによれば、次のようである。
まず第一は「債務返済」の義務。人間(男)は、神(デーヴァ)と聖仙(リシ)と祖霊(ピトリ)の三者への債務(リナ)を負っており、これを返済するために、祭祀を行い、ヴェーダ聖典を学習し、子供(特に男子)を設けなければならない。
第二は、人間が人生において追求すべき目的として、アルタ(政治、経済を中心とした実利)、カーマ(性愛)、ダルマの三分野(トリ・ヴァルガ)が重んぜられる。
第三は、ヴァルナ(階級)の混交(サンカラ)の厳禁。人間は生まれもった浄性、不浄性の程度によって、バラモン(ブラーフマナ、祭官)、クシャトリヤ(武人)、ヴァイシャ(庶民)、シュードラ(以上の三ヴァルナへの奉仕を専らとすべき人々、隷民)の四ヴァルナに分かれる。ヴァルナを無視して婚姻や共食の掟を破るものは、人間社会の秩序を不浄性で乱す者であり、社会から追放されるという。
第四は、人間の生活期(アーシュラマ)で、これには四つあり、ヴェーダ聖典を学習すべき学生期、家を盛り立て、男子を設けるべき家長期、林(人里離れた場所)に隠居して瞑想や苦行に専心すべき林棲期、解脱のために出家し、乞食遊行のなかで死を迎えるべき遊行期がそれに当たる。
以上のように、バラモン教の真髄は、世俗秩序を、バラモン階級の特権を損なわないように確立することにある。人々が世俗生活の充実を図り、それを基礎にして祭祀を行えば、祭官であるバラモンたちは、その報酬で生活が出来る。バラモンたちはその見返りに、来世に天界に生まれ変わること(生天、つまり不死ないし長寿の神になること)を約束する。生天が至福であり、それを保証するものは充実した世俗生活だという理屈である。
しかし、輪廻と解脱がウパニシャッド文献(前600ー500年頃)の主題となってからは、天界も輪廻の苦しみの枠外ではなく、したがって、世俗を捨てて出家になって解脱を獲得することこそが至福であるとする人々が、バラモンたちのなかからも、外からも大量に出現した。これはバラモン教にとっては危険思想であるため、かれらとの論難応酬が繰り広げられ、ある程度の妥協が図られた。
解脱を究極の目的とする出家たちは、在家の目的として生天を認め、世俗主義のバラモンたちも『マヌ法典』(紀元前200年頃から紀元後200年)に見られるように、世俗の義務を果たした後ならば、出家して解脱を求めることを容認した。こうして出来上がったのが先の四つの生活期という構想である。
ともあれ、至福は一義的ではなく、立場により異なる。そして、その至福を獲得する道が多様に模索され、インドの宗教、哲学のモザイク模様的、博物館的多様性が醸成されていったのである。
3)輪廻の仕組み
生まれ変わり死に変わり、つまり、死んでまたこの世に再生し、また死んではこの世に再生するという考えは、おそらく非常に古い起源を持つものと思われる。 ピュタゴラスが輪廻を信じていたこと、またこれが古代エジプトのミイラ作りの動機となる発想法の一展開であるということは、よく知られている。また、古い儒教、それを受けた日本の神道における死と再生という発想法にも繋がっている。
しかし、輪廻(ないし転生)の仕組みが明快になったのはインドにおいてであった。文献によれば、紀元前8〜7世紀頃に始まっている
「輪廻」(サンサーラ)という術語を用いない、文献上最古の輪廻説は、「ジャイミニーヤ・ブラーフマナ」や最古のウパニシャッド(ヴェーダーンタ)文献群(前600ー500頃)に説かれており、一般に、五火説、二道説、ないし併せて五火二道説と呼ばれている。
五火説は、輪廻の過程の節目を五つの祭火とそれへの献供に譬えたもので、ちなみに、第一の祭火は具体的には火葬の火である。五火説を理解し、祭祀の意義を完璧に知る者は、死んで、火葬の炎に入り、そこから順次、光を特徴とする場所を通り、やがて人間ならざる人物(プルシャ)に導かれ、宇宙原理であるブラフマン(梵)に赴き、二度とこの世に戻らない(梵我一如となる)。意義を知らずに祭祀を行う者は、死んで、火葬の煙に入り、そこから順次、闇を特徴とする場所を通り、月に至る。そこで生前の行い(業)の果報が尽きるまで留まり、その後、雨となって地上に落下する。そして、植物に吸収され、種となり、何ものかに食べられて精子となり、射精されてこの世に再び生を受ける。何に生まれるかは、生前の行いによる(因果応報思想は、輪廻思想よりも先に成立している)。
