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(3)「内憂」 「志」くじく低い地位


 一身上の都合により――。パソコンで打った辞表を差し出すと、院長は顔色を変えた。「こんなこと……。望みは何でもかなえる」。どんな説得にも心は動かなかった。

写真担架で運び込まれる救急患者。院内に緊迫した空気が流れる=神戸市の救命救急センターで

 40代のベテラン救急医。05年秋、関西の病院を2年余で去ることにした。最初の挫折だった。

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 この病院の「稼ぎ頭」は、人工関節や脊椎(せきつい)の手術で1カ月先の予定も埋まる整形外科。急患の骨折を治療する余力はなく、救急医が手当てを終えた骨折の患者を治療せずに転院させていた。そのうち整形外科の急患を断るようになった。

 理想とかけ離れていた。かつて高次医療を受け持つ救命救急センターで腕を磨いたが、一見軽い症状の中に隠れている重い病状の患者を自分の診断で救いたい。そう考え、様々な患者が駆け込む一般の救急病院を仕事場に選んだはずだった。

 「今度こそ」。06年の初め、公的病院に移ると、救急車を断らない姿勢を貫き、1日15台前後を受け入れた。病院の収入は増え、救急に関心のある研修医が集まった。「助かっている」。院長にも救急隊にも感謝された。

 半年後、肺がん治療に力を入れる呼吸器科医らが最初に音を上げた。高齢の肺炎患者が次々運び込まれ、入院後のケアが重荷となっていた。「こちらの立場もわかって」と訴えられ、しばらくして院長にも言われた。「うちはがんが大事」

 流れは止まらなかった。そのうちほかの科も救急を敬遠し始め、1年後には内科医が一斉に退職。とどめだった。

 今、小さな病院の内科に籍を置く。「救急崩壊の原因は医師不足だけではない。専門医志向の医師の世界には、救急医療を見下す風潮がある」。再チャレンジには、ためらいが残る。

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 「院内のあつれきが救急医の最大のストレス」。佐賀大学病院救命救急センター准教授の有吉孝一(41)は断言する。

 昨年12月まで神戸中央市民病院の救命救急センターにいた。患者本位の治療をめざし、軽症者も診察。救急患者は年間4万人にのぼった。

 突然、内科医から怒鳴り込まれた。「なぜ、こんな患者を取ったのか」。院内の本音を聞こうと匿名のアンケート用紙を配り、結果にがくぜんとした。

 「初期治療だけなら事務員でもできる」(脳外科)▽「手術が予定されているのに急患が来るのはつらい」(整形外科)▽「限界を超えている」(外科)――。「各科の専門医は、救急の仕事のうち自分が関与する一部分しか知らない。両者をつなぐため、大学での教育内容を改めるべきだ」

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 救急が、病院経営の悪化をもたらす例もある。

 千葉県館山市周辺の救急を担う安房医師会病院。00年に新病院を建てた際、地元自治体の求めで救急を始めると、予想を上回る月千人近くの患者が押し寄せた。

 当直医は一睡もできず、疲れ切って医師4人が退職。当直体制が組めずに救急部門を休止したが、入院患者にも手が回らない。病棟を閉鎖した結果、04年から赤字に転落。危機を乗り切るため、経営移譲先の選定が本格化している。

 昨春、24時間救急を掲げていた岐阜県内の病院がクリニックに転換した。非常勤医に頼っていたが、新臨床研修制度が始まった04年ごろから、当直アルバイト代が一晩2万円から数倍に高騰。救急の負担が増した。

 院長(69)は自分の月給を30万円下げ、自ら週2回当直したが、赤字は月600万円に達した。「地道にやっている医療や福祉に金が回ってこないことに、問題がある」

 地域医療がやせ細り、住民の「安心」にも黄信号がともる。(敬称略)

 《病院経営と救急》 日本病院団体協議会の調査では、回答した病院の43%が06年度に赤字を計上。総務省によると、自治体病院は74%が赤字だった。こうした状況下で、収益性の高い専門医療に特化する病院が増えている。救急部門の利益が上がらない要因には、医療費抑制策の影響を受ける疾病の急患が高齢化で増えたほか、安全性向上のため、医療スタッフの拡充を求められ、人件費の負担が高まったことが挙げられる。

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