2008年01月30日

「緑色の坂の道」vol.3944

 
     乾いた夜 10.
 
 
 
■「まだ見ぬ書き手へ」という本がある。
 丸山さんのものだったと記憶するが、今手元にはない。
 なかなか挑発的で、全盛期のストーンズのような、それでいて端正な文章だった。
 もう20年以上も前から、文学の世界で飯は食えなくなっている。
 最も権威あると言われる賞の初版がいくつで、返本がいくつで。
 そうしたところの印刷を一手に引き受ける社の方が、そうなんだよと言っていた。
 
 
 
■ JAZZの世界もそれは等しい。
 国立大の音楽科を出た彼がいくつかのところを転々としてピアノ教室を開く。
 コンクールでそうなった妙齢が、レフ版を当てられて顔が白い。
 
 
 
■ 腕はいいのである。
 皆、それなりに才能もある。
 違うのは何かといえばよく分らないが、そこに立っていて、あるいはうつむいていて、こちらに伝わる一本の震えではないかと思うこともあった。
 そればかりでもないのだが。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3943

 
     乾いた夜 9.
 
 
 
■ 夢中に夢見る。
 だってそれはそう。
 ほかになにかあるの。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3942

 
     乾いた夜 8.
 
 
 
■ 黒いドレスを着た女が階段を降りてゆく。
 ショールを首に巻き、すこしだけ膝が開いている。
 何時だったかそれを見送って、もう一杯飲もうかという気になった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3941

 
     乾いた夜 7.
 
 
 
■ さっきまで頭痛がしていたのだが、スコッチをショットで三杯嘗めたら忘れた。
 鶴のマークがプリントされたグラスで嘗めている。
 これは何時だったろう。
 自腹でいった時にはこんなものは貰えなかった。
 
 
 
■ ところで青山界隈であるが、墓地の近くにいいマンションがあって、そこは駐車場が広い。
 隣のビルに銀色の911が停まっていて、ここ暫くは空冷の964だった。
 何年もそこにあるから、新車で買って長いこと乗られていたのだろう。
 薄っすらと埃を被っている姿が私は好きだった。
 
 
 
■ 原宿方面から左へと曲がる。
 北欧の照明が飾られているところを過ぎて少しばかり加速する。
 見慣れた964がなくなって、そのいくつか次の型になっていた時には少しだけ驚いた。
 多分10万キロはいっていたのかも知れない。
 声をかければよかったのかな、とも思うのだが、冷静になればそれも無駄なのである。 
 
 

「緑色の坂の道」vol.3940

 
     乾いた夜 6.
 
 
 
■ 最近の青山界隈は、やや枯れた風情があって、年賀のやりとりをさせていただいている大御所デザイナ氏のオフィスの辺りには人影がない。
 246に面した高級スーパーでハーブを買ったりするのが、30代独身妙齢本格派のひとつの休日の過ごし方であるともいう。
 パセリは見切り品で買ってきて、半日乾かしておけば使える。
 それよりもフライパンの裏を洗えよ、と思うのだが口にはしないでいた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3939

 
     乾いた夜 5.
 
 
 
■「池袋と青山は、アラスカとコンゴくらい隔たっている」
 
 
 
■ と書いたのは「真夜中の犬」の作者、ほんまりうさんと関川夏央さんだった。
 名言である。
 関川さんは馬場界隈で教えていたことがあって、かつて関わっていた若い者の何人かがその授業を受けた。
 あ。
 と、廊下で声を出すと睨まれたとかいう。
 あたりめえだ。
 
 
 
■ 私は一般に、若い頃バイクに乗って転んでいた男を信じる。
 いい気になってこの季節に跨っていると、喫茶店に入ろうと階段を昇る時、がくりと膝が笑うのである。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3938

 
     乾いた夜 4.
 
