質問

QNo.3776850 日本の高校、大学はお飾りと化した。どうすればいいのですか。
質問者:eienn 教育基本法が、めざましく改新しないのは何故。

授業時間もそうだけど、授業内容、制度に問題がある。
机上の空論で、なにも進まない。

無駄な授業が多いし、だから退屈する。
意味のある勉強は、本来楽しいものなのに。

教師の人格も、免許をとればいいなんて甘い。


私や、私と同じ「意志」を、もっと直接的に反映する術はないのですか?
たとえば、テレビ放送で呼びかける、とか。
組織を結成するとか、

国に直訴、とか、

間接民主制では、難しいですか。

法律が変わるまで、
国民は手をこまねいて待つだけじゃないですか。
困り度:
  • 暇なときにでも
質問投稿日時:
08/02/15 00:38
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回答

ANo.20 >ほほう、それは面白い。そこまで言うからには、あなたはこの世の中に対してそれなりの貢献をして、あなたの考えが正しいことを「実証」しているのでしょうね。

この種の議論に実証を持ち込むのはナンセンス。主張が世間に受け入れられるか否かはそうしたところに依存しがちだが、言説の正当性については基準になりえない。加えて、議論に参加する人間に制限をかけることになるので、適切でない。ただし、認識の不足を指摘する限りにおいては認められてしかるべき。  っていうことにはなりませんか?
子供に対して「実証」を持ち込むのは大人気ないような気がします。逃げに過ぎません。きちんと論破してください。

でも、実際にこういった主張を行動に移す場合においては実証が必要なことは確か。
要は言いたいことは、今の時点においては、あなたは教育制度改革が行なわれる原動力にはなりえない。社会にはあなたの言説を受け入れるほどの受容能力があるとは思えない。いくら言説が正当性を持っていたとしても、それだけでは世間は動いてくれない。正直、世間からは「生意気」と思われるのが常。
本当に変えたいなら、役人にでもなれば良いと思います。
回答者:christophe
種類:回答
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回答日時:
08/02/18 00:45
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回答

ANo.19 どんな場所に行っても、何かしらの無駄を強制させられる羽目になるってことでいいんじゃないでしょうか?どんなに希望している職業においても然りということで。そんなもんだと思いますよ。そこで、やりたくない科目をやれたかどうかというのが重要性を帯びるんじゃないでしょうか?雇う側もそういう評価を見たいでしょう。
…勉強はそのための鍛錬ってことで。少なからずそういうこともあると思いますよ。

でも、確かに入学試験において日本の大学は、欧米の大学のような(学校の成績+特技+統一試験+願書みたいな)尺度を持ちませんよね。そういう要素もあってしかるべきだとは思いますが。
回答者:christophe
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回答日時:
08/02/17 23:25
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回答

ANo.18 > だからそれの邪魔をするな。
> といいたいのです。

ほほう、それは面白い。
そこまで言うからには、あなたはこの世の中に対してそれなりの貢献をして、あなたの考えが正しいことを「実証」しているのでしょうね。

はばかりながら、私はあなたのいう「無駄で退屈な授業」を受けてきたはずですが、会社の内外でいろいろと賞をもらうくらいには評価されているし、それなりの役割を担って、それこそ社会を支えているのです。
これからもっともっと社会には貢献しなければいけませんから、まだ勉強も続けているし、努力も怠るわけにはいきません。ですが、あなたの「質問」とやらに「回答」できる程度には、ちゃんとした実績を持っているのです。それをここまで立派なことを言うのであれば、あなたはすでに、さぞや具体的で立派な実績を挙げているのでしょう。
そうでないのにこのようなことを言っているのであれば、それこそ「机上の空論」です。まさか、あなたは具体的な実績も上げていないのにこのようなことを言っているのではありますまいな。

もちろん、私も勉強のできる人間として、何よりも人の親として、教育制度には関心を思っているし、具体的な行動(ボランティア活動など)から、意見の発信まで、ささやかながらもさまざまなことを行っています。子供向けの雑誌から依頼を受けて記事を書いたこともあるし、新聞に投書して採用されたこともあります。具体的に書きすぎると個人の特定につながるのでこれ以上はできませんが。
まぁ、このような場で、甘えた認識に基づく「質問」に対して「回答」で活を入れる、というのもささやかな活動ですね。

実際、世の中には、義務教育すらろくに受けていなくても立派な業績を挙げている人はたくさんいます。そういう人の中には、学校教育、特に中等、高等教育など不要だという人もいます。ですが、そういう人はちゃんとそれなりの業績を挙げているし、何よりもその人の器というものがしかるべきものであるから、そういうことを言えるし、人も耳を貸すのです。
ですから、ひとかどの実績を挙げたわけでもなく、勉強もろくにできないくせに、今の学校教育を、無駄だの退屈だの言う意見が酌まれないことは当然で、むしろ健全なことなのです。

今のあなたが何を言ったところで、人は耳を貸しますまい。なぜなら、具体的な実績なども問題ですが、何よりもあなたの見識の狭さが見え見えだからです。あなたが「お礼」やら「補足」やらすればするほど、あなたの思考の底の浅さがよくわかるのです。あなたの発言は、結局のところルサンチマンの塊でしかなく、傾聴に値しないということです。

言っておきますが、私は理工系の技術者ですが、文科系の知識や授業が不必要であったとは夢にも思いません。
なるほど、フランス革命が何年に起こったのかを知らなくても、実生活でさしたる不便はないでしょう。でも、フランス革命というものが、どのような背景や思想で行われたのか、何につながっていったのか、同じころには何があったのか位は、知っておかなければ社会人は務まりません。すべてを覚えておくことはできなくても、一応一通り勉強したことは無駄にはなっていないのです。
同様に、理科や数学の素養、特にその考え方というのは大事です。実際、そういう素養を持っていない人がこの世の中には多いです。だから、詐欺に引っかかったりテレビの過剰演出でころっといっちゃう人が多いのです。こういうものを見抜くためには、それこそ、教科書レベルの知識で十分なんですが。
学校で「学んだこと」が無駄なのか、単にそれを「生かせない」から無駄になったのか。とにかく私の経験上、生かせば生きる知識は想像以上に多いのです。まぁそれは、「勉強していたから」わかることですから、あなたに判らないのも無理はありませんが。

