2007年12月29日
2007年12月25日
「緑色の坂の道」vol.3909
「緑色の坂の道」vol.3908
ディア・オールド・ストックホルム 2.
■ 青山界隈の路地を、マイルスのバラードばかりを聴きながら走った。
一方通行が多く、慣れないと迷う。
低層のいいマンションがあって、隠れた事務所にはもってこいなのだが、来客の車と恐らくはゴミ収集が厄介かとも思われた。セキュリティも少し古い。
■ 昔この辺りに友人が住んでいて、羨ましく思ったことを覚えている。
奴の親父さんがこの間亡くなって、離れていたものだから私は電報だけを打った。
後でメールを送ると、なんの感慨もないという。
次は俺達なのかと思うだけだ。
2007年12月23日
「緑色の坂の道」vol.3904
2007年12月22日
「緑色の坂の道」vol.3898
「緑色の坂の道」vol.3896
Ps2.
■ 会合が続いてくたびれた。
都心にあるホテルでうろうろする。
久しぶりに取り出してみたら、シルバーのネクタイピンが曇っていた。
タクシーが値上がりし、それから禁煙になっている。
■ 先日タイアを交換した。
フロントが3ミリになっていたからである。
「消しゴムのように減る」という言い方があるが、確かにそうで、これが雨の首都高速などであったりするとやや怖い。リアが流れるのはいいのだが、フロントから持っていかれると終わりだからである。
■ いくつか候補はあったのだが、サイズが揃っていないことと違う銘柄にしたかったことでPs2を選んだ。4本まとめてである。
製造年月日を大体揃えてもらう。
100キロまでは慣らしなのでなんとも言えないが、少しダイレクトさに欠けるだろうか。今までのものが腰の硬いそれだったので、そう感じるのかもしれない。
ここからどうなるのか。0.1単位で空気圧を調整しながら飼いならすことになるのだが、この手の車というのはほとんど盆栽の世界である。
2007年12月19日
「緑色の坂の道」vol.3895
「緑色の坂の道」vol.3894
Stairway to Heaven 3.
■「夜の魚」一部に、ツェッペリンのこの曲が出てくる。
日曜の夜なかば、葉子を送るため、第三京浜に乗った。
雲は斑であり、風が吹いている。
フロントフォークを伸ばしたハーレーが、芯のないマフラーで隣に並んだ。高圧縮の新しいエンジンだ。国産のゴーグルに旧ナチのヘルメットを被っている。
昔、透明なチューブの中に麻薬をつめ、キャプテン・アメリカは南部へ向かった。撲殺された弁護士をニコルソンが演じた。
架空の好況の後、暴力の気配が街に戻っている。
終点のパーキングでジャガイモのようなものを食べ、缶コーヒーを飲んだ。
葉子と運転を替わる。トンネルを幾つか越えた。道は比較的空いている。
「これ、ツェッペリンでしょ」
ジミー・ペイジのギターは、まだ静かだ。
■ 今このサイトに載せているものは、後から編集を加えたもので、改行をかなり削っている。
本来は一画面にせいぜいが5-10行。
余白に意味があるのだが、これを活字に組むとなるとまた文法が異なってきていた。
2007年12月16日
「緑色の坂の道」vol.3891
「緑色の坂の道」vol.3886
横浜ホンキートンク・ブルース 2.
■ この曲の作詞は、俳優の藤竜也さんである。
日活でやさぐれたチンピラ役をやらせると抜群に旨かった。
80年代の初めだろうか、煙草の宣伝でその鍛えられた背中がTVに映り、日活を知らなかったような女子大生にもファンが増えた。
当時付き合っていた妙齢が盛んにそういうので、けっ、と思っていた覚えがある。
20代の若造には、中年の男の口髭の意味なんてものは想像もつかなかった。
不順、じゃね、不純だと思ったのだった。
■ 単に男の嫉妬なのだが、それはそれとして。
藤さんの中年になってからの何本かの佳作を、今なかなか見ることができないでいる。
確か北方謙三さんの原作だったが、賠償さんと競演したハードボイルド映画があって、そのラスト・シーンで主人公の藤竜也さんが車のハンドルを切る。
想いを断ち切るかのようにぐっと廻すのだが、一瞬のタメというものが映像の間合いであった。
■ 間合いというのは文体に似ている。
車はライトの四角いスカイライン。それも平凡な車種である。
バブルの頃の日本映画というのは、当時の若い女性の髪形のように波打った装飾過多か、さわやか馬鹿な男たちが連なるものが多かったのだが、深夜漠然と眺めていたそれだけは印象に残っている。
あらすじも忘れてしまったけれども。
2007年12月15日
「緑色の坂の道」vol.3882
2007年12月14日
「緑色の坂の道」vol.3884
「緑色の坂の道」vol.3883
Wait Till You See Her 2.
