2008年02月14日
きょうは、チョコが飛び交う日だ
昨日は9時前に出て、西那須野で会議をふたつ。
終わって2時過ぎ、寒いけれどいい天気で帰りたくなくなった。
ということで、美容院に行く。
電話で予約をして国道を北へ。
那須塩原市を横切る国道は、高速かと思われるような感じで
快適に前の車についていったら、80キロを超えている。
並走するトラックも同じように走っているから
この道はそういうふうに走るのが普通なんだろう。
なんて勝手に思いつつ、
80キロっていう速さはちょうどいい感じだ。
交差点が青のまま、あっという間に橋をわたり那須町http://mytown.asahi.com/tochigi/news.php?k_id=09000000802130006にはいる。
ちょっと話題はそれるが、那須町はがんばっていると思う。
いつものようにそろえてもらうつもりが、
鏡の前にすわったら、気分転換したくなった。
切るか、かけるか、迷って、切るのは止めた。
髪はいつでも切れる。切ってしまったら、のりではつかない。
ということで、帰りはちょっとふあふあと髪は遊んでいた。
夜は10時過ぎテレビを見ながら眠ってしまって
2時に気がついた。疲れていたみたい。
さて、きょうは午後全員協議会で議会へ。
たまたまきょうはバレンタインデーという日。
近くのスーパーでも、こんなにあって完売はありえないと思うほどチョコが並ぶ最終日。
あまったチョコは明日から半額になるというが・・・・・・。
もったいない話だ。
もし、好きな人にチョコをあげるんだったら・・・・・。
残念なことに、たぶんチョコよりビールか日本酒だと思う。
だからあげない。いえ、渡せない・・・・・かな。
いっしょに飲んだほうがいい。
そういうことも、なかなかできないんだけれどね。
会報の記事は出来上がらないし、
一般質問に手をつけないから会報に載せられないし、
ほんとうにどうしようか。
延期は絶対にしたくないから、今夜は久しぶりに徹夜か。
話題提供はいっぱいあったのに、みんな忘れてしまっている。
メモしとかなくちゃ・・・・・まずい。
きょうの全員協議会は議題が多いし
そのあと政務調査費等検討委員会があったっけ。
違ったかな。確認しなくちゃ。 では また。
2008年02月12日
首長は4年ごとに退職金が出る
雨になった。
久しぶりにこんな時間に家にいる。
そういえば、午後とある会派の主催する勉強会があって
それに誘われていた。
でも、やっぱり間に合わず、出席は出来なかった。
新聞を読んでいて、こんな記事を見つけた。http://sankei.jp.msn.com/politics/local/080212/lcl0802121144000-n1.htm大阪府知事になってしまった橋下弁護士。
「行列のできる・・・・・」の番組を見ていた時期があったのだが、
丸山弁護士が、フルマラソンに挑戦したころから見なくなった。
4人の弁護士のうち、一人は国会議員、一人は府知事になってしまった。なんということか。
女性の(名前は忘れた)ダイエットに成功した弁護士は、もしかして小泉首相に誘われて議員になるのでは、って思ったが。
それはなかったらしい。
テレビで顔を売って、タレント弁護士と呼ばれ、出ないと言って話題を呼び、出ればゆうゆう当選。
そんな・・・・・バカな・・・・・。事実だ。
この記事、退職金を半分にするというが、
たった4年一期府知事を務めて4000万円以上の退職金。
4年ごとに支給される制度は、市長も同じ。
市会議員よりも小さくても首長になりたいっていうのもよくわかる。
権限も膨大だが、この4年ごとの退職金で選挙費用がまかなえるとか、助かるとか聞いたことがある。
市会議員、県会議員、市長、と上り詰めて県知事になっている人に、議員や首長の仕事と給料や退職金のことを聞いてみたい衝動にかられる。
さて、一般質問と会報のこと、夕べ夜中に少し作業をしたが
行き詰まりを感じる。
なんというか、やるぞ〜という気合がはいらなくて。
質問もたぶん書き始めれば、なんとかなりそうなんだけど、
そういうモードにならない。
失いかけた命を拾って、再び心臓が動き始めた母を見ていると、
何よりも優先して・・・・・という気持ちになる。
母は「あんたは議員なんだから、そっちの仕事をちゃんとやって、わたしのことより自分の体を心配しなさい」と言うのだが。
そうはいかない。 では また。
2008年02月11日
黒磯北中事件 1998年1月28日
きょうはハッピーマンデイではなく、
本当の祝日だったことに気がついたのは、
ある人のメールを読んだあとだった。
土、日、月と三連休だったので、ついそう思ってしまった。
さて、しばらく現実から離れていた。