あなたがどのような考えを持とうとご自由です。学校教育に意見するのももちろんご自由です。ですが、あなたがこの社会でそれなりの実績も挙げておらず、このような説得力のかけらもないことを吠えたところで誰もまじめに聞きはしないし、世の中は変わりません。そんな子供の駄々に真面目に付き合うほど、暇な大人はそうはいないのです。

まずはあなた自身が、この世の中でそれなりに必要とされる人間になることです。その中で、あなたの今の考えが正しいのかどうか、わかってくるところもあるでしょう。えらそうに意見するのはそれからです。要するに、「10年早い」のです。
回答者:anachronism
種類:回答
どんな人:経験者
自信:自信あり
回答日時:
08/02/17 21:47
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この回答へのお礼そうですね。
名も無い、実績も無い人間が、何を言っても聞いてはもらえないのでしょう。私は机上の空論を振りかざしています。
(ただ、私の言う机上の空論とは、生徒の幸福を視野に入れていない、人間味のない論議、という意味でした。学力低下とか、格差とか・・そういうんじゃないんだよ・・と思って)

私の声が届くように、実績を得られるように努力するつもりですが、
それは手段であって目的じゃないですよ。
(多くの人はそれを忘れがちなので、私もそれを恐れています。)

あなたの根底に、結果主義と上目線な思考回路があって、
それで本当に苦しんでいる人は救えないでしょうね。

反駁ではなくて、今悲しく思っています。
戦わないでください。

社会に貢献できない人間は、要らないんですか。
私はあなたに恐怖を感じます。


私は、
悪い男にだまされて泣く女性
詐欺にあって失墜する人、
借金を肩代わりして地獄を見る人、
金がなくて体を売る人、
宗教にはまってしまう人、
ギャンブルにのめりこむ人、
麻薬におぼれる人、

愚かだとも、バカだとも思いませんよ。
私からしたら、
あなたのほうがバカなんです。

でもきっと
理解してはいたただけないんでしょうね。
それもしょうがないんです。
(あなたの回答で、私は哀しみしか感じません。)


(それと、活を入れるなら私の他の人に対するお礼も見てほしかったですね。ま、見る価値も無い、と思われるのでしょうけど。)

回答

ANo.17 >ところで、christopheさんはかなり有能な方と見受けますが、なにかやっていらっしゃるのですか?
私がもっと成長したら、いつか会えるような方ですか?

ただの一貫校の高校1年生ですが…数学は「得意科目」ではありますが、数学オリンピックの世界や全国模試上位には遠く及ばない感じです。
回答者:christophe
種類:回答
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:
08/02/17 21:45
この回答への補足この回答に補足をつける(質問者のみ)
この回答へのお礼どうですか。
中学の授業に論理学を加えるという案は。
数学は、中学一年レベルの知識で十分、残りの二年は選択科目で。
理科は、選択科目でいいと思いませんか。

細かいことは決めてませんが、
必修、というと興味のない者は退屈なんです。
興味のある分野のほうが、勉強の能率もあがるでしょう。
それぞれに好みと適性があるのですから、それを活かすべきです。
ディストピア的手法です。

回答

ANo.16 どうも、再び投稿させて頂きます。なる程・・・あなたの回答によって貴方も一つの考えをしっかり持っている事が分かりました。ただ、まだ少し認識が甘いと思います。何が甘いかと言うと「数学と理科は無駄」という認識ですね。今の日本は技術で飯を食ってる先進工業国です。技術を維持していく為には「数学と理科」は非常に重要な訳であって、これは絶対に外す事はできません。外してしまえば、日本は工業国として存続する事ができなくなります。私は文系ですが、やはり日本には数学と理科が必要であると強く思っているので、苦手ながら勉強させてもらっています。貴方の仰る「社会史、歴史をもっと充実させる」というのは大いに同感です。過去の日本人が何を考え、どう行動し、どういう結果になったのか。これを知る事によって日本人はそれを教訓として、将来に生かす事ができるでしょう。日本は何を主体として世界第2位の先進国として君臨しているのか、それには何が必要なのかという事を貴方が知れば、考え方はもっと良くまとまるでしょう。
回答者:shun_af_20
種類:回答
どんな人:一般人
自信:自信あり
回答日時:
08/02/17 12:41
この回答への補足この回答に補足をつける(質問者のみ)
この回答へのお礼>日本の基幹産業は工業であり、特に土木・造船・金属加工・機械・電気・電子工業などの製造業は世界最高水準にある。一方で航空機・宇宙・医薬品・バイオ・ITなどの新産業においては必ずしも最高水準ではなく、また製造業も中国や韓国・台湾の成長に押されているため、日本の製造業の収益率は80年代をピークに以後、下落を続けている。

そのためナノテクノロジーや民生用ロボットなどに活路を見出そうとしているが、ともに開発途上の技術であり、後者は日本以外での需要が少ないなど、必ずしも成功しているとは言いがたい。(WIKIより引用)


「無駄」というと、全否定に捕らえられてしまうので、もっと適切な言葉を見つけたいのですが、

あからさまにその分野に興味をもてない者に、
(小学校の授業に軽く言及すると、英語を義務化するべき、その他はあまり問題ではない)
中学、高校でのでの6年間、強制する意味はあるか?という疑問です。
少なくとも私は、工業や科学の分野に進む気は無いし、
そう考えている人間は、生徒の仲にも多数を占めると思います。

そこで自由の侵害を訴えたいわけです。
国の考えも、その教育の必要性も、わからなくないですが、
(もちろん、まだ理解の浅さはあるが)
それにしても納得できません。

私の通っていた高校では、一週間の中に理数は7時限ありました。
一時限45分なので、315分、
さらに、芸術(美術)、体育、が5時限なので225分、
全部30分でいいところを45分なので、270分の無駄
あわせて810分(13.5時間)を一週間で無駄にされたと感じました。

必修科目を選択科目にすることで、生徒の退屈をなくし、勉強の能率を上げる。
より個人の適正と好みにあった能力を集中的に伸ばし、それぞれが理想の職業に就く確立を上げる。
(短所をなくすより、長所を伸ばす)

私が提言するのは、
科目の無駄ではなくて「時間と制度の無駄」。
1の無駄は、10の有意義を駄目にする。

shun_af_20さんの回答のおかげで、また新たな視点で考えることができました。ありがとうございます。
そしてアドバイスも素直に嬉しいです。

回答

ANo.15 >一概に肯定を得られない。
ここがずっとネックでした。
どうしたら、普遍的価値のある教育を明確に定めて、それを認めさせることができるのか、
この議論がずっと続いてきた、とあなたは言いますね。
果たして、本当にそうでしょうかね。
質問に、「机上の空論」とありますが、私には、この国を操っている人間は、教育を変えることに真摯で無い気がしてならないです。

