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2008年2月14日 (木)

News & letters 61

人民新聞社へのお手紙

岩国市長選の結果について


米軍の空母艦載機の岩国基地受入に反対していた井原市長が敗北したことは実に残念です。
国の財政支援と引き替えに極東最大の空軍基地を受け入れた市民の考えはどんなものだったのか聞いてみたい。

私は、一昨年の暮れ当たりに東洋町の高レベル核廃棄物に反対し、一軒一軒新聞を配って回った時に、多くの激励の声を頂いたが、中には、核受入れ賛成の意見の方々がおり、仕事場に招じ入れられて、長時間話をすることも幾度もありました。
その人人の意見は、今仕事がない、収入源がない、核の恐怖よりも今日明日の生活の不安のことで頭がいっぱいだ、家族をこのままでは路頭に迷わせる、という話がほとんどでありました。
中には、核を持ち込ませてそれで巨万の金をせしめようと考えていた人もいたと思いますが、その人々はそんなことはおくびにも出しません。
岩国の市民の多くも同じような意見だと推測します。
まさか、軍事基地の強化が好きだ、米軍が好きだ、艦載機の危険性や騒音は問題ない、と言う人がいるとは思いません。問題は、生活苦から逃れようという者、または、これ以上の享楽を得ようとする者の願いや欲望に対して、我々反対派がどう戦ったか、いかなる論理で市民に訴えたか、ということです。
これはさきの大戦で戦争に反対する市民が軍国主義者やファシストとどう戦ったか、ということと同じ問題です。
選挙で井原陣営がどのような論理を展開したかよく分かりません。しかし、井原陣営は今回の選挙では、多くの市民の生活苦からの感情や一部の享楽的利権感情に勝てなかったことは事実です。

東洋町は人口3500人足らずの小さな町ですが、私はその町に徹底的に核の恐ろしさについて、新聞やビラで宣伝をしました。外から介入しないでください、とか町民の自主性を・・とか言う人もいましたが、私はかまわずどんどん町に入っていきました。
私をくどくどと引き留める人に対して、私は逆に罵声を浴びせてやりました。確かに、私の介入は町民の「自主性」を損なったかも知れない、選挙権もない外部の者が厚かましい、と思われたかも知れない。
しかし、千万人の敵がいても自分が体を張ってこれを阻止するぞ、誰が何と言っても澤山は人の言うことを聴く人間ではない、という姿勢、もしかしたら、多くの人の生活権を脅かすことになるかも知れないが、それでもこの企てを砕いてしまうのだ、という強い信念を行動で示すことが大切だったわけです。
多くの町民が、私の新聞を食い入るように読んでくれました。よぼよぼの高齢のおばあさんがめがねをかけてもどかしそうにページをめくって読んでくれました。大阪の親戚にも送りたいからと言うので余分に手渡しもしました。
国のほうの資料では、私の新聞が核について誇大な危険性をでっち上げて間違った意識を町民に植え付けたのだ、等という総括がなされていました。

私だったら、みずから市長職を投げ出し市長選をすることはしなかっただろう。最後まで反戦反基地の市長のいすは死守したと思います。敵にいかなるチャンスも与えないように努力することが大事な戦略だったと思います。私ならてこでも動かない。
予算が承認されなくても幾年でも暫定予算でしのぐだろう。仮に相手がリコールをやるならそれを受けてたち、リコールを粉砕するために全権力、全知全能を駆使して戦っただろう。
その権力は反戦反基地の全国民の牙城であった。
私なら、権力にしがみついて、そうして市民にたいし、米軍の危険性、戦争の悲惨さ、反戦平和の大切さを徹底的に宣伝し、時間を稼ぎ正しい世論を形成したであろう。ふるさとを売り、国を売る連中の姿を赤裸々に写しだし、貧しくても自分たちで産業を復興する道を指し示すことに全力を挙げることが必要であったと思います。
敵に不必要なチャンスを与えたのは大きな失敗だったと思います。

東洋町でも今でも核推進派や利権グループが私をリコールし、夢よ今一度、の邪悪な陰謀を巡らしている連中がいるとのことです。
そうなれば、私は堂々と受けて立ち、よきチャンス到来と、一網打尽に核廃棄物の残党を粛正するでしょう。
私は自分みずから町長職を明け渡すような愚かなことはいたしません。この得難い権力(人民の自己権力)はそう簡単には手放しません。
この権力のあるうちに、不正や腐敗を一掃し、公正な行政の体制を立て直し、そして住民の福祉と教育の充実、地場産業の復興とを成し遂げるために為すべき事を為さねばなりません。
この権力にあらがう反動的勢力の画策は徹底的に掃討するでしょう。
「掃討」とか「粛正」とかいってもそれは何も暴力や脅し、独断専行をやるということではありません。
徹底的な民主主義の実行、厳正な法令遵守でもって粛々と行政を遂行するということです。
反民主主義・利権政治に対しては、民主主義の頑迷固陋な実践がプロレタリアートの鉄の解答です。

前の岩国市長井原さんは権力欲のまるでない、あまりにもさっぱりとした人格高潔な人でありました。
しかし、この汚れたリアルポリチックスの中で人民の権利を守り祖国を守るのは、理想主義だけではなくマキャベリスチックな現実的な策略と権謀術数の行使も必要です。合法的な枠内で出来うる限りの努力を惜しんではなりません。
政治は目的倫理だけではなく結果倫理だということを肝に銘ずる必要があります。目的や動機が純粋で立派だとしても、その結果が人民の利益を損ない、敵に権力を明け渡す機会を与え、そうして祖国を滅亡に追いやってしまう結果では、何の意味もありません。

岩国市民の皆さんが捲土重来を期して再起することをこころより期待します。
尼子の武将山中鹿之助が月に向かってうそぶいたように
    敵よ来たれ苦難よ来い
という精神でがんばってください。

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