日本弁護士連合会の新会長を決める選挙では、「安定した生活をしたい」という多くの弁護士の本音が噴出したようだ。法曹の一翼である弁護士会の路線変更は国民待望の司法改革を危うくする。
新会長選では、現在の司法改革路線、弁護士の大幅増員に反対する高山俊吉氏が43%も得票した。従来通りの改革推進を掲げ辛勝した宮崎誠氏も、選挙中に増員ペース見直しを明言せざるを得なかった。
裁判員制度の実施が来春に迫る中で、裁判所、法務省と共同歩調だった日弁連の方針変更は重大だ。弁護士が身近になることを期待する国民に対する背信といえよう。
選挙の最大争点は弁護士増員だった。政府は二〇一〇年までに司法試験の合格者を毎年三千人に増やす。既に段階的増員が始まり、就職先の見つからない新人弁護士も出たことから増員反対論が力を増してきた。
司法改革の理念を理解していない鳩山邦夫法相の「多すぎる」という軽はずみ発言も後押しした。
だが、二百余ある地裁・同支部のうち半分近くは管轄区域内に弁護士が多くても三人だ。被疑者弁護や恵まれない人たちを支援する「法テラス」も弁護士不足に悩んでいる。
過剰論は、要するに都会で恵まれた生活ができる仕事が減った、ということではないだろうか。
司法書士などの試験と同じく司法試験も法曹資格を得る試験にすぎず“生活保障試験”なぞではない。
保持する資格を職業に生かせない例はいくらでもある。「弁護士資格を得たら、必ず弁護士として暮らしていけるよう参入規制すべきだ」とも聞こえる増員反対論に共感する一般国民は少ないだろう。
「生存競争が激化し、人権擁護に目が届かなくなる」−こんな声も聞こえるが、余裕があるからするのでは人権活動と呼ぶには値しない。
「法の支配」が確立するには、弁護士が高みにいて出番を待つのではなく、社会の各場面に自ら出向かねばならない。弁護士増員は司法改革の要であり、職域拡大は自らの努力と才覚にもかかっていることを忘れないでほしい。
むろん改革は弁護士だけの責任ではない。大量に生まれる新人の教育基盤整備、裁判官、検察官の増員、苦労が報われるような国選弁護報酬の実現など課題は多い。
しかし、四月に正式発足する日弁連の新執行部が増員に急ブレーキをかけるなら、弁護士会の信頼は失墜し、司法改革が頓挫しかねない。それは国民にとって不幸であり、避けなければならない。
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