まず、議論は官の側だけで行われているわけではない。民の側でも行われている。現実に議論が制度に反映されているかはここでは問題にしていなくて、少なくとも行われてきたということを自分は主張している。そうした議論に、一方的な主張を以って終止符を打とうとすれば、反発が来て当然ということが言いたい。ちなみに、「真摯でない気がしてならない」はまったく以って理由になりえない。

>必修科目では、数学は無駄です。

数学が無駄といってる時点で、教育に対する認識が甘いとみなされても仕方ないと思う。貴行がそれを無駄と断言するということは、貴行が反対する「消極的な学習」を優勢にするに他ならない。

主張が漠然としすぎなので、具体性を持たせたほうが支持が得やすいと思う。「国が〜」とか、「真摯でない」とか言ってるけど、「どの部分がどうで、どうすべきか」ということを考えないと駄目。
回答者:christophe
種類:補足要求
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:
08/02/17 10:05
この回答への補足この回答に補足をつける(質問者のみ)
この回答へのお礼christopheさんは、数学大得意、って感じですね。
回答を見ますと。

論理的に指摘されると、私の不完全さなど瞬く間に露呈します。

数学で論理的思考を養うなど、それこそ効率が悪い。
だったらはじめから論理学を中学授業に組み込め、って思う。

私は勉強不足で、主張も漠然としています。
だからまだ行動は起こせません。

ところで、christopheさんはかなり有能な方と見受けますが、なにかやっていらっしゃるのですか?
私がもっと成長したら、いつか会えるような方ですか?


かのワタミの社長、渡邉さんが、神奈川県の教育委員として頑張っておられますね。
しかし、改革に対する真摯な態度には賛同できても、
その改革の内容には、賛成できない部分も多いです。
自らが私立の校長もなさるほどですが、
それでも見解の相違が生まれてしまうのですよね。

難しいことです。

回答

ANo.14  またおじゃまします。どのような社会においても、どれほどの知識・技能を持っていても、それは人との関わりの中で発揮せざるをえません。そこには人と人との間で感情を含めた行動になります。例えば、社会においての教える側と教えられる側の立場の違い。どう考えても、経験的に見ても「教えを授かる」上下関係の意識がなければ、人の感情として教えることにもムダを感じてしまいます。義務はないですからね。見捨てればいい。高校などの学校なら追いかけなければならないかも知れませんが(私個人は社会と同等にして良いと感じているが)、社会は年齢や経験を認めない差別者には「こいつに教えるのはイヤ」で済みます。上下関係が保たれていて平等なときもあると思うのです。
 今の社会は、いろいろな人が形成してきてくれています。貴方の言うとおり、確かに本気でない大人が一部を形成してきたかも知れません。しかし、すべてではない。ここは感情論にもなりますがね。それはこの多くの反論からも証明できると思います。
 日本は資本主義であるかぎり、格差もある。しかし社会主義でもある。これもまた事実。産まれながらに格差の波にもまれていくヒトもいるであろう現代では、育ちの5歳までの時点で、残念ながらいろいろなしがらみにかき回された人生を負っている人は、いろいろなモヤモヤを持ちます。私もその一人かも知れません。しかし、その中から、幸せのカケラを見つけて生きていくには、今の科目は結構合っているとも考えます。私にとっては、国語(古文なども含む)・数学・理科・美術・体育は、絵を描くことを仕事に持つ者にとって、十分納得するものではないが、必要なモノでした。絵の理論にすべて繋がりますので。本来歴史などの社会系も必要なのでしょうが、性分的に嫌いでしたので省きましたが。このように、高校などの科目は、すべてがその個人に必要なモノではなく、習うことによって必要不必要を見極めるのが、いちばんの勉強だと思っています。そのために私は、逆に昨今の学科やコースなど多様化する高校のあり方に、疑問さえ感じています。入った後で、「向いていない」と知る人もいますからね。柔軟な対応をとろうと思えば思うほど、元の姿勢に戻るのではないかと思うほどです。
回答者:toshipee
種類:アドバイス
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:
08/02/17 09:14
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回答

ANo.13 自分も現役高校生ですが

>??どっちも、という答えではいけませんか?

駄目です。議論が曖昧になります。
前者、つまり「積極的学習を阻害するものとしての教育制度」に関しては、「自分に合う教育を受ける権利」の問題となります。すなわち、現状の教育制度において「自分の能力が最大限に発揮しえない状況にあるので、それ以外の選択肢を増やせ」ということです。これは、個人の自由に関する主張として、ある一定の普遍性を持ちえます。
後者は、教育論の問題です。一般に、どう教育を行なうべきかという問題。これについては、今まで散々議論されてきたことなので、ここで質問するまでもないと思います。意見が対立して、収拾がつかなくなることは容易に想像できるはず(そういう意味で、全員から肯定されるのは難しい主張)。

後者については、主張するところの、「積極的学習」の教育論的デメリットが、回答者によって散々あげられているように、あなたの主張を一概に肯定するのは不可能です。

はっきり言って、「積極的学習を阻害するものとしての教育制度」を否定するには、相当な自信が必要なはずですよね?それこそ、「現役東大なんて当たり前」っていう人でないと、普通その手の主張は聞きいれてもらえません。そんなもんです。少なくとも、詰め込み教育が果たした役割についての認識が甘いようでは、そうした主張は聞く価値も無いものにしかなりえないです。
当然ですが、加えて、他の回答者の方が挙げているように、現状打破をしたいのなら、カウンタープランの提示が不可欠です。あなたの主張には、カウンタープランについての議論が一切ないので、説得力を持ちえません。

なんか、勉強不足な気がしてならないです。根本的には賛同する部分はありますが、あなたの主張は現状批判に留まっています。
回答者:christophe
種類:回答
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:
08/02/16 21:03
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この回答へのお礼ごめんなさい!
知識不足です。

一概に肯定を得られない。
ここがずっとネックでした。
どうしたら、普遍的価値のある教育を明確に定めて、それを認めさせることができるのか、
この議論がずっと続いてきた、とあなたは言いますね。

果たして、本当にそうでしょうかね。
質問に、「机上の空論」とありますが、私には、この国を操っている人間は、教育を変えることに真摯で無い気がしてならないです。

めざましく改新しないのは、誰かが邪魔している、に4割。
議論の収集がつかないに6割といったところです。
私の考えは。
そこで政治のシステムから変えようとするわけです。