この(五火)二道説が、のちのより体系的な輪廻説へと展開した。仏教の六道輪廻説もその一つである。
4)ブッダの死生観
三千年に亘るインド思想史においては、種々の死生観がみられ、それが多様な思想・哲学を生み出した。
人の人生は短く、百歳に達しない中に死なねばならない。いかに長生きするにしても結局は老衰のために死に至るのが明瞭である。何人も老い患いかつ死ななければならない。人生は老、病、死につきまとわれて、苦以外の何ものでもない。ゴータマ・ブッダ(前565ー485/前463ー383など)は現実の人生を苦であると認識した。
「<生>も苦しみである。<老い>も苦しみである。<憂・悲・苦・悩・悶>も苦しみである。すべて<ねがうものを得ない>のも苦しみである。一言で言うならば、われわれの存在を構成する<五種の執着の素因>は苦しみである。」
ゴータマにとって苦とは単に生理的な苦痛や心理的な苦悩のみを意味しているのではなく、「自分の思い通りにならないこと」を意味している。
ゴータマの死生観で、さらに重要なのは、輪廻転生に対する信仰である。
人間のみならず、一切の生きとし生けるものは、死後はどこかの世界に赴いて、そこで再び生まれる。その場合いかなる種類の生き物として生まれるかは、この世でなした善悪の行為の蓄積である善業および悪業のいかんに応じて、その応報として、それにふさわしいものとして、決定される。その生において、応報として得られたものを、享受し尽くしたならば、再びその生存が終わる。即ち死んで、その生において為した善業と悪業に相応しい別の生を得るに至るのである。このように輪廻転生は無限に尽きることなく進行する。この輪廻の思想からみれば、この現在の苦しみに満ちた人生も、無限の過去から永遠の未来にわたって続く生存の一こまにほかならない。死は、過去世の<業>の力の終息であると同時に、次の生の出発である。
<業>とは、サンスクリット語の<カルマン>の訳語である。これは「行為」を意味するが、あらゆる行為は、それが身体による行為であろうと、言語活動による行為であろうと、精神活動による行為であろうと、必ず何らかの結果の原因となるものである。結果を生み出す力、即ち業は、その行為者が、その結果を経験し尽くさない限りは消失しない。各自は過去世で行った業の結果として、現在の人間として肉体を持っているが、その肉体を生み出した業の結果を経験し尽くしたとき、死とともに肉体は滅する。しかし生前中に行った業は滅しない。この業が善業であるか、悪業であるかによって、未来に得るべき身体が、神であるか、人間であるか、動物であるか、地獄の存在であるかが決定される。現在の各自の性格や、階級や、幸・不幸等の一切の区別も、過去に行った業の果報に他ならない。
ゴータマ・ブッダは、死者のために追善の儀式をしたいという世人の願望に対し、これを否認し、併せてバラモン教で行う葬儀の儀礼が無意義であることを説いた。また、当時種々の迷信が行われていることを指摘し、宗教家が民衆の弱みにつけ込むことを戒めた。即ち、原始仏教では祖先に対する供養は勧めているが、「葬儀」は行わなかったのである。
さらに、インドには日本や西洋のような墓がないのが不思議に思われる。宗教上の偉大な修行者を追憶記念してストゥーパをつくるというのは、おそらく仏教以前から行われていたであろうが、仏教において大規模に発展し、ジャイナ教もこれにならうようになった。しかし、一般には死者は葬処(墓所、シマシャーナ)に葬った。それは人里離れた淋しい静かな場所にあり、そこで死体を荼毘に付したり、骨をそこに埋葬した。だがそれだけのことで終わり、墓を建てることはなかった。また、いつ頃から始まったのかよくわかっていないが、死体を河岸の聖地に運んで、そこで薪を積んで荼毘に付し、遺骨はこれを砕いて河の中に流してしまうということが、今日なお行われている。ただし、仏教が盛んであったマウリヤ王朝時代には、一部の人々の間では墓が作られていたらしいことが、遺跡の中に伺えるという。