 
 
■ 東京の冬は乾いていて、寝室や仕事場、その他に加湿器を置くことが多い。
 塩を入れるタイプのそれがあって、今近くにあるのだが、10年程前に買った湿度計を眺めると40から50の辺りを細い針が指している。
 湿度計と仕事用の椅子は少し高いものを買った方がいいというのが持論だが、何故なら永く使うことになるからだった。
 
 
 
■ 永福を過ぎた辺りから道が空きはじめる。
 トンネルの辺りで取締の注意が何度か喋る。
 国営放送の妙齢よりはいい声をしている。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3937

 
     乾いた夜 3.
 
 
 
■ おとなしそうな顔をした女や男の後姿を見送っているような気がした。
 いわゆる市民社会と呼ばれるものの、生臭いところである。
 若い頃、そうしたものに生理的に馴染めず、まわり道をした覚えがある。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3936

 
     乾いた夜 2.
 
 
 
■ いつだったか中央高速への道を流していると、ハイブリッドの車に抜かれた。
 よく社宅の前に色違いで数台停まっている奴である。営業でも使われる。
 結構飛ばしているのだが、どうも理不尽な気分が薄く浮かんでくる。
 これがこちらの思い上がった部分から来ているのか、暫く点検してみたが判断はつかなかった。
 飛ばすのはいいが、止まれなければ仕方ない。
 
 
 
■ 私は先にゆかせることにした。
 銀色のそれは、掻き分けるように車線を泳いで先へ進む。
 廻りは暗くなってきて、それでも前よりは日が長い。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3935

 
     乾いた夜。
 
 
 
■ 洗ったグラスに酒を注ぐ。
 ハロゲンの光で透けている。
 考えることもなく考えている。
 それもいいのか。
 いや、そうでもなく、と。
 
 

2008年01月28日

「緑色の坂の道」vol.3934

 
     月島、銀座裏 4.
 
 
 
■ そうもいかないので、上向いてバスにつかる。
 河童である。
 川流れである。
 
 
 
■ 会話を反芻したりもするのだが、よく覚えていない。
 店を出すとして、その名前をいくつか考えたような記憶もある。
「和食-鬼瓦」とか言って、殴られた覚えもあった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3933

 
     月島、銀座裏 3.
 
 
 
■ 北澤さん、チンボツしているんですか。
 というメールが届く。
 うう、と返信する気力もない。
 誰か替わりに風呂入ってくれないかな。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3932

 
     月島、銀座裏 2.
 
 
 
■ 荷風が描いた花柳界というのは、実は枕芸者の世界も随分と含まれていて、時々読み返すと結構なコクがある。
 時折すえたような匂いすらするから不思議なものだった。
 白粉と包丁の鉄の味が混ざる。
 
 
 
■ ここから大岡さんや山口瞳さん、または川端さんの作品に流れていってもいいのだが、二日酔いの後薄い風邪を引いたのでやめにする。
 日本酒の冷を調子にのってやっていると、翌日夕方くらいまで使い物にならなく、それでいてやらなければならない仕事が待っていたりもするのである。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3931

 
     月島、銀座裏。
 
 
 
■ 年末から年始にかけて、あるいは一月に入って、会合やらパーティなどが続いた。
 半ば仕事のようなところもあるから、ネクタイ締めて出かけることもある。
 先日は非公式の集まりのようなもので、私は古い革ジャンを羽織って出かけた。
 月島の辺りである。
 
 
 
■ 二三日前に東京は雪が降っていた。
 その後で空に隙間ができたのだろう。
 東か西か、とんでもなく尖った風が一日吹いている日だった。
 夕方から出かけ、ふぐなど食べたりしてそれから銀座界隈へ。
 階段を昇ると見知った顔があった。
 
 
 
■ 旧知のひとと会うとどうしても軽くは済ませられない。
 怒ったり泣いたり、その隣にいるのも楽ではないが、締めは昔遊んでいただろうという髪の白いバーテンダーのいる店である。
 私はそこでラムを嘗めた。
 
 

2008年01月23日

「緑色の坂の道」vol.3930

 
      無駄について。
 
 
 
■ 妙齢というのはポイントを溜めるのが好きだが、えてして男性はいくつ入っているかを忘れる。
 実は生物学的なところからきているのかとも思うのだが、さておき。
 
 
 