カウンタープランもなにも、
今の教育が何を目的にしてるのか疑問です。
それなのに、目的に賛同し、手段に反対する、という概要のカウンタープランは打ち立てられません。

大学にはいることを目的にしていて、入る意味を目的にしないのでは、教育はだたのお飾り、としか思えません。
(もちろん、がんばってる人もいると思いますが)

20歳までに、東京で同士を集めて組織を結成したいと思います。
(すでにあるのなら入るが)
机上の空論で終わらせません。


まとめて、
私は後者の批判者です。
個人的な教育論を振りかざしているといえましょう。

改正は、だんだんやってると、不備がでてくる。
なぜなら、法律は相互に補完しあっているから。
となると、「いっきに変える」必要があるわけです。


そしてごめんなさい。
簡単に言うと、
「役にたたない授業のせいで、時間と人生無駄にされた。
むかつく、国に復習してやる!!!」
です。
もうほんとに政治家を恨んでますから。
国家と裁判したいなんて思ってますから。
(勝てる算段してからね。身は滅ぼしませんよ。世界史見てるとゾッとします。)

回答

ANo.12  退屈があっていい。進路や人生に必要のない「ムダ」って結構大事。逆に「人生に必要なモノ」しか与えられない人生は、おもしろくない。窮屈で迷惑だ。それこそ楽しむという点においては「ムダ」。私なら楽しい方を選んで自分なりの幸せを今のように感じているのがいい。
回答者:toshipee
種類:アドバイス
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:
08/02/16 20:06
この回答への補足この回答に補足をつける(質問者のみ)
この回答へのお礼>逆に「人生に必要なモノ」しか与えられない人生は、おもしろくない。窮屈で迷惑だ

松平定信のようにはなりません。
そのために歴史の授業があります。
ま、大人になってそれを覚えてる人なんてほどんどいないでしょうけどね。

個人の自由を、侵害したくないのは、私も当然思う意志です。
ただ、今の教育は自由を侵害しています。
少なくとも、私はそう感じました。
不自由を感じました。
窮屈でした。
その結果追いやられました。

そういう人がこれからも生まれるでしょう。

今のままでいいという人も、今の状態がいやだと言う人も、どちらも中立的に助ける。
それが最大の目標ですから、もし改革するときは信じてほしいです。
もしろん、政策によりけりでしょうが。

回答

ANo.11 高校、大学は義務教育ではありませんから『行かない』選択も可能です。
既存の過程から自らの意思で脱するのも立派な意思表示だと思いますよ。

実は私の娘もあなたのような意見を持っていて、私立中高一貫校に通っていましたが…結局中3で学校を辞め、その年から始った高認試験を取り自分で好きなように勉強や旅行をし、今年のセンター試験に臨みました。
勉強したいものがそこになければさっさと見切りをつけて辞めるのがよろしいと思います。
周りの環境が変化するのを待つのではなく、自らが環境を変えていけばよいのです。

義務教育の9年間で『勉強のやり方』の勉強は身についているはずです。
あとはあなた次第です。
回答者:Bayonets
種類:回答
どんな人:経験者
自信:自信あり
回答日時:
08/02/16 10:18
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この回答へのお礼この回答にお礼をつける(質問者のみ)

回答

ANo.10 現在の教育制度や教員の質については、私も問題はあると思っていますが、民意を動かしたいなら現状に変わる代案がないと無理です。

例えば、教員の質が良くない。それはそうかもしれない。
じゃあ改善のため、どのようなトレーニングプログラムを組む?
トレーニングの結果、一定基準に達したかの判断のガイドラインは?
そしてどんな立場の人間が、その判断を下すのが適正?
また、判定者の質はどのように保つ?

そこまでの具体的な意見があって初めて、周囲に耳を傾けてもらえるのだと思います。
(賛同してもらえるかは別問題)

イヤダイヤダ言うだけなら、二歳児にだってできますからねえ。
回答者:bari_saku
種類:アドバイス
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:
08/02/16 02:57
この回答への補足この回答に補足をつける(質問者のみ)
この回答へのお礼厳密な人格、心理検査と、
もちろん学力の証明。

人間が判断すると、意思が入りこむので、
機械に期待してます。

想像は現実になる。
同感ですね〜。

ここでは書ききれません。
また今度。
どっかで会えますよ。
私が行動を起こせばね。

回答

ANo.9 あなたの質問、返信への回答を一読させて頂きました。あなたは高校生の方ですよね?

>無駄な授業が多いし、だから退屈する。
 意味のある勉強は、本来楽しいものなのに。

ってどういう意味ですか?
無駄な授業とは具体的にどんな事ですか?ここが、この文章において最も重要な部分ですよ。これが欠けているという事は、貴方には国語の能力が不足しているという事ではないですか?しっかりと書いて下さい。無駄な授業だと言い張るんですから余程自信があるんですよね?自信が無いならこの様な書き方はしない方がいいですよ。説得力がないです。

>笑わせないでください。
 その勉強した人たちが作った社会が、今のコレですか。
 なにを勉強してたのか、教えてくださいな。
 勉強や勤勉を美徳とし、ただ闇雲に努力して得たものは、
 無駄な忍耐力と、非合理で、時代に適応できない硬い脳みそ。

では、貴方が理想とする教育で、何を貴方は勉強してゆけば理想の社会を作れると仰るのですか?貴方が考えているようにそう簡単に理想の社会は作れるものではないですよ?貴方は今までの勉強や勤勉が無駄だと決め付けるような発言を書いていますが、今の日本社会がその勉強と勤勉さで出来てきたものである事を知らないのですか?勉強もしないで勤勉で無ければ、発展途上国になってますよ日本は。今、貴方がこうしてインターネットを使って書き込みができるシステムの土台は、貴方が無駄と決め付けた学力知識と努力、忍耐力で出来ているという事を再認識して下さいね。学力なんて確かに日常生活では不要です。でも、新しい世の中を切り開いていくには必要なものですよ?テストもまたしかりです。貴方が考える社会に少しでも近づける為にも、勉強や学力は必要です。勉強や学力が無い人間の言う事を、人が信じると思いますか?絶対に無理です。只の世迷い言程度にしか聞いてくれません。