ヒンドゥー教、あるいはムスリムの勢力によって13世紀には、インド仏教史はほぼ幕を閉じるのだが、どちらかというと都市型の宗教であったインド仏教は、大パトロン依存の体質から、名もない一般民衆の心を、教団として支えきれずに、滅んでいったとされる。強烈な出家至上主義のために、在家の冠婚葬祭は俗事として軽んじられ、在家の通過儀礼(サンスカーラ)に出家は関わらず、民衆の心をつなぎ止めることができなかった。
インド仏教の特徴は、何と言っても在家の義務が少ないということで、ただ仏法僧に帰依して、五戒(殺さない、盗まない、嘘をつかない、不倫を犯さない、酒を飲まない)を保つと誓えば、仏教徒になれたし、特別の日に八斎戒(五戒に加えて、三種の歓楽の禁止)を保ち、日頃の行いを反省することが義務づけられていたが、ジャイナ教の不殺生のような徹底した厳しさはなかった。
ちなみに、ジャイナ教はニガンタ・ナータブッタ(前444年頃)がジナ(修行を完成した人の意)となって唱えた教義で、バラモンの行う祭祀は無価値であるとし、階級制度を否定し、供犠のために獣を殺すことを排斥した。そして、人間の身、口、意から生じる微細な物質が霊魂を覆ってしまうから輪廻の苦しみを味わうのだと考え、苦行によって生じる熱力によってその微生物質を落とす必要がある、と説いた。
5)アートマンとブラーフマン、「梵我一如」の意味
バラモンが祭式によって世界を支配する魔力は「ブラフマン」と呼ばれていたが、この「ブラフマン」がのちにウパニシャッド(前600ー500頃)に見られるような形而上学的存在、即ち宇宙の根本原理となって行くのである。そこにはバラモン教とは異質な原住民の信仰が加わったと思われる。即ちそれは原住民の太陽神の信仰であり、例えば太陽神を象徴する卍なる記号は仏教徒によって梵と呼ばれるようになった。
「 アートマン」は呼吸、気息を意味したのが、後に「我」と同一視され、自我、自己、霊魂、はては万物に内在する霊力、個体の原理という風に、哲学的に解釈されるにいたった。
そしてさらに、ブラフマン(梵)は大宇宙であり、アートマン(我)は小宇宙であると考えられ、その「同置」という関係において、「梵我一如」が感得されるというのが、ウパニシャッドの中心となる教説である。
つまりその場合、大宇宙のはたらきと小宇宙としての人間の機能とは相即する。それ故にウパニシャッドのいたるところ、例えば「プリハド・アーラヌヤカ」や「チハンドグヤ」などには、「アートマンはブラフマンである」とか、あるいは「我は梵である」等という断案が出てくるのである。だがウパニシャッドの作者は、人間の個々の苦悩流転は「我即梵」を自覚しないところにあるとした。その転倒した意識を無明という。我はその無明の中にあって行為するが、それが業である。因となった業はまた果として業を生み、流転してやむことはない、それが輪廻である。そして「我即梵」を自覚して業の連鎖を断ち切らない限り、我は輪廻から解脱することはできない。
6)シャンカラの死生観
シャンカラ(700ー750年頃)は正統バラモンの代表的な思想家である。彼はヴェーダーンタ学派の中で最も有力でかつ有名な学派を形成した。彼は、しばしば過去のインドにおける最大の哲学者と称せられるが、それは彼の学系が中世以後のインド思想界において圧倒的な勢力を保持し続けて来た事実にもとづく。今日でもパンディットと呼ばれる伝統的な学者の大部分は、彼の系統に属するといわれている。
シャンカラにとっても、ゴータマにとっても死生観と輪廻転生の思想とは不可分離の関係にあり、輪廻は生と死を特徴としている。即ち、生と死とは輪廻そのものである。シャンカラにとっては、生・死とは、人が洋服が古くなるとそれを捨てて次々と新しい洋服を着るように、神・人間・動物・餓鬼の世界において、繰り返し得られた身体を次々に捨てながら、また繰り返し新しい別の身体を得ることにほかならない。