■ 例えばメルセデスのディーゼルのセダンは滅法速い。
 フロントが逆スラストしていた時代のBMWのターボ・ディーゼルも結構な加速をして、80年代には憧れたものだった。
 年間数万キロ走るならば元が取れるという。
 車両代金との差額からである。
 軽油で走る車が、ハイオクを入れたあれこれをぶち抜くというのは、屈折したダンディズムだろうか。
 実際に年に数万キロ走れば、タイアを初めとした消耗品代は相当なものになる訳で、決して経済的であるとは言いがたい。
 オイルの劣化はガソリンよりも早いのであるし。
 
 
 
■「羊の皮を被った狼」という言い方があるが、これは馬鹿にできない永遠の定番で、目立たないセダンが滅法速いというのに男たちは弱い。
 よれよれのコートの下にスキャバルの生地の背広を着ているようなものである。
 話は飛ぶが、数億するというマンションのリビングに家具を一切置かず、出前で炒飯食べているような男がいたとして、半分はそれも御伽噺である。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3929

 
      マニアでいこうか の2.
 
 
 
■ デジタル一眼の時代になると、簡単に言えば速射性である。
 秒5-8コマという特質を活かし、ともかく枚数を撮る。
 後から編集するのであるが、極端なことを言えばビデオのキャプチャーから一枚を選ぶ作業にも似ている。ビデオが全てRAWということもないけれども。
 それが写真にとっていいことかどうか、異論はあるけれども、何時までもL型6気筒にソレックス・タコ足・デュアルマフラーという訳にもいくまい。
 
 
 
■ 特性を逆手に取って、今日はこの枚数しか撮らないと決めることもある。
 つまらない時にはシャッターを押さない。
 一定の美意識があって始めてできることなのだが、「捨てる」作業を先にするか後にするかの違いだと私には思える。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3928

 
      マニアでいこうか。
 
 
 
■ 最近はあまり書かないが、実はカメラが好きで、意味なく集めていたことがあった。
 なに、手が届く範囲のものだけである。
 随分整理して、手元には一桁くらいしかボディは残っていない。
 一般にプロのカメラマンは、同じボディを2台は用意するという。
 信頼性の問題からだが、レンズを付け替える手間を省くという利点もあるようで、広角と望遠のズームがあれば楽であることも確かだった。
 実際にはそれを首から下げたりはしないのであるが。
 
 
 
■ F2を取り出して、シャッターの音を聴いたりする。
 ニッポンが鉄とガソリンの時代。車がキャブで動いていて、チョークを戻し忘れるとプラグが被った頃合、その自動巻きの時計のような手触りである。
 放っておくと電池がすぐ切れるので、露出計はほとんど使わないでいる。
 広角を入れて絞り、被写体深度で稼ぐというところなのだが、スナップにはそれが一番向いているようである。
 
 
 
■ 指でフィルムを巻き上げ、それから構える。
 これは撮影の呼吸のようなもので、キャノンのF-1もいいカメラだった。
 今ここに載せているNYの画像は、使い込んだF-1で撮ったものである。サブにA-1を持っていったが、それは誰かから貰ったものだった。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3927

 
      消した筈の火。
 
 
 
■ 例えば近郊の都市へゆくと、路地の奥まったところにブルースを聴かせる店があって、もうマスターは老けている。
 一時、背伸びした女子大生や高校生がタムロもするのだが、あれから10年または20年。 もう娘や息子がくりかえす頃合だろうか。
 
 
 
■ そんなことを思い出しながら、ダウンタウンの曲を聴いていた。
 作詞は阿木曜子さんであることが多い。
 分かりやすい、それでいてひとことが普遍的で、私は車から降りて、そこにあるコンテナの横腹を一枚撮った。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3926

 
      海沿いの2C-7.
 
 
 
■ 昨日の男。
 覚えているかい。
 
 
 
■ そんなことはないのよ。
 わたしは昼過ぎにおきるから。
 
 

2008年01月22日

「緑色の坂の道」vol.3924

 
      海沿いの2C-6.
 