■ 二日酔いである。
やや風邪も残っているようだ。
私はいつも風邪をひいているという説があるが、概ねそれは正しく、画期的に元気という瞬間は、おしなべて週に15分くらいだったかもしれない。
ぐずらぐずら。
そんな按配20年。
■ 先日会合の後、ひとりで車を拾い、飲みなおした。
いつものシガー・バーである。
この季節、このホテルには何度も足を運ぶのだが、寄るべきところがいくつもあってなかなか一人になることは難しい。
おつかれのようで。
と黒服が尋ねる。んん、そうなのかなと答える。
背中に疲れが。はあ。
その時にはこれで。
と軽めのシガーを薦められた。
■ 後から女性同伴の方が入ってきて濃い目のチーズを頼んでいた。
2007年12月11日
「緑色の坂の道」vol.3880
「緑色の坂の道」vol.3875
絹の夜。
■ この季節、会合が多い。
無駄といえば無駄であるし、そうでないと言えばそうでもない。
私は黒か紫系統のネクタイが好きで、時々締める。
タイピンは大体席の途中で外す。
場に応じて時計も、滅多にすることのない革ベルトにしたりして、これでも気を遣っている積りであった。
■ 先日は話を聴いていたらくたびれてきたので席を外した。
担当者というか、そういった役目の方に許可を得てからである。
どちらまでゆかれるんですか。
と、午前中は不機嫌そうな妙齢が寄ってきたので、車だろうかと思った。
いやいや場末まで。
2007年12月07日
「緑色の坂の道」vol.3874
「緑色の坂の道」vol.3869
バークス・ワークス 2.
■ 北澤さんAVアンプってやっぱりダメっすよね。
とか言っていたいたしかたのないYOMINET時代のチャッターがいた。
奴の親父さんは大手代理店の偉い方で、つまり極道息子なのだが、それを言うと
「ひとのことはいえないじゃないですか」
と、還ってくるのが常だった。
本人が言うのではなく周辺がノベるのである。
■ 彼は音楽関係の道に進んで、親の車を乗り潰した後、男の5年ローンで国産ワゴンの新車を買った。
前の事務所のあるところに送ってもらったのが今頃の季節である。
俺、茅ヶ崎に共同でスタジオ作ろうと思うんすよ。
カズマサさんの関係の方と一緒で、そろそろ親元出ようと思って。
んん。でもおめえ、その辺り車停めておくと錆びるぞ。
やっぱそうですか。
■ その後奴はどうしたのか。
妹さんが美大に入った時は喜んでいた。
「緑色の坂の道」vol.3866
そこにいるだけのあいだ。
■ このコピーはいくつかのところで使った。
初出は読売で、EPSONやコニカミノルタ。
ここには名前を出さないがその他のところでなんというかであった。
ネットで公開しているものは一部である。
■「ボーダー」というバブル期の裏返しのような名作がある。
その主人公が「愛はいつもつかのまー」と歌う。
私も十代の頃そのシングルを買って、ザワザワにうんざりすると歌っていた。
その頃やりあっていた同級の女子が、先日某大学の図書館にいくと並んでいるシリーズ物の編著辺りで名前が出ていて、なんだよあの後博士まで行ったのかよと知れた。
家庭の事情で一度は勤めに出たのである。
確か大手の建築関係だった。
■ 彼女とは厄介の手前を行ったりきたりしたが、横顔が綺麗だった。
父のことを話す時、少しばかりオクターブ高くなったことを覚えている。
浮名を流したらしいのだ。
何時だったろうか、わたしね、ピーナッツが好きなの。
と、裏返った声のモスラを車の中で歌っていた。
2007年12月05日