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Critical Life (期限付き)

2007-09-12 性は最大の優生であるが

 あなたがどんな人に性的魅力を感ずるかを考えてみてほしい。いわゆるストライクゾーンを広げて、愛し合うこと、裸で情を交わすことが許せると思える範囲を想像してみてほしい。そのとき、あなたは性選択(sexual selection)を行なっている。そして、あなたも私も、物心ついて以来、絶えず性選択を行なっている。

 次に、性選択の範囲に入らないもの、身体的で肉体的な愛の対象たりえないと感じられるものをあげてみる。おそらく、電気スタンド、排水口、蛇口。おそらく、ネズミ、タコ、ゾウ、キリン。おそらくまた、赤ん坊、瀕死の病人、腐敗し始めた死体。そして、ここは注意深く言わなければならないが、醜悪な外見の人間、性器などの肉体に欠損があるように見える人間、人格性や精神性が感じ取れない顔をもった人間、顔の無い人間 見かけが悪い人間。こう言い直してみる。性的魅力の対象範囲を選んで決める際には、身体的能力や肉体的能力だけでなく、知的能力や精神的能力や言語能力や感情能力などを考慮して判定しているが、まさにそのことによって同時に、それら各種の能力において欠けた者を性的対象から除外している。そうして、<あの人には欠けた所があるので、ちょっと...>が集計された集団的効果として、性のゲームから除外されるものが出て来る。これがダーウィンの性選択論の要諦の一つであった。

 ここから何を言うか。第一に、性選択論は、性的対象の美的感性的な選択は自然状態で行なわれると見ている。それは間違えていないが、自然状態は、あらゆる生物において何ほどかは社会状態であるから、性的対象の選別は社会的にも行なわれているし、それこそが<自然>であると捉え直す必要がある。第二に、ある種の人間たちが、初めから性的対象から制度的にも除外されていることに留意しなければならない。例えば、各種の収容施設では性は抑圧され排除されて無いことにされる。いかに施設が慈愛に満ちていようと、いかにケアが行き届いていようと、むしろそうであるからこそ、施設収容者は性的対象にはカウントされなくなる。人間社会は、慈善や福祉や教育の名の下で、全社会的な規模で性選択を制度化して、美的感性的にノーマルな人間たちが性的関係を取り交わしているのである。実際、ノーマルな人間たちは、どんな口実を駆使してでも、知的障害者などに性的関係性を認めないであろう。第三に、ダーウィン性選択論のもう一つの要諦は、性的対象だけが生殖の相手になるということであったが、人間社会は、慈善や福祉や教育の名の下で、施設収容者を生殖からも除外している。実際、ノーマルな人間たちは、どんな口実を駆使してでも、知的障害者などに生殖育児を認めないであろう。

 以上から明らかなように、性(セクシュアリティ)こそが、最大にして最強の優生思想・優生政策なのである。これに比べれば、20世紀の優生運動も新優生学も小さなエピソードにすぎない(それが重大なのは、ある種の胎児を殺す切り捨て選別=淘汰(selection)を行なったからである。その種のネガティヴ優生の選別は、ポジティヴ優生たる性選択とは異なることに注意されたい)。

 さて、ダーウィン性選択論は、美的感性的性選択が生殖を制約するが故に、美的感性的に肯定的に評価される特徴や特質や能力が進化してくるとの作業仮説を立てていた。近年の進化論の馬鹿話(男性の性暴力、女性の魅力的な体形、人間の言語能力などの起源譚と発展譚。ポップ進化心理学)はすべて、この作業仮説に依拠している。しかし、性選択が上記のごとき機能を果たしているとしても、その作業仮説は成立するわけではない。そこが理論的に重要で難解なところであり、その点を考察しているものは、ダーウィンの原著を含めて全く無いと言ってよい(進化発生学は思われているほど鋭くも深くもない)。難解になる所以を一つだけ記しておく。人間は、長きにわたって、ある種の人間を性と生殖から除外し続けてきたわけであるが、にもかかわらず、そのある種の人間は生まれ続けてきた。ノーマルと自認する人間たちから生まれ続けてきたし、いかに切り捨て淘汰を繰り返しても生まれ続けてきた。ここに理論的に解明すべき点があるのだが(初歩的に指摘しておくなら、キャリアであるということと生存していけるということは深いところで連携していると見るべきである。キャリアとしてのみ生存していけるからこそ、ノルムから外れた者が生まれ出るのであり、逆に、ノルムから外れた者を生み出せるからこそ生存していけるのである)、倫理的にはその手前で泣くのか笑うのかが分かれ目になる。ダーウィン優生思想家たちも嘆いて泣いた(ダーウィン優生思想から除外して擁護したがる向きがあるが、性選択が優生そのものであることを見ていない点で、その類の擁護論は完全に無効である。ダーウィン研究者たちは、一体いつになったら「誤解を解く」ことしか書かない・書けない状態から脱することができるのだろうか)。これに対して、私は、笑って喜ぶのであり、ダーウィン優生思想家やポップ進化心理学者を笑い飛ばすのであり、ついでに、進化論的左翼を自称するシンガーを嘲笑するのであり、そして、あらゆる人間に性と生殖の道を開くべきだと主張するのである。新優生学(リベラル優生学)についても障害者の性と生殖についても陰気で矮小な研究が積み重ねられているが、もっと勉強して、もっと視界を広げ、もっと大らかに、もっと闘争的にやりたまえと言いたい。