2008.02.13
大友康平裁判(8) 「HOUND DOGはマザーでやるものだと思っ ていた」と楠山社長
HOUND DOGの大友康平の”ウラ営業”と、独立によるコンサート・ツアー中止による損害賠償請求の口頭弁論で、HOUND DOGの大友康平の所属事務所「イエホック」楠山寸賀子社長は以下ように証言をした。
まず、大友桂子夫人に関しての証言である。
ソロ活動に際して04年12月3日の時点で、新会社を設立することに関しては「会社対会社でやるのが当然」と楠山社長は語っており、前事務所のマザー・エンタープライズとの話し合いを前提にしていたと思われる。さらに、桂子夫人に関しては
「スタイリストとしては信頼があったが、ライブなどについては何も分からないだろうから…」
と、不安を持っていたことも明らかにした。さらに、05年1月11日の東京・赤坂プリンスホテルでの”裏営業”に関しても
「そうとは思っていなかった」
と曖昧な言い方をしていた。さらに、大友のソロ活動での新会社「イエホック」について原告側弁護士に聞かれると
「大友康平のソロ活動のみのマネジメントだったら引き受ける約束だった。自分自身のキャパシティもあるので、ソロしか出来ないと思っていた」
と、桂子夫人に”条件”を出したことも明らかにした。さらに弁護士から
「だったら、HOUND DOGの活動はどう考えていたのか?」
と問われると
「それは、マザーがやるものと思っていた」。
楠山社長自身が、大友とマザー、大友とメンバーの関係をどこまで理解していたのかが疑問だ。また、桂子夫人も、内情をどのように話していたのか? いずれにしても、全ての状況を全く理解しないまま「イエホック」の経営を任されていたことにもなる。今回、大友とマザー、大友とメンバーのトラブルの要因は、実は、この理解のなさにも原因があったのではないかと思わざるを得ない。
あるいは、桂子夫人と楠山社長の2人だけで全てが執行され、実は大友はもちろんメンバーも、さらにはファンまでもが不在のまま、全てが進行してしまっていたのかもしれない。その部分に蓑輪単志と鮫島秀樹は気づいていた。その後、1年遅れたが八島順一、西山毅、橋本章司も気づいた…。
しかも、楠山社長は05年3月10日以前に「HOUND DOGはお荷物だ」ということを言われていたことを聞いていなかったとも述べた。
「イエホック」の社長を引き受けるにあたっては、かなり条件を出していたことを伺わせるが、結果的に大友康平とHOUND DOGのマネジメントを引き受けた。当初の条件が、どの時点でなし崩しになったのかは不明である。
(つづく)