ノルアドレナリンが半端なくでている今、逃走か闘争かと自分に問うて、やはり闘争を選ぶ私。
13日に書いた産経新聞の見識をみた
というエントリの中で紹介した花岡信昭氏の発言ですが、産経新聞紙上に掲載された記事へのブロガー達の反応に対して、記事中に書けなかったことを補足する形でご自身のblogに以下のエントリをアップされています。
なんともはやの沖縄「少女暴行事件」
こういった事件では被害者に対するバッシングが付きものですが、有名な方が新聞と連動して書いたものであることを考えると、かつて無い怒りを覚えています。
なんともはやの沖縄「少女暴行事件」から引用
この種の事件の論評はきわめて難しい。どう書いても、建前が先行してしまう。犯人の米兵が非道、悪辣で、被害者の中学3年、14歳の少女は気の毒であることこのうえもない。その貴重な人生に考えられうる最悪のキズを負ってしまったことを思えば、言葉もない。
「犯人の米兵が非道、悪辣で、被害者の中学3年、14歳の少女は気の毒であることこのうえもない。」
これは建前なのですか?
これを建前といってしまえる花岡氏は、どんな批判をも免れないと思います。
一報を聞いたときにとっさに感じたのは、米兵が「強姦」で逮捕されたということへの疑問だ。なぜ「強姦致傷」ではないのか。
車の中での犯行だから、手足に打撲傷などを負っていてもなんら不思議ではない。全治何日間、あるいは何週間という発表がなかったのはなぜか。まったくケガをしていなかったのか。
それとも起訴の段階で「致傷」が加わるのか。そのあたりが素朴な疑問としてまず浮かんだ。
こういうのを下衆の勘繰りといいます。
何が言いたいのか、はっきりお書きになればいいものを。
「素朴な疑問」ですか・・・。
花岡氏がおっしゃりたいのは、結局のところ
抵抗したのか?ということなのでしょう?
つまり、合意の上での情交であったとおっしゃりたいのでしょうね。
報道では確かにこの辺のことは出てきていませんが、警察は被疑者を「強姦」容疑で逮捕しています。誤認逮捕だとでも言いたいのですか?
この言説→抵抗しなければ強姦ではない
については、以前に当blogでも書きましたが
抵抗しないのではなく、できない状況が存在するのです。
たぶん、おじさんといっても良いお年になるまで、そういった被害者のことを想像する事もなく生きてこられた方なのでしょう。
性犯罪の神話(いやよ、いやよも・・・書きたくもない)を信じていらっしゃるようです。
朝日によれば、米兵は「成人だと思った」と供述しているという。事件当時、少女はどういう服装をしていたのか。成人だと思ったというのが本当なら、化粧をしていたのか。
わざわざ、朝日新聞を持ち出すまでもなく、産経新聞は(13日に朝日より2時間以上早く)「未成年とは思わなかった」という見出しで記事を書いているではないですか。
なにか意図があるのかと勘ぐってしまいそうです。
(本当にそう思ったという可能性は否定しませんが)「成人だと思った」といわなければならない理由もありそうです。
アメリカではメーガン法(ウィキペディア)もあり、未成年者に対する性犯罪には厳罰が課されます。未成年者だと思ってましたとは言えないんじゃないでしょうか。
しかし、成人に見えたかどうかより、このエントリの文脈からは、化粧をしていたのではないか?ということの方が問題視されているように見えます。
化粧をしていることと性被害と、どのような関係があるのでしょうか?化粧をしていることが落ち度だとでも?
私には花岡氏が、少女に落ち度があったと印象操作したがっているよう思えてなりません。
続く「沖縄事件」参考記事というエントリでは・・・。
で、参考記事というか、週刊新潮(2月21日号)を紹介したい。
タイトル
「危ない海兵隊員」とわかっているのに 暴行された沖縄「女子中学生」
記事の末尾
いずれにせよ、「危ない」はずの米兵に気軽に付いていったツケは14歳の少女にとってあまりに重いといわざるをえない。
さすが、週刊誌の雄。ぴしりと締めている。
>さすが、週刊誌の雄。ぴしりと締めている。
・・・。
仲間同士で褒め合ってもねぇ。ちょっと気持ち悪いです。
週刊新潮はまだ読んでいません。(明日にでも入手する予定)
このタイトルどこで切って読んだらいいのでしょうね。
あざとすぎますよ。品のかけらもない。
わざと暴行されたというのでしょうか。
すべての米兵があぶないんですか?
すべての米兵を敵に回したいのですか?
その米兵に守って欲しいから、被害者に責任を押しつけて、ご同輩が提唱されている変な陰謀論を援護射撃しているんだと思っていましたが。
またしても私の勘違い・・・?
このエントリではバッシングに対する反論を書き切れませんでした。
すみません。