現在位置:asahi.com>教育>子育て>朝日新聞記者の子育て日記> 記事 ついに出産―「いだいでず」を何度も連呼(女性編)2008年02月18日 ドンッ。ストレッチャーから病室のベッドに移された衝撃で麻酔が切れ始め、意識がぼんやりと戻って来た。その瞬間、体に激痛が走った。下腹部が焼けるように痛い。思わずうめいた。 「いだいでずぅ。だずげでぐだざい。いだみどめをぐだざい」 夫いわく、言葉のすべてに濁点がついていたそうだ。 母いわく、意識がもうろうとしている時こそ、人間の本性が出るので、「いてぇよぉ。てめぇ、この野郎」と叫ばなかったので、とりあえず胸をなで下ろしたそうだ。こちらは痛くてそれどころではないのに、親とは変なところに気を遣うものだ。 帝王切開の当日は、朝から点滴を始め、午後2時半ごろ、手術室に向かった。付き添ってくれた夫と直前に握手をして、手術室に入った。中はとても明るく、大勢の病院スタッフがきびきびと準備をしていた。自分で手術台によじ登った。尿管や酸素マスクをつけられる。執刀医らが手術に使うガーゼの枚数を「1枚、2枚…6枚」と数えているところまでは覚えていた。気がついたら、「いだいでず」だった。 もうろうとした意識の中で、夫と母のやりとりが聞こえてくる。どうも女の子らしい。38週0日と、臨月に入った途端に取り出したので、もっとお腹の中で育てた方がよかったのではないか、と気をもんだ。だが、赤ちゃんは3326グラムもあった。十分育っていて、ほっとした。 母は赤ちゃんが無事に泣き声をあげるかどうか、手術室のドアで耳をそばだてていたらしい。私が手術室に入って30分ほどで、泣き声が聞こえたそうだ。 「ふにゃぁ〜」。まるで、ネコのような泣き声だったわ、と母。 赤ちゃんはいきなりお腹の中から引っ張り出されたためか、呼吸が乱れていて、初日は保育器の中で過ごした。 お尻に打つ痛み止めは6時間おきにしか投与できず、3〜4時間で切れてしまう。「いだいでず」を何度連呼したことだろう。夫の手を握っていたつもりが、つめを立てていたそうだ。夫は夜通しベッドの脇に腰掛けて、手を握っていてくれた。痛くて眠れず、ボーッとしたまま朝を迎えた。時折、脇にいる夫を見ると、ぼんやりした明かりの中で、病院から渡された赤ちゃんの誕生の写真を飽きもせずに見入っていた。 朝になり、助産師さんが黄色い帽子をかぶった赤ちゃんを連れてきてくれた。無事に生まれてきたことを初めて実感し、目頭が熱くなった。 「ほうら、赤ちゃんですよ。お母さんのそばが一番」と言って、ベッドに一緒に寝かせてくれた。 赤ちゃんはぐっすり眠っている。大黒様のようなフルフルのほっぺ。赤ちゃんというより、小さなおじさんのよう。夫や私の父、色々な人の面影が重なる。私の腕の中で眠っている赤ちゃんの横顔をまじまじとみつめた。 しかし、赤ちゃんとはいえ、頭はなかなか重い。ようやく対面できてうれしかったが、腕がつらくなって、夫に抱き上げてもらった。おっぱいをあげたいのに、体じゅうが痛くて身動きがとれない。 新生児室に戻った赤ちゃんは元気にしているのか、夫が心配になり見に行ってくれた。「お仲間と一緒に眠っていたよ」。様子を聞いて、ほっとした。 子宮収縮剤の点滴も始まり、術後2日間は後陣痛に苦しんだ。子宮を切っているからだろうか、後陣痛がくるたびに全身に電流が流れるような痛みが走る。陣痛ってこんな感じなのかな。経験してみたかったので、ちょっと想像してみた。寝返りを打つのも、ベッドから起きあがるのも一苦労だったが、術後3日目には、尿管を抜いてベッドから室内のトイレまで歩いて行かなければならない。ほんの2〜3メートルの移動なのに、これはきつかった。痛くてトイレまで数分もかかった。赤ちゃんの世話が一生できないんじゃないかと、悲しくて情けなくて涙が出てきたが、看護師さんたちが上手に誘導してくれ、一度できるようになると自信がついた。 術後4日目からみるみる体力が回復し、赤ちゃんと同室で世話もできるようになった。とはいえ、夫や母の助けがあってのこと。お腹に力が入らず、授乳したくてもうまく抱き上げられない。危なっかしいので、夫は退院まで病室から会社に通ってくれ、夜から朝にかけてずっと手助けしてくれた。仕事もあり大変だっただろうが、夫婦のきずなは深まったと思う。忘れないようにしたい。 女性記者プロフィール(07年10月15日から)
女性記者プロフィール(07年10月6日まで)
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