>しかし、だからなおさら、今の教育現場は無能無価値無意味です。
わざわざ時間を無駄にするような退屈で役に立たない授業を押し付け、
それに対する忍耐を養うなど、「非合理的」です。
むしろ、自分たちで意味のある仕事を見つけ、または創造しうる力と、それを与える教育現場でなければいけないのです。

確かに創造しうる力とそれを与える教育現場を与える、大事な事です。
ただ、現実を知って下さい。仕事って楽しい事だけでは無いですよ?(中学生なので経験はしていませんが、父の仕事見てると分かります)きつい事や自分にとってつまらない事を「無駄な事」といって貴方は職場放棄するんですか?忍耐力が無い人間なんて、会社は雇ってなんかくれないと思いますが。

>本来、仕事というものは苦痛ではなく、楽しいものでなければいけない。自分たちで充実させてかなければいけない。

もちろんそうです。ですが、苦痛を伴わない仕事なんてありません。また苦痛を伴わない教育もありません。そして、楽しいだけの仕事も教育も理想郷にしか過ぎません。ここはファンタジーの世界ではないのです。変えていこうとする気持ちは大事ですが、そんな苦痛無き世界はどう頑張っても実現不可能です。共産主義でさえ、その思想は達成できませんでしたよ?
回答者:shun_af_20
種類:アドバイス
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:
08/02/16 01:32
この回答への補足仕事が大変。
これは仕事によりけりですが、
母は水商売で、離婚した父は部下を大勢持つ身で、私は人並みにバイトをして、めんどくささと、仕事に対する悪いイメージを少なくとも、そこらの学生よりは知っているつもりです。
しかし、失望は希望の種と知っています。

だからあえて理想、幻想だと言われても言うのです。

共産主義の失敗は、私たちに教訓と智慧をくれたでしょう。
そのおかげで、私たちは同じ過ちを繰り返す可能性が低くなります。

私の理想、を詳しく書くと、書ききれませんので、
(正し思想を伝えることは難しいし、)
またの機会にします。

ひとつ言っておきます。
「苦痛にも、無駄な苦痛と有意義な苦痛がある」
この回答へのお礼>勉強や勤勉が無駄だと決め付けるような発言を書いていますが

誤解ですね。私に国語力が足りないようで、失礼しました。
教育が大事だと思うからこそ、もっと有意義にしなければいけないと思うのです。

何が無駄か。超具体的に書くと、書ききれないので、

まずは私が受けた高認試験について言及します。
最低8教科に合格しなければいけないのですが、
その中に、必修科目として、「数学、国語、英語、世界史、」
があります。(残りは地理OR日本史、化学OR地学OR生物OR理科総合の中で二科目、現社OR倫理&経済&政治)
必修科目では、数学は無駄です。国語は古文の単元が要りません。(読解は必要かもしれないが)
英語、世界史は必要。
地理は必修にすべき。理科は全部無駄。社会科関連は問題なし。
(合格ラインが40点と低く、資格の価値が生まれないので、60〜70点にあげてほしいと少し思うが)


学校教育においては、
私は高校に行っていないので中学のことに言及すれば、
授業時間が、一科目45分ですが、これは30分でいいです。
足ります。(学歴でクラスを分けるなど必要になるかもしれないが)
(実証も時間がかかるし、学力の判断基準も一新したうえでの話。)

英語のみ、内容(時間ではなく)を増やし、
その他の教科は廃止、もしくは内容縮小、または選択性にできる。
たとえば「三平方の定理」は要らないし、「古文」いらないし、「理科、家庭科、美術、体育など」は選択性いいと思う。

「削減」だけで時間換算すると、
少なくとも一日90分は浮きます。(30分に移行により)
授業を選択性にする「選択改革」をあわせて、
だいたい一人一日6時間授業なのが4時間に。
これで一日あわせて150分浮きます。
この時間を、「意味のある授業」に当てることができます。

まだまだいっぱい案があります。
もっと誰かと話をして、構想を練りたいのです。
否定されて、よりよくなることが必要。

回答

ANo.8 > その勉強した人たちが作った社会が、今のコレですか。
> なにを勉強してたのか、教えてくださいな。

勉強してきた人たちが作ってきたものは、世界中から尊敬されるような工業製品、今でも世界中の人たちが学んでいる経営哲学、一国の大統領が手放しで絶賛するような倫理、焼け跡から世界有数のGNPまで経済を押し上げた実績、その他もろもろですね。

それをすっかり忘れ、こういった遺産の上にあぐらを書き、勉強の大事ささえも忘れて、自分では勉強もしないような人たちが幅を利かせるようになったのが、ここ2〜30年ですね。結果、バブルとやらに浮かれ、はじけさせ、右往左往した上に、あろうことか、「勉強していた」人たちのせいにして、作ってきたものをぶち壊して回っている。その結果があなたのいう「今のコレ」ですね。
たとえば、バブルははじけることなんて、それこそ社会科の教科書にだって載っています。それを無視して踊り狂っておきながら、いざバブルがはじけるや、自分たちを棚の上に上げて人のせいにし、結局のところバブルの再来を待ち望んでいる。今はそんな人たちばっかりです。

あなたの言っているようなことは、私が現役の生徒、学生であった頃から、耳にタコができるほど聞いています。その結果が今の「教育」であり「社会」です。ちゃんと良識というものを持っている人は、それを反省しているわけです。

今の世の中は、勉強してきた人たちが、血と汗とで積み上げてきた遺産を食いつぶしながら、勉強もしてこなかった人たちを、ごくわずかな勉強していた人たちが支えているような状態です。それなのに、勉強しない人たちは、自分たちが何に寄りかかっているのかさえ気づいていない。あなたの「お礼」を読めば、それがありありと見えてきます。

体育ができない人が、体育の重要性が判らないとしても不思議ではありません。だから、体育のできない人が体育不要論を振りかざしたところで、誰も耳を貸しません。そりゃそうでしょう。オリンピック級のアスリートが、「体育なんていらない」とかいうなら違いますが、体育のなんたるかがわかっていないのに、体育の要不要を論じること自体、矛盾してますから。

同じく、勉強しない人には勉強の重要性がわかっていないわけです。だから、勉強しない、あるいはできない人たちが、それをいくら教師や行政のせいにしたところで、本来なら誰も耳を貸さないわけです。あなたの言うことは、「その類」の話でしかないことは、あなたの補足で明らかになったわけです。