その間に暦は1月から2月へ進んでもう11日。
きょうは建国記念日で祝日。暖かい休日だった。
今夜から自分の本来のベッドで寝ることが出来そうで、
そう思うと、うれしくてなかなか寝付けない。
もうあしたになる。
そういえば、入院騒ぎの中ですっかり忘れていたが
この1月28日はあの忌まわしい事件から10年・・・・・。
(黒磯北中で起きた教師刺殺事件。この事件を起こした当時13歳の少年は、補導歴や問題行為などのない「良い子」「おとなしい子」だったことが社会に衝撃を与えた。少年は当時26歳の女性教師に授業に遅刻したことを注意され、カッとなって刺したという。この事件で少年がバタフライナイフを校内に持ち込んでいたことが問題となり、各地で所持品検査の是非を問う論議が起こった。)
絶対に忘れないのは、誕生日の次の日だからか。
いえ、息子がその学校に通っていたからか。
もう10年・・・・・という感じがする。
あの事件は、何年か前に和解して
確か相当なお金を(何千万円という単位だったと思う)
その子の親が支払うことで決着したんだったと思う。
それにしても、後味の悪い事件だった。
先生と生徒という関係の中での会話が、
もう少し違っていたら、あんなことにはならなかったと思う。
亡くなってしまった先生に対してあれこれ言いにくいのは確かだけど、それにしてもわたしには解せないことの多い事件だった。
その中学校がものすごく恐ろしい学校で、
先生はいつも恐怖でおののいている、というようなことを言われて、
まるで子どもたちからいつ襲われるかわからない、みたいなことが書かれていた、と記憶している。
事実はそんな学校ではなかった。
確かにナイフを持ってきている子どもはいたが、
子どもたちだけが一方的にひどかった、ということは絶対になかった。
授業がなりたっていないようなクラスがあったという事実は、決して子どもたちにだけ問題があったとはいえないだろう。
やっぱりもう10年かって、思う。
なんだか、ふと思い出してしまった。
その中学校には、たぶんその事件のなにものも残っていない。
当時、残すことをしなかった。残さないようにした。
子どもへの配慮だと学校では説明した。
わたしにはそれも理解しにくいことだったのだが。
10年前は46歳だった。
今は56歳。56歳ってもう相当な年だ!
改めてその数字を見ていると、
わたしももうすっかり中年だ〜って・・・・・
思いたくないな。 では また。
2008年02月10日
2008年02月07日
子育てに自信があるなんて・・・・・言えなかったけど
来年小学校に入学する保護者へのアンケート結果でhttp://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/news/20080206-OYT8T00030.htm子育てやしつけに自信がないと答えた人が
59%だったという。
いつだってそんな数字ではないだろうか。
それって、そんなものではなかろうか、と感じるが。
自分の30代を思い出すと
子育てもしつけも自信なんてなかった。
父親は仕事一筋で単身赴任、両方の親も近くにはいなくて。
ひとりでの子育ては本当に不安だった。
どこにいても子育ての自信はなかった。
うるさい親だった(今もかな)ことは確かだけど。
子どもは迷惑だったかもしれない。
そんなことを考える余裕はなく、育てた気がする。
今、母を見ていて思う。
退院してどう寄り添って暮らすか。
病気の母と、どこまで一緒にいてあげればいいのか、
覚悟はできているつもりだけど、
きっと、大変な生活が始まるんだろうな、と思う。
結婚以来、夫と子どもと犬以外とは同居したことないから、
なんだかイメージがつかめない。
今までの暮らしをどうやってやりくりするか、難題だ。
それにわたしって、自慢じゃないけど
記憶力がまるっきりだめで、すぐ忘れる。
覚えられない。何かが欠落していると思う。
これは高校のときにわかった事実だ。
暗記科目がまるでできなかった。
クラスの誰よりも暗記がだめだった事実を知ったときは
本当に愕然とした。
そういう娘と
本人曰く、「認知症が始まった」母が
一緒に暮らしたら・・・・。
ケセラセラ。では また。
仕事に専念するという決まりがあったはず
暗いうちに起きた。
体が痛い。
外は寒そう。
昨日からニュースになっていたがhttp://www.shimotsuke.co.jp/hensyu/news/php/s_news.php?f=k&d=20080207&n=3県内もかなりの市町でやっていたらしい。
規則に照らせば、引っかかるようなことは些細なことも含め
たくさんあるんだろうな、と思う。
あまり問題ないようなこともあろうかとは思うけど
行政のやっていることが、国から市まであまりにもずさんで
