「団塊の世代のために社会制度はある」という話が、就職活動する若い世代の中で語られているらしい。確かに、今の年金などの社会保障が確立されたのは、団塊の世代が就職する1970年代に整えられた物だ。 終身雇用が崩れ始めたのもここ数年の事だし、何年か前に就職活動していた学生たちが、入社の時に、「一生ここで働けると思うな」という訓示を頂いたという話をしていた。 破綻の様相を呈してきた年金は、団塊の世代のためというよりは、団塊の世代の保険料を当てにしただけの制度だから、いざ払う時期になって、収支決算なんか何も考えていない、武士の商法のような気もする。 昨日、心肺停止の急病人が出て、そこでアルバイトしている人たちが、AED(自動体外式除細動器)の操作を迫られ、困惑していた。 今まで「人の命」を扱えるのは、特定の人で、その特定の人に責任が被さっていたものが、その場に居合わせた人、すべてが「人の命」を扱えるようになってしまった。 AEDのような直接的な「人の命」の他にも、陪審員制度しかり、雇用制度しかりだ。 ある意味、プロ意識を重んじすぎた日本の社会の特質であり、これほど特定の人に依存し合う社会は珍しい。 ただ、ここに来て、「人の命」を「みんなの命」にしてしまうのは、下地がない分、危うさも感じられ、「一生ここで働けると思うな」といわれた新入社員は、どう頑張っていいか判らなくなり、AEDを手渡されたアルバイトは、赤いボタンを押す勇気を試される。 試されるほどに、バックグラウンドとなるべき社会が、稀薄でありすぎるから精神的に不安になる。 「人の命」を「みんなの命」に出来なかった団塊の世代のつけが、後の世代にのしかかってきたのが、今のような気もする。 あなたの命がみんなにゆだねられる時代、あなたは安心できますか? |