シャンカラによると、世界の根本にブラフマンという絶対の原理がある。絶対者ブラフマンはいかなる限定をも許さぬ絶対無差別の実在であり、最高我とも呼ばれる。それは部分を有せず、変化せず、永久に存在する。ところで我々はの個人存在の奥にあるアートマン(自己)というものは、実はそれと一致していて、異ならない。だから、われわれのうちなる自己が絶対のものであり、個我はその本体において最高我と全く同一のものである。何びとといえどもアートマンの存在を意識しているが、そのアートマンとはブラフマンに他ならない。この哲学的立場を不二一元論(アドヴァイタ)と称する。ブラフマン・アートマン同一説というのが、すでにウパニシャッドのうちに説かれ、シャンカラはそれを承けているのであるが、彼はさらに、現象世界の多様相は虚妄のものである、仮のものである、ということを主張している。
シャンカラは輪廻の本質について次のように言っている。
「<業>は、身体との結合をもたらす。身体と結合すれば、好ましいことと好ましくないことから貪欲と嫌悪が起こり、貪欲と嫌悪から諸行為が起こる。
(諸行為から)善業と悪業が起こり、善業と悪業から無知な人は、再び同じように、身体と結合する。このような輪廻は、車輪のように、永久に廻り続ける。」
シャンカラによれば、アートマンは永遠不変の絶対者ブラフマンと同一であるから、アートマンは本来永遠に解脱の状態であるものであり、清浄・不変・不動・不滅の物であり、何ものにも執着することのない存在である。このように、アートマン、即ち我々自身の本性が完全無欠であり、永遠に解脱した状態にあるとすれば、我々を現実に輪廻せしめている束縛とは何であろうか? という疑問が興るに違いない。
シャンカラはそのような疑問に対して、束縛とは統括機能の錯乱である、即ちアートマンと非アートマンとを区別する明らかな智がないという事実が束縛であり、それこそが輪廻である、と答える。
シャンカラは終始一貫正統バラモン学者としての立場を堅持し、一般民衆を無視して、主として社会の上層階級にのみ呼びかけた。シャンカラはブラフマンの明知を得て解脱に到達する資格があるのは、再生族(すなわち上層三階級)にのみ限るとして、最下賤階級であるシュードラにはその資格を拒否している。
シュードラはこの世で善行を積んで生まれ変わってより良き階級の一員となるのでなければ、そのままでは解脱に達することが出来ないと言うのである。シャンカラの哲学による限り、現世の人間社会における階級的差別は単なる迷妄であると考えなければならないはずであるのに、シュードラを拒否することは、どうしても矛盾しているといわねばならない。
7)神の恩寵による解脱への道
ヒンドゥーのバイブルとされる「バガヴァッド・ギーター」(「マハーバラータ」の一部を為す)には、アルジュナを諭すクリシュナの言葉として、至福を得るための三種のヨーガが説かれている。それは、知識によるヨーガ、行為によるヨーガ、バクティーによるヨーガである。
知識によるヨーガというのは、聖典に説かれていることをよく理解し、迷いの根源を知り、真実在を洞察することによって輪廻から解脱することを目指すものである。正確な知識を我がものとし、さらに究極の洞察へと参入するためには、それなりの資質、能力、長期間の学習、研鑽が必要である。最高神からの教示に依存するとはいえ、厳しい自力の道である。
行為によるヨーガとは、行為の結果を考慮することなく、己の本分(スヴァダルマ)を遂行することに専念することにより、最高神の恩寵を得、それによって解脱を目指すものである。これも、最高神に温かい目で見守られているとはいえ、己の本分を見定め、その完遂のために身命を賭さなければならない。しかも、結果を考えて打算的な態度をとることは許されない。これは至難の業であるというべきで、やはり自力に拠るところの多い道である。