やはり、あなたは勉強ができないわけですね。文字が読めない人には、文字の便利さはわかりますまい。勉強ができないあなたに、勉強の大事さがわかるはずも無いのです。

なるほど、私は勉強ができる人です。ですが、別に特殊な教育を受けたわけでも、帰国子女でもありません。ただ単に、あなたのいう無駄で退屈な授業を、ちょっとばかり積極的に受け、教師を質問攻めにし、本を読み、自分で「勉強」していただけのことです。
そうして、それなりの大学を卒業し、学位を取り、それなりの会社に入って、自分が勉強してきたことを基礎にして、今も勉強を続けながら、日々仕事をしているのです。だから、学校で勉強してきたことは無駄にはならないということを、自信を持っていえるし、あなたのような人が言っていることは、単にちゃんと勉強してこなかったからだということがわかるのです。

だから「経験者」としてものを言うのですが、なるほど、行政や教師などの不備もいくらかはあるでしょうし、私にもどこがどうまずいかということは、具体的な意見としても持っています。ですが、それは自分が勉強できるから言えることなのです。

オリンピックに出るような選手が、今の体育の教育のどこが導間違っているかを語るなら、それは傾聴に値するでしょう。ですが、逆上がりもできない人が、今の体育の授業のどこがどうまずいのかなんて議論できるはずもありません。
同じように、勉強ができないあなたに、勉強をうんぬんできる資格があるわけはありません。勉強以外に長所があるなら、それは大いに自慢していいでしょう。ですが、できもしない勉強を、無駄だの退屈だのいうのは、負け犬の遠吠えでしかありません。

改めて質問に回答します。

> 私や、私と同じ「意志」を、もっと直接的に反映する術はないのですか?

あなたが、ちゃんと「勉強」ができるようになってから言えばいいのです。
そうすれば、みんな耳を貸すでしょう。
回答者:anachronism
種類:回答
どんな人:経験者
自信:自信あり
回答日時:
08/02/16 00:43
この回答への補足>こういった遺産の上にあぐらを書き、勉強の大事ささえも忘れて、自分では勉強もしないような人たちが幅を利かせるようになったのが、ここ2〜30年ですね。結果、バブルとやらに浮かれ、はじけさせ、右往左往した上に、あろうことか、「勉強していた」人たちのせいにして、作ってきたものをぶち壊して回っている。その結果があなたのいう「今のコレ」ですね。

そうですよ。戦後日本は、血の努力で奇跡の復興と成長を遂げました。そのときがんばった人たちには、感謝することができましょう。
しかし今の大人たちは、あなたのいうように「富を食い潰している」。
戦後20歳だったのが、今は80歳を越えていますでしょう。
哀れなものです。後世の人間に追いやられて。

そしてあなた方は、その食いつぶし軍団を支えることで精一杯。
次世代まで助けることはできないわけだ。

結局私たちは、自分たちのことは自分でなんとかしなければいけない。
昭和末と平成生まれの次世代陣です。
だからそれの邪魔をするな。
といいたいのです。
教育がそれのひとつです。
邪魔。時間がもったいない。
私が原子記号を覚えてなんになる。
古文が読めて、サインコサインわかって、
それで企業に就職し、惰性で生きられたらわけないさ。

私は部活の特待生として高校に入りましたが、体育は無駄です。
選択性にして、やりたいやつはやればいい。
やりたくないものに強制するな。
この回答へのお礼教育の目的など、知る意味が無い。
それを知ったところで、今の教育がその目的を達成できていないことは明白で、すなわちその目的などただの戯言だから。


あなたが私より有能で優れた人間だというのはわかりましたが、
(社会ではそういう判断になるという意味)
それでなにか行動してくださってるんですか?
嘆いている人がいっぱいいる中で。
私もその一人ですよ。

自分が有能だと誇示するなら、それこそ簡単でしょう。
で、何もしてないなら笑いものですけどね。

そしてあなたと私は、多分この先ずっと相容れないと思います。
私の思う、
「政府の歯車教育政策」のどつぼにはまってるようにしか見えませんから。あなたは。

「知は力なり」
という言葉、一理ありますが、知ってるだけじゃなにもできない。
あなたや、わたしより、優れた人間、ずる賢い人間が腐るほどいて、利権を貪っています。

変えようとすることは同じでも、目指すものも、思うことも違うのでは、改革は改めて難しいと感じます。

私が行動しても、あなたが行動しても、支持は得られないと思う。
それを痛感しました。

回答

ANo.7 正直なところ質問者の立場がよくわからない。
考えられるのは

1 自分が教育を受ける身として、現状の教育制度を批判している
2 社会正義として、現状の教育制度を批判している

もし2ならば、質問者の批判は「勉強しないことへの言い訳」にはならない。1ならば、成績はともかくとして、「質問者が学校や教育制度に依存せずに学習を行なうことができる」場合にのみ、「勉強しないことへの言い訳」にはあたらない。つまり、自分の積極的学習を阻害するものとして教育制度を認識している以上は、質問者の主張は道理に適っていると言える(すなわちanachronismさんの指摘は的外れということになる)。

っていうのが前提になりますし、それによって回答も変わってくるような気がします。

その上で、
質問者が問題にしているのが、自分の積極的学習を阻害する教育制度なのか、皆に消極的学習を強要する教育制度なのかが曖昧。

前者であれば、ある程度許容性を以って対応できる。すなわち、個人の「消極的自由」の範囲の問題となる。故に、anachronismさんの主張は的外れ(というか、質問者がはっきりしない以上それは仕方ない)。
後者は教育における価値の問題であって、一概に肯定を求めることは非常に困難。詰め込みがいいのか、自主性に任せるのかという話になる。故に、anachronismさんの主張は1つの意見として尊重すべき。

この二つの議論が混在していて、質問者の意図が取れない。

(周りに主張を受容する能力を有する者がいないがために主張の吐け口がなく、)このようなところにエネルギーが向うのは仕方ないと思いますが、ここは「質問の場」であって「主張の場」ではない気がしなくもないです…まあ議論の場として存在するのも悪くないとは思いますが。主張が漠然としすぎていて、議論を曖昧なものにしています。
回答者:christophe
種類:補足要求
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:
08/02/15 23:58
この回答への補足この回答に補足をつける(質問者のみ)
この回答へのお礼>質問者が問題にしているのが、自分の積極的学習を阻害する教育制度なのか、皆に消極的学習を強要する教育制度なのかが曖昧。


??どっちも、という答えではいけませんか?