 
 
■ 外気温は2度である。
 東京の北、三鷹の辺りだとこれより2-3度は低くなる。
 あの界隈に団地があって、かつて一世を風靡された週刊誌の記者の方がお住まいになっていた。
 何時だったか、ヒルズの天辺に連れて行ってやろうと言われたが婉曲に遠慮申し上げ、隣にいた若い奴の背中を押したことを覚えている。
 このカードでないと入れないんだ。
 その日のために社から借りてきたものらしい。
 
 
 
■ 男としてなにかもの哀しいところがある。
 それが何なのか説明し難いのだが、氏はダンヒルのパイプを燻らせていた。
 今ではレアだろうか。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3923

 
      海沿いの2C-5.
 
 
 
■ 本牧で降りもせず、暫く流す。
 その辺りで床まで踏んで、まだエアマスはいけるだろうと思う。
 つまんないな。
 それが何故なのかは分らない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3922

 
      海沿いの2C-4.
 
 
 
■ 昔、本牧の辺りにいい店があって、ガキだった私には敷居が高かった。
 一度か二度、隅の方で色のついた水を嘗めていたばかりだ。
 今は、といえば、環境問題に詳しい主婦が昼間から会合を開いているという。
 
 
 
■ 車は湾岸の方へと流れる。
 いつもならこの時間、改造した400馬力などが流しているのだが、フェンダーを膨らませたスープラしか見ることはなかった。
 後ろにFCがいて、サンタクロースが出入りできるようなマフラーから生ガスを噴いていた。
 盛んに左右に振る。
 煽っているのではなく、タイアを暖めているのだろう。
 

「緑色の坂の道」vol.3921

 
      海沿いの2C-3.
 
 
 
■ 軽くブレーキを踏んで、それからハンドルを左右にゆする。
 暖まるとついてきて、昔馴染んだ女の身体のようだ。
 天現寺から上に昇って、海沿いの高架を右へ流れた。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3920

 
      海沿いの2C-2.
 
 
 
■ リモコンでシャッターを操作し、その間にベルトを締めた。
 こんなにハンドルが重かったのか。
 軽く踏めばブレーキは鳴いて、なんてボロなのだろうと思った。
 ゆっくりと左折する。
 デフオイルが暖まるまで、ずるずると坂道を昇り降りする。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3919

 
      海沿いの2C.
 
 
 
■ 忙しく、暫く車に乗れなかった。
 地下の三階に降り、エンジンをかける。
 鍛造だというスカートの短いピストンが煩い。首を振っている。
 せめて窓だけは拭こうとウェスを探したが、折りたたまれたまま固まっていた。
 
 
 
■ 私は窒素ガスを入れていない。
 メンテが楽だという話なのだが、小まめに空気圧をみた方がいいような気がする。
 乗り心地が微妙に違うのである。コーナーでの反応も僅かに異なる。
 今のところ前輪だけ規定値より0.1あげてあるが、それは前のタイアの減り具合からアドバイスを受けたものだった。
 それが正しいのかは分らない。
 
 
 
■ 尻が冷たい。
 灰皿が捨てられていない。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3918

 
      風かな。
 
 
 
■ 何時だったか出先で、持っていったカメラに不足を感じたので買い足した。
 国内であるとそれが大体できる。
 便利といえばそうだし、切実さが足りないといえばその通りである。
 例えばガソリンの価格が、都心とそう変わりがないことに似ているだろうか。
 違うのは月極めの駐車料金である。

 
 
■ 小さな車に乗って、後部シートを倒し、ジッツォの中型三脚を入れた。
 全部は伸ばさず、二段だけで撮るつもりである。
 手袋の用意がなく、軍手を買って指先を切る。
 地元なのだろう、FMを聴いたりする。
 
 

「緑色の坂の道」vol.3917

 
      薄い雲。
 
 
 
■ 年末年始というのは、古い瘡蓋に似ている。
 別に何もすることはないのだが、適当になにかをしている。
 おまえはここから出てきたんだぞ。
 と言いたげに、見慣れた風景があった。