これに対し、第三のバクティーによるヨーガは、自力をことさら必要としない。世俗の価値観に振り回されて、迷いの連続のような生活を送っていても、善悪をも含めて、一切合切を最高神に委ね、その前に身を投げ出しさえすれば、最高神の恩寵により、生天ばかりでなく、解脱という至福をすら手に入れることができるとされる。
本当に敬虔な信仰を持って最高の神に対すると、神と隔てが無くなり、一体となる。神と信者とは別であるが、両者がピッタリと融合するような境地に到達し得る。最高神の前では一切が許される。「ひとえにわれに帰依すべし。われ汝を一切の罪悪より解脱せしむべし。汝憂うるなかれ。」
ここに見る限り、ヒンドゥー教がカースト制度を超えて、国民全般のために開かれ、信仰によって救いは平等であることが目指されていたのが分かる。すなわち、ヴェーダの学習や費用をかけた祭式の出来ない民衆に開かれた、民衆のための救いの道であった。そして中世、7、8世紀に入ってイスラーム教のスーフィズムの影響を受けて、バクティ思想はさらに発展をとげる。やがてこれをヴィシュヌ神学の中に位置づけたのが、ラーマージュナだった。彼の弟子たちには、子猿が母猿にすがるように自分から神にすがるべきだ(猿の道)という考え方と、猫の子のように何もせず神の前に己を投げ出すべきだ(猫の道)という考え方が現れた。後者が14、5世紀に北インドに伝えられ、宗教、カーストに関わりなく万人に門戸を開いたバクティ運動へと発展した。
8)音楽による解脱への道、「ナーダはブラーフマ」
インド音楽の根底には、日本古来の音楽観と共通する思想が流れている。尺八を吹くこと自体が悟りに至る修行であるとする「吹禅」の考え方と、音そのものに理想の精神を求める「ナーダブラフマー」の考え方はとても似ている。
「インドの伝統では、音は神である(ナーダはブラフマーである)と教える。即ち、楽音と音楽的体験が、自己認識へのステップであるということだ。音楽を、内面的な実在を神の平和や無上の喜びにまで引き上げる、ある種の精神的な鍛錬であるとみなす。ヒンドゥー教徒の一生かけて果たすべき仕事の根本的な目標の一つは、宇宙の真の意味ーーーーその不変性とか永遠の本質などーーーーを知ることで、これはまず自己及び自己の本質を完全に知ることから認識されるという。音楽のもっとも高い目標は、宇宙が映し出しているその本質を示すことであり、ラーガはこうした本質をとらえるための手段である。このように、音楽を通して神に到達することも可能なのである。」と、あのラヴィ・シャンカルは述べている。
インドにおけるあらゆる伝統芸術の実践は、何世紀にもわたって、インド哲学およびインド精神の思潮を反映する美学理論によって支配されてきた。芸術創造の最高位にあるのはサーダナー(修行)で、それはヨーガ(集中)とヤジュニヤ(献身)を伴う。サーダナーは、芸術家が自分が経験した真実を芸術の具体的な作品に表す前に、直観的にそれを知るための修養でもあった。ここから生じた美学思想がラサの理論であり、<ナーティヤ・シャーストラ>(前5世紀頃?ー後7世紀頃?)のなかでバーラタ Bharata (生没年不詳)によって初めて系統的に論じられた。それには2つの側面がある。第一の側面とは至福の喚起された状態(ラサーヴァスター、アーナンダーなど)のことであり、第二の側面とは気分や感情のことで、それは人間の永遠の心情や、束の間の心情であり、ラサ rasa (「彩り」)と呼ぶ。第一の状態への到達は、美的経験の究極の目標とされるが、第二の状態は美的創造の基礎を形成し、愛、性愛、憐憫、勇武、嫌悪、ユーモア、驚異、恐怖、そしてついには静寂や平静といった支配的および副次的な人間の精神状態に要約される生にかかわっている。徐々に発展を遂げてきた現代の古典様式の技法は営々とバーラタによって説かれた諸原理を守り続けている。
インド絵画における遠近法と色の使い方の問題、インド音楽における音(スヴァラ svara とシュルティ sruti の両方)の使い方の問題、そしてインド舞踊における身体動作の区分と選択の原理はすべて、建築における比例の原理にも現れており、それはインド彫刻における質、重量および空間の関係の考察の基本となる。