私は一年前まで高校生でしたが、今年中退しました。
8月に高認試験の存在を知り、10月に三教科受けて合格しました。
すなわち、
>「質問者が学校や教育制度に依存せずに学習を行なうことができる

ということになります。

端的に言いますと、
「無駄な授業を強要するな」です。
では、何が無駄で、何が無駄ではないのかが問題。
それを明確にして、今の教育の無駄を立証できれば、私の意思は支持を得られ、肯定される。

教育は必要です。絶対に。
しかし、意味の無い教育は、国家の国民に対する犯罪です。
時間を無駄にし、精神の向上を妨げるものです。


だからこの議論を意味のあるものにするためには、
「何が無駄か」をはっきり提示しなければいけませんね。
すると、また別に質問を立てるのがいいのかもしれません。

回答

ANo.6 > 法律が変わるまで、
> 国民は手をこまねいて待つだけじゃないですか。

あなたの「質問」は、いかに今の日本国民が国に依存しすぎているか、といういい例でしょう。

あなたの言っていることは、要は勉強しない人間の、勉強しないことへの言い訳でしかありません。

> 無駄な授業が多いし、だから退屈する。

要は、昔の日本では、勉強は「自分でするもの」だったのに、今の日本ではそうではなくなっているということです。昔の人は、とにかく勉強しました。なぜかといえば、勉強はしくちゃいけなかったから。勉強することが、自分のためになることがわかっていたから。だから、退屈だろうと何だろうと、勉強はしたのです。
でも、いまは勉強は学校がさせるものであり、勉強しないのは当人の責任ではないようですね。退屈だから勉強しない、なんて、そのころの人に言ったら笑われますが。

あなたのように、自分たちが勉強しないのを教師のせいにしたり、行政のせいにする人が、この国には山のようにいます。勉強ができないのは、教え方が下手だから?教育制度が悪いから?そんな便利な言い訳が通じる国は、この国ぐらいのもんでしょう。

今の「教育」の現場は、そういう土台の上に立っています。現状は、その当然の帰結でしょう。そんな中でも、ちゃんと勉強している人間はちゃんとした人間になり、この世の中を支えています。それをむしろ馬鹿にして、要領よく生きてゆこうとする人たちが、恥も外聞もなく彼らに負ぶさって、今にも折れそうになっているのが今の日本というものです。

今の授業が「無駄」とかいうのは、この国で一番の成績をとってから言うことです。あなたがそこまで偉そうなことを言うのであれば、当然、学校で一二というような成績をとっているのでしょうね?少なくとも、その気になれば取れるのですね?そうでないのであれば、あなたの言っていることは負け惜しみ以外の何者でもありません。

ですので、補足を求めます。あなたは、学校で一番かその程度の成績をちゃんと残しているのですね?
回答者:anachronism
種類:補足要求
どんな人:経験者
自信:自信あり
回答日時:
08/02/15 22:53
この回答への補足この回答に補足をつける(質問者のみ)
この回答へのお礼>昔の日本では、勉強は「自分でするもの」だったのに、今の日本ではそうではなくなっているということです。昔の人は、とにかく勉強しました。なぜかといえば、勉強はしくちゃいけなかったから。勉強することが、自分のためになることがわかっていたから。だから、退屈だろうと何だろうと、勉強はしたのです。

笑わせないでください。
その勉強した人たちが作った社会が、今のコレですか。
なにを勉強してたのか、教えてくださいな。
勉強や勤勉を美徳とし、ただ闇雲に努力して得たものは、
無駄な忍耐力と、非合理で、時代に適応できない硬い脳みそ。

>今の授業が「無駄」とかいうのは、この国で一番の成績をとってから言うことです
 
この言葉がそれを物語ってます。
まず結果。まず努力。
だから時間が無駄になってることに何故気づかない。
しかも、時代錯誤な根性論です。
体育が無駄というには、体力テストで一位にならないといけませんか。


「経験者」となっていますが、何の経験者ですか?
どこから「自信あり」の自信がきてるんですか。
それこそ補足をお願いします。

負け惜しみでいいですが、私は無理です。
東大には入れないし、テストで100点も取れません。

逆に、私が東大に入っちゃだめでしょう。
それこそ言論に矛盾がでるんだから。

むしろ私は、学校に不満をもつものの味方でありたいので、
(ほぼ全員が持ってると思うけど、違いますか?)
大検取得で十分なのです。

回答

ANo.5 というか、そもそもそこまでの認識に達してない大人が大多数なので…改革も何もない。絶対に支持を得られない。
なぜテレビが、モンスターペアレンツなどの取るに値しないような存在を報道し続けるかを考えればわかる。それは、そういうものを見て喜んでる連中が多く、視聴率が取りやすいから。逆に有益と思われる議論をしてもついていけない。大多数の大人が合理的思考を身につけていない証拠。そもそもそこからして壊れてる。そういう意味で確かに大人に期待しても無駄なことはわかるし、まず手始めに大人の教育から始めなきゃいけない。

>別に義務教育じゃないんだから、効率のいい勉強や面白い学問は
自分で探しましょう。やりたい事をやればいいだけの話です。

ここに於いて問題とされているのは、そういういわゆる内発的動機づけが如何になされるべきということのような気がします。
そもそも、そういう積極性を全ての子供たちが持っていれば何も問題ない。後は制度があわせればいい話。でも、大多数の子供はその境地に至っていないが故に、手取り足取りやらなければならない…逆に、手取り足取りやってるが故に子供たちには積極性が生まれないというスパイラルに陥っている気はしますが。

っていう風に、高校生の分際で社会や政治に悲観するのはどうなんでしょうかね…大人はまず、理性的な判断を下すところからはじめて欲しい。
回答者:christophe
種類:回答
どんな人:経験者
自信:参考意見
回答日時:
08/02/15 21:27
この回答への補足この回答に補足をつける(質問者のみ)
この回答へのお礼>そういう積極性を全ての子供たちが持っていれば何も問題ない。後は制度があわせればいい話。でも、大多数の子供はその境地に至っていないが故に、手取り足取りやらなければならない…逆に、手取り足取りやってるが故に子供たちには積極性が生まれないというスパイラルに陥っている気はしますが。


一理あります。
しかし、その負のスパイラルに楔を打てるのは、やはり若い力で、そのために供託金制度を変える方法を模索しているのですが・・・。
ほんとに、「個」を持たない子供が増えて、かわいそうです。
これが無能な教育の害なんだと知ります。