いい加減(悪い意味)だから、
なにか出てくると、またか、となる。
いつもいうことだが、もうすぐ所得税の申告。
所得税は直接市に入るわけではないが、
市民税などの基礎になるもの。
これをきちんと納めてもらわないことには行政の仕事は立ち行かない、はず・・・・・。
それなのに、つぎから次へとマイナスのニュースが出てきて
市民感情としては、やっぱり払いたくないという気持ちが起きてくるのでは、と心配する。
信頼できないことばかりで、ばくとした不安、何となくの不安、
そういうものを、感じさせるような市役所ではいけない。
名ばかりの管理職(責任感がまるでない)が
年功序列ゆえ発生!するこの組織のありようは
やっぱり根っこから変えないとだめなんだろうな、と思う。
ちょこちょこ改革という名で変えても
ちっとも変わらない、なんでものんびりゆっくり、が市役所の組織だと認識はしているが、世間はそれでは許さない。
話題はそれたが、
気がつけば明るい。これから病院へ。では また。
2008年02月06日
忌野清志郎が帰ってきた
http://mu-mo.net/id/imawa/
歌えるようになったのは暮れのジョン・レノン・スーパーライブで知っていた。
のどのがんだったと思う。
いつだったか那須街道を自転車で走ってた。
通販のコマーシャルにも出てたっけ。
RCサクセションの頃はあんまり知らなかったんだけど。
なかなかの歌い手(こういう表現でいいのかわからないけど)で、気に入ってる。
「雨あがりの夜空に」も歌うみたい。
今夜は寝ないようにしなきゃ。
今朝、病院からもどって庭に福寿草見つけた。
春が来てる。
ここにも春がきてほしい。 では また。
2008年02月05日
脚がつった…少し疲れてる…かも
朝も夕方も薬が届かず、催促して持ってきた。
主治医はごはんを食べなくても 薬は飲むようにと言っているのに。
もし、ボケちゃっててそのままだったらどうするんだろう。半月すぎて長くなって、看護体制が見えてきて、少々心配。とにかく眠い。では また。
2008年02月04日
久々に、自宅で。
会派代表者会議は10時からだったが、
5分前に2人来ていなかった。
たぶん事務局から電話を入れたのだと思うが、
ひとりは欠席、ひとりは連絡取れず、運転中だと思うとの判断で
定刻に始まった。
終わって、ふたりとも来なかった。
お昼過ぎ、たまたまその2人が事務局にきていた。
午後と思っていたとか、ごちゃごちゃ理由を言っていたが
つまりは出なくていいと思っていたのではないかと、感じた。
会派代表者は文字どおり会派を代表する。
今回欠席の会派の議員は、代表が出なかったことを承知していたのかどうか。
ま、28日にファックスでおよそのことは知らされているので問題ないかもしれないが、出ないのであれば、その旨連絡をするのが議員としての礼儀ではないのか、と密かに思った次第。
もうひとりはひとり会派の代表だから
誰にも迷惑はかからないのかもしれない。
でも、欠席の理由を午後聞いていて、
わたしには内容をみてたかをくくって出なかったのではないかと思われた。
ついこの間、ひとり会派も呼ぶべきだといきまいていたのに、
そんなものなのかなあ、と。
経験豊かなだけに、時としてわたしには理解できなくなる。
一般質問はやっぱり書く。
なんとか締め切りまでには時間があるので、どうにかして書く。
今夜は家で寝られるので、ビールもちょっとは飲めたし、
新聞の整理くらいはやらなければ。
あすは6時半には家を出るから、早く済ませて寝る。
テレビもすっかりご無沙汰で、見なけりゃ見ないで、
それはそれで不都合はない。
今は何とか母を病院から脱出させて
最後は、いっしょに暮らしたい。
病院にいても、またスキーができるようには、ならないのだから。
確実にだめになると、それだけは確かだというのだから。
だったら、きれいな病室より、住み慣れた我が家で。
人生を閉じるのは、やっぱり本人だ。
医者は患者の人生を決定することはできない。では また。
18人で会派代表者会議
外はコートがいらないくらい風がなく暖かい。
市役所職員の処分は審議会が開かれて決まる。
免職の本人以外は給料の1割を4ヶ月とか2ヶ月とか、あと口頭で注意みたいなことだが、きちんとした基準はないようだ。
合併前の隣町のことだから市長に直接重い責任はないと思うが、またもし給料を減らすなんていうことになれば、ただでさえ高くないのに、正直お気の毒だと思う。
このあと公金搾取だの一時借りただの、おかしなことがでてこないことを祈る。きのうの恵方巻きでそんなことを祈った執行部職員はいた?かな。
さて 午後はまた議会4階へ行く。
ここからだと2、3分。
天気いいから歩いていいかも、という距離だ。
では また。