このようにラサの美学理論においては、諸法則は概念のレベルでも技法のレベルでも、異なる芸術媒体を通じて人間の特定な感情を呼び起こすことから生まれる。そしてさまざまな芸術形式の相互のつながりと相互の依存を強調しつつ、それらのすべては舞踊のなかに統合される。バーラタの<ナーティヤ・シャーストラ>やナンディケーシュヴァラの<アビナヤ・ダルパナ>では、舞踊は表現媒体として人間の身体を使用する芸術だと考えられている。建築、彫刻、絵画、そして音楽のために考案された芸術技法におけるように、舞踊においては身体がまず最小の構成要素に分割される。彫刻においては、垂直軸と水平軸に基づく精巧な比例の法則が様々なタイプの彫像を説明するために発達した。身体の各部分は、その視覚的効果と人間の特定の感情との相関関係において意味がある。同様に音楽においては、シュルティとスヴァラが持っている感情的な可能性を見つけだすために、数理的な音程と相対的な音高とが分けられる。ラーガ raga の定型化された旋律型は特定の感情を引き起こす力を持っている。
ラーガとは単なる旋律でも旋法でもなく、極端に言えば、音階と旋律のめぐり方を併せ持ったものである。同じ音程構造、即ち同じ音階型(メーラ mela、タート that)を共有するラーガは多い。同時に、数限りない作品や即興の演奏が、同じラーガを使用していることもある。
ラーガはこの両面それぞれに重点を置いて説明することができる。音階の点から言えば、単一の音階音は旋法上の機能として説明される。全体を支配する音は、伝統的なシャーストラにおいては、アムシャ amsa と呼ばれた。現代のヒンドゥースタニー音楽ではヴァーディー vadi と呼ばれ、カルナータカ音楽ではジーヴァ・スヴァラ jiva-svara (「命の音」)と呼ばれている
ラーガはまた、その旋律の形、上行形ー下行形 aroha-avaroha にどの音階音が全く現れないか、そして旋律のなかで規則的に現れる回音がどこで起こるかなどによって説明される。それぞれのラーガ特有のモティーフをパカル pakad と呼び、実質的なラーガの識別に欠かせない。実際に使われるラーガは、60ー200といわれるが支配音やパカルの理論に精通していないと、演奏も聴取も成立しない。
ラーガの主要な旋律と音域の要素は、曲の最初のフレーズで示され、それが演奏の中核として絶えず繰り返され、すべての即興パッセージと曲のあらゆる部分の終結に回帰的に使われる。そして聞き慣れたパターンも、巧みな細かい装飾法によって、限りなく発展、展開され続け、堅固な建築物のような力性を生み出すのである。
音、楽音(nada)についての考えは、西洋中世の音楽思想に見られる「天空のハルモニア」とも相通ずる思想、「アナーハタ・ナーダ」(anahata-nada、人間の耳には聞こえない宇宙の音、永遠の音)によって伺い知ることができる。これは修行を積み、解脱に達した者の心にのみ聞こえる音とされている。
このような能力を持つ、優れた音楽家には、リシ(risi 賢者)とか、ムニ(mni 聖者)などの称号が与えられ、民衆からの崇拝を受ける。このような音楽家によって創造される音楽を聴くことは、当然娯楽ではなく、信仰(バクティー)行為の一つと考えられることも多い。
とりわけ、即興演奏の形で演奏される真の芸術音楽(マノーダルマ・サンギータ)において、聴衆の参加の仕方が問題となる。音楽家が思念としてのラーガを現実化していく過程を、聴衆は美的直感を持って共感するように努めると同時に、ダルマとしてのラーガをも、その展開の過程に従って客観的に、技法上の工夫やラーガ・ラクシャナやパカルの動的な意味の中で充分に理解して行かねばならない。そして、さらに弾く者と聞く者との完全なる精神統合が起こったとき、初めて「霊魂はそれ自身に安住し、解脱の状態である至福が生産される」と説く。