早く救済したい。もどかしい。

大人はもう、惰性が身に染み付いてますから、
(まぁ、しょうがないことですけど)
若い力を集結しなければ。
大人たちに不満ばかりで、何もしないのはいけないと思いました。斜に構えるのは簡単でも、世直しは難しい。
はぁ、付いてきてくれる人はどれくらいいるだろう。

回答

ANo.4 みんな学校というイメージが悪すぎるだけでは?
学校という物に対して有効な使い方を知らない。もしくは出来ない。
閉塞感は可能性がたくさんあるのにその可能性を出せる人が居ない。

いくら制度や物が増えたところで活かせる人が居なければ意味が無い。
使い方を少し換えればいくらでも面白く出来るのにね。
回答者:jamiru
種類:アドバイス
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:
08/02/15 18:07
この回答への補足この回答に補足をつける(質問者のみ)
この回答へのお礼>学校という物に対して有効な使い方を知らない。もしくは出来ない

有効な使い方?ありますかそんなもの?
時間の無駄ですよ。惰性の温床です。
(中身の無い)学歴社会が、温床の原因にもなっています。


>いくら制度や物が増えたところで活かせる人が居なければ意味が無い。

違います。
活かすも何も、邪魔してるんです。
可能性を妨害するシステムです。
それを野放しにできません。

私やあなたのように、自分でなんとかできる人はよくても、
自分で考える力の無い人は、いつも振り回されるだけです。
それは不平等です。

回答

ANo.3 教育問題は非常に時間がかかります。ある種のやり方が正しいかどうか
実証されるのに時間がかかるからです。さらに問題なのは、教育と言って
も「ゆとり」と言う言葉があるだけで、詰め込むかどうかというレベルで
しか語られておりません。問題を提起する大人側が解っていないのです。
ですから、どうしようもありません。

しかし、時間だけは平等です。学ぶべき材料だけは豊富にあります。
私の場合は、学校に行きながら教科書以外の事柄ばかりやっていました。
専攻は数学ですが、心理学や宗教学、経済学の講義にも潜り込みました。
単位の計算を間違って、留年した事もありますがw

別に義務教育じゃないんだから、効率のいい勉強や面白い学問は
自分で探しましょう。やりたい事をやればいいだけの話です。
回答者:sotom
種類:回答
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:
08/02/15 11:31
この回答への補足この回答に補足をつける(質問者のみ)
この回答へのお礼>別に義務教育じゃないんだから、効率のいい勉強や面白い学問は
自分で探しましょう。やりたい事をやればいいだけの話です

自分さえよければそれでいいのですか?あなたは。
私は嫌です。
自己満足といわれようと、それで誰かを救えるのなら救いたいです。
私は学校が嫌いです。
だから変えます。
少なくとも、もっと良くすることはできるはずです。
不登校やニートを減らしたい。

もっと楽しき生きていってほしい。
だから変えます。
それだけが目標です。

回答

ANo.2 まず、教育において、
高校や大学の目的をどこにおくかの問題です。

学識や能力を担保したいのであれば、
例えば、高校生に対しては、高卒認定試験というもの、
極論すれば、センター試験のようなものを設定し、
ある基準の成績に達した者に『高卒』という『資格』を認める。

大学に対しては、入試は緩くする一方、
単位認定を厳格にすることを求めてゆく。
この辺が現実的に可能なレベルでしょう。

ただ、一方で社会が『高卒』に求めるものはそうではありません。
これは、就職における『高卒』と『大検』の扱いの違いからも明らかです。
学力だけ取れば、高卒から就職する生徒より、大検の方が高いですが、
大検は就職には役立ちません。

これは、企業は高卒に学力を求めず、ある一定の規律
(毎朝起きて登校し、聞きたくもない授業に出席し、
 校則という規則に従うなど)
の中で生活できたということを評価しているわけです。

例えば「高卒は学力を保障する資格であるべき」というコンセンサスがあれば、
(無論、何を『学力』とするかは難しいところですが)
一気に替わる可能性があります。

大学の単位認定も同様で、現在は、学生確保が最優先で、
入りやすく、単位認定もユルいものになっていますが、
企業がそれにNOを突きつけ、就職に不利となれば、
大学も変化するでしょう。

個人的には、大卒は学生自身の努力による学識を担保するものであるべきだし、
講師も教育者である前に研究者であるべきだと思います。
その意味で、研究者の名に値しない者
(過去5年に渡って、国際的な場での発表がないような
 例えば英語で論文を書いていないような者)は、
大学にいる必要は無いと思います。
回答者:10ken16
種類:アドバイス
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:
08/02/15 09:37
この回答への補足この回答に補足をつける(質問者のみ)
この回答へのお礼私も本音を言えば、
学力など無価値、です。
(ここで言う学力とは、センター試験、などの全国試験の偏差値)

>これは、企業は高卒に学力を求めず、ある一定の規律
(毎朝起きて登校し、聞きたくもない授業に出席し、
 校則という規則に従うなど)
の中で生活できたということを評価しているわけです。

そのとおりです。
しかし、だからなおさら、今の教育現場は無能無価値無意味です。
わざわざ時間を無駄にするような退屈で役に立たない授業を押し付け、
それに対する忍耐を養うなど、「非合理的」です。
むしろ、自分たちで意味のある仕事を見つけ、または創造しうる力と、それを与える教育現場でなければいけないのです。

本来、仕事というものは苦痛ではなく、楽しいものでなければいけない。自分たちで充実させてかなければいけない。

教育が間違っているから、仕事環境が間違う。

だから日本から閉塞感が拭えないんです。

堪える力など無意味。
堪えるのではなく、困難の原因や障壁を打ち破る、合理的な力を養うべきです。

いわば、
今の日本の教育、社会は、保守的で受動的、守りの力ばかり重視。
間違ってます。革新的で能動的、攻めの力が必要なのです。
攻撃は最大の防御ですから。

アメリカの大学は、能力の高さを証明するに値するだけの機関だと聞きましたが。

回答

ANo.1 親が自衛のため、子供を正しい方向に導くしか無いと思います。
回答者:harepanda
種類:アドバイス
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:
08/02/15 07:55
この回答への補足この回答に補足をつける(質問者のみ)
この回答へのお礼親も人間ですから、不完全ですし、
むしろ今、
モンスターペアレンツなどのバカ親、
アダルトチルドレンの連鎖、
毒になる親、
できちゃった婚
などなど、

私は、親には期待していません。
子供と、未来を救わなければ。

そのために、無意味な教育は排除しなければいけない。
日本が危ない。
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