つまり、聴衆は完全に魅了され、ラーガとターラの知的な、また感覚的な歓びを超えたとき、アートマンとしての「我」を忘れて、ブラーフマーナンダに到達するのである。そこには、音楽を演奏する音楽家の個性も、享受する主体である聴衆の「我」としての知性や感性も、もはや存在しない。ラーガの本質と、ターラの運動性を通じて、さらにその季節や時間における超越的な思念そのもの、形而上的、観念的な存在としての音楽を超えて、それ自体の本質へ直接に近づくのである。個我を滅却して梵と一体となるというインド思想全体に現れたダルマの境地は、音楽においても究極の目標となる。
注釈および参考文献
1)世界の歴史と文化 「インド」辛島昇 監修、新潮社。
2)マヌ Manu 古代法典の伝説上の編纂者。マヌは「人間の始祖」の意。マヌが述べたとされる「マヌの法典」は、紀元前200年頃から紀元後200年頃までの間に多数の人により編まれたもので、先行するヴェーダ時代の慣習と規範を法源として、前12章の韻文によりバラモンを頂点とする四姓制度、四住期制度他について述べている。
3)石上玄一郎 「輪廻と転生」・死後の世界の探求 第三文明社 p.156ー160。
4)ブッダ Gotama Buddha(Gotama Siddhartha)(前565ー485/前463ー383など)シャーキャ族の王族の子として生まれる。29才で沙門となり、35才でブッダ(仏、覚者)となった。シャーキャムニ(釈迦)などとも称せられる。アーガマ(初期聖典群)の古層から推察すると、苦楽中道、八正道、無記、四聖諦(このなかに、のちの縁起説の萌芽があるとされる)、非我、人生の無常を中として説いた。
5)世界宗教史叢書 6 「ヒンドゥー教史」中村元著 山川出版社。p. 。
6)「生と死」1、木村尚三郎 編、東京大学教養講座 9、東京大学出版会 インドの死生観 前田専學 p84ー86。
7)「ヒンドゥー教」ヴィシュヌとシヴァの宗教 R、G、バンダルカル著、島 岩・池田健太郎 訳。せりか書房。
8)シャンカル、ラヴィ Ravi Shankar (1920- ) シタール奏者。ヴァラナシ生まれ。幼少の頃から舞踊家の兄ウダイとともに欧米諸国に赴き、音楽的かつ国際的な環境に育つ。シタールをアラー・ウッディーン・ハーンに師事。「わが人生、わが音楽」小泉文夫訳 音楽之友社 p.
9)バラタ Bharata(生没年不詳)音楽・演劇理論家。「ナーティヤ・シャーストラ(演劇規範書)」(前5世紀頃?ー後7世紀頃)の著者とされるが、実際には複数の人間が長い期間に書き継いでいったものと考えられる。この文献は、古代インドの音楽・舞踊・演劇を網羅したもので、現在も個々の伝統の歴史的研究に欠かせない貴重な書である。
10)「インド音楽序説」B・C・デーヴァ著、中川博志訳。東方出版。
11)藤原怜子 「インド古典音楽研究 1・2」 関東学院大学文学部 紀要第36号、42号。 「マノーダルマ・サンギータ」 同第46号参照。
12)最後に、13世紀以来、北インドの音楽家の多くが帰依しているイスラム教について言及する必要があろう。イスラム教の教義に基づく死生観は、著しく異なる。究極的には天上の楽園を想定し、神の国を理想に掲げる。人間は、死んだ後は、<最後の審判>の日まで、いわば仮の眠りについているに過ぎない。肉体は朽ち果てても、魂は生き続けて、神による審判の日を待たなければならない。<最後の審判>における唯一神アッラーの裁きは、極めて厳しい。イスラム教とたちの最後の運命を決めるのは、ただアッラーのみである。人は、この絶対者の前では、全く無力である。ただ、そうした考えだけでは、人間の一生においてどんな努力をしても仕方が無いという、徹底した宿命論に陥ってしまう。だが、イスラム教では、カダルqadar(定命、予定などと訳されている)という観念があり、それによって信徒の努力が報いられるという余地を残している。信徒は、真にアッラーに帰依し、定められた戒律と行為とを厳しく守ることによって、<最後の審判>に備える余地が残されているのである。